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死霊王の娘

ファウスト暦745年。勇者レオンによる魔王討伐から20年が経ち、魔物の数は激減した。世界を魔の手から救うべく立ち上がった勇者や戦士や魔法使い達でさえ、今では別の職業に就き生計を立てているような、そんな平和な世の中になった。

私はアガタ。ミミズク大陸のイカサガン王国で生活する18歳の人間だ。剣を振るうこともなければ、魔法を使うこともない。15歳からの3年間、ただ毎日のようにスクー叔父さんの営む八百屋で野菜や果物を民に売っている。面倒を見てくれている叔父さんには悪いけど、正直退屈な生活だ。私がやりたいことって、一体何だろう。そんなことを考えることがよくある。


「アガタ。配達依頼が届いた。4丁目の例の店だ。悪いが届けに行ってくれないか」

「はーい」


私はメガネをかけ、叔父さんから注文票を受け取ると、店頭に並ぶ野菜と果物をカゴに詰めた。


「じゃあ、行ってきますね」

「ああ、よろしく頼む。そうだ、アガタ」

「はい?」

「いつも言っているが、あの店に長居はするなよ。それと店主ともあまり口を聞くな。代金の受け取りが終わったらさっさと帰ってきなさい」

「わかってます。でも、これまで何度か配達してますけど、危ない目にあったことなんて一度もないですよ」

「油断するな。なんてったってあの店の店主は……」

「叔父さん。妙な噂、鵜呑みにしちゃダメですよ。じゃ、行ってきまーす」


私は店を出て、配達先へと向かった。

しばらく歩いていると、雲が出てきて街全体を黒い影で覆った。

傘、持ってくればよかったかな。そういえば、あの日も昼頃から天気が崩れて。



3年前。ある夏の日。


「だから! あんたが戦士に志願するなんて許すわけないでしょ!」

「うるせえ! なるったらなるんだ! 姉ちゃんのわからずや!」


私には3歳年下のアルベルトという弟がいた。私達は幼い頃に両親を亡くして、叔父さんの家で三人で暮らしていた。


「戦士の仕事は危険だらけなのよ! 門番だけじゃなくて、国から国に移動する要人の警護だったり、いざって時に真っ先に命を投げ出すのが戦士なんだから!」

「だからこそやりたいんだよ! 俺は強い男になるって父ちゃんと約束したんだ! 魔物だって、俺が全員倒してやるよ!」

「あんたに倒せるわけがないでしょう!」

「倒せるさ!」

「大体、魔物は滅多に出ないんだから、倒せるも何もないのよ」

「出るかもしれないだろ! 姉ちゃんは平和ボケしてるんだ!」

「現れもしない魔物を倒せるなんて意気揚々と言われてもね! とにかく私は許さないから!」

「何でわかってくれないんだよ……姉ちゃんの馬鹿!」

「ちょっと、アルベルト! どこ行くの!」


アルベルトは家を飛び出した。空には厚い雲が広がって、今にも雨が降り出しそうだった。

それがアルベルトと交わした、最期の会話だった。



「ふう、着いた」


古書ネクロス。街の隅っこにひっそりと佇む古本屋だ。趣味の悪い名前を象徴するように、店の外壁は蔦だらけで、どこか不気味な雰囲気を醸し出している。この店の店主に対する妙な噂が立つのも納得の風貌だ。木製のドアを二度ノックする。


「すみませーん。スクー八百屋の配達で来ましたー」


返事はない。いつもそうだ。ドアノブをゆっくり回すとギィと金具のしなる音と共にドアが開いた。中を覗き込むと、店内に舞う埃が窓から差し込む光に反射してキラキラと瞬いている。


「すいませーん」


店の奥、カウンターの裏に、山積みになった古本が見える。その中から小さな白い手がひょこっと飛び出て、パタパタと動いた。私は店に入り、恐る恐る古本の山に近づく。


「あの……配達で来たんですけど」


手がバタバタと激しく動いた。


「ヒッ」

「もごもご」

「あの……」

「もごもご」

「もしかして、埋もれちゃったんですか?」


バタついていた手が止まり、親指が真っ直ぐ立った。どうやら店主は古本の山に埋もれてしまったらしい。


「大変! すぐ助けますね」

「もご」


私は1冊ずつ本を手に取り、カウンターに置いていく。本の全てに埃が被っており、手の表面が埃まみれになる。『死亡直後の人体解剖図鑑パート66』、『魔物被害による死者の臓器損壊写真集』、『死者の眼球』、『ただのしかばね』、『生から視る死』…。不気味な本ばかりだ。10冊ほど除け終えたところで顔が見えて、20冊ほど除けると体が見えた。


「ぷはっ」


山から姿を現したのは緑色のエプロンを首からかけた背の小さな若い女性で、古書ネクロスの店主だった。


「いやあ、すまないすまない。配達が届く前に掃除をと思ってね。慣れないことはするもんじゃないなあ。おかげで古本に殺されるところだったよ」


店主はヘラヘラと笑いながら、ツインテールの右の髪の毛に人差し指を巻き込み、くるくると回した。


「あ、配達ありがとう。いくらだっけ?」


私は配達伝票を差し出した。


「ご無事で何よりです。1800ゴールドになります」

「はいはい。1800ゴールドねえ。ちょいとお待ちをー。あれあれ。財布どこだっけ。えーっと確かこの辺にー」


古本の山の中、カウンターの下、レジ、本棚の隙間。あちこちを探し回る店主の動きに合わせ、ぴょんぴょんとツインテールが跳ねる。やがて動きが止まり、徐に振り返った。


「ごめんごめん。財布無くしたかも」

「ええ?! 困ります!」

「だよねえだよねえ、困るよねえ。いやーさっきのドタバタでどっかに吹き飛んじゃったかなあ。おっかしいなあ。確かにこの辺りに置いといたはずなんだけどお」

「私も探しますよ」

「いやいや、八百屋さんに手伝わせるわけにはいきませんよ。この店のことは店主である私が一番よくわかってるんですからねえ。その辺で座って待っててくださいな。えーっとここでもない、こっちでもない」

それから10分経って、20分経って、30分が経った。

「あのー……私、そろそろ戻らないと。代金はお財布が見つかったらお店に払いにきてくれればいいので……」

「え、あ、そう? いやあ、本当に申し訳ないねえ。絶対この辺にあるからすぐ見つかると思うんだけどねえ」


すぐっていつだ。


「とにかく、私は戻ります。明日には必ず払いにきてくださいね」

「あいよう。ごめんねえごめんねえ」


私はカウンターにカゴを置き、出口に向かった。ドアを開けると、滝のような雨が降っていた。


「どうしよう」


私が立ち往生していると、背後からぴょこっと店主が顔を出した。


「おやおや。これは大変だ。八百屋さん、傘をお持ちではないですねえ」

「はい……」

「おあいにく、この店にも傘はありませんで。よければ雨が止むまで一休みして行ったらどうですかな?」


スクー叔父さんの言葉が頭をよぎる。「あの店に長居はするなよ」。


「でも」

「でもったって帰れやしないでしょう。温かいミルクティを出しますよ。ささ、店の奥にどうぞ」


私は促されるまま、ドアを閉めた。



カウンターの奥にはソファとテーブルが配置されているだけの小さな部屋があった。


「さ、どうぞどうぞ」

「あ、ありがとうございます」


白いティーカップに注がれた熱々のミルクティ。恐る恐る口をつける。


「美味しい」

「そうでしょうそうでしょう。何てったってこのミルクティ、キューリュー大陸のアワニコ王国ハナ村産の茶葉を取り寄せてますからねえ」

「聞いたことあります! 確か最高級の茶葉だって」

「ふっふっふ。いやあ、ミルクティには目がないもんで」


店主はニヤけながら角砂糖をつまみ、次々とティーカップに落としていく。

ぽちょん

ぽちょん

ぽちょん

ぽちょん

ぽちょん

2、3周スプーンでかき混ぜると、ズズズッと音を立ててミルクティを飲んだ。


「うまうま」


部屋にある唯一の窓に大粒の雨がぶつかり続けている。


「雨、止みませんね」

「この分じゃあ、しばらくは止まないでしょうねえ。もしかすると一日中止まないかも」

「……」

「おやおや。八百屋さん。浮かない顔をしていますねえ」

「え、そんなこと」

「何やら思うところがあるようで」

「……あの日も、こんな雨だったんです」

「あの日?」


あの日、アルベルトが家を飛び出してすぐ街に雨が降り出した。私は傘を持って家を出て、街中探し回ったけど姿はどこにもなかった。


「アルベルト……アルベルトーッ!」


諦めかけていたその時、城門の近くに人だかりができているのが見えた。人だかりを押し除けて輪の中央まで辿り着くと、そこには体中に傷をつけたアルベルトが横たわっていた。


「嘘……」

「嬢ちゃん近づくな! 回復魔法で何とか蘇生している!」


魔法使いと思しき男性がアルベルトの胸の辺りに両手を置いていた。


「傷が深い……これはもう」

「短剣を持って一人で城外に飛び出したんだと。運が悪かったな。雨乞いをしていたリザードマンに遭遇しちまったらしい」

「リザードマンだって?! そんな強力な魔物が生きているだなんて」

「魔物は絶滅したわけじゃない。洞窟にでも住み着いていたんだろう。可哀想に」

短剣……? リザードマン……? まさか、魔物を倒そうとして……。

「アルベルト……アルベルト! お願い! 助けて! 私の弟なんです! お願いします! お願いします!」


激しい雨が降りつける中、魔法使いの必死の蘇生も虚しく、アルベルトは息絶えた。


「塞ぎ込んでいる私を見かねたスクー叔父さんが、八百屋の手伝いをしてくれないかって言ってくれて。それから少しずつ店先に立って手伝いをしているうちに、なんだか気が紛れてきたんです。でも……今でも雨の日は必ず思い出してしまうんです。もしあの日、私が弟の夢を否定していなければって。喧嘩さえしていなければあんなことにならなかったのに」

「ふむふむ。そりゃあ、残念なことでしたねえ」

「ええ……。それで、最近妙な噂を耳にしたんです」

「妙な噂?」


私はカップをソーサーに置き、真剣な眼差しで話した。


「はい。なんでもこの国には、命と引き換えに、死者を蘇らせることのできる魔法使いがいるらしくって」

「ほお」

「その魔法使いに頼めば、もしかしたらアルベルトを蘇らせることができるんじゃないかって、そう思ったんです」

「八百屋さん。それはまた大層な夢物語ですな。死者を蘇らせる魔法はこの世界に存在しないと言われておりますよ」

「そんなことはわかってるんです。それでも、もしかしたらって」

「そうですかそうですか。それはまあ、いつか出会えるといいですねえ。その魔法使いさんに」


ゴクッゴクッと喉を鳴らしてミルクティを飲み干した店主がソファから立ち上がった。


「それじゃあ、私は仕事があるのでね。まあ雨が止むまでゆっくりしていきなさいな」

「あのっ!」


私は勢いよく立ち上がった。


「あなた……あなたがその魔法使いなんじゃないですか?」


店主が振り返り、首を傾げた。私は続ける。


「この店にある本、死に関するものばかりです。それってもしかして、あなたが死者を蘇らせる魔法を使うからじゃないですか? もし……もしあなたが噂の魔法使いなら……お願いしますっ! 私の命と引き換えに、弟を、アルベルトを蘇らせてくださいっ!」


私は勢いよく頭を下げた。ゴロゴロと雷が鳴って、雷光が部屋に差し込んだ。


「わはは。まあまあ八百屋さん、頭を上げてくださいな」


店主は指先で髪の毛をくるくる巻いた。


「まず、この店に死に関する本がたくさんあるのは私の趣味です」


テーブルの上に置いてある本を手に取ると、愛おしそうに撫でた。


「そしてもちろん、私に死者を蘇らせる力はありません」

「そう……ですよね。ごめんなさい。私、どうかしてた。きっと雨のせいです」


私、何を言ってるんだろう。


「もう行きます。ちょっと濡れるくらい、構いませんから。ミルクティ、ありがとうございました」


話す必要のないことを話してしまった。この人は、ただの不気味な古本屋の店主なんだ。変なお願い事しちゃったな。

部屋を出ようとした私の腕を、店主が掴んだ。


「まあまあ待ちなよ八百屋さん」


そう言ってニヤリと笑う。


「はい?」

「私はねえ、死者を蘇らせることはできないんだよ」

「ええ。だから」

「でもね」


室内にいるのに、ブワッと風が吹いた。まさか、命をいただくとか言われるんじゃ。


「会わせることはできるよ」


店主の緑色のエプロンとツインテールがはためく。


「え……?」

「だからだからあ、弟さんにね、会わせることはできるって言ってるの」


腕を掴む力が強まる。


「会いたいんでしょう? 弟さんに」

「あい……たいです……けど…」

「まあまあ、そこに座りなさんな。八百屋さんには、二つのお礼をしなきゃあねえ」


店主は私の腕を引き、ソファに座らせた。また雷が鳴って、窓から差し込んだ雷光が彼女の顔を不気味に照らした。



店主は二杯目のミルクティを用意してくれた。


「あの……二つのお礼って一体?」

「ふっふっふ。一つ目は、私のお命を救ってくれたお礼」


店主は部屋の外を指差した。ああ、古本の山を除けたお礼か。


「二つ目は、代金の未払いを見逃してくれたお礼」


店主は指で輪っかを作りぺこりと頭を下げた。


「弟さんに会わせてあげましょう。ただし、さっきも言ったように、死者を蘇らせることはできません。私にできるのは、死者の魂を一時的にこの世界に呼び戻すこと。そしてそれには、いくつかの条件がございます。あ、もちろん、八百屋さんのお命はいただきませんからご安心くださいねえ」

「ちょっ、ちょっ、ちょっと待ってください。私からお願いしといてなんですけど……本当にそんなことができるんですか? 信じがたいのですが」

「もちろん、できますよお」

「それは、あなたが魔法使いだから……?」

「ふっふっふ。まあまあ、半分正解ってとこですかねえ」


半分正解……? 一体どういうことなのだろうか。


「条件の話に戻りますよ。その一、会いたい人との思い出の品を持ってくること」


思い出の品。


「あります。このネックレスがそうです。アルベルトの10歳の誕生日に私がプレゼントしたもので」


今では、形見でもある。


「それは守り神、マスタードラゴンの形をしたネックレスですねえ。いやいや、お懐かしい」

「はい」


私は首元のネックレスを握った。


「条件その二、死者の魂を呼び戻せるのはたった一度きり。今日呼び戻してしまったら、二度とお会いすることはできません。それでもよろしければ、です」


たった一度きり。それでも、もう一度会えるなら。


「条件その三、魂をこの世界に抑留できる時間は最長で1時間。そして、1分につき10万ゴールドです」

「1分10万ゴールド?! 高っ!」

「ただぁし!」


バンッとテーブルを叩く。


「八百屋さんにはお礼をしなければなりませんから、今回は無償でやらせていただきます。出血大サービスですよお」


店主はミルクティに角砂糖を五つ入れ、スプーンでかき混ぜながら私に言った。


「条件はこの三つです。さあ、どうします? やりますか、やりませんか」


断る理由なんてどこにもなかった。会いたい。アルベルトに。会ってもう一度だけ話がしたい。


「お願いします」

「あいよう! 承りましたっ!」と店主は言い、引き出しから契約書と書かれた紙を取ると、テーブルの上に置いた。

契約書にはさっき言われた条件の他に、「ここでの出来事は他言無用である」、「死者に触れることはできない」、「呼び出しに応じるかどうかは死者の気持ち次第」など様々な説明書きがあった。全てチェックし終えた私はサインをし、店主に契約書を渡した。


「それではそれでは、お次はこちらでございやす」


今度は問診票と書かれた紙が置かれた。「死者の名前」、「生年月日」、「性別」の他、「死者との関係性」、「死亡日時」、「死亡理由」、「呼び出し理由」など、記入すべき項目は山のようにあった。

私は夢中で項目を埋めていった。薄暗い室内に雨音とペン先を走らせる音が響く。

この書類を書き終えたら、本当にアルベルトに会えるのだろうか。全部店主のいたずらで、私を揶揄っているだけなのではないだろうか。よくよく考えてみれば、魔法使いは何でもできる神様みたいな存在では決してない。ちょっと火を出せたり傷を治せたり、できることは限られている。まして死者の魂を呼び戻すなんて。一体どれほどの魔力が必要なのだろう。多分、私とほとんど年齢も変わらないであろうこの小さな店主に、そんなことが可能なのだろうか。

私は書類を書き終え、店主に手渡した。


「書類は揃いました。ではでは、覚悟はいいですねえ?」


それでも、可能性があるならば。


「お願いします」


私はもう一度だけ、アルベルトに会いたい。


「それでは……」


店主はテーブルに置いたネックレスを手に取ると、両手で優しく包み込み、おでこに当てがった。目を瞑り、祈るようにして呟く。


「魂の交信」


その瞬間、店主の足元から天井に向けて風が吹き上げた。ツインテールが浮き上がる。


「わっ!」


私は思わず体を仰け反る。テーブルがガタガタと揺れ、カップからミルクティが溢れる。


「彼岸の扉、開門」


店主が目を見開くと、部屋一面に眩い光が拡散した。風はさらに強く吹き、私は両手で顔を覆った。数秒後、光と風が止み、部屋に静寂が戻った。


「……」


手を顔から離し、恐る恐る目を開ける。正面には、店主が座っているだけだった。

やっぱり、そうだよね。死者と会えるわけなんか。


「それでは、ごゆっくりお話しください」と言って店主はカップを持って部屋を出ていった。

「えっ?」


隣に人の気配を感じる。


「姉ちゃん」


右を向くと、そこには確かにアルベルトの姿があった。


「アルベルト……」

「姉ちゃん、久しぶり」

「あ……ああ……」


両目からとめどなく涙が溢れ、やがて頬にこぼれ落ちた。視界がぼやけて姿が見えなくなる。本当に、本当にアルベルトがいる。姿だけじゃない。声、匂い、柔らかい空気感。全部が全部、本物のアルベルトだ。


「アルベルトッ!」


私は身を乗り出し、アルベルトを抱きしめようとした。


「わっ!」


私の体はアルベルトの胴体を通過し、ソファに倒れた。そうだ。呼び出した死者の魂に触れることはできないんだった。


「アルベルト……本当にあなたなのね」

「そうだよ。久しぶり。元気してた?」


私は袖で涙を拭き、頷いた。


「アルベルト、私……あのね」

「ごめんっ!」


アルベルトが頭を下げた。


「姉ちゃん、本当にごめん! 帰れなくて、本当にごめん! 俺、あの日、自分の力を証明したくって、魔物を倒そうと思って街を飛び出したんだ。スライムやゴブリンくらいだったら余裕で倒せるだろって思ってたんだけど、探しても探しても見つからなくって。それで森の方まで探検しているうちに、洞窟を見つけて。それで俺、洞窟で眠ってたリザードマンを起こしちまった」


アルベルトは太ももの上で拳を握りしめた。


「戦わなきゃって思ったけど、俺、怖くてさ。ビビって逃げ出したんだけど、街に着く直前に追いつかれて、それで……」


悔しさが顔に滲む。私は手を伸ばしてアルベルトの拳に触れようとしたけど、触れられないことを思い出して手を引いた。


「私があの時、この国を守る戦士になるってあなたの夢を頭ごなしに否定していなければ、あんなことにならなかった。父さんも母さんもいなくなって、私があなたを守らなければならなかったのに。私、あなたにずっと謝りたかった。守れなくてごめん。頼りないお姉ちゃんでごめんねって」


私は俯きながら言った。溢れた涙がメガネに落ちる。


「姉ちゃん。それは違うよ」

「え?」


私が顔を上げると、アルベルトが微笑んだ。


「俺の夢の話。この国を守る戦士になるなんて、一言も言ってないぜ? 俺はさ、強い戦士になって、姉ちゃんを守りたかったんだ。今までずっと守ってきてもらったからな」


アルベルトの手が伸びて、私の手と重なる。触れられない。でも確かな温もりを感じる。


「そばにいることはできなくなっちまったけどさ、これからは空から見守ってるよ。姉ちゃんに危険が迫ったら、そん時は俺、空から飛び降りて姉ちゃんのこと守るから」


私は声にならない声を上げ、ただその場で泣き続けた。時折アルベルトが「泣きすぎだろ」と茶化してきたけど、構わず泣き続けた。

それから私達はこれまでの3年間を埋めるように多くの話をした。スクー叔父さんの営む八百屋での日常。元戦士で靴職人のオルカ爺さんがぎっくり腰で引退した話。国王様が街の踊り子と浮気しているというゴシップ。相変わらずやりたいことも見つからない私の人生。アルベルトは全ての話を楽しそうに聞き、笑ってくれた。



どれくらいの時間が経っただろう。アルベルトの体が仄かに光だした。


「姉ちゃん。時間だ」

「……」

「そんな辛気臭い顔すんなよな。あっちでの生活もさ、意外と楽しいんだぜ? 父ちゃんと母ちゃんもいるしな」

「えっ! そうなの?!」

「ははは。冗談だよ」


アルベルトは一息ついた後、静かに言った。


「ずーっと眠ってる。あったかい日差しが体を包み込んでて、起きたい気持ちもあるんだけど、もう少しだけ寝てたいなって、そういう感覚だな」

「……」

「姉ちゃん」

「なに?」

「俺のこと呼んでくれて、ありがとな。最期、ちゃんと話せずじまいだったから」


光が増して全身が透けだす。

「もう行かなくちゃ」

「アルベルト……私、私、頑張るから! あなたの分まで一生懸命生きるから!」


アルベルトは微笑み、やがて光の粒子となって天に昇って行った。


ガチャッとドアが開き、店主が部屋に入ってきた。彼女は何も言わず、ただ私の前にミルクティの入ったカップを置いた。

私達はそれから黙って三杯目のミルクティをゆっくりと飲んだ。まるでつい先ほどの不思議な体験を噛み締めるかのように、ゆっくりと。



店を出ると、空は嘘のように晴れ渡っていた。


「店主さん」

「はいはい」

「ありがとうございました。弟に会わせてくれて」


彼女は満足そうに頷くと、ツインテールがぴょんと跳ねた。

彼女に対する、命と引き換えに、死者を蘇らせることができる魔法使いであるという妙な噂は真っ赤な嘘だった。真実は、死者の魂をこの世界に呼び戻すことができる魔法使い。彼女が何者なのかはわからない。だけど今日、私の心は、この人に救われた。

誰かを救う。そうだ。


「あの……店主さん」

「はいはい、なんでしょう」

「私を、この店で雇ってくれませんか?」


私もこの人のように、誰かを救える人間になりたい。私にとっての一生懸命に生きるとは、きっとそういうことなのだ。


「お願いしますっ! 私、約束したんです! あの子の分まで一生懸命に生きるって!」


彼女は髪をくるくる巻き、何やら考え事をした後、閃いたように目を見開いた。そして店内の本棚を指さすと、「埃、被りまくりですねえ」と言った。


続けて書類が積み重ねられたカウンターを指差す。


「整理整頓、できてませんねえ」


最後にミルクティを注ぐジェスチャーをして、「注ぎ方にはコツがあるんですよお」と言った。


「全部やります! 頑張ります!」

「ではでは、明日からよろしくお願いしますねえ。八百屋さん」


彼女は手を振り、店の奥へと戻っていく。


「あっ! 私、アガタって言います。あの、店主さん、お名前を教えてもらってもいいですか? あっ! それと、店主さんは一体、何者なんですか?」


彼女が振り返る。


「私の名はノクターン。ノクターン・ネクロス。かつて魔王の手先として世界を恐怖のどん底に陥れた七災が一人、死霊王ネクロスの娘ですよお」


八重歯を見せながら笑った。

伝説の魔物、七災、死霊王ネクロス……まさか娘がいたなんて!

半分正解って、まさか、そういう!


「契約書にサインをいただきましたからねえ。ここで起こったことは他言無用。まあ、喋ろうったって喋れないようにはなっていますが」


私は、とんでもない魔法使いと契約を結んでしまったのかもしれない。


店先のアスファルトに溜まった水溜りに古書ネクロスの看板が反射していた。これからの生活への不安と期待が同時に押し寄せてきてたまらなくなり、私は自宅に向かって走り出した。でも、これはきっと逃げ足ではない。

これはきっと、明日への駆け足だ。

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