第5話 揺らぐ視界、揺らぐ価値観
村の中央広場では、冒険者たちが慌ただしく武器を構えていた。
夜風に混じって、土と獣の匂いが濃く漂ってくる。
「魔獣が来るぞ! 全員、構えろ!」
怒号が飛び交う中、ハルは深く息を吸った。
手に握るのは、治癒用のメイス。
殺すためではなく、守るための武器。
(……本当に、襲ってくるのか?)
森の奥から響く地鳴りに、胸がざわつく。
次の瞬間、闇を裂いてボアたちが飛び出した。
「来たぞ!!」
冒険者たちが一斉に武器を振るう。
火花が散り、土が跳ね、悲鳴と咆哮が入り混じる。
ハルもメイスを構え、迫ってきた一頭と対峙した。
「うっ……!」
突進を受け止め、横へ回り込み、
メイスの柄で脇腹を強く叩く。
ボアはよろめき、地面に倒れ込んだ。
ハルは息を荒げながら近づく。
「……まだ、生きてるな」
とどめを刺すべきか迷った。
だが、メイスは“殺すための武器”ではない。
その瞬間――
視界が白く弾けた。
(……え?)
頭の奥に、知らない景色が流れ込んでくる。
草原。
夕日。
母ボアの背に飛び乗る子どもたち。
優しく見守る父ボア。
穏やかな家族の時間。
そして――
耳を切り取られた亡骸。
血に染まった巣穴。
泣き叫ぶ兄ボアの声。
(……これは……誰の……?)
ハルは膝をつき、頭を押さえた。
胸が締めつけられる。
息が苦しい。
倒れているボアの瞳が、かすかに揺れた。
敵意ではない。
ただ、悲しみだけが宿っていた。
「……お前……家族を……」
言葉が震える。
そのとき、背後から仲間の声が飛んだ。
「ハル! 何してる! 早くとどめを刺せ!」
ハルは振り返る。
仲間の冒険者が駆け寄ってくる。
「……いや、こいつは……」
言いかけた瞬間、森の奥から重い咆哮が響いた。
「ブオォォォォ!!」
兄ボアだ。
怒りと悲しみを抱えたまま、村へ迫ってきていた。
ハルは思わず身構える。
だが兄ボアは、倒れたボアを見て動きを止めた。
(……家族……?)
兄ボアの瞳が揺れる。
悲しみと怒りが混ざった、深い色。
だがその背後から、群れの長が現れた。
「ブオォ……!」
短い咆哮。
それは“撤退”の合図だった。
兄ボアは一瞬だけハルを見た。
敵意ではない。
しかし、許しでもない。
ただ――
「覚えていろ」という、静かな怒り。
兄ボアは倒れた仲間の体を鼻先で押し、
群れの長に従って森の奥へと消えていった。
ハルはその場に立ち尽くした。
仲間が肩を叩く。
「おい、ハル。大丈夫か? 顔色悪いぞ」
「……ああ。ちょっと、目が回っただけだ」
ハルは倒れたボアを見つめる。
その瞳に宿っていた“悲しみ”が、頭から離れない。
(……魔獣って、本当にただの脅威なのか?)
その疑問が、ハルの胸に静かに芽生えた。
まだ誰にも言えない。
まだ自分でも整理できない。
だが――
この夜を境に、ハルの世界は確かに揺らぎ始めていた。




