日常1-1
「……やることねえな」
俺は窓に肘を付き、ぼおっと外を眺めていた。木々の隙間から日が差し込む。その心地よさに、瞼が落ちそうになる。
こんな身体になってもちゃんと睡魔は襲ってくるらしい。食欲もある。だが、ハンスが説明した通りこの身体には竿も穴もないし、排泄もしない。一体どういう仕組みなのか、さっぱり分からない。
「あ、ユウさんサボっちゃダメですよぉ」
暢気な声が後ろから聞こえてきた。振り向くと、メイド服を着たウサギが腰に手を当てて頬を膨らませている。
「この部屋の掃除ならもう済ませた。やるこたやったんだから、好きにさせろよ」
「本当ですか?……むう、ここちゃんと拭けてませんよ?」
ミミは化粧台の所に行くと、雑巾でさっと一撫でした。
「床とかだけでいいだろうが」
「ダメですよ!?ジャニス様、キレイ好きなんですから。私が怒られちゃいます」
あんな女なんてどうだっていいだろと口に出かけたが、俺はなぜか「……悪い」と素直に謝っていた。どうにもこいつの前だと調子が狂う。
ここに来て6日が経つ。俺は自分でも驚くほどに、素直に家事をこなしていた。
俺に与えられた仕事は、主に屋敷の掃除だ。かなり広い家だが、実際に使っている部屋は少ない。ジャニスとハンスの私室、それに俺とミミに充てがわれた使用人部屋。それと応接間とリビングといった具合だ。
掃除自体はかなり丁寧にやっても3時間もあれば終わってしまう。残りの時間は、こうやって日向ぼっこをするぐらいしかない。退屈すぎて死んでしまいそうだ。
そんな単純作業など、前の世界の俺なら躊躇わず放り出していたはずだ。そして、脱走を試みていただろう。
にもかかわらず、俺はそうしていない。ジャニスとハンスに散々脅されたからというのもあるが、なぜか毒気が抜かれたかのように俺はミミの指示に従っている。
俺はこんなに従順な人間だっただろうか。どうにも、何かがおかしい。
一応、「錬金術師の掌」が使えないかも試してみた。一瞬だけ物質の性質は変化したが、すぐに戻ってしまった。これもハンスの説明通りだ。
どうもこの身体に何か仕込まれているらしい。心身ともに従順な奴隷にさせられたのか。ムシャクシャするが、苛立ちをぶつける先がないのがまた最悪だ。
ミミはというと、日々の炊事洗濯を担当している。俺よりは働いているようだが、それでも姿を見ない時間帯は多い。
こいつが膨大な空白の時間をどうやって過ごしているか、ふと興味が湧いた。
「なあ、お前普段どうしてるんだ」
「ほえ?普段って、どういうことですか?お仕事してますけど」
「いや、仕事以外の時間だよ。やることなくて暇だろうが」
ミミは手をポンと叩く。
「ああー、そう言えばユウさんにはまだ立ち入り許可降りてなかったんでしたっけ」
「……立ち入り許可?」
「はいっ。せっかくだから、ユウさんも入ります?ジャニス様やハンス様には、内緒ですよ」
こいつは命令を破っていいのか。何だか酷く不平等だな。それとも、新入りの俺は信用できない、ということなのか。
ミミはトコトコと廊下を歩く。それについていくと、奥には大きな扉があった。
「確か、ここは掃除しろって言われていなかったな。鍵もかかってるから何かと思ってたけど」
「あー……掃除するには広すぎますし。何か起こったら面倒だからですね」
「面倒?」
「あっ、危ないとかそんなんじゃないですよ?ただ、あまりにたくさん本がありますから」
そう言うとミミはポケットから鍵を取り出した。カチャリという音とともに解鍵され、「んしょ」と彼女が扉を押す。
……その向こうには、驚くほど多くの本が並んだ書架があった。
「……まるで図書館、だな」
「はいっ。お仕事の合間は、大体ここにいるんです」
ミミは背伸びをし、ぱちり、とボタンを押した。すると部屋が一気に明るくなる。ランプの明るさじゃなく、完全に電気か何かの光だ。
「ここは、電気が通ってるのか」
「ちょっと違うみたいです。魔導具とかなんとか。結構、この世界って色々な魔導具があるみたいですよ?」
そういうとミミは奥へと向かう。「これ、最近のお気に入りなんです」とにこやかに本棚から一冊の本を取り出した。
「……『長いお別れ』。どっかで聞いたような題名だな」
「はい。随分昔に出た本らしいですけど、とても面白いんですよ。主役の探偵さんが渋くてかっこいいんです」
俺は本棚をざっと見渡した。どれもどこかでみたようなタイトルだ。俺は読書なんてこれっぽっちもしてなかったが、それでもちょこちょこ見た名前がある。
「『坊っちゃん』……?なあ、何で元の世界の本がここにあるんだ」
「うーん、よくわかんないです。ただ、それは日本のお話じゃないですよ」
「……は?」
試しに手に取りパラパラとめくる。確かに大雑把な筋書きは同じなのだが、舞台は確かに日本ではなくこの世界のようだった。地名が明らかに違う。
一体、これはどういうことだ。そして、あいつらはどうしてこんなに本を集めているんだ?
ミミを見ると、近くにある椅子に腰掛けて本を読み始めている。俺も何か読むとするか。活字は苦手だが、日向ぼっこをするよりはまだなんぼかマシだ。
文字などの知識は、この身体にある程度あるようだった。俺は「しゃあねえな」と呟いて、「敵手」というタイトルの本を手にしたのだった。
*
どのぐらい本を読んでいたのだろう。窓から差し込む日が朱くなっていたのに気付いた。
競馬のようなレースをテーマにした本の中身はなかなかだった。ところどころ風習は違うが、前の世界とこの世界はそれほど大きく変わらないのかもしれない。
リンリン
「あら、お客様だわ」
呼び鈴の音が部屋全体に響き、ミミが顔を上げた。
「客が来るのか?聞いてねえぞ、というかジャニスたちじゃねえのか」
「ジャニス様たちならお昼に明後日帰るって連絡がありました。多分、皇太子陛下ですよ」
皇太子?そんな偉い奴とあの女は繋がりがあるのか。
「俺は出なくていいよな」
「ダメですよお。多分、ユウさんに会いに来たんだと思いますし」
「……は?」
俺は本を元の位置に戻し、小走りで部屋を出るミミの後をついていった。
「ようこそいらっしゃいました!」と元気そうにお辞儀するミミの向こうには、背の高い無精髭の男と、それと同じぐらいの背丈の大女がいた。
男は長い黒髪で、多分中年ぐらいの年齢だ。垂れ目で何か捉えどころがない笑みを浮かべている。女は褐色の肌にメイド服を着ているが、色々な場所が大きすぎて正直妙な感じだ。耳が尖っているから、いわゆるダークエルフか何かなんだろうか。
男は鷹揚に「おう、ミミちゃんは相変わらず元気だねえ」と言うとしゃがみ込み、俺に目線を合わせた。
「君が噂の新入り君かな?」
「噂って誰か話したのかよ」
「ああ、ハンスから話はね。やっとミミちゃんにも相方ができたってわけだ」
ミミは「はいっ!お友達ができて嬉しいですっ!」とぴょんと飛び跳ねた。
「おいっ、一体いつ俺がお前の友達になったってんだよ!?そもそも、自己紹介すらろくにやってねえじゃねえかよ」
「むう。お互いの『過去』については言わないというハンス様との約束でしょ?それに、ユウ君結構優しいじゃないですか」
んなわけねえだろうが、と口に出かけて止まった。……いや、「止められた」。何か見えない力で、俺の言葉がコントロールされている。
これも「義体」に仕組まれた何かのせいなのか?いや、何かそんなんじゃない。「誰かが俺の行動を抑えている」……そっちの方がずっとしっくり来る。
俺は冷や汗をかきながら、「お、おう……」となぜか肯定の言葉を吐いていた。それを見ていた無精髭の男が、「なるほどねえ」とにやりと笑った。
「……笑ってんじゃねえ……ぐっ!?」
褐色の女が俺の首根っこを掴んで持ち上げた。息苦しくはないが、痛いことは痛い。
「陛下に無礼な口を聞くなよ、転生者風情が」
「ああ、カタリナやめておきな。彼は僕が誰だか知らないだろう。それに、僕もあまり恭しくされるのは好きじゃない。君も知っているだろうに」
「はっ。では」
俺は手を離され、地面に落ちた。あまり痛みがないのは、この身体のせいなのか。
「あ、あんたがミミが話していた、皇太子か」
無精髭の男はニコリと笑う。
「もうミミちゃんが少し話してたかな。いやいや、僕の方から自己紹介すべきだったか。
僕はフリード・デュ・レヴリア。一応、このレヴリア王国の皇太子をやってる」




