7.5-2 帰郷
◇
姉妹と、それぞれの侍女と護衛という六人で村に滞在することが決まり、日程を調整して、数日――。
秋晴れの清々しい空の下、一行は馬車で半日ほどの行程を経て、アルーヌ村を訪れていた。
今回の帰省は一泊ないし二泊ということが決まったため、荷物は最小限となっており、よけいに人員を増やす必要もない。
ただ、それでも当初の予定より人数が多いため、生家であるパン屋に全員が泊まれるわけもなく、宿泊場所は別に用意された。
なんでも伯爵家が所有する物件で、本来は伯爵家が使者を送った際、仮宿とする宿舎らしい。
ここ数年は使われていないが、村の人間が持ちまわりで掃除などの管理をしており、いまでも問題なく使えるそうだ。
言われてみれば幾度か、家族でそうした建物の掃除をした記憶もある。
使用許可を求めたときに伯爵からは、状態の確認も兼ねて、自由に使ってくれてかまわん――と言われていた。
長らく使っていない家屋が、どれほど傷んでいるかと心配したものだが、現地にて確認してみると、記憶にある建物より立派なものである。
ミーアはそれを見て、もしかすると急に使うことになったことで、村人たちが慌てて整備したのではないかと、いらぬ心配をすることにもなった。
(村役場の跡地か、公民館のようなものだと思っていたが……部屋数も多いし、かつては普通の宿だったのかもしれないな)
もちろん、すべての部屋を使う必要はないため、従者たちが念入りに、よりきれいな状態の部屋を選別してくれている。
その邪魔にならないよう、ミーアはレティシャを連れ、外へ向かった。
…
村には、あのころと同じ、牧歌的な風景が広がっている。
「――ここが、お姉さまのお育ちになった村なんですね」
遠くを見渡すレティシャは感慨深そうに、そう口にした。
秋の収穫シーズンを前に、畑には作物が実り、周囲の森は赤く色づいている。
吹き抜ける風は残暑を過ぎ去らせ、心地よいほのかな暖かさと、慣れ親しんだ土の香りを残し、また空へ流れていった。
豊かな自然と、そこに住まう人々の息づかい、生活の声――。
ミーアにとっては懐かしいそれらを、レティシャはどう感じているのだろう。
瞳を輝かせる彼女を、しばし見守っていると、やがて彼女は姉を振り返り、得心した様子で口を開く。
「お姉さまのやさしさと、寛大なお心が育まれただけあって、とても素敵な村だと思いますっ……なんだか、胸がいっぱいになってしまいました」
「そう言ってくれるとうれしいよ……ありがとう、レティ」
少し大げさな気もするが、彼女の様子からも、それが素直な感情から出た言葉なのだとわかり、悪い気はしない。
「村の中は、またあとで案内しよう……まずは、挨拶に行かないとな」
選別した部屋の、改めての掃除などはサラたちに任せ、ミーアはレティシャとともに、中心部へ向かう。
村の入口にある家屋からは、数分というところか。
おそらくはハインが、こっそりと護衛についてはいるようだが、彼の力が必要になることはないだろう。
(わざわざ隠れているのは、再会の邪魔にならないようにと、気を遣っているんだろうな――)
そんなことを思いながら、簡単に村の説明をしながら歩いていると、ほどなくしてパン屋の前に到着した。
「こ――こっ、ここがっ……お姉さまの、ご実家なのですね……」
「そのとおりだが――そう気負う必要はないさ。レティはいつもどおり、お行儀よくしていればいい」
どこで教わったのか、手のひらに人と書いている妹に苦笑しつつ、かつてそうしていたように、店の正面から家に入る。
「――ミーアです、ただいま帰りました」
カラカラと鳴るドアベルの音は、あのころのままだ。
店内に溢れるパンの香りは、ちょうど焼きたてのもの――売り物ではなく、帰ってくる娘のために用意されたものらしい。
いまかいまかと、ミーアの帰宅を待ちわびていたのだろう。
それを馬車の音で気づいていたのか、カウンターの前にはすでに、懐かしの家族の姿が並んでいた。
「おかえりっ、ミーア!」
「っ……はい、姉さん……ただいま、帰りました……」
やわらかな姉の抱擁と、やさしい手の感触が頭を包む。
「よく、帰ってきたな……変わりがないようで、安心したぞ」
「あら、そうでしょうか? ほんのちょっぴり、大きくなったような気がしますけど――ねぇ、ミーア?」
多少の筋肉はついたかもしれないが、見てわかるほどの変動はないはずだ。
だとするなら母の言葉は、外見を指してのものではないのだろう。
それを自覚し、くすぐったく感じながら、ひとしきり姉が抱擁を堪能したであろうタイミングで、そっと腕の中から抜けだした。
「ありがとうございます、母さん……ですが、そう感じられるのは男爵家での経験と、彼女の存在が私を成長させてくれたからでしょう」
そう言ってミーアは、緊張した面持ちの少女を、自分の前に押し立たせる。
「妹のレティシャです。彼女のおかげで、私も晴れて姉となりました」
すでに手紙でも伝えてはあったが、改めての紹介はまた趣が違い、気持ちも引きしまるというものだ。
「レティ、挨拶はできるか?」
彼女の肩に手を添え、そっと囁きかけると、カチコチに硬直していた身体は、どうにかやわらかさを取り戻した。
「は、はじめましてっ……レティシャ=ミルロワでございます。お姉さまの大事な方々にお会いできて、とてもうれしいですっ……」
まるで婚家に挨拶するような態度ではあるが、それだけに、それがレティシャの本心だと家族にも伝わったのだろう。
男爵家の令嬢と聞いて、さぞ身構えていたであろう両親も、ホッとした様子で笑みを浮かべた。
「おほんっ……ああ、こちらこそ。会えてうれしいよ」
「まぁまぁ、かわいらしいお嬢さんだこと。ミーアも、素敵な妹ができてよかったわねぇ」
「ええ。私にはもったいないくらい、よくできた妹です」
ミーアもうれしくなり、ついそんな妹自慢をしてしまうと、レティシャの顔は見るみる赤くなっていく。
「お、お姉さま、そんなっ……私のほうこそ、お姉さまには大変よくしていただいてっ……私なんかにはもったいない、素敵なお姉さまですっ」
フンスッ、フンスッと鼻息荒く称賛を返す妹の姿に、一同はさらに大きく、笑いの声を上げた。
「いまの言い方なんて……ふふっ、本当にミーアにそっくりだわ」
「そ、そうなのですかっ?」
姉の情報を聞き逃すまいと、耳を大きくする彼女に、父が続ける。
「ああ――ミーアもことあるごとに、ネリスを褒めてばかりいたもんだよ。色々ありはしたが、基本的にはお姉ちゃんっ子だったからね」
「や、やめてください、父さんっ」
それではまるで、自分が節操のない姉信者のようではないか――。
せっかく甘えてくれるようになった妹に、妙な印象を与えてなるものかと慌てるミーアだが、そんな姉に、レティシャは得心した様子でうなずく。
「お姉さま、レティにはわかっています」
「そ、それならいいんだが……」
「お姉さまのお姉さまというだけあり、さぞすばらしい方なのでしょうね!」
「わかってくれていない!」
いや、たしかにネリスはすばらしい姉ではあるが、そういうことではない。
思わず叫んでしまうミーアだが、そんな反応を姉が見逃すはずもなく、すかさず背後から絡みついてくる。
「ミ~ア~? 私がすばらしくない姉と申すか~?」
「ち、違います姉さんっ、けしてそのような……」
慌てるミーアをよそに、ネリスは肩越しにレティシャを見やると、小さく唇を緩めた。
「――アルーヌにようこそ、レティシャ。もてなしとはちょっと違うけど、ミーアがしてきたような暮らしを、きっと味わわせてあげるからね」
「あ……は、はいっ! ありがとうございます、ネリス……お義姉さま」
レティシャの望みをひと目で見抜いたような、そんな姉の歓迎の言葉に、ミーアは頬をつつかれながら、感服するほかなかった。




