4-3 港町ポセリア
◇
「これは……見事な街並みですね。活気も心地いいですし……」
何度も謝罪するサラをなだめ、ハインに御者を任せて到着した港町は、想像していた以上の感銘を、ミーアにもたらす。
通り抜けただけの前回と違い、今回はそこに降り立ち、空気を肌で感じていた。
中世の雰囲気が漂う港町など、まるでテーマパークのようだが、そこで大勢の人々が暮らし、商売しているという光景は、あまりに鮮烈だった。
アルーヌ村もよいところではあるが、方向性の違うこのポセリアの町も、ミーアはひと目で気に入ってしまう。
前世まで含めて、港町にくるのが初めてということも大きい。
飛行機には乗ったことがあっても、船旅などはしたことがなかった。
海水浴には行っても、港に用があったことも、立ち寄ったこともない。
しいてあげるなら、社会見学で行った漁港くらいだろう。
「海も……きれいですね、とても。どこか、泳げる場所はあるのでしょうか」
避暑地をも過ごしづらくする夏を想像し、少し億劫な気分にさせられたが、これほどきれいな海が近くにあるなら、夏は一気に快適なものになる。
「はい。少し遠方にはなりますが、一般に公開されているビーチと、男爵家管理のプライベートビーチが、それぞれございます」
サラのそつがない答えに、ミーアの表情はさらに明るくなった。
「それはよかった……来月以降は、そちらにも行ってみたいですね」
「……お嬢さまが海水浴を楽しまれることを、期待しております」
どうせ鍛錬に使うのでしょう――と、言外に指摘されている。
「も、もちろんですよ……遠泳をするのが楽しみですし」
「そうですね、体力づくりにはもってこいかと」
だめだ、まるで信用されていない。
いや、ある意味では信用されているのだろうか。
チラリと彼女を窺うと、おだやかな笑みで返された。
「そういえばお嬢さまは、まだ水着をお持ちではありませんでしたね。本日はそちらも、ご案内いたしましょうか」
どう答えるのが、正解なのだろう――。
ミーアは背中に冷たいものを感じながら、コクリとうなずいた。
「よ、よろしくお願いします……予定を済ませてからにはなりますが」
「はい。それでは、よいお店を紹介していただきたいですし、まずはご挨拶に伺いましょうか」
ここで、どこへ――などとたずねるようなミーアではない。
「そうですね。お父さまも待ちかねていらっしゃるでしょうから」
男爵の抱えるハンク商会の本店、本拠地が置かれるのがこの港町だ。
目当ての品を買うため、いい店を紹介してもらうなら、本店で確認するのが確実だろう。
そうでなくとも、屋敷では事務的な会話しかできない父に、親子として対面できるのはおそらく、こうした機会をおいてほかにないだろうから。
…
馬車を何台も置ける、駐車場のようなスペースまで余裕を持たせ、港寄りの中心地に構えられたのが、ハンク商会の本店だった。
そこに併設する形で、販売以外の業務を担う、商会本部が置かれている。
行ったことはないが、商社のオフィスビルのようなものだろうか。
その受付で名を告げ、サラが家紋の入った書類を差しだすと、ミーアたちはすぐさま、広々とした応接室に通された。
「ひと目お会いして、ご挨拶するだけでよかったのですが……なぜ?」
「会長のご息女に、そんな失礼ができるはずもありませんからね」
などとサラと話していると、数分と待たずして、男爵が駆けつけてくる。
「おお――待っていたよ、ミーア。いらっしゃい」
「ごきげんよう、お父さま」
あまり言いなれない挨拶とともに、スカートをつまんで膝を折った。
今日のミーアは、メイド服でもトレーニングウェアでも、ドレスでもない。
令嬢の服としては珍しいであろう、スカートとブラウスに分かれた衣装だ。
とはいえデザインは上品で、生地も上質のものを扱っており、上流階級の娘であろうことは、ひと目でうかがえるようになっている。
本来ならその腰に木刀を帯びているのだが、それは刀袋に包まれ、サラがしっかりと預かっていた。
だからこそ披露できるカーテシーに、男爵がうれしそうに目を細める。
「うん、うん……家庭教師から聞いてはいたが、本当にきれいな所作だ」
「おそれいります。先生方のご指導のおかげかと」
とはいえ、この挨拶は気恥ずかしい。他人に見られていなくてよかった。
「それで――今日は買い物だったね。なにを買いにきたんだい?」
「はい。身辺も落ち着きましたので、村に手紙を送ろうと思いまして。その便箋を探しているのですが、どの店舗でしたら取り扱いがあるでしょうか」
「あと水着もです、お嬢さま」
そういえばそうだったが、それはついででいいのだが。
サラの言葉を聞いた男爵は、名状しがたい複雑な顔を浮かべている。
「水着……アイリーンに似たミーアなら、きっと愛らしいとは思うが……しかし、その姿を他人に見られるわけにも――」
「お父さま、正気に戻ってくださいっ!」
なにやら考えが先走っていたようだが、どうにか正気に戻った男爵は、すぐに部下に指示し、それぞれの取扱店舗を調べてくれた。
「ここからなら、この二店舗がいいだろうね。おや、そういえば――」
町の地図を見せて説明しながら、なぜか不意に棒読みになる男爵。
「そ、そろそろ、お昼に……いや、昼には遅い時間だが……と、ともかく、ミーアは昼食は――まだ、かな?」
「はい。せっかくですから町で食べようかと、三人で相談していました」
サラは行ってみたい店がいくつもあったらしく、ぜひお嬢さまも――と、積極的に誘ってくれたのだ。
「私は二人でよいと申し上げたのですが」
「ナチュラルに俺をハブんな!」
そんな従者たちの言い合いを背にしていると、男爵がポンと手を叩く。
「そ、そうか! うん、それなら都合がいい!」
「えぇと……ハインをのけ者にするのが、でしょうか?」
「なんでそうなるんですか、お嬢!」
ハインが抗議の声を上げるも、サラは隣で深々とうなずいていた。
「さすがは旦那さま、ご慧眼でいらっしゃいます」
「てめぇちょっと黙ってろやぁぁぁっ!」
ちなみに背後の二人は、ここまでヒソヒソと話している。
小声で叫ぶとは、なんとも器用なことだ。
「そ、そうではなくてだな……その、ミーア?」
「はい、なんでしょう。お昼でしたら、ぜひご一緒させていただきますが」
さすがに少しからかいすぎたかと反省しつつ、ミーアは微笑む。
「え――い、いいのかい、本当に?」
「もちろんです。私との時間を大切に思ってくださるのですから、私のほうに断る理由はありません」
日頃は義妹を気遣い、ミーアを娘として扱えないことを、男爵は心苦しく思っていることだろう。
とはいえそれは、ミーアのほうからもお願いしていることだ。
男爵――実父に無理をさせている状況は、こちらも気になっている。
この機会に解消してもらえるなら、ぜひもない。
(レティシャお嬢さまに対しては隠し事になってしまうが、仕方ないか……)
一応、今日の外出については、それとなく声をかけてみたのだが、港町散策には興味がない様子で、花壇を世話していた。
とはいえ一緒であれば、ミーアは侍女として接することになり、男爵家の醜聞ともなりかねない。
(……もしかすると、そこまで考えて断ったのかもしれないな)
本当に気の回る子だ――などと思うのは、義姉の欲目だろうか。
そんなことを考えていると、男爵のやさしい視線と目が合う。
「その……レティシャのことなんだが――」
男爵はそう切りだし、言葉を選びながら話し始めた。
「ミーア自身は、気にしていることも、気にしていないこともあるとは思うが……あの繊細な子は、きっと私たちの誰よりも、心を痛めているように思うんだ」
「はい。私もそのように思っています」
出会った当初にくらべて、剣呑な反応は幾分か和らいだように思う。
それが信頼の表れだ、などとうぬぼれる気持ちはない。
彼女自身が、他人を疎んじることで良心の呵責に苛まれ、その苦しさから、態度を軟化させつつあると見るべきだ。
「ミーアにばかり負担をかけるが、もう少しだけ……あの子のために、時間をくれないだろうか」
そう言って男爵は、頭を下げるのではなく、真剣にミーアを見つめる。
「君が、レティシャの立場を奪おうとしているわけではないと……少しずつだが、わかろうとしてくれている。私とルフィーナは、そう感じているんだ」
だから、頼む――そう続けようとするのを遮り、ミーアは笑った。
「そのようなこと、言われるまでもありません。私とて本心では、お嬢さまを――レティシャを、妹と呼びたいのですから」
そもそも現状ですら、なんの不満もないのである。
そこに加えて、レティシャが認めてくれるとなれば、どれほど幸せか。
「私がお願いすることではありませんが……レティシャのことを、どうかよろしくお願いします、お父さま」
彼女の扱いについて、差し出がましいことを言ってしまった――そのことを改めて詫びるように、ミーアは深く頭を下げた。
…
大事な話題では黙っていてくれた侍女たちをねぎらいつつ、ミーアたちは目的の店舗へ向かう途中にある、落ち着いた雰囲気のカフェを訪れる。
さすがに雇い主――それも男爵との同席はためらわれるのか、それとも親子水入らずのため、気を遣ってくれたのか。
サラとハインは別の席につき、周囲を警戒するそぶりを見せていた。
「あの子たちの仕事ぶりはどうだい、ミーア」
「そうですね……とても勉強になっています、というのが正確でしょうか」
サラのメイドとしての力量はたしかで、見ているだけでも勉強になるのに、口頭での説明も非常にわかりやすい。
そしてハインのほうは、年上の男性であるという点を差し引いても、剣の実力は十二分だと思われる。
「特に、ハインの剣はいいですね。あれは我流ではなく、どなたかに師事して身についたものでしょう。型というほどではありませんが、剣筋にブレがありません」
「そ、そうかい……まぁ、あまり危ないことはしないでおくれよ」
心配そうな、戸惑いの表情で告げる男爵に、ミーアは自信を持ってうなずく。
「もちろんです。ハインにケガをさせたりはしません」
その奥では、サラとハインがそろって、頭を抱えているのが見えた。
そんな話をしているうちに、料理が届く。
人気店なだけありメニューも豊富だが、ひとつ珍しいものを見つけたため、ミーアはそれを注文していた。
「お待たせしました、チーズとキノコのガレットです」
ガレット――簡単にいえば、蕎麦のクレープというところか。
この世界で蕎麦を見たことはなかったが、ガレットがあるというなら必然、蕎麦も蕎麦粉も存在するのだろう。
(つまり――その気になれば、蕎麦が打てるっっ!)
だしや醤油、その他諸々の問題はまだ残っているが、いつか蕎麦をすすれるとわかっただけでも収穫だ。
――パリッ……パキキッ、パキッ……
フォークで押さえ、ナイフを通すと、生地の裂ける音が心地よく響く。
包まれていたチーズにキノコ、野菜を乗せて口に運ぶと、ほのかな塩気と素材の味――そして、かぐわしい蕎麦の風味が鼻腔を抜けた。
(ああ――これは、おいしいっ……)
久方ぶりに味わう蕎麦の香りに、甘美な震えさえ感じる。
しかしながら、男爵領内ではしたない姿を晒すわけにはいかない。
頬が緩むのをこらえ、モクモクと咀嚼し、小さく喉を揺らす。
もとからの慣れもあるが、カトラリーの扱いを含め、作法を正しく教わったこともあり、ミーアの所作は流れるような美しさだった。
と――それを見ていた男爵の瞳が、うっすらと潤んでいる。
「どうかされましたか、お父さま」
「あ、ああ、すまない……アイリーンによく似たミーアが、ルフィーナのような所作をしているのが……まるで、二人に育てられたようで――」
その言葉だけで、男爵がどれほど二人を愛しているのか、よくわかった。
「あっ――いや、もちろん! アルーヌのご家族のおかげだとは思うけどね! 本当に、ご両親とお姉さんには感謝しかないよ、うん!」
慌ててフォローする男爵の様子に、ミーアはやわらかく唇を緩める。
「ありがとうございます。そう言っていただけると、母たちも喜ぶかと」
あの父がどんな反応をするかは、わからないが――。
そう思いながらもミーアは、いまの話も、手紙に記そうと決めておいた。