表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/43

4-3 港町ポセリア

     ◇


「これは……見事な街並みですね。活気も心地いいですし……」

 何度も謝罪するサラをなだめ、ハインに御者を任せて到着した港町は、想像していた以上の感銘を、ミーアにもたらす。

 通り抜けただけの前回と違い、今回はそこに降り立ち、空気を肌で感じていた。


 中世の雰囲気が漂う港町など、まるでテーマパークのようだが、そこで大勢の人々が暮らし、商売しているという光景は、あまりに鮮烈だった。

 アルーヌ村もよいところではあるが、方向性の違うこのポセリアの町も、ミーアはひと目で気に入ってしまう。


 前世まで含めて、港町にくるのが初めてということも大きい。

 飛行機には乗ったことがあっても、船旅などはしたことがなかった。

 海水浴には行っても、港に用があったことも、立ち寄ったこともない。

 しいてあげるなら、社会見学で行った漁港くらいだろう。


「海も……きれいですね、とても。どこか、泳げる場所はあるのでしょうか」

 避暑地をも過ごしづらくする夏を想像し、少し億劫な気分にさせられたが、これほどきれいな海が近くにあるなら、夏は一気に快適なものになる。

「はい。少し遠方にはなりますが、一般に公開されているビーチと、男爵家管理のプライベートビーチが、それぞれございます」

 サラのそつがない答えに、ミーアの表情はさらに明るくなった。

「それはよかった……来月以降は、そちらにも行ってみたいですね」

「……お嬢さまが海水浴を楽しまれることを、期待しております」

 どうせ鍛錬に使うのでしょう――と、言外に指摘されている。


「も、もちろんですよ……遠泳をするのが楽しみですし」

「そうですね、体力づくりにはもってこいかと」

 だめだ、まるで信用されていない。

 いや、ある意味では信用されているのだろうか。

 チラリと彼女を窺うと、おだやかな笑みで返された。

「そういえばお嬢さまは、まだ水着をお持ちではありませんでしたね。本日はそちらも、ご案内いたしましょうか」


 どう答えるのが、正解なのだろう――。

 ミーアは背中に冷たいものを感じながら、コクリとうなずいた。

「よ、よろしくお願いします……予定を済ませてからにはなりますが」

「はい。それでは、よいお店を紹介していただきたいですし、まずはご挨拶に伺いましょうか」

 ここで、どこへ――などとたずねるようなミーアではない。


「そうですね。お父さまも待ちかねていらっしゃるでしょうから」

 男爵の抱えるハンク商会の本店、本拠地が置かれるのがこの港町だ。

 目当ての品を買うため、いい店を紹介してもらうなら、本店で確認するのが確実だろう。

 そうでなくとも、屋敷では事務的な会話しかできない父に、親子として対面できるのはおそらく、こうした機会をおいてほかにないだろうから。


     …


 馬車を何台も置ける、駐車場のようなスペースまで余裕を持たせ、港寄りの中心地に構えられたのが、ハンク商会の本店だった。

 そこに併設する形で、販売以外の業務を担う、商会本部が置かれている。

 行ったことはないが、商社のオフィスビルのようなものだろうか。

 その受付で名を告げ、サラが家紋の入った書類を差しだすと、ミーアたちはすぐさま、広々とした応接室に通された。


「ひと目お会いして、ご挨拶するだけでよかったのですが……なぜ?」

「会長のご息女に、そんな失礼ができるはずもありませんからね」

 などとサラと話していると、数分と待たずして、男爵が駆けつけてくる。

「おお――待っていたよ、ミーア。いらっしゃい」

「ごきげんよう、お父さま」

 あまり言いなれない挨拶とともに、スカートをつまんで膝を折った。


 今日のミーアは、メイド服でもトレーニングウェアでも、ドレスでもない。

 令嬢の服としては珍しいであろう、スカートとブラウスに分かれた衣装だ。

 とはいえデザインは上品で、生地も上質のものを扱っており、上流階級の娘であろうことは、ひと目でうかがえるようになっている。

 本来ならその腰に木刀を帯びているのだが、それは刀袋に包まれ、サラがしっかりと預かっていた。

 だからこそ披露できるカーテシーに、男爵がうれしそうに目を細める。


「うん、うん……家庭教師から聞いてはいたが、本当にきれいな所作だ」

「おそれいります。先生方のご指導のおかげかと」

 とはいえ、この挨拶は気恥ずかしい。他人に見られていなくてよかった。

「それで――今日は買い物だったね。なにを買いにきたんだい?」

「はい。身辺も落ち着きましたので、村に手紙を送ろうと思いまして。その便箋を探しているのですが、どの店舗でしたら取り扱いがあるでしょうか」

「あと水着もです、お嬢さま」

 そういえばそうだったが、それはついででいいのだが。


 サラの言葉を聞いた男爵は、名状しがたい複雑な顔を浮かべている。

「水着……アイリーンに似たミーアなら、きっと愛らしいとは思うが……しかし、その姿を他人に見られるわけにも――」

「お父さま、正気に戻ってくださいっ!」


 なにやら考えが先走っていたようだが、どうにか正気に戻った男爵は、すぐに部下に指示し、それぞれの取扱店舗を調べてくれた。

「ここからなら、この二店舗がいいだろうね。おや、そういえば――」

 町の地図を見せて説明しながら、なぜか不意に棒読みになる男爵。

「そ、そろそろ、お昼に……いや、昼には遅い時間だが……と、ともかく、ミーアは昼食は――まだ、かな?」

「はい。せっかくですから町で食べようかと、三人で相談していました」

 サラは行ってみたい店がいくつもあったらしく、ぜひお嬢さまも――と、積極的に誘ってくれたのだ。


「私は二人でよいと申し上げたのですが」

「ナチュラルに俺をハブんな!」

 そんな従者たちの言い合いを背にしていると、男爵がポンと手を叩く。

「そ、そうか! うん、それなら都合がいい!」

「えぇと……ハインをのけ者にするのが、でしょうか?」

「なんでそうなるんですか、お嬢!」

 ハインが抗議の声を上げるも、サラは隣で深々とうなずいていた。

「さすがは旦那さま、ご慧眼でいらっしゃいます」

「てめぇちょっと黙ってろやぁぁぁっ!」


 ちなみに背後の二人は、ここまでヒソヒソと話している。

 小声で叫ぶとは、なんとも器用なことだ。


「そ、そうではなくてだな……その、ミーア?」

「はい、なんでしょう。お昼でしたら、ぜひご一緒させていただきますが」

 さすがに少しからかいすぎたかと反省しつつ、ミーアは微笑む。

「え――い、いいのかい、本当に?」

「もちろんです。私との時間を大切に思ってくださるのですから、私のほうに断る理由はありません」


 日頃は義妹を気遣い、ミーアを娘として扱えないことを、男爵は心苦しく思っていることだろう。

 とはいえそれは、ミーアのほうからもお願いしていることだ。

 男爵――実父に無理をさせている状況は、こちらも気になっている。

 この機会に解消してもらえるなら、ぜひもない。


(レティシャお嬢さまに対しては隠し事になってしまうが、仕方ないか……)

 一応、今日の外出については、それとなく声をかけてみたのだが、港町散策には興味がない様子で、花壇を世話していた。

 とはいえ一緒であれば、ミーアは侍女として接することになり、男爵家の醜聞ともなりかねない。

(……もしかすると、そこまで考えて断ったのかもしれないな)

 本当に気の回る子だ――などと思うのは、義姉の欲目だろうか。

 そんなことを考えていると、男爵のやさしい視線と目が合う。


「その……レティシャのことなんだが――」

 男爵はそう切りだし、言葉を選びながら話し始めた。

「ミーア自身は、気にしていることも、気にしていないこともあるとは思うが……あの繊細な子は、きっと私たちの誰よりも、心を痛めているように思うんだ」

「はい。私もそのように思っています」


 出会った当初にくらべて、剣呑な反応は幾分か和らいだように思う。

 それが信頼の表れだ、などとうぬぼれる気持ちはない。

 彼女自身が、他人を疎んじることで良心の呵責に苛まれ、その苦しさから、態度を軟化させつつあると見るべきだ。


「ミーアにばかり負担をかけるが、もう少しだけ……あの子のために、時間をくれないだろうか」

 そう言って男爵は、頭を下げるのではなく、真剣にミーアを見つめる。

「君が、レティシャの立場を奪おうとしているわけではないと……少しずつだが、わかろうとしてくれている。私とルフィーナは、そう感じているんだ」

 だから、頼む――そう続けようとするのを遮り、ミーアは笑った。

「そのようなこと、言われるまでもありません。私とて本心では、お嬢さまを――レティシャを、妹と呼びたいのですから」


 そもそも現状ですら、なんの不満もないのである。

 そこに加えて、レティシャが認めてくれるとなれば、どれほど幸せか。

「私がお願いすることではありませんが……レティシャのことを、どうかよろしくお願いします、お父さま」

 彼女の扱いについて、差し出がましいことを言ってしまった――そのことを改めて詫びるように、ミーアは深く頭を下げた。


     …


 大事な話題では黙っていてくれた侍女たちをねぎらいつつ、ミーアたちは目的の店舗へ向かう途中にある、落ち着いた雰囲気のカフェを訪れる。

 さすがに雇い主――それも男爵との同席はためらわれるのか、それとも親子水入らずのため、気を遣ってくれたのか。

 サラとハインは別の席につき、周囲を警戒するそぶりを見せていた。


「あの子たちの仕事ぶりはどうだい、ミーア」

「そうですね……とても勉強になっています、というのが正確でしょうか」

 サラのメイドとしての力量はたしかで、見ているだけでも勉強になるのに、口頭での説明も非常にわかりやすい。

 そしてハインのほうは、年上の男性であるという点を差し引いても、剣の実力は十二分だと思われる。


「特に、ハインの剣はいいですね。あれは我流ではなく、どなたかに師事して身についたものでしょう。型というほどではありませんが、剣筋にブレがありません」

「そ、そうかい……まぁ、あまり危ないことはしないでおくれよ」

 心配そうな、戸惑いの表情で告げる男爵に、ミーアは自信を持ってうなずく。

「もちろんです。ハインにケガをさせたりはしません」

 その奥では、サラとハインがそろって、頭を抱えているのが見えた。


 そんな話をしているうちに、料理が届く。

 人気店なだけありメニューも豊富だが、ひとつ珍しいものを見つけたため、ミーアはそれを注文していた。

「お待たせしました、チーズとキノコのガレットです」

 ガレット――簡単にいえば、蕎麦のクレープというところか。

 この世界で蕎麦を見たことはなかったが、ガレットがあるというなら必然、蕎麦も蕎麦粉も存在するのだろう。

(つまり――その気になれば、蕎麦が打てるっっ!)

 だしや醤油、その他諸々の問題はまだ残っているが、いつか蕎麦をすすれるとわかっただけでも収穫だ。


 ――パリッ……パキキッ、パキッ……


 フォークで押さえ、ナイフを通すと、生地の裂ける音が心地よく響く。

 包まれていたチーズにキノコ、野菜を乗せて口に運ぶと、ほのかな塩気と素材の味――そして、かぐわしい蕎麦の風味が鼻腔を抜けた。

(ああ――これは、おいしいっ……)


 久方ぶりに味わう蕎麦の香りに、甘美な震えさえ感じる。

 しかしながら、男爵領内ではしたない姿を晒すわけにはいかない。

 頬が緩むのをこらえ、モクモクと咀嚼し、小さく喉を揺らす。

 もとからの慣れもあるが、カトラリーの扱いを含め、作法を正しく教わったこともあり、ミーアの所作は流れるような美しさだった。


 と――それを見ていた男爵の瞳が、うっすらと潤んでいる。

「どうかされましたか、お父さま」

「あ、ああ、すまない……アイリーンによく似たミーアが、ルフィーナのような所作をしているのが……まるで、二人に育てられたようで――」

 その言葉だけで、男爵がどれほど二人を愛しているのか、よくわかった。


「あっ――いや、もちろん! アルーヌのご家族のおかげだとは思うけどね! 本当に、ご両親とお姉さんには感謝しかないよ、うん!」

 慌ててフォローする男爵の様子に、ミーアはやわらかく唇を緩める。

「ありがとうございます。そう言っていただけると、母たちも喜ぶかと」

 あの父がどんな反応をするかは、わからないが――。

 そう思いながらもミーアは、いまの話も、手紙に記そうと決めておいた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ