4-2 二人の従者
◇
朝から走り、木刀を振り――。
義妹の世話をして、かわいいイタズラで返され――。
家庭教師との勉強の合間には、メイドたちから仕事を教わる――。
そんな日々を送るうち、気がつけばふた月が経過しており、季節はすっかり夏の様相を呈していた。
…
暦は日本のそれと基本的に変わらず、現在は七月の上旬というところ。
日本のような湿度でないため、それなりに過ごしやすい気候ではあるが、やはり暑いことは暑い。
王国北部ならもう少し涼しいそうだが、南部のこの暑さは八月をピークに、九月なかばまで続くそうだ。
「そんなわけでね、ミーア。私たちミルロワ家はこの夏……来週くらいかな。避暑のため、高原に行く予定があるんだ。二週間ほどね」
男爵がそんなことを口にしたのは、今朝のことだった。
「まぁ、いわゆるバカンスというやつだね。家庭教師も、その間はおやすみだ」
「ああ、それでなのですか」
昨日の家庭教師が終わったあと、続きは来月からと聞かされた。
ゆっくりと、バカンスをお楽しみください、とも。
(夏休みかと思っていたが、職業人の休暇も含めてのことだったのか)
そう納得するとともに、考えがふと頭をよぎる。
「あの……来週から二週間とおっしゃいましたが」
「うん、言ったね」
「……夏のピークは、来月からではありませんか?」
来週から二週間、月末までのバカンス。そして来月から再開される家庭教師。
うだるような暑さで勉強させるのは、効率的にどうなのだろう。
そんなミーアの疑問に、男爵は困った顔で肩をすくめた。
「ミーアも経験があるだろう。王国南部一帯の夏は、猛暑だ」
「おっしゃるとおりです」
「……予定している避暑地は、レイクス伯爵領にあるんだよ」
ああ――その言葉だけで、わかってしまった。
「……八月に入ると、避暑地で避暑できないのですね」
ミーアがこれまで暮らしていた村も、レイクス伯爵領である。
伯爵領の形は地図を見るに、南東から北西に緩やかな斜径を引く形ではあるが、ほぼ東西に伸びているといって差しつかえない。
緯度だけを見れば、それほど変わらないということである。
「……今月ならば、大丈夫だと?」
「ああ、それは間違いない。私は去年も行ったが、本当にいい気候だった。ルフィーナは毎年、夏をあの地で過ごしているそうだよ」
その場所がどれほどの高原かわからないが、七月ならなんとか、暑さをしのげるくらいには涼しいのだろう。
八月に入ってもマシなのだとは思うが、あくまで快適に過ごすためには、まだ暑さが本格的でない時期に訪れるのが、賢いやり方ということだ。
「最近は少し慌ただしくて、伝えるのが遅くなってしまった。すまなかったね」
「いえ、それはかまいませんが――」
中旬以降に予定していた買い物の計画は、早めておいたほうがよさそうだ。
加えて、旅行で必要そうなものがあれば、用意しておくべきだろう。
「お昼から買い物をしたいのですが、町に出ても問題ありませんか?」
「ああ、もちろんだとも」
というかね――と、男爵は続ける。
「ミーアは働きすぎなんだよ……いつも言っているけどね。本来なら勉強以外、もっと好きに過ごしてもらっていいんだが」
「おそれいります。ですが私は、好きに過ごしているつもりですよ」
屋敷の使用人たちとも打ち解けられたし、鍛錬も順調だ。
義妹との関係も――いや、このことは考えないでおこう。
「そうか、それならいいんだ。ともかく、無理だけはしないようにね」
「はい。お気遣いいただき、ありがとうございます」
相変わらずのミーアの態度ではあったが、男爵に気にした様子はない。
「ああ、それと――町に出るときは、必ずお供をつけなさい。いいね?」
ただ、そう口にする彼の視線はまぎれもなく、娘を気遣う父親のものだった。
…
王国領には基本的に、王国街道と呼ばれる街道が張りめぐらされている。
国領の中心から、やや南西に位置する王都。
そこから放射状に伸びるいくつもの街道は、王国の交通、輸送を大きく助け、どの領地からも他領を介することなく、王都へ向かえるようになっている。
レイクス伯爵領はじつは、その王国街道の一本で、縦に分断されていた。
とはいえ街道に密着する土地はレイクス伯の所有地とされ、それが伯爵の領地運営を妨げることはない。
街道はまっすぐに南へ伸び、それはそのまま、ミルロワ男爵領にて最も栄える港町につながっていく。
アルーヌ村から男爵領へ向かうとき、ミーアが馬車で通った町だ。
名は海神にちなんで、ポセリアというらしい。
…
男爵邸から港町までは、馬車を少し急がせて十五分という距離だった。
つまりは歩けば、三十分か一時間ほどでつくということでもある。
「――では、歩いていきましょうか」
「お嬢さま、どうかお許しください」
もっともな反応だ。
この炎天下を一時間も歩くなど、正気の沙汰ではない。
町に着くころには汗びっしょりで、疲労困憊になっていることだろう。
ましてや今日の買い物は、いうなれば娯楽だ。
サラにとっても、ミーアがそうしたお出かけをするのは初めての経験で、そのお供ができることを、じつはひそかに楽しみにしていたりする。
なるべく楽しい思い出にしたいと思うのは、当然のことだった。
「そうなると、馬車ですが……誰に言えばよいのでしょう。そもそも、勝手に使ってよいものなのですか?」
「……旦那さまはその点も含めて、外出を承知されたのだと思いますが」
娘が歩くつもりだとわかっていれば、男爵は朝の早くから御者に指示し、いつ出かけるかもわからない馬車の支度をさせておいただろう。
ミーアがどこまでわかっているか、サラには把握できない。
しかし、ひとつだけわかるのは、ハンク=ミルロワ男爵という父親が、これ以上ないほどの親バカということだ。
サラがひそかにため息をもらし、不遜にも雇い主を不憫がっていると、外に馬車の気配が近づき、男性の声がかけられる。
「はい、お待たせしました。馬車をご用意しましたよ、お嬢」
「おや――ありがとうございます、ハイン」
声をかけられた黒髪の青年は、照れ隠しのように鼻をこすった。
「ま、これも護衛の仕事ってやつです」
「なるほど。気を利かせてくれたのかと思いましたが、違ったのですね」
冗談を真に受けたミーアの言葉に、青年――ハインは肩を落とす。
それを見ていたサラは、フッと鼻で笑いをもらした。
「なんだよサラ、その笑いはよぉ、えぇ?」
「いえ別に。お嬢さまにそういった言い回しは通用しないと、そんなことも知らないのかと思っただけで」
二人が屋敷に勤めるようになったのは二年前、つまりは同期である。
特に出世を望んでいたわけでもなく、業種の違いからも競ったりはしていなかったが、若人は同期というだけで、張り合う相手になるものだ。
そんな二人はこのたび、ある意味では共通した仕事を与えられる。
片方はお嬢さまの侍女、そして片方はお嬢さまの護衛だ。
『――こいつにだけは、絶対に負けない』
互いにそう思ったことは、言うまでもないだろう。
サラにしてみれば、この勝負――といっていいかはわからないが、少なくともミーアの世話に関しては、彼に負けるつもりはなかった。
少し一緒にいただけでわかったことだが、ミーアは基本的にまじめでストイック、外出などの娯楽を楽しむことはまれである。
つまり、護衛の出番はない――。
いや、正確には屋敷の周囲で見まわりをするなど、ミーアや男爵家の人々を守る仕事はこなしている。
しかし、ミーアの傍に張りついて世話をするのが、基本的にサラの仕事であるのは変わらない。
ミーアという平民上がりの令嬢は、かなり変わった人物ではあるが器が大きく、仕えるお方として、これ以上ないほどの好人物だと思っている。
たまに頭を抱えることはあれど、時に妹のようにも見える彼女と仲良くなれることは、サラにとっては誇りであり、喜びでもあった。
ハインがそれを味わえないことは気の毒に思えたが、だからといってその機会を与えたり、譲ったりはしない。
歪んだ言い方だが、お嬢さまを独占するのは自分だ――という自負もあった。
だというのに、なんということか。
「サラを怯えさせるのはやめてください、ハイン」
「いやいやいや、全然でしょ! いま笑ってましたよ、こいつ!」
そんな会話をするくらい、いつの間にやら二人は仲のいい、まるで兄妹のような関係を築いていた。
同じ黒髪だからか、その印象はより深くなっている。
いったいどこでこんなに――というのは、少し考えればわかった。
朝夕の日課としてミーアは、体力づくりと素振りを欠かしたことはない。
その素振りに追加する剣の鍛錬として、ハインが相手をしていたのだろう。
「おのれハイン、なんて卑怯な真似を――」
自分のことを棚に上げ、サラはギリギリと歯噛みする。
「この泥棒ネコっ……」
「なんの話だよ!」
「失礼、つい口に出てしまいました」
「さっきから出とったやろがい!」
サラがそんな反省をするうちに、気がつくとミーアは馬車に乗り込んでいた。
「――失礼いたしました、お嬢さま。お待たせしてしまい、申し訳ありません」
「いえ、時間はありますから。どうぞ、足元に気をつけてください」
お嬢さまが手を貸してくれようとするのを見て、サラは思わず硬直する。
馬車のステップを踏むのに手を借りるのは普通だが、主に借りてもよいものだろうか、立場が逆ではないのか。
手を伸ばすのをわずかにためらった瞬間、横から伸びた別の手が、サラのそれを握る。
「ほらよ、さっさと乗れ」
「……ふんっ、わかっています」
馬車の縁に足をかけ、器用にバランスを取って立つ、ハインの手だった。
引きずり落としてやろうかと思ったが、さすがに自重する。
お嬢さまの前ということもあるが、サラは暴力などには訴えない。
「……やるからには、裏で精神的に反撃してあげますからね」
「こえーこと言ってんじゃねぇ!」
やむなく彼の手を借り、馬車に乗り込むと、向かい合う形で座ったミーアが小さく笑う。
「ふふっ……二人は仲がいいのですね。恋人同士なのですか?」
『なわけないでしょうがっっ!』
原因は本人とはいえ、思わずお嬢さまに怒鳴ってしまったことを、サラは深く反省するのだった。




