1話 死に至る呪い
王都の片隅で、小さな少年が泣いていた。転んで膝をすりむき、周囲にはカゴと薬草の束が散らばっている。どうやらおつかいの最中だったようだ。
「……痛みが引くまで座っていなさい」
白銀の髪を靡かせた美しい青年が小さな体を持ち上げ石垣に座らせると、擦りむいた部分に美しい刺繍が施されたスカーフを巻き付けた。なにか小さく少年に声をかけた後、落ちている薬草を自らの手でカゴに戻し始める。
この瞬間、彼の周りの空気が変わった。
少し離れた所に繋がれていた馬の馬具が突然、なんの脈略もなく壊れた。
道端で改修中の建物の大きな柱が唐突にグラリと揺れた。
青年の頭上に大きな影が現れた。
そして……、
「であぁぁぁぁぁあ!!」
青年は妙な空気にピクリと反応するも、長い黒髪を振り乱して必死の形相で走っている女性に意識を向けていた。見開かれた目の中の鮮やかな青い瞳が印象的だ。ただ佇んでいるだけなら、きっと絵になる美人だろう。
彼女は値の張りそうな服装に見合わない大声を上げる前に、すでに二つの魔術を使っていた。
興奮した馬を鎮める癒しの魔術と、重い柱が倒れないようにする固定魔術だ。
(くっ! 間に合え~~~!!)
これが三つ目の魔術。人差し指を空へ向け、女性は気合を込める。すると、指先から真っ赤な炎の矢が飛び出して行った。すぐに、バンッ! という大きな爆発音と共に、焼き鳥の匂いが周辺に広がる。大きな羽根が一枚、ひらりと青年の側へと舞い落ちた。
(ま、ま、間に合った……)
ふーっと長い息を吐いて空を見上げている。銀髪の彼を狙っていた魔獣は、彼女の魔術によって跡形もなく消えていた。
(まったく! 油断も隙もない……ちょっと目を離すとすぐに人助けするんだから!)
表面上はにこやかに、だが内心彼女は、いい加減にしてくれ! と、叫びたい気持ちでいっぱいになっている。今日だけですでに二回、似たような目に――彼女、レクシアの夫であるエイデンは死にかけている。その度にレクシアはエイデンの命を救っていた。本人の気付かぬうちに。だが、今回は最後の一つがギリギリだったため、エイデンにその姿を見られてしまったのだ。
彼女の夫は血管の浮かび上がった手で腰の剣に手を当てていたが、そこからそっと離し大きな羽根を拾った。
「この程度の魔獣相手に大袈裟だ。そんなに俺に恩を売りたいのか」
「まさかまさか! とんでもございませ~ん。エイデン様のお手を煩わせるのも、と思ってのことでございます」
なんて言いつつ、レクシアは美しい笑顔の仮面の下で、とんでもない形相をして彼を睨みつけている。
(腹立つ~!! そんなこと言うなら、呪いが解けるまでお忍びの下町視察は禁止よ禁止!!)
薬草を集めるのを手伝い、笑顔が崩れかけているのを見せないように必死だ。
一方、エイデンの方は助けてもらった立場でいうセリフではなかったという自覚があるのか、バツが悪そうに口をへの字にしていた。その顔を見ると、レクシアはつい昔を思い出してしまう。口下手な彼が、困った時によくしていた顔だ。
――余計なことを言い、大事なことを言わない男だった。
それを思い出すと、レクシアの怒りのバロメーターもシュルシュルと落ちていく。
(まあ……本人は知らないしね。自分が『人助けするとと死ぬ呪い』にかかってるなんて)
エイデン・デュカリエ。デュカリア王国の第二王子。彼は百五十年前、魔王を倒した英雄だった。そしてその妻であるレクシア・デュカリエは、その英雄と旅を共にした魔術師。
この二人は転生者だ。ただし、記憶があるのはレクシアのみ。
エイデンは少年を石垣から下ろし、中身が元通りになったおつかいカゴを渡した。少年がじっと大きな羽根を見つめているので、そっとその少年の髪の毛に飾る。小さな顔にパッと笑顔が広がった後、深々と頭を下げ、少年は元気よく駆け出した。
「また転ばないようにな!」
少年は高く高く手を上げて優しい青年に答えた。
目を細めて見送りながら、小さく頬を上げていたエイデンだが、レクシアの方に向き直るといつもの不愛想な顔に戻る。そして、
「先ほどの件、礼を言う。助けてくれた相手に不躾な物言いだった」
本当にそう思ってる!? と聞きたくなるような表情。そしてなんとも他人行儀なお礼の言葉。
(あ~この感じ、懐かしいわ~)
昔もそうだったと、レクシアの表情筋が思わず気を緩めた。……が、レクシアが礼を言う自分に微笑みかけたと勘違いしたのか、
「……もう一度言うが、俺は君を愛するつもりはない」
ムッとしたまま、唐突に結婚式直後にも聞かされたセリフを妻に投げつけた。
「ええ。それはもう。存じております」
だから何? と言った態度のレクシア。いつも通りの表情で、ほんの少しも傷ついたようには見えない。実際、傷ついていない。わざわざこんなことを口にすること自体にイラッとはしているが。
「君はそれでいいのか。少しでも早く結婚を解消すれば、自国でよりよい相手と結ばれることができるだろう」
「まあそんな! 私、現状にとても満足しておりますの。それにこの婚姻は二つの国を繋ぐ大切な結びつき。エイデン様もよくご存知ではありませんか」
ホホホ御冗談を、とレクシアは軽く流すことにした。この言葉が彼なりの気遣いであることもわかっている。
エイデンは『人生をやり直すなら早い方がいいぞ』と言いたいのだ。しかしレクシアにとっては無用なもの。
(そんなことしたらエイデン、即死ぬじゃん!)
たとえ相手に望まれていない関係であっても、たとえ毎日毎日必死こいて駆けずり回ることになっても、レクシアはこの結婚を終わらせる気はなかった。少なくとも今はまだ。
その理由を語るには、まずは百五十年前の話をせねばならない。




