第五十四話 悪意への逆襲 - 黒き者と導かれる者 -
怒号の響き渡る戦場から、小さな影が走り寄る。
「……なんだ、そのマスクは?」
近づいてくる人影を視界に入れつつ、バルドゥスが尋ねる。
クロードは答える代わりに、それを装着した。
「――どうです?」
発せられたその声に、
「声が変わるのか!?」
バルドゥスは驚きながらも、
「たしかに、戦場ならごまかせるかもしれんが、ここで話すとなれば必要だな」
すぐ近くまで迫った影が、そう思わせた。
「ギルド長!」
息を切らせ、目に涙を浮かべて走ってきたのは、
【緑の息吹】の魔法使いフィリー。
その切迫した様子を見て、
「簡潔に答えろ。敵の数と死傷者は?」
正体を隠したクロードが、いつもよりも低くこもった声で問う。
フィリーは一瞬視線を移し、バルドゥスが頷くのを確認すると答え始めた。
「かなり倒してるのに、二十匹以上のまま減りません。死者はいないけど、“地鼠”が多くて怪我人は多いです。それに――」
言いかけて涙が溢れる。
「みんな、そろそろ限界です! もう……体力が持ちません!」
状況を把握し、クロードが戦場へ走る。
バルドゥスはその後ろ姿を見送り、
「安心しろ、フィリー。ギルドで応援を手配している。じきにやってくるだろう……」
そう言うと、魔力を使い果たしたフィリーに、馬車で街へ戻るよう勧める。
「応援が来るなら、わたしも戦場に戻ります! “地鼠”くらいなら、わたしでも短剣で戦えます!」
仲間を残して離れざるを得なかった罪悪感が、フィリーを奮い立たせる。
「そうか……なら、俺のそばを離れるな。それが条件だ」
現役を退いたとはいえ、元はAランク冒険者。
守り切る自信はある。
「はい!」
誓い、フィリーは使い慣れない短剣を握った。
「これから戦うなら、いまはゆっくり歩いて近づくぞ。息を整えろ」
バルドゥスの忠告に頷き、暴れる呼吸を落ち着かせる。
そんな状況でも、どうしても気になることがひとつ。
抑えきれず、フィリーの口から漏れる。
「ギルド長……さっきの仮面の人は、誰なんですか?」
見たことのない冒険者だった。
けれど、その雰囲気が、ただものではないことだけは教えてくれた。
「奴か……おまえは、冒険者のランクをどこまで知っている?」
直接の答えを少しだけはぐらかすギルド長に、
「EからAランクまで……その上に、その枠を超えた冒険者が国で数名、Sランクの称号を得ていることは知っています」
フィリーは知っている限りを正直に答えた。
「ほう、さすがだな。Sランクのことは知らない奴も多いんだがな」
バルドゥスは素直に称賛し、フィリーはその会話から推測した。
「まさか……あの人はSランク冒険者なんですか!?」
願いにも似たその問いに、
「いや、違う」
バルドゥスは首を横に振る。
だが、フィリーが落胆の色を見せるよりも早く口を開く。
「その上だ」
「……えっ……?」
ありえないはずの答えに、フィリーは言葉が出ない。
「ついでに言うなら、奴に名はない。代わりに、異名がある」
さらにありえない答えに、思考も完全に止まる。
それがわかっているから、バルドゥスは言葉を続ける。
「奴は、国で唯一認定されたランク――SSランクの冒険者」
「異名は――【仮面の英雄】だ」
そう言って、クロードの背中を指さす。
「……SSランク……そんなの、聞いたことがありません!?」
驚くフィリーに、
「お前が知らないのも無理はない。知っている奴など、国でもほんの一握りだ」
一拍置き、
「だが、見れば納得する。よく見ておけ」
バルドゥスがそう言い終えるのと同時に、
【仮面の英雄】は戦場に辿り着くと、敵に向かい指先を向ける。
「……魔法使い?……」
そのしぐさに、詠唱が始まるのかとフィリーが想像すると、
「――えっ!?」
フィリーの目に映ったのは、突然音もなく放たれる炎の矢。
黄色く輝きながら超高速で進み、“地鼠”の体を貫くと、そのまま地面をも焼いた。
「無詠唱――!?」
そんな手段があることだけは知っていた。
だがイメージがしづらく、フィリーはその使い手を誰一人知らない。
それだけではなかった。
「“地鼠”の体が、内側から焼け崩れていく……」
赤い炎で燃えることなく、傷口が白く乾き始めたかと思えば、
ひび割れ、内側から黒く崩れ落ちていく。
「――凄い……」
どれだけの高温ならそんな風になるのか、想像もつかない。
炎の魔法を得意とするフィリーだからこそ、その凄さに驚嘆する。
「――誰だ、あいつは!?」
突如現れた黒衣の仮面をつけた味方の登場に、ようやく何人かが気づく。
「あんた、余裕があるなら最前線に行ってくれ! あそこが一番ヤバい!」
そう言って前方を指さす。
その方向に、見覚えのある背中が見えた。
「任せろ」
一言答え、
クロードは雑魚を蹴散らしながら前方へ進む。
――その頃、
その最前線で、【守護者の願い】と【緑の息吹】が共闘していた。
「くそっ! いつまで続くんだ!」
盾で敵を弾き返しながらぼやくトーマスが、
肩で息をし始める。
「そりゃあ終わるまでだろ」
軽口をたたきつつ、レオンはゴブリンの顎を打ち抜く。
崩れ落ちたそのゴブリンに、若い剣士ジャミールがとどめを刺した。
ようやく訪れた一瞬の休息。
しかし、もう視界の先には五匹以上の魔物の群れが見える。
それも――
「〈裂爪の洞狼(Bランク・フェン=グラディオ)〉か……つくづく縁があるな」
見えるだけでも“洞狼”が三匹、
〈突牙の藪荒らし猪(Cランク・ボア=ランベル)〉が三匹。
傷つき疲弊した八人ではかなり厳しい相手。
さすがに息をのむレオン。
その横を――
黒衣を纏った仮面の男が通り抜けた。
(――誰だ……!?)
まったく気配に気がつかなかったレオンは、自然とその後ろ姿を追う。
そして――目撃する。
(……いったい何を……)
仮面の男は半身になり、先程と同じ“作業”をこなす。
片腕を上げ、指先から放った黄色い光。
その光が“藪猪”を貫き、後方の草木をも焼き払う。
「――なんだ、あの威力は!?」
その姿を見ていたトーマスが声を上げる。
その間にも、もう一匹の“藪猪”が同じように倒され、周囲の草木にも炎が広がっていく。
しだいに辺りの熱気が増し、炎が戦場を明るく照らし始めた。
仮面の男の視界に、今度は“洞狼”が動き出した。
すると、仮面の男は長剣を抜き下段に構える。
「剣も使うのか!?」
トーマスの驚きの言葉は、レオンも思った言葉だった。
素早い“洞狼”を相手に、動いたのはほんの一歩。
洞狼が最後の一歩で飛び掛かったその一瞬だけ。
横に一歩。
剣は振るうことなく、ただ角度を調整し、刃を立てただけ。
“洞狼”の飛び込む勢いだけで、刃が触れた右前足が空に飛んだ。
「……なんて奴だ……」
最小限の動きで敵を倒す。
その姿に、いまが非常事態であることも忘れて、街を代表する冒険者たちが立ち尽くす。
片足になり速度を失った“洞狼”を軽くひと薙ぎし倒すと、仮面の男はレオンの前に立った。
「鞭を貸せ」
一言だけ告げ、手を差し出す。
驚きのあまり声も出せないレオンに、
「時間がない、急げ」
そう告げると、返事を待たずに鞭を奪い取った。
そして代わりに、ポーションの入った鞄を渡す。
レオンは何も言えないまま、差し出された鞄を受け取っていた。
気づけば、仮面の男はもう背を向けていた。
「魔物相手の鞭の使い方を教えてやる。タイミングを覚えろ」
抑揚のない低い声で告げられた。
「ジャミール」
歩きながら、仮面の男は年若い剣士に声をかける。
「これから奴らの隙を作る。お前がとどめを刺せ」
突然の指名に、
「は、はい!」
それでも何とか肯定の返事をすると、剣を構える。
「奴らが来たら上段に構え、最後まで動くな。狙うのは首、無理なら足の細い部分を落とせ」
分かりやすい指示に、
「はい!」
今度は力強い返事を返した。
「来るぞ」
仮面の男はそう告げると、鞭を構える。
突進してきたのは“藪猪”。
その後方二十メートルの位置に“洞狼”が続く。
かなりのスピードで迫る“藪猪”が、鞭の射程ギリギリの位置まで来ると、
仮面の男は鞭を振るった。
その先端が、着地寸前の前足に絡みつき、着地点をずらす。
――ブギャアァッ!
スピードの乗った体を支えきれず、着地した前足が砕ける。悲鳴を上げ、“藪猪”は仰向けに倒れた。
「うぁぁあああ――つ!」
ジャミールが叫びながら、首元を切りつける。
即死には至らなかったが、“藪猪”は大量の血を流しながら痙攣した。
だが、勝利の余韻に浸る間もなく、後方の“洞狼”が目前に迫る。
やはり射程ギリギリまで引き付けると、
仮面の男は鞭を振るい、今度は着地寸前に打ち払った。
――グァッ! グァァァツ!!
着地するはずの足が跳ね上がり、
勢いのついた体が悲鳴を上げながら二回転する。
「はぁ――つ!」
叫びながら、遥か格上の敵に剣を振るい、
天を向いた足先を切り落とす。
「片足を失った“洞狼”なぞ“地鼠”と変わらん。倒せ」
その言葉を受け、疲労で重かったはずの体に、かつてないほどの力がみなぎった。
「うぁぁぁあああああ――つ!」
口を大きく開ける“洞狼”に、ジャミールの全力の剣が振り下ろされる。
――グァッ!!……
その剣が首を斜めに切り裂くと、“洞狼”は大量の血しぶきを上げて動かなくなった。
あまりの興奮状態に大きく肩で息をするジャミールは、
剣を握りしめたままその目を潤ませる。
その様子を背に、仮面の男はレオンに向き合う。
「あれがお前の役割だ――できるな?」
鞭を返し問いかけると、返事を待つことなく背を向けた。
「できるさ!」
背中へ飛んできたレオンの声を受けながら、
仮面の男はローデンの前へと移動する。
「俺が来てから、魔物の発生頻度は変わったか?」
仮面の男の言葉に、戸惑いながらもローデンが答える。
「そういえば……たしかに減った気がする」
言われて気づく程度の違いだが、確かに減っている。
「そうか」
一言返し、仮面の男が手のひらを前方に差し出す。
「時間を稼ぐ。休め」
言うのと同時に、
仮面の男の手から、今度は太く赤い炎が一直線に放たれる。
渦を巻き、生きているように躍動するその炎は、
新たに出現した魔物たちを巻き込み、周囲の木々にまで燃え移る。
炎が完全に道を塞ぎ、魔物の侵入を許さない。
「香りに酔った魔物は回り道などしない。休んだら、他の冒険者を助けてやれ」
そう言い残すと、仮面の男はその場を去った。
残った魔物を焼き尽くした仮面の男は、共同墓地へと辿り着いた。
その横には、ギルド長バルドゥスとフィリーの姿。
「やはり、奴が原因か」
そこには、十匹前後の魔物が群がる墓が一つ。
明らかに掘り起こされた痕のあるその場所では、魔物が魔物を食べる異様な光景が繰り広げられている。
フィリーがいるため、原因となったものの名を伏せて説明する。
「“あれ”を取り込んだ死体を魔物が食べ、さらにその魔物を別の魔物が食べたことで、増殖していったようですね」
【仮面の英雄】は、魔物の群れの中心に向かって巨大な火球を放った。
「――わたしの数倍はある!」
そのあまりの巨大さと威力に、フィリーは驚愕の表情を浮かべた。
あれだけいた魔物が炎に焼かれ、四方八方に散っていく。
やがて息絶えた魔物の周囲で、草木が燃え始めた。
「もう少しすれば雨が降る。火災の心配よりも、魔物を全て焼き尽くすべきだ」
【仮面の英雄】の助言を受け、バルドゥスが冒険者に指令を出す。
「倒した魔物全てに火を放て! それでこの騒動も終わりだ!」
その言葉は冒険者から冒険者へと広がり、全ての魔物に火がつけられた。
終わってみれば、倒した魔物は百五十を超え、
途中から駆け付けた冒険者も含め、怪我人は三十二名。死者は――ゼロだった。
帳面の裏表紙に刻まれた名が、仮面に隠れ力を振るう。
――S.O.M.P.O. ジャン
剣と魔法の世界に、姿を現す黒衣の指導者。
その戦いは、冒険者たちに新たな道を指し示した。
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