【ルシアン視点】浮かれる僕と甘やかな檻
いちゃいちゃをルシアン視点で
邸がかつてないほど浮ついている。
朝、目が覚めて、何やら忙しなく言葉が飛び交っていたり、慌ただしい足音が響いているのはいつぶりだろう。
もしかしたら、僕はそれを、僕に与えられた狭い部屋の開かない扉越しからしか聞いたことがなかったのかもしれないなと思った。
上衣を羽織る身体が軽い。
袖口には今日のために準備した琥珀があしらわれたカフスボタンを止めた。
大きな姿見の前で、ざっと己を検分する。
儀礼用の軍服は黒く、立ち襟や袖口には同じ黒の糸で緻密に刺繍が刺してある。肩の飾緒と胸元の勲章のメダルは金色で黒によく映えていた。
かき上げてセットした髪。儀礼用の剣を腰に佩き、身体を動かすたびに剣の鞘や胸の勲章がカチと音を立てる。
(我ながら、気合をいれすぎかな)
「坊ちゃま! ご用意はできておりますか? まあ、とても男前でございます。さあさ、階下に向かいますよ。もういらっしゃいます!」
いつもはどっしりと冷静な侍女のメリッサも、見るからに浮ついている。こんなに生き生きと楽しそうなところは初めて見た。
「うん。向かおうか」
口元がふと緩んだのは、誰にも誤魔化せない。この日を誰よりも待ち望んでいたのは、僕だからだ。
――今日、アイゼン公爵家は、当主が愛してやまない花嫁をとうとう迎え入れる。
(とはいえ、まだ婚約者なんだけどね)
◆◆◆
エマを迎えに送った公爵家の馬車が車止めに止まるのを待ち、覚悟をしてその扉を開いた。
「――――――」
目を見張って言葉を失っただけで済んで、覚悟の意味はあったなとどこか冷静に思った。
「?」
エマはコトリと首を傾げた。ちょっと無防備すぎはしないかな。愛おしいんだけど。
言葉もなく手を差し出し、彼女を馬車から降り立たせる。エスコートを身体に染み込ませていて、こんなに助かったこともない。
エマはとても訝しげにしながら、地面に華奢なヒールで飾った足をつけ、すっと背筋を伸ばした。
(美しいな)
その立ち姿が昔から好ましかった。
女性にしてはすらりと高い背も、僕と並べば自然と上目遣いになる。……こんなのは、エマの攻撃力からすれば序の口。まだ我を忘れるわけにはいかない。
エマは純白のドレスを身に纏っている。想定外だ。
華奢な身体をするりと流れる絹の布、白く滑らかな鎖骨や腕はレースで品良く覆われ、細い腰をより強調するように太く青いサッシュが結ばれている。
控えめな化粧が彼女の美しさを一層際立たせ、編み込まれた焦げ茶色の髪はチョコレートのように甘やかだ。
「――本当に、美しいね」
ほう、と溜息をつくようにまろびでた。
頭の中では彼女を賛辞する言葉で溢れているのに、結局これしか言葉にならない。紳士も形無しだ。
さて、この言葉を唇にのせるまで、僕は一体どれほどの時間を要したのだろうか。
エマの後ろに控えている彼女の侍女が、生暖かいような、自慢気なような何とも言えない表情をしている。
エマは状況をゆっくり咀嚼するように、パチリ、パチリと大きな瞳を瞬かせ、途端、薔薇のように真っ赤になった。
「え!? ルシアン様、どうしてばっちり正装なんですか? か、かっこい……、ああ! じゃなくて、今日から一緒に住むためにきたのであって、結婚式じゃないですよね!?」
僕が固まっている間、そういえばエマから何か問いかけられたりもなかったが、どうやら同じように固まっていたらしい。
「そうよね、サラ!?」
エマは助けを求めるようにサラを振り返ったが、当のサラははすっと目線を下げた。
僕に譲ってくれるのだな。できた侍女だ。
「この格好を気に入ってくれたなら嬉しいな」
「あ、あなたのその姿を魅力的に思わない人は、芸術の心がないか、捻くれ者でしかないですよ! ……ではなくて!」
慌てると、考えたまま言葉になるところが愉快で可愛い。こういうときは、こちらはのんびり構えたほうが、より可愛くなるんだよね。
「うん? もちろん、今日は結婚式じゃない」
「そうですよね! ならどうして……」
「でもほら、僕の気持ちとしては、そのようなものだからね」
「え!?」
「ところでエマは、どうしてそんなドレスを着てくれているの?」
「…………え?」
エマはそこでようやく自分の姿を思い出したようだ。目線を下げて改めて確認すらしている。
そして、カバリと勢いよく顔を上げた。
「こ、これは両親からのプレゼントで……! 閣下が喜んでくださると思うからって……。あーーーーっ!」
かと思えば忙しなく顔を両手で覆った。可哀想になるくらい、耳まで真っ赤だ。
「そういえばその時、白のドレスは閣下も贈りたいだろうからこの青のサッシュを巻け、とかなんとかよく分からないことを色々言っていたような……」
この慌てようは、きっとプレゼントに感極まり、ご両親の言葉が受け止めきれていなかったんだろう。
(あんなに不安そうにしていたけれど、こうしてエマを喜ばせ、僕も受け入れてくれている。これを親の愛と言わずして何というのか)
僕としては、ご両親にどうお礼を申したらよいか。娘を嫁がせてくれるだけでなく、こんなサプライズまで。
婚約の許しを得に行ったときに『特に息子を産むまでは、娘を正しく愛せていたか分からない』と僕にだけ話した不安気な彼らを思い出す。
いつかエマも、『弟が生まれるまでは一人魔法の練習をしていた記憶しかない』と苦笑していたので、もしかしたらその不安は現実であったのかもしれないと思う。
魔力至上主義の社交界で、魔力のない娘だけでは肩身の狭いこともあったことだろう。そんな娘に上手く接することができなかったというのなら、彼らも歪な価値観の犠牲者だ。
それでも、エマは真っ直ぐ育った。きっと彼女はご両親の控えめな愛にも気づいて、きっと愛されていないなんて思っていないのだろう。その強く自由で素直な心根が、尊い。
「わ、私そんなつもりじゃ……」
羞恥に震える声を申し訳ないけれど可愛く思いつつ、その華奢な手首をそっと掴み、顔を覗き込む。
熟れた頬に、濡れた琥珀色の瞳。
……ダメージを受けたのは僕だな。本当に罪深い。
今日は顔が緩みすぎないように、僕の鍛えられた表情筋には頑張ってもらわないといけない。
「うん。これは僕の自己満足。でも思いがけず君が花嫁のような格好で来てくれたら、浮かれてしまった。本当に綺麗だから、よく見せて」
「うう……。ルシアン様はずるい……」
「そうかな? 君のほうが罪深いけれど」
「……?」
痺れを切らしたのはメリッサだった。
「さあ、坊ちゃま、彼女を邸にお迎えしましょう」
彼女たちには、エマを迎えるにあたって彼女の部屋の改装や今日の飾り付けなどたくさん働いてもらった。早くエマに見てもらいたいに違いない。
「そうだね。エマ、腕を僕の首にまわして」
「え!?」
今日は驚かせてばかりで申し訳ない。わたわたと空中を彷徨った両手を掬い、僕の首に巻きつけて、彼女が我に返る前に痩躯を抱き上げた。
羽根のように軽い。
この華奢な身体に、世界を一変するような知恵が詰まり、何があっても折れない胆力を秘め、自由で素直で誠実な心が宿っている。
本当に、なんて、尊い。
「邸に入るよ」
僕は大股で玄関を潜った。
磨かれたシャンデリアに、正面には赤いベルベッドの絨毯が敷き詰められた大階段。
一足飛びで駆け上がりたくなるのを我慢して二階に上がり、扉を数えながら奥の部屋に向かう。
「わ、私自分で歩けます!」
「知ってる。ねえエマ、花嫁を抱き上げて邸に迎え入れる風習を忘れちゃった?」
「――っ」
「お願いだから、僕の好きにさせて」
抱きつく腕にきゅっと力を込めて身体を寄せてくるのだから、本当にたまらない。
本当は邸の案内をするはずだった。主人としては、使用人のみんなの努力をゆっくり見せびらかしてやらないといけなかった。
それなのに目当ての部屋の前で、おざなりに説明する。
「ここから一番奥に見える扉が僕の部屋。その隣が僕と君の寝室」
「え!? ちょ、ちょっとルシアン様……!?」
エマも目を白黒させている。悪いけど感想はあとね。
「そしてここが……」
エマを抱えながら、一際磨かれた扉を開く。
明るい室内。開いた窓にレースカーテンが柔らかく揺れる。天蓋付きの品の良い寝台。天井まで届く本棚。木目調のアンティーク家具の映える、女性にしては少し落ち着いた部屋。
それとなく彼女に聞いた彼女好みの部屋。
「わあっ! 素敵なお部屋ですね!」
使用人の心遣いで至るところに花が飾られている。何を思ったのか、青い花だ。
「気に入った?」
「とても! なんだか私の理想のお部屋です! ええっと、ルシアン様のお部屋でしたっけ?」
「ふふっ」
ぱあっと華やぐ彼女は、これからもきっといてくれるだけでこの公爵邸を明るくする。
僕はどれだけこの部屋を披露したかったのだか。その表情をみたかったのだか。
「君の部屋」
肌触りにこだわったソファにエマをそっと座らせる。
その足元に跪き、僕が贈ったサファイアの婚約指輪がよく似合う白くほっそりとした手をとった。
大きく見開いた琥珀の瞳をじっと見つめる。
「改めてアイゼン公爵邸にようこそ。僕は、君が心の赴くまま君らしく在れるように努力すると約束するよ。ここが君の終の棲家になることを願う」
指輪と彼女の肌のあわいにそっと唇を触れさせる。
「エマ、僕の美しいひと。僕は君を生涯愛し護ると誓うから、どうかその自由な心で僕を愛して。そうやってずっと一緒にいよう」
僕の愛の言葉は、彼女が僕にくれたものに比べれば、どうやったって陳腐な気がする。でもどうか、この身を焦がすような愛の一欠片でも伝わってほしいと、言葉をを連ねた。
いつか僕が満足するまで、いつかこの想いを表すにふさわしい言葉が思いつくまで、こうして君に愛を囁かさせて。
エマは僕から目を離さないまま、その頬を上気させる。瞳が薄く張った涙の膜で一層艷やかだ。
紅く彩られた唇は小さく震え、はく、と息をのみこむ。彼女の胸の高鳴りまで、空気を震わせて聞こえてきそうだ。
「こちらこそ幾久しくよろしくお願いします。あなたを心からお慕いしています」
そうして花がほころぶように微笑んだ。
僕は目が眩みそうな喜びに背を押されて、僕を世界で一番幸せにするその唇にそっと口付ける。
柔らかくて温かい感触に、これが夢じゃないなんて信じられない気持ちになる。
唇を少し離して瞑っていた目を開くと、追ってゆっくりと現れる琥珀の瞳。
「ち、違うんです。これは嫌とかじゃなくて……っ」
その瞳から落ちる雫は星が流れるようで、願いを封じるように唇で拭う。
わかるよ。
胸が詰まって言葉にならないとは格好のつかないことだ。
顔がゆるゆると緩むのがわかる。きっとみっともないんだろう。つられてエマがとろりと笑った。
「ルーク」
君が呼ぶ名前一つで世界が変わる。
遠い昔、思い出せばキリリと胸が痛む穏やかな笑みが、ただ温かく胸に溶けていった。
エマ、僕の最愛。僕の幸福。
君を抱いて眠りたい。降りた天蓋の幕すら、もはや恐怖ではなく、僕が君を唯一閉じ込める甘やかな檻になるだろう。
――早くそうしてしまいたい。
身勝手な想いはぐっと飲み込んで、柔らかい唇を親指でそっとなぞる。
「もう一度、してもいい?」
ぽやっとしていたエマは、少しずつ羞恥を思い出しているようだ。上気していた頬に、更にじわりじわりと赤みが差す。
瞳がうろうろと動き、やがてこちらをじろりと睨みつけた。
潤んだ瞳では、鋭さなんて少しもない。溶けた頭ではむしろ誘われているようにさえ思える。
「……さっきは聞かなかったじゃないですか」
その拗ねた口調も、尖らせた唇も、本当に僕をどうしたいのか。本人に自覚がないのも考えものだ。
「うん。でも君にいいよって言ってほしくなった」
「ば、ばかじゃないですか」
くすくすと笑う声は、我ながら甘ったるい。
「そうだね。君がそうさせてる」
君の愛を感じるから、僕はわがままになる。今だって、なんだかんだ言いながら、僕を甘やかしてくれるんでしょう?
跪く僕は彼女の瞳を下から覗き込んでいる。涙の膜がゆらめいているのに溢れてこないのが不思議だ。
唇を小さく閉じたり開いたり、時折ううと唸ったり。その様子を吐息が触れるような距離でじっと眺める。じれったいけれど、ずっと見ていられる。
エマは、すう、と息を吸い込んだ。覚悟が決まったようだ、と口角があがる。耳が「いいよ」のひと言を待ちわびる。
「ルーク、もう一度私に、く、口付けをして欲しいです。これからもずっと私だけにして」
「ふはっ」
ああまた、想像以上。
僕は一生、君には敵わないのだろう。
「仰せのままに」
僕の全部、君のもの。
なんて、逃げられそうだから言わない。
震える唇に、一度目よりもさらに優しく優しく唇を重ねる。まるで僕を刻み込むようだ、なんて本当に重苦しい。
けれどあまりに甘美な誘惑に、何度も触れては離れ、角度を変えてまた触れる。
どうかもう少し、止めないでね。




