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3. 諦めてなるものか。絶体絶命のピンチ



 ギイイイと錆びついた鉄の擦れる大きな音を立てて、扉が開いた。


 肩がびくっと跳ねたが、これまでの静寂と対照的な音だったからだ。何でもない振りで、居住まいを正す。舐められるのはもってのほか。

 ……スカートの裾の下でバレッタを握りしめているのはご愛嬌だ。


「目覚めの気分はいかがかな、エマ」

「サイラス、ボードン……。ええ、人生最悪の目覚めだわ」


 推測通り、小太りな中年男性が立っている。

 鎖に繋がれた小娘相手に傭兵を二人も引き連れてくるなんて、随分用心深いこと。


「おや、驚かないのかね」

「あなたであることは、とっくにわかっていましたわ」

「……ほう。ここがどこか分かるようなものは特になかったと思うが、研究者の観察眼といったところか」

「能力を買って頂けるのはありがたいことです」

「そうだね。私ほどお前を買っている者はいないだろう」

「光栄なことだわ。……それで? 私の研究をいくらで買って頂けるの?」


 ボードン伯爵は口を左右に引き伸ばし、愉快そうな笑みを浮かべた。下手な芝居を見せられているようで心底居心地が悪い。――吐き気がする。

 

「ははは! お前は私の所有物になるのだ。お前の研究もなにもかもすべて私の物だ」

「何の努力もなく、十の利益を得ようだなんて論外ですわ。ビジネスのお話をしましょう」

「やはり状況が分かっていないらしい。お前は交渉できる立場にないのだよ」


 ボードン伯爵は、私の間合いに一歩踏み込んできた。


(うわ、ツンと臭う、これは体臭? 彼の周りにいる人は指摘してあげたほうがいい。趣味の悪い香水と混ざり合って、胃が引き攣れるほど不快。ほんと不快!)

 

 これも私への精神攻撃か? ……でもこの程度、魔力が増えるとか言われる眉唾の樹の実の味よりマシだわ。


 こういうのは気合でどうにかなるのよ。私は真っ向から見据え返した。

 

「ですが、私を金のなる木と認めて頂いているご様子。こうして閉じ込めていては成果は得られません。すぐにでも外に出してください。学術会での発表が控えておりますの。私の価値を損なうことはあなたにとっても損失ではなくて?」


(お願い、食いついて……!)

 

「……そうだな。その前にお前が逃げないことを証明しろ」

「契約書を交わしましょう。本研究における利益を一割差し上げるわ。その代わり私に研究の自由を保証して」


 なぜ無関係な男に下手に出て利益を差し出さねばならないのか業腹ものだが、今後の自由が奪われるより百万倍ましだ。ちなみに、契約書はなんとしても穴だらけに作り上げる所存だ。

 

「ふむ、契約書はいいな。だがその利益では満足できない」

「譲れません。既に騎士団から引き合いいただいているの。国家プロジェクトよ。十分すぎる利益がでるわ」


 完全なはったりだが、彼に真偽を確かめる術はない。何事もないことの証明は難しいものだ。つまり私がすべきはふてぶてしく装うこと。

 

「そうだな……。ところで、どうして私だとわかった?」


 国家の名を出したのがよかったのか何かを思案したように見えたが、突然の話題変換が不気味でしかない。

 

「……見知った魔力の残骸を感じ取っただけですわ」


 質問の意図がわからないので正直に答える。すると、恍惚とした笑みを顔いっぱいに広げた。

 ――生理的に無理! 無理すぎる! 今すぐその顔をしまえ!

 

「それは僥倖。やはりお前も私を愛してくれていたんだな。こんな形で再認識できるとは、たまには強引になってみるものだ」

「……はい?」

「お前を傷つける欲求はなかったのだが、こうするのが効率がいいらしくてな。

 ――契約書を交わそう。一割でいい」

 

 九割方何を言っているのか意味不明でしかないが、契約は飲んでくれるらしい。一先ず外に出られる光明が見えてほっとした。

 

「それと婚姻だ」

「え?」

「私の後妻に迎えてやる。その年で婚約者の一人もできたことがないのだろう。その髪だ無理もない。かわいそうなお前を私がもらってやる。私につくせば伯爵夫人の名を思いのままにできるぞ。どうだ嬉しいだろう。」


(そうね、子供に遺伝でもしたら、ことだものね)


 でも本当に馬鹿にしてくれる。


「余計なお世話よ。私に結婚願望はないわ。研究ができればそれでいいの」

「そう強がるな。……ああ。その琥珀色の強気な目、猫のように可愛いな」

「強がりではないの。事実よ」

「私を愛しているくせにそのつれない態度。私は追うのが好きなのをよくわかってくれている」


 なんだろう、この話の通じなさは。私の言動が全て彼の中で曲解される。人ではないものと問答しているみたいだ。背中をつっと冷たい汗が流れた。

 

「愛している事実はありません」

「ははは。その鎖もよく似合っている。ああ、婚姻の暁には、そのきれいな足で踏みつけてもらいたいものだ」


 いやに物々しい重たい足枷は、変態的な趣味だったというの?

 もう嫌だ、聞いていたくない。この年で恋人の一人もいたことのない乙女には荷が重い。……気持ちの悪い。


「おや、存外強気な顔が歪むのもいい」


 爛々と見開かれた瞳が、舐め回すように見てくる。身体の芯が冷えてぶわりと鳥肌がたった。

 ――もう、本当に最悪!


 歯の根が間違っても鳴らないように、奥歯を噛み締める。毅然とした態度は絶対に崩してなるものか。

 

「離しなさい。利益は渡しても、私を縛るのは許さないわ」

「うんうん。お前と戯れるのも楽しいが。さて、そろそろ言うことを聞きなさい。生意気も度が過ぎれば可愛くない」

「お生憎様。あなたに可愛いなんて砂の一粒も思われたくないわ」

「うーん。この跳ねっ返り。好みだが、今は面倒だな。

 ――おい! お前、エマを押さえつけろ」


 一人の傭兵が私に近づいてくる。あの丸太のような腕で捕まったら太刀打ちできるはずもない。口を必死で動かした。

 

「あなたはどうしてこんな仕事を? あの男に弱みを握られているのではないなら、私につきなさい。報酬はきっとお支払いするわ」

「無駄だよ、エマ。私は正しく彼らの弱みを握っている。家族の命だ。どうだ? お前だけを連れてきた私は、お前に優しいだろう。

 ――お前も家族が大事なら大人しくしていろ」


 ボードン伯爵は、懐からチェス駒のキングに似た形の魔道具を取り出した。

 持ち手に、可憐なスズランの意匠。血の気がさあっと引いていく。


 魔道具全集で見たことある。印を押した相手を隷属下に置き、死ぬまで意のままに操るものだ。ただし、精神的優位に立ち、目を合わせないと使えない。だから、殴って、閉じ込めて、鎖で繋いだんだ。

 

 私は今、どういう状態? 気持ちで負けてはいない? ……わからない。わからない!

 こんな魔道具を出してくるなんて反則もいいところだ。大体どうやって手に入れるのだ、一介の伯爵程度が。


 抵抗虚しく、背後から回された太い腕が私の両脇を圧迫する。


「くっ……、痛あっ……! 非力な乙女に何してくれるのよ……っ」


 研究に全振りした、貧相な腕が悲鳴を上げる。

 目の前には勝ち誇った顔をしたボードン伯爵が迫ってくる。だらしなく出っ張った腹がすぐそこにあった。


 

 嫌だ、いやだいやだ。


 

 逃亡できる可能性が限りなく低かったとしても諦めてやるものか。最後の最後まで抵抗してやる。 


(できれば弱点を突きたい……! 顎に膝が入ったら脳震盪を起こせるかしら……!)

 

「やはり、猫のように可愛いな」

「……っ!」

 

 もう一人の傭兵に振り被った脚を床に押さえつけられる。


 ガッ、と顎を掴まれた。ボードン伯爵の脂肪で膨れた指がじっとりと汗ばんで皮膚を絡め取る。やりさがる気色悪い顔がぐいと眼前に迫り、黄ばんだ歯が嫌に目についた。湿った吐息がはあ、と首筋を撫でて虫唾が走る。


「その汚い手を離してくださる……? ……うっ」

 

 ギリギリ、と顎が締め上げられる。くそう、傭兵が私を押さえつけていないと触れもしないくせに。今後歯が合わなくなったらお前のせいだ。


(せめて目を合わせてなどやるものか……っ!)

 

 なのに、嫌なのに、印に彫られた魔法陣が紫色に発光するのを、目が追いかける。じりじりと脳が痺れて、自分が遠ざかるようだ。印が近づいてくるのが、やけにスローモーションに見える。


「やめ……っ!!」


(……っ、やめて! お願いだから)


 その印で自分の意思が塗り替えられるのは怖い。――怖い。

 全く無意味なことに目を瞑ってしまう。


 

 暗くなった視界の中、一瞬、意識が研究室へ飛んだ。積み重なった羊皮紙、書き損じた魔法陣、付箋で膨らんだ魔導書……。私が心血かけて築いてきたもの。私の『運命』。


 駄目だ、これじゃ魔道具に抗えない。

 さっき目を合わせてしまった。気持ちで負けたら本当に終わりだ。


(せめて睨めつけてやらないと……!)

 

 かろうじて握りしめているバレッタの硬質な感触をなぞった。


 目を開けて。

 目を開けろ。

 目を開けろ、私!!



  

 こじ開けた視界の先、白い光が地下室を満たした。

 再度目を閉じたのは生理反応だ。


 どろりと濁った魔道具の残光が掻き消え、思考が晴れていく。あまりにも清廉な冷気がこの場を支配した。 



 

 ――私はこの魔力を知っている。

 


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