16. 鈍感な公爵様は、聖獣と仲良しのようです
「エマ嬢。明日の早朝、時間もらえる?」
「……へい?」
おっと、間抜けすぎるわ。顔を引き締めて。
……ええっと朝、朝ね。――朝?
「朝に打ち合わせの予定はないので、時間とれますよ」
ルシアン様は、困った子をみるように苦笑した。困った子、と思ったのは、サラによくされる顔に似ていたからだ。
「……そうじゃなくて。仕事の前に少し付き合って?
――鈍感も困ったものだなあ」
――まさか本当に困った子と思われていたなんて。遺憾である。
そして私は決して鈍感じゃない。研究者としてそこそこやっていけているのは、よく気づくからだと自負しているし、弟にも『姉上は魔石の違いに敏感だよね』と最高のお墨付きをもらっているのだ。
魔石は綺麗に加工されると見分けるのが難しいのよ。よおく鑑定して、違いを見逃さない鋭さがないといけないのよ。そこまで詳細に見分ける必要があることって少ないけどね。
とにかく、そんな私が鈍感なはずがない。……と言うことは、ルシアン様こそ鈍感なのでは?
そうよ、きっとそう。そうでしかないわ。
こんな若くして騎士団副団長というすさまじい重責を抱えていても、ご令嬢たちに熱心に見つめられても涼しい顔でいられるのは、……まさか鈍感だったからだったのね。
え、急に親近感。
天に昇るばかりに高い雲の上の存在だと思っていたけれど、ティリ山頂ほどまで降りてきてくれた感覚わ。
ちなみにティリ山は、その高さと切り立った岩壁とで、今なお前人未到の霊峰である。……うん、だいぶ近い。
「わかりました。そういうことでしたら、お供させて頂きます」
ルシアン様は、「……そういうこと?」とまたしても困ったように眉を下げたのだった。
◆◆◆
翌朝。まだ空が白んでいるくらい早朝。
うん、想定以上に朝早い。
さすがに早すぎるので、サラはまだ夢の中だ。真面目なサラは早朝でも来てしまうと思ったので、何も言っていないのだ。『早めに出かけます』と記した手紙は、鏡台の前に準備済みだ。残業は少ないほどいいはずである。
(サラにはいい職場だって思ってほしいものね)
「お暇します」と言われたら、泣いて「やめないで」と縋ってしまう我が身を想像してしまうので、なるべく労働環境は整える所存だ。
(と言うか、私は昨日、何を『わかった』と思ったんだっけ?)
鏡の前で、バレッタをパチリと止める。
頬にインクの跡はない。……よし。私は何も思い出していない。
『夏とはいえ、朝は肌寒いからね』と口添えられたので、研究用の簡素なドレスの上に秋口によく着るお気に入りの茶色い外套を羽織った。
――……何故?
全てわかったつもりになっていたが、本当に『つもり』だった。率直に言うと何も分からない。
昨日ルシアン様が微妙な顔をしたわけである。
あの表情はこう言いたかったに違いない。『君、今の会話のどこで、何に納得したの?』と。
そうよね。あの会話に『朝』以外の情報は何もなかった。
◆◆◆
待ち合わせ場所は、我が家の門の前である。
やはり昨日の私、だめだめだったな。多忙な公爵様をこんなところに来させるなんてあり得なさすぎる。
(よかった、まだいらしてないみたい)
キイ、と門の音が、静かな朝の空気を揺らす。
せめて、約束の時間前にきてよかった。
あまつさえ待たせでもしていたら、居たたまれなさが倍増するところだった。
「おはよう」
「――っ!」
おっ……どろいた。
気配、気配を消さないで。私は一般人なので、騎士団スキルは過分です。
「……早いです、ルシアン様」
「うん? ああ、ごめんね。朝早すぎたよね」
……違う! ほらこういうところ、鈍感さん!
チャコールグレーの外套を羽織ったルシアン様は、まだ薄暗い街に溶け込むように、門の横に静かに立っていた。
肩の上には真っ白く、丸い毛玉。
――麗しき公爵様の、頼もしく広い肩に、毛玉??
似合わな過ぎて、うっかり二度見した。もしかしたら三度見くらいした。
「いえ、それは大丈夫です。そうではなくて、お待たせさせてしまいたくなかったんです」
「それはこちらの台詞。こんな時間に女性を外に連れ出して、まさか一人にさせるわけにはいかないからね」
はいはい、これですよ。この人は息をするように紳士的だ。私も息をするように淑女だったら、何も思わなくなるのだろうか。
とはいえちょっと慣れてきた気がするぞ。はいはい、なんて言えるようになってきているもの。心臓がトク、と震えた気がするのは気のせいだ。
ルシアン様は、肩の上の毛玉を指先でくすぐるように撫でた。
あ、触れるのか。私の幻覚じゃなかったんだな。毛玉をつけたルシアン様、というのが受け入れられなくて私しか見えてないのかと思った。
毛玉は、ふるふると震えた。
……え? 動くの?
「ホロロロ……」
……その上、音が鳴るの?
「ブラン、頼める?」
……名前があるの??
白い毛玉は、カチ、と嘴を鳴らすと、ルシアン様の肩から音もなく飛び立った。もう、なにがなにやら。
毛玉はルシアン様の目線の高さほどで、まるで空気で膨らませたように大きくなった。
ふわふわだな〜、柔らかそうだな〜。どんどん膨らむな〜。
……ちょ、ちょっと待って。どこまで膨らむの? 破裂しない?
私の狼狽は他所に、毛玉はルシアン様より大きくなった。首をぐるんと回して、大きな黄色い目が私を捉えた。
――大きな、白い、フクロウ。
「こ、これは……、人語を解し、気品溢れるその佇まいから、森の賢者とも呼ばれる幻の魔法生物……、シロフクロウでは!? 現存するのですね!? え? ここにいるということはそういうことよね……? ええ? なんでここにいるのかしら……?」
捲し立てる私に向かって、シロフクロウ……ブラン様は、嘴をカチカチと鳴らした。
カチカチカチカチカチカチ……。
おかしいな、鳴り止まない。心無しか、まん丸の目が据わっているような気さえする。
これは……、威嚇?
この、魔力最底辺の、この方には簡単にどうとでもできそうな私を……、威嚇? なにゆえ?
「こら、ブラン。落ち着いて」
ルシアン様はブラン様の首を宥めるように撫でた。腕が肘まで羽毛に埋まっている。な、なんて、気持ちよさそうな……!
ブラン様は、甘えるように顔をルシアン様に擦り寄せた。
(神々しい……)
絶世の美男子と、伝説の聖獣。目が潰れそうだ。
今私だけが見ているのは世界の損失では? 画家を呼んでくるべきかしら。
ブラン様はひとしきりルシアン様に戯れ、撫でてもらうと、再びこちらを振り返った。なんて満足気な表情でしょう。まるで勝ち誇っているような……。
「シロフクロウのブランだ。僕の使い魔で、十の頃に契約したんだ」
使い魔!
魔力の高い方が、自分と相性のよい魔法生物としか契約できないというあの……!
伝説級の魔法生物とたった十で契約してしまうルシアン様は規格外すぎる。だってその頃の私は……、うん、考えるのはよそう。
そうか十年来の友ということね。だから通じ合っているというか、仲が良さそうというか。……なんだか圧がすごいな。自慢げと言うか。
「シロフクロウは、主人に賢さや、清廉さを求めると聞きます。ブラン様、あなたのご主人様は素敵ですね」
ブラン様はカチカチカチ……とまた凄みながら嘴を鳴らすと、私の額に嘴の付け根あたりを押し付けた。
何かしら物申したいことがありそうだが、私には分からない。すみません、ブラン様。
ルシアン様は頬を掻くと、その指で空間をなぞる。途端に、年季の入った一人用の鞍のようなものが現れた。それをブラン様に取り付けていく。
「ちょっと遠いからブランに乗っていこう」
「えっ!」
「彼女の飛行スピードはなかなかのものなんだよ」
乗れる……? ブラン様は、ツン、とそっぽを向いた。まるで、「仕方ないわね」とでも言いたげだ。
「あ、ありがとうございます!」
しかし、私に乗りこなす技量はない。
そして鞍は一人分。私、その鋭い爪が生えた足で運んででいただくのかしら……? それは、ちょっと、かなり怖い。
「ああ、この鞍は君の分。僕はもう必要ないからね。普段は嫌がるからつけないのだけど……、ブラン、良い子だね」
ブラン様、なんて誇らしげな。
けれど待って、私、伝説の魔法生物様に、鞍をつけるという嫌がることを強いるというの……?
「あ、あの、それなら鞍なしで……」
……鞍なしでどうしようというの? 向こう見ずな発言だった。
ルシアン様は見かねてまた眉を下げた。
「その場合は、僕が君を抱くか、君が僕に抱きつくかしないといけないけど、どうする?」
「どちらも勘弁してください」
とても冷静になりました。ちょっと食い気味な返答になったのは……、仕方なくない!?
「うん、僕こそ勘弁してください。
……だから今日は、大人しく鞍に乗ってね」
彼は有無を言わさず私をエスコートして、乗りやすいよう身体を倒してくださったブラン様の鞍へ導いた。そして、ひらりと私の座った鞍の後ろに飛び乗った。
「えっ?」
(ち、近い)
いやそうよね、そこに乗るわよね。
密着はしないとは言え、これまでにないほど近い。大きな体が、つつみ込んでくるような……。お、落ち着かない。心臓、鳴らないで。
――なんだろう、この釈然としない感じ。正論で諭されて、敗北感、みたいな?
鞍に腰掛けたとて、不安定だ。慌ててついた手が、柔らかな羽毛に吸収される。ふわふわ〜。ああ、癒される。
背後に感じる体温と、掌の極上の肌触り。ちぐはぐな中、ブラン様が大きく羽を広げた。




