1. 捕らわれの研究者
ふっと意識が浮上した。
ガンガンと痛む頭に、眉をしかめながら目をこじ開けた。
「う……、痛ったあ……」
視界がくらりと歪み、思わずうめき声が漏れる。
頬が、冷たく硬いものに触れている。私は腹立たしいことに石床に横たえさせられていた。
(え、なによこれ。体中痛い……っ!)
一番痛むのは頭。次いで肩。意識が覚醒してくるとともに痛みが強まってきて人生で最悪の目覚めだ。
(そうだ、私、研究室からの帰りに頭を殴られて、それで……連れ去られた??)
確かに、郊外にある子爵家のタウンハウスまでの道のりの中に人通りの少ない場所はあるけど、まだ夕暮れ時だし、まさかこんな腹立たしいことが起こるなんて思わなかった。
(最悪……! 今が一番大事なときなのに! 注意を怠るなんてただの馬鹿じゃないの……!!)
学生時代から構想して、大事に大事に育ててきた私の魔石研究の一つがやっと実を結び、遂に公表されるところまできたのに。
(――このまま殺されるのかしら……)
だとしたら悔しすぎる。せめてあと三日。三日あれば王宮で開催される最も高名な学術会で華々しく研究結果を披露できたのに!
そうしたら、これまで私を魔力なしと蔑んできたやつらの悔しがる顔を拝めたはずなのに。
なんて精一杯強がってみる。
(まあ、魔力量こそが正義とされるこの国では、魔石研究は『無能が縋る金のかかる代用品』と軽蔑されるのだけれど)
けれど、あの研究は、聖女様の力のほんの一部分だけだけど魔石に肩代わりさせることができて、きっと世の中をもっと良いものにしてくれるはずだった。
(あの魔石の守護結界は、聖女様みたいに魔物を消滅させる力はないけど、聖女様がいなくても定常的に発動できる。聖女様も楽になるし、民も安心だし、騎士も怪我が減る、とっても良いことづくめの研究なのに……!)
いけない。このまま恨み言ばかりでは、まったく建設的じゃない。状況を打破するには落ち着かなければ。
不測の事態が起きたときほど冷静に原因を追及して、対策を打つのが研究者だ。頭の中で『ピンチをチャンスに!』と所長がにこやかに笑いかけるので、パンチを食らわせてやった。囚われた状態から得るチャンスって何。
ついでに、口癖のように聞いてくる『進捗は?』まで思い出して、歯を噛んだ。進捗はゼロですけど!!
ふう、と息を深く吐き、よろめく身体を気合で起こした。
(それにしても、ここはどこかしら)
剥き出しの頬に当たる空気はひんやりしている。壁も床も天井も石で、出入り口は一つの扉だけ。特定の人物しか開けられない魔法錠がかけられ、部屋に見張りはいない。天井付近にあるはめ殺しの小さな窓からは満月が見えた。
(――最悪なことに埃や蜘蛛の巣もあるし、この広さなら、貴族の邸の使われてない地下貯蔵庫ってところね。この角度で満月が見えるということはきっと真夜中だわ)
攫われてから六時間ほどは経過していそうだ。それなら家に帰らない私を心配して、家族が騎士団に連絡を入れてくれているはずだ。
(――騎士団)
ふと思い出す顔がある。知略が立って、圧倒的な魔力量でもって多彩な魔法を操る彼がいるなら、捜索も進展しているかもしれない。
(そうだ、私が何か合図でも出せれば、早く見つけてもらえるかも)
学生時代散々彼と競い合ってきた(座学だけだけど。魔法は箸にも棒にもかからない)私も、待っているだけでは沽券に関わる。
とは言え、殴られて気を失う前に何もできなかったのは本当に悔やまれる。鞄は取り上げられて、今の私はなにも持っていない。
地下室の湿気で、研究用の簡素なドレスの裾はじっとりと重たく、足に纏わりついて鬱陶しい。身じろぎするとじゃらりと音がした。
(――じゃらり? え、鎖……っ?)
足首につけられた、ごつごつと重たい鎖に今まで気づかないなんて動揺しすぎだ。鎖の先は荷揚げ用のアイボルトに括り付けられている。この鎖を取らないことには逃げられない。とりあえず鑑定のために微弱な魔力を流す。
(何らかの術式は組まれていない。――まったく、舐められものだわ)
私は鎖を壊す攻撃魔法も自分を守る守護魔法も使えない。魔力が足りないからだ。この髪色でも分かること。
魔力が高いほど髪色が明るい。両親は赤い茶髪なのに、私は生まれたときから黒に近い焦げ茶色だった。魔力は血に宿り、血が巡る限りは魔法が使えるので、これは最底辺の髪色だ。
(――つまり、相手は私が魔力封じも必要ないほど無力だと見下しているのね。うん、それなりの家格の貴族家だわ。むかつく!)
私だと認識して攫ったのなら、目的は研究成果のはずだ。私を管理下において、その利権を行使したいのだろう。
(とにかく殺されることはなさそうだわ。……言うことを聞かせるために暴力は振るわれるかしら。養女にでもするつもりかしらね)
その未来を想像しそうになって頭を振る。
(やめやめ! そんなこと考えてもキリがないわ)
――家格を上げる野心があって、研究内容を知ることができる者。
(――王立研究所を管理する機関……。文科局……、文科局のボードン伯爵家……かしら)
家長のサイラスなら仕事で面識がある。契約書などに押される魔法印を見たことがあるから、彼の魔力の痕跡なら追えるはずだ。
おあつらえ向きに、魔法錠がある。あれは使用者の魔力を登録して使う仕組みだからきっと痕跡がある。
重たい脚を引きずって這うように扉に向かう。手をうんと伸ばすとかろうじて魔法錠に届いた。女性にしては高めの身長でよかった。
鑑定のための魔力を細く流す。万が一、この邸のどこかに魔力センサがあっても、ノイズとしてかいくぐれるほど弱く。
(私の鑑定魔法を舐めないで)
三つになれば造作もなく使える『ルクス(光れ)』。文献を漁り、日夜練習しても八になるまで使えなかった。六つ離れた弟が何の苦労もなく掌に光を灯したときには、隠れて涙したものだ。
正しい努力だったとは自分では言い切れない。それでも身も心も時間も削ってした努力が、必ずしも報われないものだと私は齢九で悟ったのだ。
万物に魔力が宿り、魔法の溢れるこの世界で、その楽しみを共有できないことは、髪を掻き乱したくなるほど悔しい。正しく、挫折を味わっていた。
十歳のとき、魔法史博物館の片隅で、説明員のお姉さんが魔石を触らせてくれた。微弱な魔力を流すと、途端にふわりと舞い上がる焦げ茶色の髪。これが私の『運命の出会い』だった。
魔石研究には鑑定魔法が必須。それを知ると、起きてから寝るまでなんでもひたすらに鑑定していた。両親には呆れられ、弟には引かれたのはいい思い出だ。……いや、それは今も変わらないかもしれない。
そんなわけで、鑑定魔法にはこの薄い胸を目一杯張るほどには、自信があるのだ。
(いけない、集中しないと)
魔法錠は無関係の人には開けられないように術式が複雑だ。登録魔力も深く隠されている。
幸いなことに、魔法錠の理論は知っている。落ち着いてやれば、私にとってそう難しいことではないはずだ。
魔法錠の術式を一つ一つ丁寧に解きほぐすように魔力を流していく。慎重に、トラップに引っかからないように、頭をフル回転させる。
ついに見知った魔力の特徴を指先が捉えた。
(――わかったわ! サイラス・ボードンで確定!)
彼は、王宮で仕事上時折関わる、小太りな中年男性だ。会うたび、舐めるように見てくる瞳を思い出して、つい腕を擦った。
彼は文官で、魔法の心得は大したものではない。精神的な魔法を掛けられる恐れはないだろう。ならば、ここから出してもらうために、上手いこと交渉できるだろうか。
(……まあ、わかったところで、騎士団に連絡はできないのだけれどね)
体勢を直して、やれやれ、と頭を振った。
例えば伝書鳩よろしく野生動物を従わせたり、テレパシーを送ったり、手紙を転送したり。まあ、方法は考えはしたが、この空間からできるかは不明だし、そもそもそんな魔力を必要とする魔法は使えない。
(――私にも魔力があったらなあ)
いやいや、それは考えるだけ無駄だ。どうしようもないことだ。
それより私は研究者なのだから。論理的に効率的に事に臨まなければ。
まずはどう交渉して、この粗末な待遇をやめさせるか。あるいは外に出るか。上手く外に出れさえすれば連絡手段も見つかるかもしれない。そうすればこの底冷えする身体も多少はましになるかもしれない。――ああ、ああ。でもせめて、今、小さくてもいいから魔石があればなあ!
目が熱い気がして勢いよく天を仰いだ。
――カツン
硬質な音を立てて、愛用しているバレッタが石床に落ちた。殴られた拍子に金具がゆるんでいたのだろうか。
私は、震える指で慎重に拾い上げた。
(ルシアン様……)
思わず胸に抱えそうになって、我に返った。何、物思いにふけるお姫様みたいなことしでかそうとしている。柄でもなくて気持ち悪い。非効率だ。
けれど、青い花があしらわれる繊細な細工のバレッタ。その中央にある透き通った青い硝子は、彼の瞳の色だ。
(脱出策、考えないといけないのに)
今は無意味な感傷に意識が引きずられていく。
毎日投稿したいと思います!
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