忘れもの預かり処 第9話
写真の中の少年が、こちらを向いた。
次の瞬間には、三人とも元の写真のままでそう見えただけだった。
風待は写真を手に取った。
「……今の、見ました?」
「見た」
遥も頷く。
「春樹くんが、動いたよね」
「はい」
「写真って動くものなの?」
「普通は動きません」
「だよね」
風待は写真を裏返した。
──一人だけ、嘘をついている。
その文字を指でなぞる。
「誰が書いたんだろう」
遥が言う。
「冬香かもしれません」
「じゃあ、誰が嘘をついてるの?」
風待は答えなかった。
写真の三人を見つめている。
「……私でしょう」
遥は驚いた。
「風待さん?」
「この店を始めた時、私は一つだけ嘘をつきました」
「何を?」
「私は、『忘れものを預かる店』を始めたと言いました」
「違うの?」
「ええ」
風待は写真を棚へ戻した。
「本当は、探していたんです」
「何を?」
「冬香を」
遥は息を止めた。
「ずっと?」
「はい」
「じゃあ、どうして『預かる』なんて?」
風待は少し笑った。
「探していると言えば、見つからなかった時に苦しくなるからです」
その言葉に、遥は何も言えなかった。
風待は棚の奥を見た。
「だから、忘れものを預かることにしました」
「それが冬香さんを探すことと、どうつながるの?」
「忘れものは、持ち主のところへ戻ることがあります」
「……」
「だから、いつか冬香の忘れものが、この店に来ると思っていた」
遥は札を見る。
──風待冬香。
「それが、あの札?」
「はい」
「でも、札が出たのは昨日」
「そうです」
「じゃあ……」
風待は頷いた。
「冬香が、近くにいるのかもしれません」
♢♢♢
翌朝。店の木戸を開けると、一枚の封筒が置かれていた。
宛名はない。差出人もない。ただ、表に赤いペンで『風待へ』とだけ書かれている。
「……来た」
風待が呟いた。
封筒を開くと中には一枚の紙。
──兄ちゃん。
──まだ私を探してる?
遥は息を呑んだ。
風待の手が震えている。
続きには。
──探さなくていい。
──春樹も、もう探さなくていい。
そして最後に。
──でも、一つだけ返してほしい。
「何を?」
遥が尋ねる。
風待は紙の下を見た。そこには、小さな地図が描かれていた。
川。橋。古い神社。そして、赤い丸。
「ここ……」
遥は見覚えがあった。
「風待の店から近いよね」
「はい」
「何があるの?」
「昔の旅館です」
「まだあるの?」
「建物だけは」
風待は封筒を握った。
「ここが、すべての始まりです」
♢♢♢
古い旅館は、山の中にあった。入口には草が生え、看板も半分朽ちている。
「ここで、春樹くんが見つかった?」
「はい」
「そして冬香さんも来た」
「はい」
「じゃあ、二十二年前に何があったの?」
風待は答えず、玄関を開けた。
ぎい。
中は暗く、埃っぽい空気で満たされていた。畳の匂い。
遥は足元を照らした。
「誰か、最近来てる」
「え?」
土埃の上に、新しい足跡がある。二人分。大人のものと、子供のもの。
「……風待さん」
「はい」
「これ」
遥が指差す。
足跡は奥の廊下へ続いている。そして、その先には古い部屋。扉の前に、赤いリボンが落ちていた。
風待が拾う。
「冬香の……」
その瞬間、部屋の中から声がした。
「兄ちゃん」
風待の顔が凍りついた。
遥も息を止める。
声は幼い。記憶の中から聞こえてくるような、少年の声。
「兄ちゃん、まだ怒ってる?」
風待は扉を見つめた。
「……春樹?」
返事はない。代わりに、扉の向こうから紙が一枚、滑り出てきた。
遥が拾う。
そこには、子供の字で一行。
──『冬香姉ちゃんは、僕を忘れた。』
風待が目を見開く。
「……違う」
初めて、声を荒らげた。
「そんなはずはない」
遥は紙を見つめた。
けれど、その下にはもう一行、別の筆跡で書かれていた。
──『だから、僕も冬香姉ちゃんを忘れた。』
風待は扉に手をかけた。
「開けます」
「待って」
遥が止める。
「中に誰かいるかもしれない」
「だからです」
風待が扉を開く。
部屋の中には、誰もいなかった。ただ中央に、古い木箱が一つ。その蓋には、赤いリボンが結ばれている。
風待がゆっくり近づく。
木箱の中には──一枚の写真と、一本の古い鍵。
そして、紙が一枚。そこには、風待の字でこう書かれていた。
──『春樹を見つけたら、絶対にこの鍵を渡すこと。』
風待は、顔を上げた。
「……この字」
「風待さんの?」
「はい」
遥は鍵を見る。
あの店で見つかった鍵と、よく似ている。けれど、こちらには小さな傷が三つ刻まれていた。
その時、背後で誰かが笑った。
「やっと来たね、兄ちゃん」
二人が振り返る。
廊下の暗がりに──一人の青年が立っていた。
風待が、震える声で名前を呼ぶ。
「……春樹」
青年は笑った。
「久しぶり」
そして、遥を見て、こう言った。
「あなたが、姉ちゃんの忘れもの?」
青年は、そう言った。遥は返事ができなかった。
風待も同じだった。
ただ、青年を見つめている。
「……春樹」
もう一度、風待が呼ぶ。
「うん」
青年は笑った。
「僕だよ」
「そんな……」
風待が一歩近づく。
「お前は……」
声が震えている。
「死んだはずだ」
青年の笑顔が消えた。
「そうだね」
「じゃあ、なぜ……」
「分からない」
青年は肩をすくめた。
「僕も、よく分からないんだ」
遥は青年の顔を見た。
写真に写っていた少年と、目元がよく似ている。
「本当に、春樹くん?」
「君は誰?」
「私は遥」
「姉ちゃんの?」
「友達……みたいなもの」
「そっか」
青年は笑った。
「じゃあ、姉ちゃんは元気?」
風待が答える。
「……冬香は、いない」
「知ってる」
「どこにいる?」
「知らない」
「お前は知ってるはずだ」
風待の声が強くなる。
青年は少し困ったように笑った。
「兄ちゃんは、昔からそうだった」
「何が?」
「全部、自分で何とかしようとする」
青年は古い木箱を指差した。
「だから、まだ鍵を持ってる」
「鍵?」
「そう」
風待が木箱を見る。
「その鍵は、何を開ける?」
青年は答えなかった。
代わりに、遥を見る。
「あなたが持ってる鍵は?」
「私?」
「うん」
遥はポケットを探った。以前、猫が持ってきた鍵。まだ持っていた。遙はそれを取り出す。
すると青年の顔が変わった。
「……やっぱり」
「何?」
「姉ちゃんが、見つけたんだ」
「何を?」
「忘れもの」
青年は笑った。
「僕の」
おもしろかったら評価、ブックマークよろしくお願いします




