第六十二話 乗っ取り
港を出て四時間ほど。
夕日が眩しい時間帯。
トーマは腰に命綱を巻き付けて甲板に出ていた。
高速で移動する船を襲う風圧はとてつもなく、下手をすれば海に投げ落とされそうになるほどだからだ。
なぜそんな危険を犯してまで甲板に出るのか。
当然、『門』の使用条件をクリアするためだ。
俺の役目はレブレントに到着次第、スレイズの仲間たちを迎えることにある。
『門』を使うには、現在地から目的地へのルートを明確に記憶しておく必要があるため、揺れる船に怯えて部屋に籠もっているわけにいかない。
しっかりと航行ルートを見て覚えなきゃいけないのだ。
ただ、問題が一つ。
ここは一面青黒い海洋の真ん中。
こんな代わり映えのしない光景を延々見続けていても『門』を使用することができない可能性がある。
以前、拠点から鉱山都市まで樹海を彷徨ったことがあるが、そのときは『門』が使えなかった。
そのため、今回はその反省を活かし、航海ルートがまとめられた地図を用意した。
当然、イリーガルな方法でだ。詳細は省くが。
地図と海、視線を行き来させて自分が今どこにいるのかを明確にさせて条件クリアを狙う。
しかしだ。
それでも代わり映えしない光景が続くのは同じ。
しかも昨日からろくに寝ていないため強烈な睡魔が襲いかかってくる。
あれだ。
金をケチって安馬車旅にしたからだ。
狭い車内にぎゅうぎゅうに押し込められてガタガタ揺れて。
やばい、意識が落ちそう……。
カクンカクンと首振り人形のような挙動のトーマを見かねてクローディアが声をかけてくれた。
『大丈夫?眠いのかい?』
その声色はまるで母親が子どもに話しかけるような不思議な柔らかさがあった。
「あ、ああ。少しだけ……」
眠気に屈しそうな眼をゴシゴシ擦り、意識を保とうとする。
経験上、これで眠気が収まった試しがないがそれでも起きておかなければいけない。
仕方なしと、俺は人差し指に小さな火弾を発生させ、それを頬に当てた。
本来、この方法は竜人となって以降、普通の剃刀では剃れなくなってしまった顎の髭を焼き切るために使用していた技。
鉱山都市でミスリル製の剃刀を入手してからは封印していたのだが、今回のような状況なら大活躍間違いなし。
「あっ、アチ、熱い……」
うん。
熱いよ。
ちょっとは目が覚めた気がする。
ちょっとは……。
「ふぁぁ……」
あくびを一つ。
カクンとまた首が下を向く。
そのときだ。
クローディアがやれやれと言わんばかりに、呆れたように口を開いた。
『はぁ……。ホント、仕方ない子ね。
トーマ、あんた少し奥で休んでおきなさい。その間、私が代わってあげるわ』
何を言っているのだろうか?
「代わるってあげる?どういう意味だ?」
『だ・か・ら、あんた眠いんでしょ?少し寝なさいって言ってんの。私の家のベッド使っていいから』
「クローディアの家の……?
ああ、勝手に俺の精神世界に建てたアレか。
でも、どうやって───」
言い終わる前に俺の視界が切り替わった。
「ごちゃごちゃ言ってないで早く休みなさい」
クローディアの声が響いて聞こえてくる。
『は?』
先程まで夕焼けが反射してうっとおしいほどキラキラしていた海原を眺めていたはず。
それなのに。
それなのに俺はいつの間にか、すべてが真っ白の果てのない空間に突っ立っていた。
俺はここを知っている。
ここは普段クローディアが生活(と言っていいんだろうか)している空間。
俺の精神世界の中だった。
強制的にこちらに引きずり込まれた。
そして、
「う〜ん、久しぶりの肉の感触!やっぱり実体があるっていいわねぇ!
うん?お股に違和感……って、ああ、これ男の子の体だったわ」
テンション高めな彼女の声が響いて聞こえた。
つまり、だ。
『体、乗っ取られた?』
「そゆこと」
『……まぁ、いいわ。とりあえず俺、寝るからあとのことよろしく』
色々疑問はある。
何故、こんなことできるのかとか、
何故、俺の肉体で話すクローディアの声が俺の声ではなくクローディアの声で聞こえるのかとか、
元には戻れるのかとか。
俺の精神が休んだだけで肉体の疲労はとれるのかとか。
など、色々あるのだが。
ひとまず俺はポツンと佇む彼女の家にお邪魔するとベッドに飛び込み意識を投げ捨てた。
ーーー
トーマが入眠したことを感じ取ったクローディアは行動を開始する。
まずは『門』が繋がるか確かめなくちゃね。
彼女が念じると、光沢のある澄んだ灰色の大円が宙に現れる。
その中に顔を覗かせると、そこは知らぬ港町だった。
しかし、
「うん?ああ、アレには見覚えがあるね」
懐かしむように眺めるのは遥か遠方に見える山々。
かつては霊山なんて呼ばれたりした、自分の終わった場所だった。
「ならここは西大陸で間違いないね。
よし、部屋に戻ろっと」
顔を引っ込めて『門』を消したところで、背後から声がかかった。
「貴様、私の船で何をしている?」
怒気と警戒が十分なほど含んだ声色。
声質から女性だということが判る。
そして、この懐かしい気配。
彼女も同族だ。
クローディアが振り返るとそこにいたのは、女海賊とも見て取れる衣装に包まれた深い青の長髪をなびかせる女だった。
左目の涙袋のあたりには僅かに鱗のように硬質化した皮膚がある。
竜人にたまに見られる特徴だった。
身体的特徴とここが海上だということを考えるに彼女は海竜を宿す存在──つまり大海の竜騎士に違いない。
「俺のことですか?何もしてないですよ。ほら、何にもない。ただ海を眺めていただけですよ」
クローディアは両手をあげてあっけらかんと答えた。
その様子にはどこら白々しさが滲んでいた。
当然、そんな言い訳が通用するわけなく。
「とぼけるな!貴様が先程出していた灰の円、あれからは──我々と同じく、竜の気配が放たれていた!
ああ、今確信した。貴様があの『グレイ』だな」
「あちゃ〜、ちょっと油断してたかもなぁ〜。まぁ、いいわ」
帝国最強の一角を前にしてもクローディアは平然としていた。
大海の騎士にとってそれはとても不愉快で、そして不気味でもあった。
『グレイ』といえば、ラトガトにて雷の騎士を破った人物として報告されている危険人物だ。
自分と同格であった雷の騎士を破った人物がこの船に乗っている。
乗客や船員の安全を考えた大海の騎士は問答を諦めて瞬時に対象の無力化に移行した。
腰に下げられたサーベル。
一瞬だった。
一瞬の間に鞘から抜き放たれた刀身。
刀身は大気すら切り裂き、その勢いのままクローディアの首元に伸びる。
がしかし、刀身は首元に届くことなくその寸前で停止した。
「なにっ!?」
騎士は理解できていた。
サーベルは受け止められたのではない。
自分が止まったのだと。
意識は止まっていない。
体だけだ。
体だけが止められた。
『グレイ』は動いている。
ポリポリと頭をかいている。
くっ……!!
仕方ない、
『目覚めよ、我が竜の因子』
大海の騎士が心の中で叫ぶと、変化はすぐに現れた。
皮膚が硬化していき鱗となる。
体が細長く巨大化していく。
権能が解放される。
「あ〜、これは面倒なことになりそうね」
クローディアはあくまでも平然。
そして一言呟いた。
「ねぇ、今回の出会いはなかったことにしましょう」
「何をふざけた────」
大海の騎士が言い切るのを待たずにクローディアがパチンと指を鳴らすと──空間が歪んでいき時間が巻き戻っていった。
甲板にはクローディアのみ。
トーマが精神世界で眠りについた直後。
時間逆行時、意識を引き継げるのは現時点ではクローディアだけ。
『門』を使う前だから騎士に気づかれていない。
「戦いなんて極力避けるべきよね」
彼女は膝の上に広げた地図を懐にしまうと、何事も無かったかのように自室へと戻っていった。




