8.娘のためにできること
午後になるとメイド長のテレーズが昼食を運んできた。
マリエルは今日中にカレンの担当変えをすることと、近々サイラスと話す時間が得られないかを相談した。
「お話の時間は、すぐに調整可能だと思いますが……カレンを旦那様付きにすることはあまり賛成できません」
「どうして? だって彼女はサイラス様に近づくためにここでメイドとして働いているのでしょう?」
マリエルの言葉でテレーズの表情が一瞬で険しいものになる。
「もしやカレンは、奥様に対して失礼な態度をしましたか?」
「まぁ、そうね。ただ私への態度よりも家格が低い使用人仲間に対する態度のほうが気になったわ」
「それはセイリーンから聞かれましたか?」
「いいえ。朝方、彼女のレスリーに対する接し方を見て私が感じただけよ」
そのマリエルの言い分にテレーズが驚きの表情を浮かべる。
「奥様ご自身で気づかれたのですか?」
「『気づかれた』ということは、以前から彼女の態度は問題視されているのね……。もしかしてカレン以外にも伯爵家の令嬢をメイドとして雇っているの?」
「はい、他に二名ほど」
「では、彼女たちもサイラス様の後妻狙いね」
「奥様!」
「いいの……。私のような悪妻なら、すぐに離縁されると思われても仕方がないもの。でも同じ条件で雇われている仕事仲間に身分の差で仕事の押しつけや、奪い合いをしている状況は侯爵家に仕える人間として相応しくないわ。もし実家のクラージュ家であれば、そんな使用人は即解雇だもの」
昼食をパクパク食べながら厳しいことを口にするマリエルに、テレーズが目を丸くする。
「その……本日の奥様は大分お体の調子がよろしいようですね?」
「ええ。カレンのお陰よ」
「カレンの?」
「彼女が敵意をむき出しにしてくれたから、今の私がやらなければいけないことが見えてきたの。これまで私が周囲に対してやってしまったことは、もう取返しがつかないけれど……こんな自分でもまだやれることがあるのなら、私は全力でそれに取り組むわ。私、ウジウジするのは性に合わないの」
昨日とは別人のように昼食をしっかり食べきったマリエルにテレーズが安堵しながら、お茶を出す。
しかし出されたお茶を手にしたマリエルは、カップの中を覗き込むようにうつむいた。
「でも五年間も好き放題やってきた私の意見なんて誰も耳を傾けてはくれないわ。私が皆の立場なら『何を今さら!』って思うもの」
「奥様……」
「でもそんな私でも出来ることがあったの。身分差で同僚や仕事中に圧をかけ、職場環境を乱している人間をサイラス様に報告することよ。その際は、申し訳ないのだけれどテレーズからサイラス様に進言してほしいの。私では説得力がないから……」
「そんなことはございません。旦那様なら――――」
「私がサイラス様の立場だったら『また使用人いびりをはじめた』って思うわ」
「…………」
そっと視線を外したテレーズの反応から、この五年間の自分は不当に使用人を解雇したことがあるとマリエルは察する。
「私、この五年間は本当に最低な女主人だったのね……」
「奥様、それは……」
「ごめんなさい。今さら『後悔してます』なんて言われても、あなたも困ってしまうわよね。とりあえず離縁されるまでは、少しでも前侯爵夫人のお義母様が管理されていた状態にお屋敷の体制を戻したいの。だからテレーズ……私に協力してくれないかしら?」
恐る恐るマリエルが頼むと、テレーズが優しい笑みを返してきた。
「もちろんでございます。奥様のご要望であれば尽力させていただきます」
「ありがとう」
「ですが、離縁というのは……」
「わかっているわ。私たちの結婚は王令だったから難しいのでしょう? その件も含めてサイラス様に相談をしたいから、お時間を作っていただきたいの」
「旦那様に……離縁の申し出をされるのですか?」
「ええ……。サイラス様は、今まで王令だからと諦めていたご様子だけれど、今回の娘の件を王家に訴えれば、離縁を認めてくれるかもしれないでしょう?」
今後の目標を語ったマリエルだが、その間どうしても娘の名前を口にすることができなかった。
そのことが悔しくて無意識に唇を噛む。
娘は『セアラ』という名で、もうじき四歳になるとサイラスが教えてくれた。
だがマリエルは産んでから一度も抱かず、ずっと『アレ』呼ばわりをしていたのだ。
挙句の果てに教育係を使って物理的に傷つけようとした最低な母親である。
そんな自分が軽々しく娘の名を口にするなど許されないと思っている。
娘もマリエルのような母には名前を呼ばれたくはないはずだ。
何よりもマリエル自身が娘を虐待していたことに酷くショックを受けていた。
実はマリエルは、実家の領内にある孤児院に毎週通ってしまうほど、大の子供好きだった。
そんなマリエルが孤児院通いをはじめたのは十歳の頃からである。
父と兄に溺愛されていたマリエルは、それまでは常に守られる側だった。
しかしそれは幼い孤児たちと出会ったことで一変した。
彼らは初めてマリエルを守る側にしてくれた存在だったのだ。
同時にそんな彼らの愛らしさに自分も癒されていることに気づく。
以来マリエルは週末に孤児院へ通うようになり、物資の援助だけでなく子供たちの遊び相手も嬉々としながら率先しておこなっていた。
それだけ幼い子供というのは、マリエルにとって愛おしい存在だったのだ。
そんな自分が、たった五年で実の娘を虐待するような人間になり果てていた。
孤児院ではセアラと同じ年齢の子供とも接したことがあるので、三歳児がどれだけ愛らしいかをマリエルは知っている。
恐らく娘の手は、まだぷくぷくとした小さくて愛らしい手のはずだ。
その手にマリエルは、容赦なく鞭を打つよう教育係に指示したのだ。
そんな自分をマリエルは一生許すことなどできない。
セアラにとってもマリエルは母親ではなく、恐怖の象徴になっているだろう。
ならば初めから『マリエル』という母は、いなかったことにすればいい。
三歳頃の記憶は成長する過程で霞のように薄れてしまうことが多い。
物心がつく前にマリエルが屋敷を去れば、セアラの記憶にはあまり残らないはずだ。
『娘の物心がしっかりつく前に自分は、ここを去る』
そう決意したマリエルは、できるだけ早くサイラスとの離縁を実現させなければならない。
だが本心ではセアラに自分が母だと伝え、全力で抱きしめたかった。
自分の中のありったけの愛情をたくさん注いであげたかったのだ。
この一週間、ずっとそのことで葛藤し、自分を責め続けた。
だがセアラにとってマリエルは、近づいてくるだけで泣き叫びたくなるほど恐ろしい存在なのだ。
そんな自分が娘のためにできることは、なるべく邸内で遭遇しないように配慮することだけだ。
母親としては辛すぎる選択だが、それで娘の心の平穏が守れるならとマリエルは貫くことを心に誓う。
すると、サイラスから『明日の午前中であれば相談時間が作れる』という返答がテレーズを通して返ってきた。
離縁についての相談は必須事項である。
セアラとの距離の取り方についてもしっかり話し合い、邸内で互いに遭遇しないよう対策を練ってもらわなければならない。
たとえ、それらが娘との完全な決別の第一歩だとしても。
この日のマリエルは明日の夫との話し合いのことで考えすぎてしまい、一睡もできない状態のまま朝を迎えた。





