【ep.10】見送る先生 4.送り出す――そして
生徒たちの発表が終わり、ソフィアの用意したクッキーと飲み物で少しの休憩を挟んだ。
そのあとは講師たちからもことばが贈られた。
心優しく思慮深いドワーフは「常にいろいろなことに関心を持つのじゃ」と、いつものように自慢の髭をふぉつふぉっと、上下に擦った。
世界を旅し、冷静と情熱を併せ持つ美しいエルフは言った。
「つまらない価値観を捨て、自分で目にしたことから判断なさい」と。
そして寡黙だが優しさに溢れる忠義の騎士は、「その力は他人のためにこそ」とみんなを激励した。
すでに何人か、それぞれの瞳からとめどなく涙を流していた。
そしてそのまま、その場の視線が長谷川に集まった。
「そうだなぁ、実は先生も何を話そうかと……」
と、少し冗談めいて切り出したが、真剣な眼差しを前に訂正した。
「ごめんごめん、そうじゃないな。先生も今日と言う日にみんなに何か伝えたいと思って、一生懸命考えたんだ――。“小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道なんだ”って、ある凄い選手……いや、先生の先生みたいな人のことばだけど、これをみんなに贈りたい」
長谷川はかつて尊敬していたプロスポーツ選手のことばを引用した。
ふぅぅ――
そして彼は一度深呼吸してから続けた。
「みんなはこの七年間、その道を歩いてきた。実は先生もそうだったんだ。知らないこの土地に来て……それでここにいるみんなのお陰で、“先生”になれたんだ。だからきっとみんなも何者にでもなれるし、どこにでも行ける。そしてその何者かになるってことは責任を伴うし、時にその道に孤独を感じることもあるかもしれない……」
いつの間にかソフィアまで教室に留まり、真剣に聞いていた。
「けど、忘れないで欲しい。一緒に学んだ仲間がいること、必ず誰かが君たちの頑張りを見ていること、ひとりじゃないってことを――」
ひと呼吸の間を置くと、生徒や講師の視線が熱を帯びた。
誰かがすすり泣く声がした。
すると長谷川は表情を崩し、
「まぁ、それでもやりきれない時もある。その時は、いつでもここに来い」
そう言って、以上! といつもの調子でニカッと笑って見せた。
それが合図となってか、再び涙を流す者、拳を強く握りしめる者、長谷川から目を離さない者、何かを振り返った者、それぞれがこの七年間を噛みしめているようだった。
気が付けば講師の三人までもが生徒たちの門出に、それぞれの涙を流していた。
「えーっと」
場の高揚が少し収まりかけたとき、目を腫らしたユイが声を上げた。
「これ……みんなで用意したの……」
みんなを代表したユイが、長谷川に正方形の薄い木の板を手渡した。
そこには紙がいくつも貼り付けられていた。生徒ひとりひとりの想いや感謝が綴られたものだった。
良く見れば講師やソフィアの書いた紙まで貼ってあった。
「なんで寄せ書きに見送る側まで書いてるんだ……。それにしたって……」
苦笑いした彼はそこまで言って、すでに自分の涙腺が決壊し始めたことに気付き、ほとんど声にならなかった。
ただ「ありがとう」だけは最後に絞り出した。
それを聞いた生徒たちが長谷川を囲みだした。
誰かが抱きついてきたが、彼にはもはや誰なのか、確認することもままならなかった。
するとまた誰かがズルいと言って、おしくらまんじゅうが始まった。
あまりに力強い抱きしめに目を開けば、レグが正面で泣いていた。
長谷川はもう涙を堪えるのか流すのかよく分からなくなっていたが、その目線の先ではソフィアが泣いているのが分かった。
そしてユイがソフィアに顔を埋めていた。
(ソフィア……君も何かを見つけられたのかな)
そう思った瞬間、長谷川はさらに込み上げ、震えた。
* * *
卒業式の日、その日は遅くまでみんなが思い出を語り合った。
やがてその時間も儚く過ぎ、名残りを惜しみつつそれぞれの道へ向かって進み出した。
翌朝、ユイは起こしに来なかった――
「ソフィア! ユイは、ユイは出かけたのか?」
胸騒ぎに慌てて二階から降りてきた長谷川に、ソフィアが彼を労わるようにそっと手紙を取り出して見せた。
彼はすぐに手紙を読み始めた。
読み進めるうちに肩を落とし、最後はそれを落としてしまった。
「貴之さん……セフィも一緒ですから、きっと大丈夫です」
それでも理解できないでいた長谷川はゆっくりと手紙を拾い、もう一度、一語一語を見落とさないよう、丁寧にその文字を読み返した。
最初に書かれていたのは“ごめんなさい”だった。
直接話したら怒られそうで、止められそうで、そして自分の決心が鈍ってしまうかもしれないからと続いていた。
そして――
助けてくれたことへの感謝、たくさんの学びと友達を授けてくれたことへの感謝、育ててくれたことへの感謝……
最後に、おとうさんありがとう……行ってきます、と綴られていた。
強い意志と心の籠った、とても綺麗な字だった。
ソフィアがリヴァエルも途中まで見送っていることを付け加えた。
それでも長谷川は固く握った拳をテーブルに押し付けた。
「あの子がどんな想いでいたのか、どんなことに興味を持ったのかを聞いてやれなかった……何か悩んでたんじゃないのか!?」
自身の不甲斐なさに激しく怒りも覚え、責めた。
「ごめんなさい、貴之さん。私はユイちゃんから、旅に出たいって、いつか東の国の故郷に行ってみたいって、聞いていたのです。あの子の目はとても真剣で、それはとても大事なことなんだと思いました……だから……」
労わるソフィアからユイの想いと覚悟を聞かされ、どうにか理解しようとする。
「ごめん、ソフィアを責めている訳じゃないんだ……ただ、自分が情けなくて……子どもが大人に、親に相談できないなんて、思い上がりかもしれないが、俺はそんなのは嫌なんだ! だけど……自分の大切な家族にすら、それができていなかった……」
彼女は最初に出会った時と同じく、柔らかく、そして心地のよい声音で言った。
「貴之さん、“行ってきます”には、“ただいま”もありますよ」
「……!」
そのことばを聞き、ユイの手紙に込められたメッセージをやっと受け取れた気がした。
長谷川は彼女の成長を認めざるを得ないと、どうにか理解した。
それでも淋しさは全く拭えないでいた。
ふと――目線の先に、木製のペン立てに刺さった大量の不揃いな鉛筆が目に入った。
昔、ブロムの授業でユイと長谷川とで一緒に作ったはいいが、たくさん作り過ぎてしまったものだった。
あの時、教室からしばらく炭の臭いが抜けなかったのを思い出し、彼の頬を涙が伝い出した。
それを見たソフィアが言った。
「もう泣き虫さんたちは卒業したと思ったら、ここにまだいましたね」と、長谷川の手の甲に自分の手のひらを重ねた。
それから少しだけ、彼は呆然とした。
広くなってしまった“家”を見渡し、そこで学んだ生徒たちの姿を脳裏に映し出した。
昨日まで確かにここに居た生徒たち、そして散りばめられたユイの様々な表情、幼い頃から見守ってきたその姿を思い出していた――
「よし……!」
教え子たちの想いを受け取ったあとでは泣いてなどいられなかった。
そうして立ち上がり、納屋から剣を取り、外に出た。
ソフィアがいつものにこにこ顔で見送った。
まだ少しひんやりとした空気の中、彼は朝焼けに輝く森の奥に、太陽が昇るのを見た。
* * *
ブンッ! ブンッ!
彼は庭先で黙々と剣を振っていた。
既に朝焼けは去っていたが、森にはまだ薄っすら霧が立ち込めていた。
彼が素振りを止めると周りから音が消えた。辺りに静謐が満ちた。
何かを予感させた。
それで彼は手を広げ、深く深呼吸してみた。
大きく伸びも終えると、あぜ道の少し向こうから、二人の少年と一人の少女が並んで、少し緊張しながらこちらに歩いてくるのを見つけた。
背の低い方の少年の手には、ボロボロのノートが握られていた。
おわり。




