急:終幕
「――!! ヨハン様あああああ!!!」
「――!!!? ア、アンネ!!?」
そして私は、奇跡的にヨハン様の元にピンポイントで落下していった。
咄嗟のことだったにもかかわらず、ヨハン様は優しく私をキャッチしてくれた。
ついさっきまでヘラにお姫様抱っこされていた私は、今度はヨハン様にお姫様抱っこされる形になったのである。
「ヨハン様!!! ああ、ヨハン様ヨハン様ヨハン様!!! お会いしとうございました!!!」
「……アンネ」
私はこれでもかというくらい、ヨハン様の胸に顔を埋めた。
ああ、ヨハン様だ本物のヨハン様だ。
三ヶ月ぶりのヨハン様の匂い……。
私はここが戦場だということも忘れるくらい、夢の中にいるような多幸感に包まれていた。
「……何故君がここに」
「私はあなた様の将来の妻だからですわ!」
「――!!」
「夫婦はどんな時であろうと、常に一緒にいるものでございましょう?」
「……フッ、まったく、敵わないな、君には」
「ふふふ」
三ヶ月ぶりに見たヨハン様の蕩けるような笑顔は、それはそれは――。
――え。
「……ヨ、ヨハン様、その左目は……」
「……ああ、これは、大したことはないさ」
今気付いた。
私の大好きなヨハン様の美しい碧い左の瞳が、大きく穿たれており、そこからドス黒い血が流れ出ていた――。
「ヨハン様!!」
「……不覚にも敵の銃弾を受けてしまってね。なあに、魔術で銃弾は止めたから、脳までは達していないよ」
「で、でも……、それではヨハン様の目が……」
その左の瞳は、二度とこの世界を写すことはないのですか――。
「ハアッハッハァ!! 何とも美しい愛の姿ですなぁ」
「「――!!」」
――その時だった。
耳障りなだみ声が、敵側から降ってきた。
思わず声のした方に目線を向けると――。
「お初にお目にかかりますヨハン皇太子殿下。吾輩はエインズ合衆国大統領、ブラッドリー・ケイフォードと申します」
「なっ!?」
巨大な鉄の箱のような乗り物に乗った、恰幅の良い初老の男性が私達を見下ろしていた。
こ、この男が、敵側の元首!!?
「……一国の大統領ともあろう方が、こんな最前線に赴いていいのですか、ケイフォード大統領」
「ハアッハッハァ!! その言葉、そっくりそのままお返しいたしますよヨハン皇太子殿下」
「……僕は我が国がこの戦争に勝利するために必須だからこそ、ここにいるだけです」
「吾輩も同様ですよ」
「……何?」
「確かに吾輩が前線に出ずとも99%我が国が勝つでしょう。――ですが、大統領である吾輩自らが前線に赴くことで兵の士気は尚上がり、99%の勝率が100%になるのです。――吾輩はこう見えて慎重な男なのですよ」
「……なるほど」
……そんな!
隣国の元首は相当なやり手だという噂は聞いていたけど、ここまで勝利に貪欲な男だとは……。
「そしてこれが、我が国の奥の手です」
ケイフォードは自らが乗っている鉄の箱を、愛おしそうに撫でた。
「これは『戦車』というものでしてな。これさえあれば、人間の兵士の集団などアリの群れも同然ですよ」
戦車……!?
確かに見れば見るほど無機質で禍々しいフォルムをしている。
人を殺す――。
そのことだけに特化した形状。
中でも特に異質なのが、中心から生えている太くて長大な筒だ。
私の全身があの筒に怯えている……。
本能が告げている……、あれは――ヤバい。
「まあ百聞は一見にしかずですな。――どれ、見せてさしあげましょう、究極の科学というものを」
「「――!!」」
「てーーー!!!」
「「――!!!」」
ケイフォードの号令と共に、戦車の筒から轟音が響いた。
「危ないッ!!」
「ヨハン様!?」
ヨハン様は私を抱きかかえたまま、咄嗟にしゃがみ込んだ。
するとその直後――私達の頭上を空気を焼き切りながら、途轍もない熱量を持った何かが通過した――。
「「「がああああああああああああああ」」」
「「――!!!!」」
そして私達の後方で、悪魔が嘶いたような凄まじい爆発が起きた――!
我が軍の兵士達が、無慈悲に吹き飛んでいく――。
「あ、ああ……、そんな」
「……くっ!」
「ハアッハッハァ!! この主砲から放たれる砲弾は、全てを灰燼に帰します! ――どうですかな科学の力を目の当たりにした気分は? もう古臭い魔術の時代は終わったのですよ。これからは科学の時代! 科学を制する者が、この世界の覇者となるのです!」
ケイフォードは両手を大きく広げ、勝ち誇った顔で私達を見下ろしてきた。
……うぅ、確かにこんな途轍もない力が相手では、流石のヨハン様も……。
「……アンネ、せめて君だけでも逃げるんだ」
「っ!! そんなッ!」
ヨハン様は慈愛に満ちた残った右目で、私を見つめてくる。
……ヨハン様。
「……いいえ、私は絶対にあなた様の元を二度と離れません」
「――!」
「病める時も、健やかなる時も――たとえ地獄の果てまでも――私はあなた様を未来永劫愛し続けることをここに誓います」
「……アンネ。――嗚呼、僕の愛しい人」
「――ヨハン様」
私達は戦場の真っ只中だということも憚らず、熱い接吻を交わした。
「ハアッハッハァ!! これはお安くない。だが非常に残念ですなぁ。愛し合う二人の仲を、無理矢理引き裂かねばならんとは。――せめて一思いに、仲良く天国へと送ってさしあげましょう」
「――いいや、それには及ばないよ」
「……何?」
「今この瞬間、この戦いは僕達が勝つことが決定したからね」
「なぁっ!? ざ、戯言を吐くなこの若造がぁ!!」
いいえ、戯言などではないわ。
あなた方のような魔力を持たない人間には感じられないのでしょうね。
ヨハン様の魔力が、何百倍にも膨れ上がっていることを――。
これぞ私が唯一使える魔術――【聖女の抱擁】。
対象者の魔力を増幅させるだけのちっぽけな魔術だけれど、その効果は対象への情愛が深ければ深い程増す。
今の私のヨハン様への愛は無限大だ。
ヨハン様の中には、神をも凌駕する程の魔力が渦巻いていることだろう。
「おのれええええ!!!! 撃てえええ!!!!! このクソガキを撃ち殺せえええええッ!!!!!!」
ケイフォードの怒号と共に、数多の銃弾と戦車から放たれた砲弾が私達に襲い掛かる。
――が、
「無駄だよ」
「――な、なにいいいいいいッ!!!!???」
ヨハン様が一睨しただけで、それらは空中でピタリと動きを止めた。
「冥途の土産に、我が皇室に代々伝わる究極魔術で君達を地獄に送ってあげよう」
「ちょっ!? ま、待ってくれ……! 吾輩の話を聞いてくれッ!! 悪いようにはしない!!」
「――天を統べる雷の神よ」
「――!!」
ヨハン様が詠唱を始めた途端、世界の終焉を想起させるような分厚い黒雲が天を覆った。
「我は捧げる、敬虔なる祈りを」
「あ、ああ、ああああ……ああ……」
ケイフォードは奥歯をガチガチとかき鳴らし、全身で脂汗をかいている。
うふふ、あなたにもわかるのね?
今のヨハン様が、この場にいる人間すべての生殺与奪の権を握っている、絶対的な存在だということを。
「焼け、穿て、引き裂け、蹂躙しろ。我に仇なす者ことごとくを塵へ還せ――」
「わ、吾輩が悪かったあああああああああああ」
「深淵魔術――【雷帝の寵愛】」
「あああああああああああああああああああああああああ」
――刹那。
万雷とも言うべき夥しい漆黒の稲妻が、エインズ軍側全域に降り注いだ。
それは瞬きをする間程の出来事だったように思う。
だが、黒雷が止むと、そこにはもうただ一人のエインズ兵も存在していなかった。
むしろ人間がいた痕跡すら残っていない。
ヨハン様の【雷帝の寵愛】は、たった一撃で全てを塵に変えてしまったのだ……。
――クリーゲ平原は、我がツァウバール軍の勝ち鬨で埋め尽くされた。
……嗚呼、終わったのね。
「……アンネ」
「――え?」
ヨハン様は私を地面に下ろすと、私の前に優雅に跪いた。
「ヨ、ヨハン様!?」
「――勝手なことを言っていることは重々承知している。――だが、もう一度だけ僕と婚約してはもらえないだろうか?」
「――!!」
ヨハン様は残った右目で真っ直ぐ私を見据えながら、手を差し出す。
……ふふ。
「……はい、喜んで」
そして私はその手を、そっと取る。
「――! アンネッ!」
「ヨハン様ッ!」
私達は人目も憚らず、強く強く抱き合った。
「やれやれ、お安くないですね」
「「――!!」」
こ、この声は!!?
「ヘラッ!!?」
いつの間にかヘラが私達のすぐ横に呆れ顔で佇んでいた。
「ヘラッ!! あなた無事だったのねッ!」
「もちろん。あの程度の境地、数えるのが億劫なくらいくぐってきましたからね」
見ればヘラはかすり傷一つ負っていなかった。
むしろメイド服に埃すらついていない。
……ひょっとしてこの戦争、ヘラが参戦していればもっと楽に勝てたのでは?
「ではお嬢様、帰りましょうか。旦那様と奥様がお待ちです。旦那様は、今頃お嬢様のことを心配するあまり卒倒されてるかもしれませんね」
「あ、あはは、それは有り得るわね……」
私は改まってヨハン様に向き合う。
「と、いう訳でヨハン様、私は一旦実家に帰らせていただきます」
「ハハハ、そう言うと僕が婚約破棄されたみたいに聞こえるね」
「うふふ、意趣返しですわ」
「……アンネ」
「……ヨハン様」
私とヨハン様は、別れを惜しむように軽く触れるだけのキスを交わす。
――その瞬間、黒雲が晴れ、その隙間から燃えるような夕陽が私達を祝福するかのように顔を覗かせた。
……綺麗。
「……あ、そうだ忘れてた!」
「ん? 何だいアンネ?」
「お母様から、お土産に帝都名物のガトーショコラを頼まれてたんでした!」
「ハハハ、それは忘れる訳にはいかないね。よし、それではひとっ走り、帝都まで行って買ってこよう」
「えっ、きゃ、きゃっ!」
ヨハン様はまた私をお姫様抱っこし、飛行魔術で空高く飛び立った。
そんな私とヨハン様を、ヘラが冷ややかな目で見守っていた。
後にツァウバール帝国は、皇帝である『隻眼の雷帝』と、その妻である『光の聖女』の二人の手によって隆盛を極めたという。