ファルシュという女
────べちゃり。
大量の鮮血が、引き千切られた肉と共に飛び散り赤く染める。
吹き抜ける音が木霊する中、片翼を亡くした美しい肢体が、血だまりの中に崩れ落ちる。
「ユウさん──ッ!?」
ただ一拍。遅れて状況を理解し始めて、コウスケの膝が地面につく。
──光無く、開いたままの瞳孔。抉り取られ、穴開き失った左腕左胸部。解かれた長髪が、遅れてソレを隠すように、身体に着いては赤く染まる。
「はやく回復魔法を─クソッ!今の俺じゃそんな余裕も…何か、いや、まずは止血か!?でも、この穴をどうやって──」
「──アハッ!」
コウスケの鼓膜を震わす、彼と同じ笑い声。ただ必死に、目の前の男を助けようとする自らとは対照的に、声の主は足音を鳴らすと、顔を覗き込むように屈み口を開ける。
「そんなに必死こいちゃって…アハッ、アンタ程度でどうにか出来るわけないじゃん」
ユウと同じ顔の、両手を返り血で赤く染めた女。
何処か囁くように、そう言い放った彼女に対し、コウスケが視線を変えようとした刹那、全身の激痛と共にその視界がグワンと揺れ変わる。
「─ッ…ぁ…」
自分は今、後ろ髪を引かれ投げ飛ばされたのだ、と。醜悪な光景を目に、コウスケの思考がそう告げる。
遠くに見える、彼を足蹴にする女の姿。彼の姉とも違うその女は、這いつくばるコウスケを一瞥すると、口角を上げ歯茎を見せる。
「その表情──アハッ!ただオリジナルが死ぬだけなのに感情移入なんてしちゃって!面白ーい!」
ただ純粋な、子供じみた満面の笑顔。
まるで話が通じない、と。遠のき始めた思考が警笛を鳴らし、コウスケの意識を無理矢理繋ぎ留める。
「っ」
金色の瞳で、その声の主を捉えたコウスケ。最早自身の声も出ず、ブレ始めた輪郭の中、女は面白がるように近づいてくると、その見慣れた顔で覗き込む。
「おにーさん、ウチに協力してくれてありがとね!だからトクベツ!生かしておいてあげる!なんてね!アハッ!」
無邪気に、そして一方的に。輪郭の歪む視界の中、そんな女の言葉を耳にしたコウスケは、たしかに近づく新たな人影を最後にその意識を手放した。
ーーー
魔王城、合成竜が息を潜めるのと同じ頃。ポタポタと、赤い血を垂らしながら、長い廊下に一つの人影が映り込む。
『たかが竜王相手にずいぶんとやられたみたいねぇ?』
「──黙れッ!」
響き反響する怒鳴り声。
亡霊か、はたまた恐怖の生み出した幻聴か。体積を失った左肩を抑え、一人吠えた男は、窓に映る魔王を目に、半狂乱となり叩き割る。
「何が『今侵攻すべき』だッ!貴様のせいでアイツを──娘やローズさえも失ったのだぞ!おまけに忌々しいガズヤも殺しきれずにこのザマだッ!」
砕けた破片が地面に落ち、赤い液体が飛び散り汚れる。
ゼーゼー、と。肩を抑えながら、尚立ち尽くした彼は、回復魔法にて無理矢理ソレを止血すると、血の上った頭を壁に落ち着け食いしばる。
『確かに、この私ですら予想外の結果だもの。貴方は悪く無いわ』
まるで、赤子をあやすように。ルインの鼓膜を、確かに震わせたその声。修正が必要ね、と。硝子片が落ちた音を最後に、廊下は静寂によって支配された。
ーーー
「任務は終わったようだな、ファルシュ」
「──チッ、時間切れかぁー」
自らの最も速い姿で、ボロボロの身体へ鞭を打ち、倒れたコウスケ達元へたどり着いたスミレ。刹那、彼女の耳に届いた聞き覚えのある声に反応し、ユウと同じ顔──ファルシュと呼ばれた女は砂利を蹴ると、つまらなそうに振り返る。
「目的は果たした。我らがこれ以上留まる必要は無い」
鎧越しのくぐもった低い声。大剣を背負ったその男は、血の滴る肉塊を手中に踵を返しそう告げる。
はぁーい、と。場違いな返事と共に、2人は溶けるように消えていく。
いつまで固まっていたのだろうか。疲労や怪我だけではなく、縛られたように動かなかった身体。ただあのファルシュなる女に近づいた瞬間、スミレは本能的に萎縮していたのだ。
「──ッ、目的…?いや、今そんな余裕は──」
金縛りから解放され、整理しようとした独り言を無理矢理逸らして視界を動かす。
目先に映るは倒れ伏した2人の男。しかし──
「間に合わなかった、か…」
光無き瞳孔に、ピクリとも動かぬ肉体。明らかに致死量な血の池に沈むその姿を前に、ただ膝から崩れ落ちる。
──数刻前まで、自らが女と勘違いしていた男。骸となっても尚、美しさを失わぬソレは、スミレの思考を鈍らせるには十分であった。
「──ここで終わってもらっては困るわ、人狼さん」
不意に、スミレの思考に響く女の声。
──ぴちゃり。
いつの間に現れたのだろうか、沈黙する彼を抱きかかえた声の主は、スミレを一瞥するとゆっくりと立ち上がる。
──ぴちゃり。
滴る血が地面に落ち、赤い池に波紋を広げる。
「大丈夫。貴女は貴女のすべきことをしなさい」
「──っ!貴女は───」
──ぴちゃり。
赤い池が空気を揺らし、幻のように掻き消える。
何も無く、しかし確かにあったことだけを伝える紅い池。
ただ、スミレの言葉を言い終えるよりも早く。その視界に映ったのは、無惨にも引き千切られた片翼だけとなっていた。
ーーー
ひたひたと、地面を踏む音が廃墟の中で反響する。
誰もいない──否、いなくなった瓦礫の山。
その中央に立つただ一つの生命は、血の滴る右手を広げると、うっとりするように頬に添え笑う。
「待っていて──もう一人のオリジナルさぁん…」
艶やかに、そう呟いたソレは、美しい美貌を揺らし影の中へと消えていく。
名はファルシュ。この場で作られ、瓦礫の山へと変えた張本人である。




