94.策を講じる
バローナのため息に、ルイスは思わず気遣わしげな視線を向けていた。
こんな気遣いは、プライドの高い彼女には不躾だし、失礼になる。それでも、思わず心配してしまいたくなるほどの、切ないため息だった。
「あぁ、お気になさらないで」
ルイスの視線に気付いたバローナは、取り繕うように微笑む。しかし、それもまた少し淋しさが滲んでいるように、ルイスは感じた。
「気にするなと言う方が、無理ですわね」
ルイスの言いたいことも、自分を心配してくれている事も十分に分かっているバローナは、諦めたようにルイスへ微笑んだ。
「私は、陛下を愛していたわけではありませんから…」
側室を望んだことも、皇帝からの愛を望んだこともない。皇帝が寵妃を連れて来た時も、危機感はあっても、嫉妬心はなかった。
「居場所のない私を家族とし、イリアも受け入れてくださいました」
これ以上、何も望む物はない。
美しい満月を、一番近くで見つめていける事に、不満もない。
「なんだか、とても納得してしまって。…安堵したと言いましょうか、力が抜けてしまっただけですよ」
カイザックにはレアが必要だった。初めから、神がかったレアに勝てるはずがないのだ。そう思えば、悔しさも湧かない。競おうとも思えなかった。これで良かったのだ。
「バローナ様…」
「だから、そんな心配そうなお顔はなさらないで。心配でしたら、これからも良き義姉妹として仲良くしてください」
そう言って笑ったバローナのすっきりとした表情に、ルイスは何度も頷いた。
その後、彼女たちはレアが王宮へ出向く午前中を利用して、頻繁に貴族の婦人達を招いた茶会を開くことになった。もちろん、目的があっての事だった。
彼女たちは、自分たちの仲の良さを強調しながら、レアの凄さを会話に含めた。
そうすることで、レアに対する負の感情の変化を図ったのだ。
これが、後に功を成すことになるが、それはずっと先の話。
「きな臭い事にはならないのか?」
足元で縁起でもない事を言う巨体を、レアは軽く蹴った。高い場所にある本を見るためにティンの肩に乗せてもらっているので、足を軽く曲げるだけで脇腹にヒットした。
「やめろ、くすぐったい」
「ちっとも痛がってなくて、やりがいがないなぁ」
しかし、レア程度が多少蹴ったぐらいでは、ダメージなど全く与えられるはずもない。
「きな臭い話になりたくないけど、警戒はしておいた方が良いね」
目前に並ぶ本の数冊を引き出して、ポイポイと下へ落とすと、デッドが阿吽の呼吸で受け止めてくれる。
「聖書? レア、教会の信者にでもなるつもりですか?」
「違う違う。付け入る隙があるとすれば、そこかなぁと思って調べるだけだよ」
ティンに肩から降ろしてもらいながら、レアはパラパラと聖書を開いているデッドに応えた。レアの言い様に、護衛二人は顔を見合わせる。
「わたしを使う事、カイザックは躊躇してるみたいだから」
デッドの手から聖書を受け取り、同じようにパラパラとめくりながら、レアは呟く。
「…そりゃぁ、あの兄ちゃんはお前にべた惚れだから」
最初こそ、レアに利用価値を見出していたが、今は少しでも危険がありそうなことには、手を出させたくないだろう。
「そんなの関係ないよ。目的のためには、使えるものは何だって使わなきゃ」
聖書に目を落としたままハッキリと言うレアの様子に、護衛二人は再び顔を見合わせた。
「…自覚がないようなので、言っておきますが」
デッドが言いにくそうに口を開く。聖書から顔を上げないレアの様子に、二人は内心で苦笑を濃くした。
「今の貴女は、ザッカで我々を指揮していた時の目をしていますよ?」
分かっていますか?と問われ、レアは驚いて表を上げた。ティンとデッドが、苦笑も濃く自分を見つめている。気付いていなかったレアは、目をパチクリさせた。
「良いぜ」
ティンがにやりと笑んだ。
「兄ちゃんには内緒で、暴れてやろうぜ」
その瞳の奥に燃える戦火を目の当たりにして、今度はレアが苦笑した。
「自軍の戦力、分かってる?」
「不利な戦いは、今に始まった事ではありませんね」
ティンの戦意に呆れつつ、デッドもまた笑った。二人に火をつけてしまったらしいことに気付いて、レアはため息を吐く。そんなつもりはなかったが、どうやら彼らには着火剤になってしまったようだ。
「まぁ、暴れるつもりはないけど、警戒と緊急時の約束は決めておいた方が良いね…」
レアの視線の動きに気付いたティンが、その巨体からは予測できないほどのスピードで動いた。
「無礼者っ!」
本棚の蔭に隠れていた人物の首根っこを掴んで引きずってくる。
「アルファだ。お久しぶり」
目の前に差し出された人物に、レアは目を丸くした。ティンに首根っこを離すように言って、床に座らされた少年を見下ろす。そのレアを、アルファは睨み上げた。
「義姉上、図書館(このような場)で画策とは、ロイヤを舐めておいでか」
ギリリと奥歯を噛む音すら聞こえてきそうな顔で睨み上げられ、しかしレアは首を傾げた。
「画策? 誰が何を画策?」
本当に分からないとでも言いたげな様子に、アルファは青筋の立つのを自覚した。
「とぼけるのもいい加減にっ! そこの男が物騒な事を言っているのを聞きましたよ! 義姉上だって、自軍の戦力が、などと言っていたではありませんか!」
唾が飛んできそうなほど叫ばれて、ようやくレアは理解した。先程の会話を面白い方向へ捕らえてくれたようだ。
「勘違いだよ、アルファ。確かに誤解されそうな語彙を使用してたのは認めるけど」
笑っては彼のプライドを傷つけると分かっていたが、真面目な顔も出来ずに、小さな笑みが漏れてしまう。
目聡く見つかって、アルファの射殺さんばかりの視線を向けられる。
「大体、何かを画策するのに、貴方が確実にいるであろう図書館なんかで、そんな話しないよ~」
「当たり前だな」
「基本ですね」
レアだけでなく、大の男二人からも言われて、アルファは肩を震わせた。
「では、何の話だったと言うんですか!」
怒りに震えるアルファに、レアはぐっと顔を近づけた。
「今度、連れてってあげるから、怒らないの」
鼻の頭がくっつきそうなほど接近されて、アルファはそれ以上何も言えなかった。
その場に集められた面々に、ミヤは驚きと共に苦笑した。
「…これは、…一体どういう事でしょう? ジルド殿」
「私が聞きたい」
額にいくつもの青筋を立てたジルドは、鬼の形相で事の発端であるレアを睨み付けた。
「わぁ…今ので、五百人の兵は戦意喪失したよねぇ」
「傭兵だったら、三百かな」
「黙れ、魔女」
ジルドの機嫌の悪さから、彼もまた同じような方法で連れてこられたのだと、ミヤは理解して苦笑した。いきなり背後から羽交い絞めにされたかと思ったら、一瞬で暗闇に引きづり込まれ、抵抗もままならないまま、気付けば彼女の前に連れてこられていた。
部屋には、レアとモモ、実行犯のティンとデッド、連れてこられたミヤとジルドの六人だった。
ただの部屋ならば良いのだが、どこかの倉庫なのか、とにかく狭い。侍女の控室の方がはるかに広いだろうと思われるような狭い空間に、巨体が二人も含まれる六人には、肩がぶつかり合うほどだ。
「何か用があって、こんな所に呼んだのだろう。さっさと要件を言え」
青筋は立てているものの、ただのいたずらではない事は分かっているジルドは、レアを睨み付けたまま言った。身動きを取ろうにも、隣のティンの二の腕にぶつかる。
「流石はジルド。話が早い」
レアは嬉しそうに言った。
「これから話すのは、起こりうる可能性と、緊急時の対応を決めておこうと思って」
それを話し合うには、面子も場所もおかしいことに、ジルドもミヤも勘付いた。ここにいなければいけない人物が一人足りない事も、意味があるようにしか思えなかった。
続く言葉を口にしようとしたレアへ、ミヤは小さく手を上げる。
「確認だが、…この面子と場所に、意味はあるのか?」
「もちろん」
ニヤリと笑んだレアの笑みに、ジルドは嫌な汗が噴き出すのを感じた。一年前、どれほど辛酸を舐めさされた事か。
「貴様の奇策に付き合う気はない」
言ってジルドは立ち去ろうとした。が、狭い空間ですんなりと退場が出来るはずもなく、もとよりレアもジルドを逃がす気はない。
ティンとデッドにg背後から腕を掴まれる。
「今度は、奇策を講じる側だよ、ジルド」
にぃっこりと笑われて、ジルドは額から汗が流れ落ちるのを感じた。




