93.午後にお茶でも飲みながら(3)
「まぁ、出来れば、怖がらないでほしいな」
レアはバローナとルイスへ、にっこりと笑いながら言った。カイザックが諦めたように息を吐きだし、その肩が降りる。
「お父様は、お空が飛べるの?」
大人たちの会話について来れなかったらしいイリアが、自分を抱く父を振り返る。大きな幼い瞳にまじまじと見つめられて、カイザックは苦笑した。その髪を撫でながら、ちょっと考える。
「さぁ、飛んだことないから、飛べるかは分からないな」
「えーっ!? お空が飛べるなら、イリアも抱っこして飛んでほしかったのに」
ちょっと残念そうな娘に、カイザックは笑いながらごめんなと謝った。
実際は飛べるのだろう。他の動物に育てられ、羽を持ちながら、その存在を意識できていない鳥の様なものだ。生まれた時から、お前は地を這う獣だと刷り込めれ育てられれば、それは一生空を知らずに生きていく。―――それに似ていた。
(リミッターを解除する事も出来なくはないだろうが…)
チラリとレアへ視線を向ける。レアはイリアと空飛ぶ話で盛り上がっていた。
(それを彼らは望んでない)
眠るレアに触れていった少女も、深淵の闇で出逢った少年も、今の生を満ち足りたものにして欲しいと願っているに過ぎない。
「ロイヤが…カイザックが、遠征で迫ってこなかったら、わたしは今頃、お墓の中だよ」
受け止めきれないのか、押し黙っている二人へ、レアは困ったような笑みを浮かべて、そう言った。バローナが驚いたように顔を上げる。
「わたしの力は人の体には負担みたいでね。ロイヤに打たれて死ぬか、天命が尽きて死ぬか、どちらが先かなって、出兵の時に軍医に言われてた」
「え…?」
ルイスが口元を覆う。その手が小さく震えていた。
「だって…今…」
命がなかった、とは聞いたことがあった。でもそれは、戦場で命を落とすところを、兄に救われたという意味だと、ずっと思っていた。身体の問題だなんて、一度も考えていなかった。
「今はね、カイザックがいるから、大丈夫なの」
二人が心配してくれていることが分かって、レアは嬉しそうに笑んだ。
「わたし達は、お互いを補う者がいないと生きていけない。でも、逆に言うと、半身を得たら無敵なんだよね―――そういう風に、神さまが創ったの」
無敵という言葉に、カイザックは苦笑した。それを言葉通りだと誰が思うだろう。
「…お兄様も…、ずっとお体が辛かったのですか?」
不安げに震える妹へ、カイザックは苦笑した。
「いや、オレは体調に不安を感じたことはないよ。心配しなくて良い。もともとオレはレアに出会わなければ、力は得てないしな。―――オレが、昔からレアみたいな感じだったか?」
苦笑も濃く聞かれて、ルイスは一瞬ポカンと口を開けた。そして、同じように苦笑して、首を振った。
「いいえ。お兄様は変わり者でしたけど、シィーほどではありませんでしたわ」
「酷いなぁ…でも、変わり者だったんだ?」
レアが面白そうに言う。
「えぇ、男色家かと疑われるほど、その手は疎いですし、ずっと遠くを見ているみたいな…」
そこまで口にして、ルイスはレアと兄がお互いを何とも言えない顔で見つめ合っていることに気付いた。
(あぁ、そうか)
その時ルイスは、なぜかすべてが分かったような気がした。
兄がずっと何かを探すような背中をしていた理由も、誰からのアプローチも目に入っていなかった理由も。
バローナと目が合おう。
そこには、自分と同じ考えに至ったのだと思わせる色が浮かんでいて、どちらともなく仕方がないとでも言うような苦笑が浮かんだ。
二人が並ぶと、月夜の空に浮かぶ満月を連想させられる。
そこには余所者が立ち入る事が出来ない。月を手に入れたいと思う事が無謀であるように、彼らに手を出すことは、人には叶わぬ夢なのだ。
「綺麗な満月は、茶菓子付きで眺めるのが一番ですわね」
「そうですね」
バローナの諦めた様な、それでいて楽しんでいるような提案に、ルイスもまた同じような心境で応えた。
「教会も、自分達が何に手を出そうとしているのか知ったら、その無謀さに気付くでしょうに…」
お気の毒、とでも言いたそうなバローナに、ルイスは苦笑した。
「そこは、私の仕事ですわ、バローナ様」
小さく笑うと、バローナもまた少しだけ悪い顔をして笑った。
「では、私は、美味しい茶菓子でも用意して、皆さまの安らぎの場をご用意させていただきますね」
バローナとルイスが、何事か楽しそうに計画しているのを、レアもカイザックも目を瞬かせて見ていた。二人がこんな風に楽しそうなのを初めて見る。
「ねぇねぇ、何の話?」
「適材適所、ですわ、シィー」
にっこりとバローナは笑った。
「シィーはお兄様を手伝ってやってくださいませ。私達は私達に出来る事をしますから」
「…」
やんわりと拒否されたようで、レアは釈然としない顔をした。それを見た二人が、また顔を見合わせて笑う。
「シィーやお兄様に言ったら面白くありませんからね」
そんな理由を言われても、レアが納得するはずもなく、レアは口を開こうとした。が、バローナが早かった。
「陛下を独り占めしている事を、少しでも悪いと思うのでしたら、口出しはしないでくださいな」
「うっ…」
レアが寵妃として来る以前から、妃達と皇帝との関係は冷え込んでいたので、必ずしも彼女のせいだとは言わないが、奇策の魔女を黙らせるには、充分な効果があった。
口に出して謝罪はしないが、皇帝を独り占めしているという事実には、レアも多少罪悪感があった。が、同時にお互い以外が目に入らない性質なのも分かっているため、どうにも仕方がなかった。
「…危険な事は、やめてくれよ」
皇帝である青年も、レア同様の感情があるので、強いことが言えず、額に汗を浮かべている。そんな彼を見つめて、バローナもルイスもにっこりと笑った。
「ご心配には及びません」
「ちょっと、茶会を開くだけですよ。…イリアも手伝ってくれるかしら?」
母からの提案に、娘は驚愕に目を見開くと、頬を高揚させて何度も頷いた。
「イリアもお手伝い、します!」
「なんだか、楽しそうだったね」
これから秘密の打ち合わせをするから、と言われて強制的にその場を追い出されたレアは、隣で同じように追い出されて釈然としない顔をしているカイザックへ笑いかけた。
「…ルイスの遍歴を考えると、若干…いや、かなり心配だな」
「そんなに?」
一体何をするのか気にはなるが、それほど不安になるような事はしないんじゃないかなとレアは思っていた。もしも、何かが起こるのだとしたら、それは相手が何かを仕掛けてきた場合だろう。
「お嫁に行く前に、傷物になったら困るもんね」
「なんだ? ルイスから聞いたのか?」
「見たら分かるよ」
「…見て分かるのは、お前だけだからな」
呆れたように言って、カイザックは隣を歩く少女へ視線を向けた。
殺伐とした戦場で、それはまるで、光り輝く一輪の花だった。
強く気高く、その瞳の見つめる先へ―――そのために、彼女の軍はその如く、命を賭けて自分達に立ちはだかった。
彼らは国を守ると同時に、彼女を何よりも守ろうとした。
時に命を賭け、時にプライドをかなぐり捨てて。
その、どうしようもなく人を惹きつける力が、他へ神の存在を知らしめる力が、自分の目的を完遂するに役に立つ―――そう思った。
でも、もうそんな事を考えていた事すら忘れるほどに、自分の中の彼女の比重は、別の部分に偏っている。危険な目になど合わせる気はない。
「貴方の抱いてる夢はわたしの夢で、貴方の家族はわたしの家族だよ」
カイザックの内心に気付いたのか、レアが笑いながら自分を見上げていた。




