92.午後にお茶でも飲みながら(2)
自分達の後ろ盾なしで皇帝の座に座ったという事は、自分達の影響力が極端に落ちたことを意味する。
自分達の支持はイコール国民の支持、と言う構図が崩れたことになる。
「そうなると、ただの厄介な集団でしかない」
そう口にするカイザックは、本当にしみじみと言った。ここ最近の仕事で足を引っ張っているのが、それであることはその場の誰もが理解できた。
「土地の権利を振りかざし、復興がままならない?」
「それだけじゃない。最近は、道路を通るにも通行料を請求してくる」
「…」
カイザックの返答に、全員が絶句した。そんな事をすれば、物流は滞る。復興も発展も、どちらにとってもマイナスでしかない。
「しかも、皇帝の意向だとか言ってる関所もあるみたいでな。苦情と対策と、教会との駆け引きで、最近忙しいと言う所だ」
「教会、キライ」
教会のせいで父との交流が出来ていないと理解したのか、カイザックの膝の上で、イリアが頬を膨らませた。その頭を撫でながら、カイザックは小さく笑む。なかなか賢い娘だ。
「せっかくの機会だ。これまでの皇族と教会との関係を変えようと思ってる」
「具体的には、どのようにされるおつもりですか?」
ルイスの顔色が青ざめている事を理解し、カイザックは安心させるように笑んで見せる。
「内戦の様な事には、絶対にしない。民や街を焼くような事は…二度と」
ルイスが何を恐れているのか、カイザックには痛いほど分かった。後継者争いで傷付いたのは、自分達だけではない。多くの民が家族を失い、家を失った。
皇帝を巡る争いで、これ以上の痛みは受け入れがたい。
「具体的な方法は検討中だし、お前達に言うつもりはない。わざわざ危険に曝す事を、オレは望んでないんだ」
「…それは、別にいいんだけど」
教えてもらえない事に、誰も文句はない。知ったところで何かが変わる訳でもない。逆に知る者として、危険に曝される可能性の方が願い下げだ。
レアは、不安げなルイスとバローナをこっそりと見つめた。
カイザックの膝の上で、菓子を頬張るイリアは、幼くてかわいい。この子が憂いなく成長し、この国の柱になる事は、自分もまた願うこと。
「手伝うよ」
凛と響いた言葉に、カイザックは驚いて表を上げた。
まっすぐな瑠璃色の瞳と、正面からぶつかる。逃れようがない強い意志の奥に、微かな炎が揺らいでいた。
「…いや、それは―――」
「思い出して、カイザック」
レアの申し出はありがたかったが、この件に関わらせる気のなかったカイザックの言葉を、レアは強い口調で遮った。
驚くほど強い声音に、全員が彼女を振り仰ぐ。
「あの荒野で―――」
小柄なレアの、それでもそこにいたのは、振り仰ぐほどに強い意志。
「ザッカで、わたしが欲しいと最初に思った時、貴方は何を考えたの?」
すくむほどに強い視線に、カイザックはしばらく見返す事しか出来なかった。全てを見通しているその瞳に、呼吸すら忘れる。
乾燥したあの荒野で、少女の短い髪が揺れるのを見ていた。
手に入れることを望んだ時、最初に自分は何と考えたか―――
「『役に立つ』。そう思ったはずだよ」
ゾッとするほどの冷たい視線に、カイザックは息を飲んだ。
(そうだ。役に立つと思った。…教会との因縁に一石を投じる事が出来ると…)
少女の神がかりな力を前にして、畏怖や嫌悪よりもまず、そう考えた。上手く使えば、教会を解体することも可能ではないかとすら、考えた。
「…」
カイザックの無言を肯定と取ったのか、しかし、少女は瞳を緩めて苦笑した。
「言ったはずだよ? 武神でも魔女でも、貴方が望むなら、って」
そうして、にっこりと微笑んだレアの笑顔を、その場の全員が微動だに出来ずに見つめていた。どちらにでもなれる―――彼女はそう言っているのだ。
「…シィー、貴女は…一体…」
場を和ませるためか、冷めてしまった紅茶を口に運んでいたレアは、囁くようなバローナの問いに、困ったように苦笑して見せた。
「何者かという問いかけに、わたし自身が答えを持ってないんだ。何代も前のわたしの魂が、神さまの友達だった。そうだった事を覚えてる。―――だからという訳じゃないけど、少しだけ神さまに手を伸ばせる。…それだけだよ」
神さま―――少年と少女の姿をした『彼ら』が、自分達の様な存在を、どう呼んでいたのか。そこまでは、意識の表層に浮かんでは来ないけれど、彼らがそれらを大切にしていたのは分かる。
神は平等ではない。
しかし同時に、世界に存在する秩序は、残酷なほどに平等だった。
(だから、あの人はあんなに…)
絶対の秩序を壊すほど怒り、狂い、泣き叫んだ。それでも、壊さなかった。
(それは同時に、『世界』をとても愛しているから)
レアは静かに瞳を上げた。
「わたし達の存在は、とても特殊だけど、世界(この国)の在り様を変えてしまうほどの何かが出来る訳じゃないから、教会に乗り込んで、全部を吹っ飛ばすとかは出来ないよ」
出来たら簡単なんだろうけどね。
困ったような笑顔で物騒な事を口にするレアに、もはやバローナは何も言えなかった。なのに、恐怖の感情は湧かない自分自身を、バローナは不思議に思う。
「わたし達、という事は、他にもシィーの様な人がいるの?」
ルイスの問いに、レアはくすりと小さく笑って、カイザックへ視線を動かした。その瞳の動きにつられるように視線を動かしたルイスは、兄の何とも言えない表情に、額に汗が滲むのを感じた。
「…まさか」
「そのまさか、だよ」
レアはますます渋い顔のカイザックを指さす。
「もう一人は、そこですっごく渋い顔をしてる王様だよ」
「指をさすな、指を」
振り払うようにレアの手を下げさせながら、カイザックはバツの悪そうな顔をしつつ、レアを睨む。
「知る人間は、少ない方が良いんじゃないのか?」
「そんな制約はないよ」
対するレアは嬉しそうに笑んでいた。
「家族ぐらいには良いんじゃない? いざとなったら、人知を超えた力で守ってもらえると思ったら、安心じゃない?」
「そう易々と、そんな場面になってたまるか」
「お兄様…」
二人の会話を唖然と見守っていたルイスの呟きに、カイザックはガリガリと頭を掻いた。
「…オレは別に、レアほど何かが出来る訳じゃない」
「剣圧で地面が割れるのに?」
「…空が飛べるわけじゃ―――」
「飛んできた矢は止められるじゃない」
「お前なぁ…」
レアの茶々に、カイザックは諦めたように大きなため息を吐いた。そして、呆然としているバローナやルイスを一回り見つめて、再度ため息をつく。
「オレもレアと同じ。自分の正体に名前を持ってない。化け物にも神にもなれるが、ひとまず、この命が終わるまでは、お前達と変わらない人でいる…つもり」
「…つもり?」
レアの指摘に、カイザックは片眉を上げた。
「家族に手を出されたら、やぶさかではない、という事だ」




