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魔女と王様  作者: 新条れいら
ロイヤ編
88/117

88.二つ名の重み

 貴方は強いと言った少女の瞳は、それなのに悲しそうな色をしていた。


「…―――」


 その唇が何事か形をとった時、その顔が急変した。


 まるで野生動物のように、ビクッと身体を震わせたかと思うと、全身の神経をアンテナにでもしているような形相に変わった。


義姉あね…」


 突然の事にアルファもまた、それまでの会話を忘れた。ロイヤの大軍に百数十で挑み、苦戦させたという将の変化に、何事かと身構えた。


 しかし、周囲は変わらず社交の言葉と腹の探り合う雑多な音が、絶え間なくさざめきのように聞こえてくるだけだった。何かの間違いかと、アルファが肩の力を抜いた時。


「わたしの家族を傷付けるなんて、許さないんだから―――フレア、リズ」


 低く小さく呟いたかと思うと、レアは侍女の二人へ何事か耳打ちする。二人は一瞬戸惑ったような顔をしたが、意を唱えることはせずに、その場を去った。


「ごめんね、アルファ」


 立ち去る侍女達の動向が気になって目で追っていたアルファへ、レアは明るい声をかけた。振り返ったアルファの目に、それまでと変わらないレアの笑顔が映る。


「ちょっと急な用事が出来ちゃったんだ」


 そう言いながら、ソファから彼女は腰を上げた。青いドレスの衣擦れの音が耳に届く。


「また話そうよ」


 瑠璃色の瞳がまたまっすぐに自分を見つめて、笑っていた。思わず口にしかけた言葉は、レアの残した言葉の前に掻き消える。


「弟が出来たみたいで、楽しかったよ」




 どちらの二つ名も不本意だった。


「ただの小娘に付くような物でもない」


 あだ名など、本人が望んで呼ばれる物でもないと言われてしまえばそれまでだったが、簡単に捨てるには、少し重い。


「ソレ(二つ名)は、お前の友が命を賭けてくれた証だろう」


 師匠せんせいにそう言われて、その重みに気付いた。自分は自分でしかない―――それでも、呼ばれる度に重みを忘れてはいけないのだと、思っている。


「時に演じる事も必要な場面もある」


(…師匠。…どうか、少しでも武神に見えますように)




「お前を後宮に入れるのに、どれだけの金を払ったと思っているのだ」


 いつもの小言だと、ざわつく心に言い聞かせながら、それでもバローナはこれから耳にするであろう言葉に備えて身構えた。


 煌びやかな社交の場に出来る影で行われる暗いやり取りを、バローナは黙って受け入れていた。皇帝への慣習の花嫁に選ばれた時、バローナの懐妊が分かった時、踊り出さんばかりに喜んだ一族は、今や自分を目の敵のようにさえ感じているのかと思わざるおえないほどの視線を向けてくる。


 男児を産み落とさなかった役立たず、と。


 自分を見上げる娘の不安げな瞳を思い出し、バローナは思わず固く目を閉じた。滲み出そうになるモノを食い止めるには、それ以外に方法を知らなかった。


「何のために、お前を拾ってやったと思っている」


 申し訳ありません―――そう言わなければならない。固く結んだ美しい唇を動かさなければならない。


 分かっているのに、その時バローナは動けなかった。身体が小さく震えるばかりで、自分の意志を反映してくれなかった。


「何を黙っているのだ。口すらきけなくなったか」


 忌々しげに発せられた言葉に、喉が小さく鳴いた。息すら苦しい。


「意味のない女児など産みよって。お前にはその容姿しかないのだ。あんな田舎娘などに後れを取ってみろ、いい恥さらし―――」


「田舎娘とは、わたしの事でしょうか?」


 薄闇に光が差し込んだ。


 光と同時に、凛とした声がその場を刺すように放たれる。


「誰―――…」


 狼狽した父の声が途中で途切れた。逆光の中に立つ人物の靴音が響くのを、バローナはゆっくりと視線を上げて見つめる。


 小柄なはずの少女―――空気すら震わせるほどのプレッシャーと、ぞっとするほどの美しい瑠璃色の双眸が、まっすぐにキニア男爵を見据えていた。


 身体を震わせて、息を飲んでいた男爵は、しかしすぐに顔色を伺うような笑みを浮かべた。


「…これはこれは…レ―――」


 少女の名を口にしようとしたが、それは少女の一瞥で叶わなかった。男爵が息を飲んで押し黙ったのを確認すると、少女はおもむろに手の中の小さな包みを開く。


 そこにあったモノに、男爵は明らかに狼狽した。


 小さな菓子の一つに、バローナには見えた。ソレを少女は無言で摘まみ、狼狽する父の前でゆっくりと口に入れた。


 父の喉が引きつった短い悲鳴を上げて、その場に尻餅をつく。


 床に腰を抜かして座り込む男爵へ、少女が一歩近づいた。


「『家』と言うしがらみのめんどくささは、わたしも十分に理解していますが…」


 そう言いながら、また一歩と男爵へ近づく。光から影に、その姿が入ってくる。短い茶色の髪が微かに光を帯びて踊っている。


「バローナもイリアも、ガイディウス皇帝陛下の妃となった―――」


 更に一歩近づき、少女は男爵へ顔を近づけた。


「武神アファリアの大事な家族だという事を、決してお忘れなきように…」


 ぞっとするほど静かな声は、その場にいた者を凍りつかせた。キニア男爵などは見るからにガタガタと震え、後ずさろうにも手も足も力など入らない。その震える男の耳に、レアは小さく何事か囁く。


 明らかに脅しの一言だったのだろう、男爵は短い悲鳴を上げた。


「大丈夫か?」


 腰を上げたレアと視線が合った瞬間、腰から砕けて座り込みそうになったバローナを、力強い腕が支えた。


「陛下…」


 自分の腰を強く引き寄せる男を、バローナは見上げた。これほど身体が密着するのは、いつ以来だろうとぼんやりとした頭で考える。


「遅いよ、カイザック」


 腰に手をやって、少女は怒ったように言った。バローナの様子を伺っていた皇帝の視線が動く。


「オレまで脅すつもりか? ソレをなんとかしろ」


 皇帝に言われて、少女は諦めたようにため息を吐いた。そうして、何度か深呼吸を繰り返す。


「少し早いが、帰るか」


 バローナを見下ろして、皇帝は疲れた様な息を吐く。支えたままの腰を引いて、影から光の方へバローナを誘った。その手が、昔に触れたままの優しさと不器用さの混沌に、バローナは胸が苦しくなるのを感じた。


「…ありがとうございます、陛下」


 恐らく男爵から何を言われていたのかも知られているのだろうと、バローナは思った。今までも、実家からの悪意から守ってくれていた。今もきっと、不器用ながら自分を心配してくれているのだろう。


 眩い光の中へ一歩を踏み出しながら、カイザックは小さく笑った。


 柔らかい笑みだった。


「礼なら、レアに言ってください」


 言って、自分達の後ろで、押さえつけては跳ねる自分の髪と格闘する少女を盗み見る。


「貴女の危機に気付いたのは、レアだ。―――家族の危機だと」


 苦笑するように、皇帝は笑った。自分にそんな表情を見せる男を、バローナは初めて見た。


 優しさと不器用さ、そして懺悔の、ない交ぜになったような笑み。


 こんな表情をさせているのは、自分ではない事が悔しくもあり、羨ましくもあった。


「…はい」


 バローナもまた小さく笑んで、応えた。


この辺りを書いてる時に聞いていたのが、『No title』『ヒバナ』『アマテラス』でしょうか。

元ではなく、「歌ってみた」の方です。

いやぁ~今の時代、カラオケで上手い!って人は、こういう活躍の場もあるんだなぁ~って思いつつ。


あとがきネタがなくなってきたので、こんな話題も挿みつつ。


次の話で、バローナ編は終わりです。

バローナには「実は○○が出来る」とかがあったりするので、書きたかったけど、挿む暇なし。

仕方ない…(^_^;)

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