89.バローナの未来
「お父様! お母様!」
部屋に入ると小さな身体が転がるように駆けてきた。
「シーお姉さまも!」
遅れて入って来たレアへ、イリアは歓喜の声を上げた。髪を押えていたレアが嬉しそうに微笑んで、小さなお姫様を抱きしめた。
部屋に設えられていた長椅子へバローナを座らせると、カイザックはレアと戯れるイリアをひょいと抱き上げた。
「ちゃんと食べたか? 子どもはそろそろ寝る時間だろう?」
「お父様、イリアを子ども扱いしないでくださいっ」
「そうだよ。イリアは立派なレディなんだから」
気遣ったつもりが、娘と側室から反感を買ってしまい、カイザックは苦笑した。そんな父をじっと見つめるイリアに気付き、カイザックは首を傾げた。
「今日のイリアのドレス、どう?」
レアが気を利かせて小声で教える。昔からモテていたとは言うが、本人にその手のスキルを上げる気がなかったため、気が利かない。
「あぁ? …モサモサしてて、抱き心地がいまいち、かな?」
「…」
「…馬鹿」
イリアは完全に頬を膨らませてしまっていた。流石のレアも頭を抱える。
髪に合わせた赤いドレスと淡い色のコントラストが、子供らしさと上品さを表現しているのだが、その絶妙さをカイザックもレアも理解はしていない。レアにおいては、イリアは何を着ていても可愛いと思っている。
大々的なパーティーであるため、馬車を屋敷内に留めておくことは出来ないい。そのため、今レア達のいるのは、帰りの馬車を待つ待機部屋だった。
部屋にいるのは、皇帝とその正妃と側室二人、その娘イリア。侍女はモモとアレビアの侍女三人、イリアの乳母だけだった。他の侍女は食事の時間が取れていなかったため、レアが気を利かせて食事をするようにと言伝ていた。
護衛もいない危うさなど感じさせない、空気をカイザックが持っていたため、周囲は立ち入る事を許されなかった。
「女子は難しいな」
バローナの隣に腰かけた皇帝は、小さくため息交じりに、そう言った。
部屋の中央で楽しそうに踊るイリアとレアへ向けられるその双眸を見つめ、そしてバローナは自らの膝の上に置かれた手を見つめた。
「…イリアとは、いつから…?」
バローナの問いの意味を理解していたのか、皇帝は観念したような諦めた様な小さな息を吐くと、ソファに深く背を預けた。
「つい、この間からだ」
自分の知らない間に、娘との仲を父子の関係へ形成させたカイザックの変化に、バローナは気付いていた。否、遠征から帰った時から、気付いていた。
皇帝である青年が、もたれていた背を離し、自らの手を見下ろした。微かな緊張がバローナにも伺い知れた。
「魔女の助言を聞き入れて、『家族』を守ろうと思う」
「…」
青年の声は、普段のそれとは違い、年相応のモノに聞こえた。緊張しているが、決して媚びる色のないところがまた、彼という強い意志を反映しているように思えた。
でも、彼の言う『家族』という枠に、自分は妻という立場にないだろう事も察しがついた。彼は彼女以外の肌に触れる気は、もはやないのだ。
「身勝手な人ですね」
それを理解して、バローナは小さく苦笑した。
側室でありながら、側室としての役目はもはや果たせないのだ。実家に戻る事は出来ず、残りの人生を、後宮という場に捕らわれて生きろと、彼は言う。
「…そうだな。でも、嘘は言えない」
バローナに突きつけられた現実を、彼女自身が十分に分かっていることを理解して、カイザックは重い息を吐いた。しかし、放り出す気もなく、バローナの幸せの為に自己の持てる力を使う覚悟を持っている事も、偽りではなかった。
「分かっています。貴方がまっすぐな事は」
ずっと、一直線に突き進んできた皇帝を見てきた。今、自分に向けられる視線も、言葉も、その想いも、偽りがない事だけは痛いほど分かった。
だから、バローナは小さく笑った。
「分かりました。私も、この場所で幸せになる事に努めます」
名を呼ばれ、レアは振り返った。
バローナとカイザックが、自分達を見つめていた。
その空気に変化を感じて、レアは全てを察した。自分で関係を改善させようと動く決意をしたカイザックを、レアは嬉しくも誇らしく思う。
「なぁに?」
「お前、毒入りの菓子を食べたのか?」
一気にきな臭い話に変わるものだから、レアは思わず眉をひそめた。そんな事、気にするような事でもない。
一瞬、バローナとアレビアに視線を走らせてから、レアはにっこりと笑ってみせる。
「まさか。ちゃんと、すり替えたのを食べたよ?」
まさか、毒が入っていると分かっていて食べる訳がないじゃないと笑って見せた。カイザックの視線が痛かったが、彼が諦めた様なため息を吐くまで、笑顔を張り付けておく。
「シィー様」
困惑しきったバローナの声に、レアは今度は本当に笑って見せた。
「バローナは悪くないから、気にしないで…って無理だろうけど、本当に、申し訳なく思う事はないからね」
そう言いながら、謝罪を拒むことはバローナの心情を汲んでいない事になるかなぁと内心で悩んだ。
「…『家』のしがらみは、まぁ…仕方がないよね」
「…」
ぽりぽりと頬を掻き、曖昧にはにかむレアを、バローナは見上げていた。恐ろしい程のプレッシャーを放ちながら、養父に迫った少女と、目の前の可憐な少女が同一だとはとても思えなかった。それでいて、彼女の根幹はぶれることがない。
「それでも、謝らせてください」
バローナの強い口調に、少女は少し驚いたように彼女を見返した。ぞっとするほど美しい双眸に見つめられ、一瞬目を逸らしたくなったバローナは、しかしその瞳を見つめ返す。
「じゃぁ、この一度だけ。その後は、お互い言いっこなしね」
屈託なくレアは笑った。
その笑顔に、バローナは姿勢を正して深々と頭を下げた。養父の行いに対する謝罪の言葉を口にすると、喉が震えた。
バローナは、一地方の小さな地主の娘だった。キニア男爵家の遠い親類ではあったのだが、バローナの美しさに目を付けた男爵が、養女に迎えた。先帝の好色を見越しての行動だったことは、誰の目にも明らかで、美しければそれでいいと、バローナが勉学に励むことへ良い顔はしなかった。
「賢い女など、生意気なだけだ」
それが男爵の言い分だった。そうして、最低限の手習いの他は与えられなかった。幸いにして、バローナは読書を好んだため、現皇帝の側室候補にも選ばれることになった。
男爵家での生活に、不自由はなかった。後宮での生活は、更に物理的に何も不自由はなかった。なのに、ずっと満たされずにいた。
「顔を上げてよ」
少女の声が優しく撫でるように耳に触れる。
バローナは顔を上げられなかった。零れ落ちていくのは、自分の醜い感情なのか、凍りついていた何かが溶け落ちていくのか。
頬に触れた幼い手のぬくもりに瞼を上げると、イリアの心配そうな碧眼に自分が映っている。
自分と同じ赤毛を撫で、バローナはその小さな身体を抱き寄せた。自分を呼ぶ娘の声に応える様に、頬を寄せる。
「もう独りで泣かなくても良いんだよ」
イリアを抱くバローナごと抱きしめるレアが、小さく囁くように呟いた。
気丈とすら言えるバローナの頬に伝う涙を見つめながら、アレビアは自分の内側がひどくざわめくのを感じていた。
レアが表を上げる。
「しばらく、男爵家からの接触は禁じてよね! カイザック!」
「そうだな。…ちょうど、ルイスの件も決着が付くようだし」
レアの怒ったような提案に、皇帝は苦笑しながら応えた。
「禁じなくても、お前の脅しに打ち勝って何かしてくるような人物には見えなかったがな」
「失礼な。脅してなんてないよ」
「じゃぁ、最後になんて言ったんだ?」
「軽々に悪口など口にされませんように。―――って言っただけ」
「…」
十分に脅しじゃないかと、皇帝は呟く。
そんなやり取りを、終始黙ったまま、アレビアは見つめていた。
深く考えてしまうと、自らの守ってきたものが崩壊してしまいそうだった。
バローナ編終了。
次は、アレビア編ですが、これで終わりでございます。
ここに上げるにあたって、「うぎゃ~」って騒ぎながら編集中です。
結局、総文字数34万近く。文庫本三冊分??
…そう言えば、と思い出して、「アイリス大賞2」の結果を見てみました。
まぁ、選外ですよね。
で、この大賞は一体なんだったっけ?と調べたら、「ファンタジー」で「恋愛」でした。
過去の受賞作品見て、まぁ、実力以前にジャンルが違ったか…と笑ってしまいました。
この大賞は、受賞作を見ると「ティーンズラブ」的なものが該当していて、「そらまぁ…」向こうも困っただろう。
「恋愛」にキュンは必須。
自分の作品にそれはない…(笑)
そんなわけで、まぁ、せっかくだし、次のタグを入れてみました。
今度はちゃんとジャンルを確認して。
わたしのジャンルって、いまいち分からない。
たぶん、ターゲット絞って、対策練って書いてるんじゃなくて、好き勝手に書いてるからだ。
まぁ、楽しいから、良いけど。




