81.教会
イリアとのわだかまりが解消出来たというのに、カイザックは忙しくて三食の食事にすら顔を出していなかった。
「お兄様、お忙しそうですね…」
ルイスの独り言とも取れる声に、レアは水の入った器を口に当てたまま視線を動かした。
一人部屋での食事の味気なさに嫌気がさして、ここ一週間は家族が集う場で食事をしていた。
「忙しいみたいだねぇ。部屋に帰って来るのも日付変わってからだよ」
レアがいなければ、執務室で仮眠をとって誤魔化しているよ、と言って笑いながら、レアを抱き寄せて、すぐに寝入ってしまう。食事を摂らなくても死なない事を良い事に、食事も疎かにしているのではないかと、レアは少々心配もしていた。
レアにあてがわれている部屋は、二階建ての塔の一部屋で、後宮の中でも奥にある。この塔丸々がレアの所有らしい。外観は古く見えるが、王都にある下手な貴族の屋敷よりも広くて立派だ。客人が寝泊まり出来るように部屋は多く、舞踏会でも開けるんじゃないかと思えるような広場もある。
先帝と違って、カイザックは妃が三人しかいないので、これを一人に三つ与えたって余るのだとリリアン女史が教えてくれた。特殊な例として後宮に住んでいるルイスも一つを与えられているが、彼女もまた手に余っているらしい。
自分の部屋へ帰るよりも、拠点がすでにレアの部屋になっているカイザックは、王宮から遠かろうとレアの部屋に帰っていた。
「話す暇もないから、何がそんなに忙しいのかは、分からないけど」
レアの言にルイスは一瞬眉を寄せた。が、すぐに笑みを浮かべる。
「まぁ一年も王座を開けていたのですから、色々雑務は溜まっていますよ」
「手伝うよって言ったんだけどな」
何気なく言ったレアの言葉に、それまで黙っていたバローナが音を立てそうな鋭い視線をレアに向けてきた。
「貴女に何が出来るというのですか」
嫌われている自覚はあったが、ここまで殺気立ったものを向けられたことがなかったレアは、目を瞬かせてバローナを見返した。その様子がさらに気に障ったのか、美しい表に深いしわが刻まれる。
「軍人だったのでしょうが、ロイヤを何も知らない貴女に出来る事などありませんわ」
「…」
醜く歪んだバローナの表をまじまじと見つめて、そしてレアは頷いた。
「そうだね。わたしに出来る事はないよね」
とあっさりと認める。
「バローナが直接話しかけてくれるなんて、嬉しいな」
一瞬唖然としていたバローナは、レアが嬉しそうに言った言葉にカッと怒りに顔を染めた。
「気分が悪いので、失礼します…っ」
震えるような声でそれだけを言って、バローナは席を立った。呼び捨てにするなとか、生意気だとか言いたかったのだろうが、そんな嫌味や文句が相手に通用しないという事をバローナは悟った。
「…お母様…」
「あ、バローナ!」
イリアの困惑した呼びかけは、レアの慌てた様な呼びかけに掻き消えた。これ以上は用事はないと思っていたはずなのに、バローナは不覚にも振り返ってしまった。
瑠璃色の瞳が、まっすぐに自分を見つめている。
「ここ三日ぐらい、顔色が悪いから、医者に診てもらった方が―――」
「大きなお世話です」
レアの言葉を遮り、バローナは足早にその場を立ち去った。その内心に「なぜ」と怒りにまかせた疑問が浮かぶ。
(…なぜ、貴女が気付くの…!)
ドレスに深い皺を刻む。
足早に立ち去って行くバローナの足音を聞きながら、レアは浮き上がっていた腰を椅子に下した。小さくため息をつく。
「リリアン、バローナに医者の手配してもらえる?」
後ろに控えていたリリアンへ、レアは指示する。リリアンは理由を問わずにただ肯定の返事を返してきた。
「あ、わたしが言ったってなると拒否するだろうから、カイザックの指示って事にしてね」
「…分かってしまうと思います」
事の成り行きを見守っていたルイスが口にする。もっともだとレアは頷いた。
「本当はカイザックに言って、医者を手配してもらうつもりだったんだけど、忙しくて話も出来ないから、良いんだよ」
「…顔色が悪いと言うよりは、心象が良くないという様子でいらっしゃったけれど…」
控え目にルイスが意見するのを、レアは苦笑も濃く頷いた。
「だよねぇ。でも、たぶん本当に身体に不調があるよ」
妙に確信めいているレアの言い様に、ルイスはそれ以上疑問を口にしなかった。彼女のこう言う時は、大方その通りなのである。ひと月ほどの付き合いではあるが、その事は理解できた。
「お母様、病気なの?」
イリアの不安げな声に、レアは慌てて手を振る。
「大丈夫だよ。ちょっと最近、食事の量が減ってるから、見てもらうだけだよ」
安心させるようにレアはイリアへ笑いかけた。レアの言葉にルイスは内心で驚いていた。食事の量が減っているなど、バローナの付き人達ですら気付いているか怪しいものだ。
レアのフォローに多少安堵したのか、イリアは頷いて食事を再開した。
バローナの前では気を遣っていたが、それでもイリアとレアが仲良くなった事は誰が見ても分かった。黙々と食事を続けるアレビアもまた、レアが起こし始めた変化に内心で驚いていた。凍えていた空気が融解していく感覚は、否が応でも感じる。
(バローナ様は、それが面白くないのかもしれませんね…)
「アレビアはロイヤの教会に行った事はある?」
俯いたままフォークに野菜を刺そうとしていたアレビアは、突然の呼びかけに飛び上がるほど驚いた。
そんなに驚かなくてもとレアが苦笑した。
「わたしはまだ行った事がなくて。ルイスもイリアも後宮内の教会で祈ってるけど、街の教会には行ったことがないんだって。アレビアはユリミア国出身だから、宗教が違うの?」
アレビアが黙々と食事をしている間に、話は教会の話に移ったらしかった。
「…いえ…私もロイヤの教会へは行ったことがありません」
会話に入ってこない事は気にしないが、呼びかけてくる時はレアに無視は通用しない事を、アレビアはこの一週間で学んでいた。しつこく呼ばれ続けるよりは、さっさと答えてしまった方が、その場をスムーズに切り抜けられる。
そう思わされてしまった事が、すでにレアの手中にあるとはアレビアは気付いていなかった。
堅物なエゲートを落とすことになった同じ手法なのだが、レアの方も分かって使っている訳でもない。
「信じる神が同じなのに、争うなんて馬鹿げてるよね」
自らが軍人であったにも関わらず、レアは平然とそんな事を言う。レアの発言は時として、全てを卓越したモノのそれの様な音を出す。
「人は強欲なのでしょうね」
そんなレアの様子にも、ずい分と慣れたルイスが苦笑気味に言った。
「アレビアも行った事がないんじゃぁ、やっぱり直接行ってみないと分からないかな」
野菜を突きながら言うレアの言葉に、ルイスは首を傾げた。彼女がここまで教会に興味を持つ理由が分からなかったのだ。
「教会で何か気になる事でも?」
言外に自分が調べてみようかと提案したのだが、レアはルイスの言外も良く理解しつつも、低く唸った。
「こればかりは、実際に見てみないと分からないのかも…」
意味もなくサラダを突きながら、レアは呟いた。
その頬にかかる髪が、微かに光を帯びて、ふわりと舞う。
その光がゆっくりと消えていく様を、ルイスはただ黙って見ていた。もう何度も目にしてきた光景だった。
まるで、神と対話でもしているみたいに、その瞳は遥か彼方を見つめている。
「まぁ…」
その光の消えたのを見留め、ルイスは小さく息を吐いた。
「教会よりも先に、行かなければならないところがありますよ」
ルイスの言葉に少々苦い物を感じて、レアは彼女へ視線を向けた。
彼女にしては珍しく、その美しい表を歪めていた。
「アルファ様の、誕生を祝う会が、一週間後です」
それでどうして、ルイスがそんな顔をするのか理解できないレアは、ますます首を傾げた。そんなレアへ、ルイスは仕方がないとでも言うように苦笑して見せる。
「アルファ様は、男児のいらっしゃらないお兄様の―――」
現在、皇帝継承権第一を持つ、カイザックの異母弟。
倒れるように寝台へ身体を横たえる。
医者を進める侍女達を部屋から追い出し、その身体を抱いた。
顔色が悪いと指摘する少女の、その瞳を思い出し、奥歯を噛みしめた。
身はどこまでも重く、すでにどこが痛んでいるのかすら分からなかった。
現在、「クライマックスまっしぐら」な部分を書いておりまして…
この80台のテンションとの違いに戸惑っております。
一瞬、ちょっと書き上げるまで休もうかと思ったんですが、毎回評価を付けてくださってる方もいらっしゃると思うと、休むのはなぁ…
評価、ありがとうございます。
わたしも人様の作品には、ちゃんと足跡付けておこうと思いました!
さてさて。
イリアを始めとしたカイザックの家族との関係構築編の、バローナ編…というところでしょうか。




