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魔女と王様  作者: 新条れいら
ロイヤ編
80/117

80.カイザックとイリア(2)

 草を踏み、近づいてくる足音に、イリアは表を上げた。


 が、その視界に誰かを映すよりも先に、大きな手が彼女の頭を撫でた。あまりの力強さに声も上げられず、目を回し始めた頃、困惑した男が自分を見下ろしていることに気付いた。


「おっ…お父様」


 呼びかけられて、その手は止まった。離れていく手を、イリアは見つめていた。一年前と同じ―――小さなほくろの位置も同じ。


 その向こうに見えるのは、笑顔ではなく、困ったような泣き出すみたいな表情だった。


 しかし、その瞳が一度閉じ、再び開かれた時には、罰の悪そうな笑みが浮かんでいた。


「…お父様…なのね」


「…」


 彼は返事をしなかった。その代わりのように、彼は一呼吸後、イリアの前に跪く。


 不思議な感覚だった。


 いつも遠くから見ているだけだった父王―――決して自分を見る事のなかった父の目が、今は自分だけを見ている。こうやって見れば、ここで出会った彼も、怯えるほどに強い父王も同じ容姿をしていた。


「…」


 何かを口にしようとして、しかし出来ずにイリアは俯いた。


 何を言えばいいのか、分からなかった。


「…ずっと、イリアの事は…いや、バローナもアレビアも…意識しないようにしてきたんだ」


 一年前に聞いた優しい声に、イリアは反射的に表を上げていた。自分を見つめる男は、まるで何かを耐えるような、泣き出しそうな顔をしていた。


「自分から少しでも遠ざけて、それで守ってるつもりでいた」


 男の言葉の意味は、イリアが理解するには難しかった。それでも、そこに浮かぶ心根は幼い胸に小さな音を立てて響いた。


 手を伸ばす。


 大きなその手におずおずと触れる。


 その熱に触れた瞬間、目が急に熱を持ち、鼻が詰まる。喉の奥にしこりが詰まって、イリアは低く呻いた。


「…イリアは」


 嗚咽を振り絞り、イリアは触れた手に必死にしがみついた。


「…お父様に、話しかけても…いいの?」


 言葉にすることをずっと恐れて、心に浮かぶ不安も淋しさも全部を見なかったことにしてきた。でも、一度言葉にしてしまうと、それは堰を切ったように溢れ出す。


「一緒にお散歩も、お茶もしても、いいの…? 前みたいに…」


 初めてこの湖で出会った時のように。


「…笑って、くれる…?」


 ずっとずっと淋しかった。


 本当は、ずっと。




 小さな身体を抱きしめて、ぐっしょりと濡れた頬を拭い、頬を寄せて口づける。


 ずっと淋しかったのだと、その幼い心が震えていた。


(オレは―――)


 その身体と心を諸共もろともに腕に抱きしめて、己の不甲斐無さに自らへ叱責を始めようとした時、何かが自分達を覆った。


 レアの体が自分とイリアを共に抱きしめる。


「…レア」


「後悔しても苦しいだけだよ」


 そう言って、魔女は王とその娘のそれぞれの頬に優しく口付ける。


 見上げた瑠璃色の瞳が本当に嬉しそうに微笑んだので、カイザックは自らがいかに強張っていたのかを理解した。


 腕に軽い重みを感じて、慌てて見下ろすと、泣き疲れたらしいイリアが小さな寝息を立て始めていた。


「後悔はいらないけど、反省はした方が良いね」


「…そうする」


 イリアを抱え直し、カイザックは苦笑した。子ども特有の柔らかい赤毛をそっと撫でる。


「護るって、決めたんでしょう?」


 その様子を黙って見ていたレアが、小さく確認するように問う。そこには伺うというよりは確認するような音色であることを、カイザックは理解していた。


「あぁ」


 そう応える男の意志を見つめ、そしてレアは空を仰いだ。


「わたしも守るよ」


 男の決意に寄り添うようにレアは言った。カイザックの視線がこちらへ向けられていることを理解しつつ、しかしレアは空を仰いだまま、更に空へ腕を伸ばす。


「だから」


 風のざわめく中、レアは空からカイザックへ視線を戻した。


「そのために必要な事には協力するよ」


「…」


 その言葉の意味を、レアが理解しているのかはカイザックには分からなかった。分かって言っているのだとしたら、それはずい分と危険な意味を持つことになる。


 腕の中で身じろいだイリアを見下ろし、彼は小さく息を吐き出した。


「心強いな」


 そう言って腰を上げる。


「さて、いつまでも姿をくらませている訳にもいかないんでな。戻るか」


 言いながらレアへ右手を差し出す。


「…最近忙しそうだね。今日は昼餉にも顔を出さなかったし」


「あぁ、忙しいな」


 右手に触れたレアの手に指を絡め、カイザックはそれだけを応えた。一瞬怪訝そうな顔をしたものの、レアもそれ以上は口にせず、後宮へと足を向ける。


「そう言えば、どうしてイリアとオレが顔見知りだって分かったんだ?」


 もっともな疑問に、レアはイリアの言を伝えた。するとカイザックは眉を寄せる。


「黒髪碧眼と言ったら、このロイヤにどれだけいるんだよ」


「後は右手の、このほくろ」


 彼の疑念ももっともなので、レアは確証に至った根拠を示した。手を繋いでいるカイザックの右手首の下にある、小さなほくろ。


 本人ですら見落としていそうな小さなそれに、案の定カイザックはさらに眉を寄せた。


「お前は、本人ですら覚えてないほくろの位置まで覚えてるのか?」


「おっ、覚えてるわけないじゃないっ!」


 なんてことを言ってくれるのだろうと、レアは真っ赤になって叫んだ。と、イリアが眠っていることを思い出して、慌てて口を塞ぐ。


「じゃぁ、なんで?」


 率直な疑問に、レアは口を噤む。


 しかし、普通の好奇心として知りたがったカイザックの視線に、レアは喉を詰まらせて俯いた。蚊が鳴くような声で言葉を押し出す。


「初めての夜に…」


 気を失う直前、頭を撫でた男の手にそれがある事を、遠のく意識の端で見ていた。


 大きな手に、見つからないくらい小さなそれがアンバランスで、妙に記憶に残った。


(―――なんてこと、言えないっ!)


 顔面に熱を感じながら、レアは力いっぱい瞼を閉じた。


「…っ」


 それ以上の言葉を発しないレアを見下ろして、カイザックは察した。


「その反応で、だいたい分かった」


「分かったの!?」


 ギョッと強張ったレアを、カイザックは面白そうに見下ろす。


「我が妻は、いつになったら赤くならなくなるかな」


毎日、鬼の如く怒っております。

…たまには、抱きしめなければ…そんな反省をする回でした。

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