77.女子は侮れない
その問いかけを聞いたルイスは、すぐにレアの意図を理解した。
「ハイド様がお兄様を嫌いなのは、もうずっと昔からですから、アレビア様との事は、関係ないとは思いますけど…」
そう前置きをすると、レアは自分の意図を理解してくれた事に喜んだ。その笑顔に、ルイスは敵わないなぁと内心苦笑する。
「恋人の様な甘い関係ではありませんでした。かと言って、お互いを無視したようなものでもなくて、…兄妹の様な感じでしたね」
あくまで自分の主観だと付け加える。しかし、自分の主観ではあったが、大方その方向で合っているのも、本当だった。
「…兄妹ねぇ…」
ルイスからの情報に、レアは口の中だけで口ごもり、目だけで空を仰いだ。しかし、すぐに視線を戻す。
「アレビアは、今でもハイドを慕ってると思う?」
レアの口からその言葉が出ることに、ルイスは苦笑した。聞く者が聞けば、正妃を陥れようと画策する側室の弁だ。が、それがそのような意図を持たない事を、ルイスは理解していた。
花の紅茶を口に運び、ルイスは考える。
兄とアレビアの関係は、夫婦という形をとっていない。典型的な政略結婚で、それ以外の関係性は皆無だ。バローナやアレビアよりも先に後宮に居た自分が、二人が話しているところなど一度しか見たことがないのだから、お墨付きである。
だからと言って、アレビアがハイドを慕っているという事にはならないのだが。
「…アレビア様の心の内は、私には分かりませんが、少なくともお兄様に心を許してはいませんわね」
それは、兄が積極的に関わろうとしない事にも原因はある。それでも、初めはルイスも兄の正妃と仲良くなろうと努力して、報われなかった経験がある。彼女は、後宮に来てから誰にも心を許すことも、話す事すら拒絶していた。
「ハイド様といらっしゃった時は、アレビア様、良く笑われてましたから」
それはもう、嬉しそうに微笑んでいたアレビアの姿を思い出す。彼女がまだ幼かったからか、ルイス自身が幼かったからか、そこに恋慕が含まれていたのかは、自分には分からなかった。
「まぁ、自分が19歳で、相手が11歳じゃぁ、良いとこ兄妹だよねぇ」
将来の婚姻相手が幼気な少女では、恋愛感情を抱く方が難しいだろう。それでも優しいハイドは、家族から見放されたように、この国へ送られた少女を放ってはおけなかっただろう。
「ハイドって、優しいでしょう?」
「はい。甘いと感じるほどには、お優しい方ですね」
ルイスの即答にレアは苦笑した。政敵が弟とその幼馴染であって、さぞかしやりにくかっただろう事は想像に難くない。ハイドとミヤのどちらの手腕が勝っているのかは理解していないが、午前の仕事ぶりを見る限り、決して無能ではない。
そんな彼が、仲の良い弟と政敵になって、本気で潰しにかかれなかったのだとしたら、ルイスの言う通り、甘いのだろう。
「まぁ、恋愛感情があるかないかは、あまり関係なさそうだよね。それだけ関係が良かったんなら、今のアレビアの状況は許せないよねぇ…」
「アレビア様が幸せそうなら、ハイド様も納得された…かもしれませんね」
兄の気持ちを汲んであげたいと思いつつも、アレビアの状況の不憫さを思うと味方も出来ないと思うルイスだった。
「二人に直接聞いちゃうのが早いけど、聞いたからって何が出来るかなぁ…」
レアの独白に、ルイスはギョッと身を強張らせた。なんでもない事のように呟いているが、ロイヤにとって、それは一国の運命を左右するほどの大事である。
アレビアの故国ユリミアは、長くロイヤと国境で争ってきた。その争いにロイヤの先帝もユリミアの王も疲れたタイミングが同時であったため、国内の反対世論を除けば、王同士の意見は一致し、比較的スムーズに終戦条約へ漕ぎ付いたのだ。
それでも、お互いの国内にはいまだに、終戦を良しとしない勢力もあり、お互いがお互いの国への干渉を画策している―――という内情がある。
ロイヤへの、ユリミアの影響力を強めようとする動きもまた、その一環だった。
そんな中で結ばれたカイザックとアレビアの婚姻を、どうにか出来るとも、ルイスには到底思えなかった。
(まぁ、複雑そうだよねぇ…)
ルイスのやや青ざめた顔色を盗み見て、レアはポリポリと頬を掻く。
不本意な生き方をした魂は迷う事も多く、傷付いていることも多い。それを神さまが悲しんでいる姿を何度も目にして来た者としては、見るからに生き迷っている二人をどうにかしてあげたいと思っているのだが、事がそう簡単でない事は、事情の良く分からないレアにだって理解できた。
「ハイドがカイザックを嫌いな理由に、心当たりはある?」
カイザックにとって古い馴染みという事は、ルイスにとってもハイドとミヤは古い馴染みという事だ。持ち前の慧眼と、情報収集能力を持つルイスならば、答えを知っているのではないかと言う期待があった。
しかし、ルイスは困ったように首を振る。
「私が物心付くころには、ハイド様はお兄様を嫌っていらっしゃいました。私もそれほどお話しする機会があったわけではありませんが、私には紳士でいらっしゃいましたから、本当にお兄様だけを嫌っていらっしゃるようです」
分別をわきまえた男児が、なぜ露骨までに兄を嫌うのか、ルイスもまた不思議に思ってきた。
「だから私、直接ハイド様にお尋ねした事があります」
「えっ!? なんて言ってたの!?」
まさか直接聞いた人物がいたとは思っていなかったレアは、思わず身を乗り出していた。その様子にルイスは苦笑する。
「シィーの納得する答えではありませんよ。―――あいつは危険な厄災だって」
ルイスの困惑の表を見つめながら、レアはその言葉を口の中で反芻した。
「…やっぱり…」
そして確信にも似た感覚を掴む。
ハイドは自覚がなくても、強い『糸を引く』力を持っている。例えその力を持つことを知らず、使いこなすことが出来ていなくても、本能的にカイザックは危険だと感じていたのだ。きっと、彼自身にも、なぜこれほどまでカイザックを嫌うのかの理由を明確に述べることは出来ないだろう。
「やっぱり?」
怪訝そうなルイスの問いかけに、レアは慌てて苦笑して見せ、浮いた腰を落ち着けた。
例えカイザックの実妹であっても、彼が持っている潜在的なコレを話す事は、レアには憚られた。
二人が悶々としている時、侍女の一人が新たな訪問者に気付いて声をかけてくる。
「お邪魔ですか?」
そう聞いてきた小さな淑女に、レアは胸がキュンキュンするのを感じながら、微笑む。
「そんなわけないよ。イリアにも意見を聞きたいことあるから、来てくれて嬉しい」
レアの返答にイリアは顔を輝かせた。が、すぐに伺うようにルイスへ視線を向ける。
幼いながら大人の都合を敏感に読み取ってしまうイリアに、ルイスは内心複雑な想いも抱きながら、表で笑んで見せた。
「シーお姉さま、聞きたいことってなんですか?」
一通りのお茶を楽しんだところで、イリアはレアへ大きな碧眼の瞳を向けた。
最初は『お母様』と呼んだものだから、レアもルイスもお茶を噴き出しそうになった。確かにレアもイリアへ「三人目の母だ」とは言ったが、バローナからしたら娘が自分以外を『母』と呼ぶのは良い気がしないだろうと言う事で、『姉』で折り合いをつけることにしたのだ。
ちなみに、ルイスは『伯母』で良いのだが、年がレアと同じと聞いて、頭の良いイリアはルイスも『姉』と呼ぶことにすると言う。気を遣いすぎている感もあったのだが、少女二人は受け入れる事にした。
「イリアは、今好きな人いる?」
レアの問いかけにルイスは今度こそお茶を噴き出しそうになった。
レアの事だから、きっと兄とイリアの父子関係を改善させるための質問だと思っていたルイスは、思わず苦笑していた。
レアから率直に聞かれて、イリアの顔が徐々に赤く染まる。答えを聞くまでもない反応に、レアは目を丸くした。
「女子、侮れないっ!」
四歳のイリアが好意を寄せる相手がいるのだから、十一歳だったアレビアがハイドに好意を持っても不思議じゃない―――とレアは言いたかったのだが、ルイスは呆れたように息を吐いた。
「…貴女も女性ですよ」
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