76.ハイドと少年
正直に言えば、物足りない仕事ではあった。
雇い主である男の言う事も理解できたし、元雇い主であるレアにそれが必要であることも分かる―――が、退屈だった。
レアが本当に雇われるのかと、何度も念押ししてきた意味を、今更思い知る。だからと言って、今さらやめようとは思わなかった。
給料も待遇も良い。何よりも、レアを軽視する男共が自分達の一睨みで態度を改めるのだから、愉快でたまらない。そのうち、レア自身にもぐうの音も上げられぬほど負かされるのだと思うと、愉快を通り越して哀れですらある。
しかし、さすが大国だけあって、骨のある奴もいる。そういう奴等を眺めているのも楽しいなどと思うほどには、楽しみも見出し始めたロイヤでの生活一週間。
「野蛮だって言うのは簡単だけど、それを言ってちゃ解決策は出ないからさ」
「しかし、そんな事を周知させて、何の得になる?」
「嫌煙するならそれで良し。それでも利用するなら、気は付けてくれそうじゃない?」
「しかし、それで経営が軌道に乗るのか?」
始業始めはぎこちなかった室内も、昼を前にする頃にはすっかり変化しているのだから、あながち魔女というのも嘘でもない。
そんな事を考えながら、そろそろ終業なので、レアの机の片づけを始めているデッドに声がかかった。
「デッドはどう思う? やっぱり警備をこちらから入れた方が良い?」
「俺に聞きますか」
「だって、デッドも女雅族に会った事あるでしょ?」
レアが今話しているのは、かなり癖の強い部族だ。女系一族で、男は人扱いされない。女に優雅の雅だが、実際は牙と書く。
一族の村に男はなく、男児が生まれれば近くの他部族に譲られる。大昔は男児は山に捨てるわ、男は子種を得るための道具で、事が済んだら鍋に入れられるわで、周辺から恐れられていたが、さすがに今はそれほどでもない。
が、やはり男に対する扱いが酷いため、関わり合いたいとは思わない。
「出来れば、関わりたくない」
レアの問いに、デッドは女雅の族長を思い出しながら言った。
あの皇帝も、良くもまぁ好き好んであんな部族に街道の街の一つを作らせる気になったもんだと、つくづく思う。
案の定と、彼女達の街は全く上手くいっていない。女子のみなので当然と言えば当然だが、建設は遅れているし、派遣されているロイヤの兵とも上手くいっていない。デッドから言わせれば、いっそやめてしまった方が、世の中の男の為にも、女雅族の為にも良い。
「娼館は良い考えだと思ったんだけどなぁ」
デッドの応えに、レアは呟いた。
女ばかりの部族と浮足立った手荒い商人達が舐めてかかった結果、手ひどい仕打ちを受けているというのが、今回の問題だった。レアがこの街へ立ち寄った際、部族長とは殺生しないとの約束が出来ていたから良いものの、それがなければ、すでに死人は十数人に上っているだろう。
「規模をデデの街基準にしてるからダメなんだよ。宿一件、食堂一件、彼女達がやる気があるなら土産物屋一見、銀行はなし。まずはそこから始めないとね」
「収益があるとは思えないが?」
ハイドが女雅族の街の地図を見つめながら言う。ハイドの言葉は当然なので、レアは頷いた。慈善事業ではないのだ。利益も見込まなければ、ただの国のお荷物である。
「今は利益を見込むよりも、彼女達のやる気を出させる方が優先になっちゃうよね」
だが、彼女達に必要性を説明したところで、やる気など出るはずがなく、始める前から前途多難だった。マリーノからロイヤへの帰路で立ち寄ったが、宿屋予定の外観だけが出来ていたに留まり、先に派遣されていたロイヤ兵から困り果てた陳情が大量に上がっている状況だったのだ。
そんな彼女達と、やはり円滑な人間関係を築いたのは、レアだった。
「彼女達にとって、街を経営する利点は、ただ一つ、子種だよ」
他所から男を攫ってきてはと言う状況から、娼館の経営で子種が得られる―――ノーリスクな上に金銭が手に入るのだから、その部分だけは彼女達に受け入れられた。だが、他の施設経営について、彼らに得する部分はない。
「…」
生々しい話に、ハイドはげんなりとした顔をする。
「この世には、まだまだ未知の価値観があるよねぇ」
価値観、とそれだけで片づけてしまうレアに対して、部屋にいた男児全員がげんなりと肩を落とした。
「彼女達は別に他所からの評価なんか気にしないよ。だから、彼女達の事をきちんと知ってもらう方が、より円滑に事は運ぶよ」
本当にそれで良いのかとの疑問もあったが、ハイドはそれ以上の議論を打ち切った。ちょうど午前の終業時刻だ。
「彼女達が周りからの評価を気にしないのは理解したが、周知する前に彼女たち自身に許可を取ってくれよ」
ハイドの言に、言われたレアは一瞬キョトンとした。
「なんだ?」
しかし、すぐににっこりと笑う。
「心遣いの出来る、素敵な人だと思っただけだよ。誰かさんに、爪の垢を飲ませたいぐらい」
その「誰かさん」が誰なのかを理解して、爪の垢すらやりたくないと内心で強く首を振ったハイドだった。
静かな空間に微かな人の気配に気付く。
王宮内にある図書館は街内にある物と違って、普段から人の出入りは少ない。図書館と言うよりは、ロイヤの歴史や古書が多く、一般大衆向けではなく、官吏の勉強の為にあるような場所だった。
だから、人の気配がしたからと言って、彼は気にかけなかった。
いるのは所詮、官吏か書士だろうと思ったのだ。
「その本、どこにあるの?」
だから、そんな風に声をかけられて、彼は心底驚いた。
身を震わせて振り仰いだ先に、大きな瑠璃色の瞳が自分を覗き込んでいて、彼はさらに身を強張らせた。不用意に自分にこれほど接近してくる者はいない。
「ちっ近いっ!」
無礼を憤るよりも先に、彼はその近さに動揺して身を引いた。
「あぁ、ごめんね」
口ではそう言いつつ、突然声をかけてきた者は、彼が身を引いたのをこれ幸いと、さらに彼の手元の本を覗き込んで来た。
女にしては短い茶色の髪が、肩からするすると滑り落ちていくのを、彼は如何ともしがたい気分で見つめる。
着ている服から、官吏職であることは分かった。自分とそう年の変わらない女の官吏など、珍しいを通り越して見たこともないが、ロイヤの官吏は試験と面接さえクリアすれば身分に関係なく門徒は開かれている事で有名だ。彼女がそうであっても、ない話ではない。
「この本の、もうちょっと近代の事が書かれているのを探してるんだけど、どこにあるか知らない?」
そう言いながら、少女は許可なく彼の前に開かれている本をめくった。その動作で微かに揺れたふくよかなラインに、彼は思わず息を飲んだ。
「そんな事、司書に聞け」
「司書さんが見当たらないから、貴方に聞いてるの」
ぷいっと視線を外し、ぶっきら棒に言う彼へ、少女は気を悪くする様子もなく返す。
チラリと視線を向けると、少女はそれに気付いて、にっこりと微笑んだ。屈託のない笑みだった。
「…ER-78の棚だ」
彼が再び視線を逸らすのと、遠くで少女を呼んでいるらしい声が聞こえるのは同時だった。少女が表を上げる。
「はぁ~い! 今行くよ!」
良く通る声が図書館中に響く。少女が慌てて口を押えた。
そうして、彼へ誤魔化すように笑うと、再び無邪気に笑んだ。
「ありがとう! ERの棚、探してみるね!」
言うと同時に、彼が何か言いかけるより早く、踵を返す。その背中はすぐに棚の向こうに隠れ、軽い足音が遠ざかり、誰かと話す微かな声がやがて聞こえなくなるまで、彼はまんじりともしなかった。
心臓が耳に移動したようにうるさく響く。
少女の触れた本に触れる自分の手が、ひどく震えて汗をかいていた。
「…僕を知らないって、…どこの部署の奴だよ…」
吐く息と同時に出る言葉は震える。
自分を見つめた瞳の深さに、少年は深々とため息を吐き出した。
こんにちは。
三が日、楽しんでますか~。
話の内容は、もうちょっと進むときな臭くなってきます(笑)
ようやく、結末までの道が決まりました。
後は書くだけ。
なんだけど、意外とごちゃごちゃしてて、めんどくさそう…(笑)




