73.執務室にて
ハイドと、他の官吏の硬直具合を見とめて、皇帝はレアを背後から抱き上げると、下がらせた。
自分の隣に素直に立った少女が、嬉しそうに自分を見上げてくるのを、カイザックは複雑な心境で見下ろした。
レアが見つけたと言っているのが、以前に言っていた強い『糸を引く者』であることは、すぐに理解できた。彼らは互いの存在で支え合うのだと言う事は、ザッカで軍医から聞いている。お守りを持った今のレアに、必ずしも必要な物ではないにしろ、いるならそれはそれで良いのだろう―――それぐらいの軽い認識だったのだが。
(よりにもよって、ハイドか)
先ほど口にした言葉を、カイザックは内心でも呟く。
自分は、自分が認識しない程度の、遠い『誰か』であって欲しかったのだろう。
ハイドが、重要ではあるが、政治に直接的に関わりのないこの部署にいるのも、自分との関わりを極力減らそうという宰相の意向だ。
ハイドとは後継者争いの中でも、現在でも対立している。彼を政治に関わらせることは、反旗を翻せと言っているようなものだ。つかず離れず、そのくせ謀略など巡らす余裕もないほどには忙しい部署―――宰相も意地が悪いモノだと思う。
レアをこの部署へ付けると決めたのは、自分ではある。軍部以外で、さし当たって彼女の能力がすぐに生きるのが、ここだと判断したのだ。
後は、自分と常に反対の立場にあるハイドが、一体何を考えているのかを、彼女の人と仲良くなる特技で聞き出して欲しかった―――まぁ、コレは単なる好奇心だ。
(オレを本気で殺そうと思ってるわけではないんだろう。憎まれている原因がいまいち分からないんだよなぁ)
そこまで考えて、カイザックは息を吐いた。今はグルグルと考えている場合でもない。
「話は聞いていると思うが、コレが我が新しい妃だ」
気を取り直した皇帝は、その場に集まっている官吏達へ、レアを紹介した。普通なら、こんな紹介は皇帝本人がするような事でもない。その事に、官吏達は目の前の少女の存在の重要さに息を飲んだ。
「レア・シィー・ヴァルハイトです。明日からお世話になります」
皇帝の許可もなく口を開く少女に、その場の官吏達はギョッとした顔をする。だが、皇帝が怒る様子もなく、少女はニコニコと楽しそうに笑っている。
異国の軍服を着る小柄な少女が、嬉しそうに笑んでいるのを、誰もがポカンと見つめていた。
「…って、お世話?」
いち早く気付いたのは、この部署の長であり、少女に手を握られたハイドだった。呆然と呟き、しかし次の瞬間、皇帝を睨み付ける。
「失礼ですが、我々に奥方の相手をしている暇はありません」
ここ一番で空気が凍りつく。
壮絶な後継者争いを勝ち抜いた現皇帝に対して、不遜な口を利けば、どうなるのか誰にも分からない。良くてクビ、下手をすれば命を失くす。
しかし、ここでも皇帝は男の言葉に気分を悪くする様子もなく、小さく肩をすくめて見せた。先程からの皇帝の態度は、普段の威圧感の片鱗もない、年相応の青年の様子だった。
「いて、損はない」
皇帝の短い答えは、少女に対する絶対なる信を感じさせた。
「あ、でも、色々質問するかも」
少女は皇帝とは真逆の事を口にする。
「ずっと軍関係の仕事しかしてないから、何も分からないもの」
皇帝の期待を理解していないのか、初心者発言を愛らしい笑顔のまま言う。
元々、王宮の官吏の大半は男性が占めている。実力主義のロイヤ王宮内ですら、女性の重役はほんの一握り。ただでさえ人手不足気味のこの部署において、仕事の足を引っ張るであろう未経験者の存在―――しかも、皇帝の寵妃で気を遣う―――に、誰もが内心で重い荷物を背負わされた様な気分になるのは、致し方なかった。
ハイドはその総意を口にしたにすぎない。
「お前がするのは、各地からの書状をまとめて割り振る仕事だ。専門的な知識が必要な仕事は、ハイド達がする。書状が来てなければ、ルイスの茶会に出るようにしろ」
ハイドの拒否をいったん無視して、皇帝は傍らの少女へ言った。
「本当にデデ達の窓口っていう役割なんだね。でも、それってわたしじゃなくても良いんじゃない?」
自分の必要性をいまいち認識できないレアは、カイザックに問いかけた。
「では聞くが、例えばデデが見知らぬ人間に相談をするのか?」
逆に問われてしまい、レアは濃いひげ面のデデを脳裏に思い起こして首を振った。
「だろう? 負けて捕らえられて、膝折っていても、オレに噛み付いてくる人間が、簡単に悩み事を打ち明けるとも思えん。経営難に陥っておきながら、黙っていられるのは、この遠征で苦労した意味がない」
東への道を確立するのは、確かに遠征の目的の一つではあった事を思い出し、同時にデデがドシンドシンと地響きをさせながら歩くのを思い出して、レアは苦笑する。
「了解。部族とロイヤのパイプ役になるよ」
口で言うほど易くはない―――西側の街道の運用に日々忙殺される官吏達は、内心で汗を流した。
その内心を敏感に感じ取ったか、不意に表を上げた皇帝は、不敵に笑んだ。
「二週間もすれば、コレなしでは回らなくなるさ」
内心を読み取られ、顔色を失う面々を気にする様子もなく、皇帝は再び少女へ視線を戻した。
「お前の就業は基本、正午までだ」
「え? 忙しい部署なんでしょ? もうちょっと働くよ」
驚いたレアへ、皇帝は憮然とする。
「お前に朝から晩まで働かれては、誰が他の后や娘と仲良くなるんだ?」
「そういう努力は自分でしなさいって、言ってるでしょ」
呆れた様な少女の言葉に、皇帝である青年は笑みを浮かべる。その笑みが随分昔に見たままだったことに、ハイドは驚いた。
「忙しい諸君の時間を割く事はないと考えて良い。新たに増えたマリーノまでの街道から陳情が上がれば、彼女に繋いでくれ。ロイヤへの帰路で、街道の街の責任者とは顔を合わせてあるし、それぞれの部族についても、彼女は詳しい」
部族に詳しい―――そう聞いて、官吏達は驚いた。彼らが苦労しているのはまさに、部族の統率であり、意志疎通だった。
皇帝にそうまで言わしめる少女は、しかし、どう見ても普通の少女に見える。誰もが呆然と少女を見下ろしていると、彼女の背後に立つ二人の大男に嫌でも気付く。視線が合えば殺されかけない雰囲気の二人から慌てて視線を逸らせると、もう一人、女性が付き従っていることに気付く。
「あぁ、その三人は気にしなくて良い。ただの護衛だ」
ただの護衛だと思えない壁の様な存在感に、官吏達は生唾を飲み込む羽目になった。
皇帝が立ち去ると、少女はその場にいた十五人の部署の官吏達に名を訪ね、再びにっこりと笑って頭を下げると、今度は室内をぐるりと見渡し始めた。
「触れないから、少し見ても良いですか? あ、皆さんは終業ですから帰宅してくださいね」
室長であるハイドへ、そう許可を取ろうとして、その顔が歪んでいることにレアは気付いた。
「ハイド?」
「あ? あぁ…」
瑠璃色に見上げられて、男は我に返った。
「触らないでいてくれるなら、かまわない。皆も今日は終業だ。帰って良いぞ」
早口に言うと、ハイドもまた帰り支度を始めるために動く。どんな能力があるか知らないが、気に食わない男の息のかかった女など、極力関わりたくなかった。とは言え、明日からは嫌でも顔を合わせるのだと思うと、気が重い。
「おい、シィ」
手早く荷物をまとめていると、野太い男の声が少女に呼びかけていた。反射的に振り返った先で、巨体が窮屈から解放されるように伸びをする姿が、視界に飛び込んでくる。
「オレ達は明日からこの部屋に缶詰めか?」
「後宮での護衛はモモ一人なのだ、お前達が付くのは当然だろう」
レアが応えるよりも先に、エゲートが赤髪の巨体を睨む。明らかにげんなりと肩を落とした巨体へ、少女は苦笑した。
「モモも休ませてあげないといけないから、王宮での護衛はティンとデッド担当だよ。そこは文句を言わない」
「いえ、私に休みは不要です」
「ほらな、モモもこう言ってる事だし…」
「お給料分は働きなさい」
ティンの言い募る言葉を遮り、少女はピシャリと言ってのけた。大きな肩をがっくりと落としたティンのそれを、デッドが諦めろと言うように叩く。
「モモもそんな最悪な雇用状況を受け入れないで。ちゃんとお休みは取ってよ」
表情も変えずにブラックな事をサラリと言ってのけるモモへ、レアはげんなりと視線を向けた。その表情が、本当に休みなど不要だと言いたげで、レアは頭を抱える。
モモの半分をティンに持っていきたい。
そんな彼らの濃い会話を聞きながら、ハイドは明日からの先行きを思って、一人小さくため息を吐いた。
ハイドとやっとこさ関わってますが、またしばらく登場しません。
色んな所で糸が絡まっちゃってる感じですね。
最初はとても過激だったはずのハイドさんが、書いてると意外に大人しい人物になってしまい…
作者が考えてる展開になりそうにないので、登場人物たちと脳内格闘してます。
人の醜さなど、あんまり書いてても楽しくないので、彼らも気を利かせてくれてるのかも(笑)




