64.皇族(2)
気にしなくていいと、皇帝は言った。
「国によって作法は違うんだ。好きに食べればいいだろう」
何本出てくるんだろうと思うようなナイフとフォークの数に、レアが困っているのを知って、皇帝は笑う。
レアは諦めたようにため息を吐き出した。
「今度、リリアンさんにでも教えてもらうよ」
そう言うと軍服の少女は早々に諦めて、手近なフォークを取ってサラダを食べ始めた。食事の初めはパンと決まっているロイヤの作法を知らないのだと言う事は、その行為だけで周囲に知らしめるに十分だった。
ただ、作法を知らないだけで、所作には品がある。
「でかい二人は、納得したのか?」
皇帝もまた、作法を無視してワインに手を伸ばす。その様子を横目で見つめ、ルイスもまたサラダから手を付けることにした。
「うん。デッドはカイザックがわたしの事を利用しようとしてるんじゃないかって、心配してたみたい。…もうちょっと、誤解を生まないように努めてくれると助かるな」
暗に年上をからかうなと言ったのだが、皇帝は口の端で笑った。
「化け物を見るような目をしていたから、からかいたくなったんだ」
「…今後は、止めてちょうだい」
呆れた様なため息を吐いて、新しい側室の少女はパンに手を伸ばした。スープに浸そうとして、その柔らかい手触りに驚く。
「大体、双剣ともあろう人間が、あれぐらいで驚いてどうする」
(手も触れずに遠くの刺客を気絶させてれば、デッドだって驚くわよ…)
とは口に出さず、柔らかいパンを千切って口に入れる。ほんのりと甘く、今まで食べたパンの中で一番おいしい。
本当においしそうに食べるレアの笑みに、皇帝は満足そうに笑むと自らも食事を進めた。食事の時に、毒の心配をしなくて良いとは、気楽だ。
「そんなこと言ってると、友達になってくれなくなりますよ」
(友達っ!?)
皇帝(兄)に友達という似合わない単語に、ルイスはびっくりしてカイザックを見た。妹の視線に気付いた皇帝が意味深に笑う。
「ティンもデッドも、とても情が深いですからね。三人で共闘しちゃったら、もうティンなんかは、偉そうにふんぞり返ってる弟、ぐらいの認識になっちゃってますよ、きっと」
そうでもなければ、主を選り好みする彼らが、いくら自分の護衛任務であろうとロイヤに雇われてくれるはずがない。
「…あの、シィー様」
再びパンに手を伸ばしていたレアは、呼びかけられた方へ視線を動かす。どこかの段階から食事に意識が向いてないと言う様子のルイスがこちらを見つめて複雑そうな顔をしていた。
「あ、食事中の会話はダメでした?」
普段の感覚で話していたことを思い出し、周囲へ視線を巡らせる。アレビアもバローナもルイスと同様に食事どころではない表情で、自分を見ていた。が、さすがに二人はレアと視線が合うと逸らした。
イリアは気にした様子もなく食事をしていたが、介助する乳母が同じく硬直しているので、手の届く範囲を汚しながらの食事となっていた。
「いえ、食事中の会話はとても大切と考えられていますから…ただその…」
この場で会話が今までほとんどなかった、と聞いて、レアは呆れたようにカイザックを見た。
「呆れた。そりゃぁ、鬱々として当然ですよ。しかめっ面でご飯なんて、消化にも良くないです」
カイザックはその視線を受けて、面白そうに笑いながら、肩をすくめて見せる。
「お前は救世主というわけだ」
「怠惰を救うのは、自分の努力です」
ぴしゃりと言ってのけるレアの言い様に、ルイスはさらに驚いた。兄からの寵愛を受けた娘が遠い国から来たという話は、ルイスの耳にもすでに入っていた。入ってはいたが、信じがたかった。
きっと、政治的背景があって連れてこられた姫なのだろうと、ルイスはそう当たりを付けていた。
なのに、先ほどから繰り広げられる会話の応酬は、深層の令嬢が口にするものでもなければ、故郷を遠く離れて敵地へ送り出された哀愁の姫のものでもない。所作に一定の品を感じるところから、それなりの身分の者であることだけは伺えた。
遠い昔、兄とミヤとの間で交わされていたソレに近い。
「あの、シィー様。差支えなければ、シィー様の事をお聞きしてもよろしいですか?」
皿の上に初めて見る白いクリーム状の物を熱心に見つめていたレアは、ルイスの言葉に首を傾げ、しかしすぐにルイスが先ほどの間に居なかったことを思い出す。
「レアは、マリーノの将軍だ。五万のロイヤに百五十で挑んでくるような、な」
レアが応えるよりも先に、皇帝は妹へ教えた。
「…えっ」
女性が軍にいるという事自体信じられないのに、その軍の将。しかも、歴然の差のある戦に立ち向かう精神を持つという。ルイスはどれに自分が驚いているのかも分からなくなった。
しかし、同時に、皇帝である兄とこれほど対等に話が出来る理由を、納得もした。
「…野蛮な…」
その呟きは意外なほどその場に響き、言葉を放ったバローナはハッと口を押えた。が、言葉が消えるはずもなく、皇帝に眇められて、扇で顔を覆った。
しかし、レアは苦笑した。
「野蛮ですよ、戦なんて」
あっさりと肯定する。そのきっぱりと言い放つ言葉に、アレビアもバローナも表を上げた。それを見て、レアはますます苦笑する。
「しなくて良いなら、…逃げても良いなら、逃げます。でも、逃げたら、あの小さな国なんて踏みつぶされて跡形も残りません。だから、戦うしかなかった」
逃げろと幾人もの友は言ってくれた。その多くの友は、もうこの世にはいない。
「窮鼠は猫を噛むんですよ。噛み付いて少しばかり躊躇してくれたら、民は踏み潰されずに済むかなと。同じ死ぬのなら、望む未来の為に行動しなくちゃ、後悔するでしょう?」
物騒な事を穏やかな笑顔で言われ、女性陣はポカンとレアを見つめていた。
「…後悔…」
ポツリと呟く言葉を耳にして、レアはアレビアへ視線を向けた。呆然とするその美しい顔が、微かに歪むのをレアは見ていた。
「こうしておけば良かったと、未練を残して死んでしまうと、神さまが悲しまれますからね」
そう言ってにっこりと微笑んだ。
「立場もおありでしょうから、難しい事もあるとは思いますけど」
レアの言葉に、アレビアは何事か口にしようと口を開きかけ、しかし、静かに閉じてレアから視線すら逸らせてしまう。レアはその様子をじっと見ていた。
「シィー様は、信心深いのですね」
ルイスの言葉に、レアはびっくりした。
自分の事はシィで良いと最初に付け加えてから、レアは首を傾げた。
「信心深いなんて、初めて言われました」
「そうなんですか? 神の願いを口にされるから、てっきり…」
もはや食事どころではない様子のルイスは、自己の好奇心ゆえかやや前のめりになっていた。
「レアはアファリアの憑代だ。神が身近なために、簡単にそう言う単語が出てくる」
「アファリアの憑代?」
一瞬、何を言われているのか理解できなかったらしいルイスの反復を聞きながら、レアはカイザックへ胡乱げな視線を向けた。
「…結局、そちらで売り込むんですか?」
「お前に関わって、誰がお前を普通の娘だと思うんだ? 勝手に魔女だと騒がれる前に、先手を打っておく方が良い。それとも、火刑にでもなりたいのか?」
「…遠慮しておきます」
本日二度目のやり取りに、レアはため息を吐いた。カイザックの言うことも一理ある。先手を打っておくことは悪い事ではないような気がした。
「ちなみに、ロイヤで神と言えば、誰なんですか?」
「ゼウスだ」
その名をレアは口の中だけで反復する。
「なんだ? 会った事があるのか?」
「いいえ。…会っているかもしれませんが、わたしが名前を知っているのは神さまと聖魔さまだけだから」
誰がゼウスか分からない、そう言おうとして、周囲の視線にレアは口を閉じた。カイザックだけが、愉快そうに喉の奥で笑っている。
「うっかり、そんな事を口走るお前を、誰が普通だと思う?」
「今のは、カイザックが悪いんじゃないっ!」
頬を膨らませて怒るレアは、怒りに任せてフォークをチーズに突き立てた。
あぁ~!!!
クリスマスカード、作るの忘れてたっ!!!
やばいっ!!




