57.道中
ロイヤに屈服して四ヶ月が経った。
ガデル族を配下に入れてすぐに、ロイヤ軍とマリーノ軍が衝突した事までは知っている。
ひと月経ち、ふた月が経っても、勝敗が届いてこない事に、デデは内心で「ほれ見たことか」と嘲笑っていた。
マリーノ軍の将が魔女である事は、この長い戦時が何よりの証拠であった。
幾度となく魔女と対してきた。
その師であるルイグースの後ろに控えていた、幼い少女であった時からの面識もある。その奇抜な策と戦術に、毎度苦虫を噛み潰しながら、協定を何度も結んできたのだ。
だから確信があった。
あの魔女と対峙して、いかなロイヤであろうとも、ただでは済まない、と。
三月が過ぎた頃、ロイヤ兵の一部が引き上げてきた。
「この辺りは街道になる。小さくていい。街を作って管理をしてもらう」
元々、騎馬民族の風習の強いガデル族に、街を作って運営する知識はない。そう訴えると、指揮を任されているであろう男は理解していたのか、ガデル族も加えた組織を立ち上げると、急ピッチで街を造り始めた。
「急いでくれ。陛下がお帰りになる時には、あらかた形が整ってないといけないんだ」
そう言ってガデルも自国の兵をも急き立てる。
そうして二週間で、五軒の宿屋に飲食店、ガデル族には用途の分からない店を何軒か建てていった。奴隷労働とは言わないが、この二週間は作った事もない建造物を、今後自分達で建てられるようにとのスパルタ教育が行われたおかげで、屈強なガデルの男たちもヘトヘトになった。
「いやぁ、すごいじゃないか。宿が機能してる!」
三週間が過ぎ、今度は営業を叩き込まれている頃に、ロイヤからある一団が街に寄った。これが第一の客人となった。
「ベッドで寝られるなんて、最高だよ。ありがたい」
軍人とは違う制服を着た、メガネの青年はデデに感謝を述べた。
「一つ前の、サザ族の街はまだ外側しか出来ていなかったから、こちらもそうかと思っていたけれど、すごいじゃないか」
才能あるよと、ジャック・ミヤ・レトリマスと名乗った青年はデデを褒めた。年はあの皇帝とあまり変わらないように見えた。違う点は、皇帝が抜身の刃なら、こちらは懐に隠し持った短刀の様な印象を与える。
(どちらにしても、危ないな)
慣れない建設と営業に対する称賛をとりあえず、表面上は素直に喜んで見せて、デデは首をすくめた。
「後ひと月ほどで、陛下がここを通って帰国されるだろうから、それまでに街の運用を覚えておいてほしい。相談役はしばらくは置いておけるが、いずれは君たち自身で好きに運用してもらうから」
ロイヤから極東のマリーノまでを結ぶ街道に、それぞれの部族の運営する街を造っているのだと青年は話した。人や物を動かし、経済を発展させることがロイヤの目的の一つであると、建設監督の男からは聞いていた。
だが、青年の続く話は驚くものだった。
「軌道に乗るまでは、資金も出すよ。自分の懐に入れることさえしなければ、街と部族を繁栄させることに使ってくれてかまわない」
「…そう言って、売り上げは全部ロイヤの物なんだろう?」
デデの不穏な空気を纏った言葉に、青年は目を丸くすると、苦笑した。
「そう思うのは当然だね。でも、売り上げを巻き上げる気はロイヤにはないよ。ロイヤがそれぞれの街に求めるのは、三つ」
青年はデデの前で、三本の指を立てた。
「一つは、街の健全な運用」
一本目の指を折った。
「二つ目は、こちらの求める情報の提示」
情報と聞いて、デデは一瞬目を丸くした。その様子に青年は意味深に笑んだ。
「三つ目は、万が一の時の、協力」
「…」
青年の瞳の奥にある色に、デデは息を飲んだ。額から汗が流れる。
「別に前線に出ろなんて言わないよ。物資なんかの提供をお願いする…かも」
「…かも?」
そう、と青年は頷いた。
「戦なんて、ない方が良いに決まってるでしょ」
漆黒の馬にまたがった皇帝を出迎えた時、あの青年の最後の言葉が脳裏を過った。
(…良く、あんなのと戦ったもんだな)
四か月前に見た時には怒りで分からなかった、恐ろしい程の存在感。全てを充実させた器に見えた。
「到着が遅くなった。待たせて悪かったな」
(…あれ?)
馬上からそう言った皇帝の言葉に、デデは首を傾げた。
喉元に突きつけられる刃のような恐ろしい程の雰囲気が、嘘のように感じない。
「明日も早い。早々に休みたい」
「あぁ、分かった」
促されて、デデは慌てて学んだばかりの営業のイロハを思い出そうとした。
「ミヤから、ガデル族へ説明は済んでいると聞いているが?」
出された盃に手をかけながら、皇帝はデデに視線を向けた。その視線に以前に向けられた鋭さが見留められず、デデは本当にコレがあの皇帝かと困惑した。が、戸惑ってばかりもいられない。
「資金援助を受ける代わりに、三つの条件は聞いた」
皇帝は満足そうに頷いた。
「何か不満があれば聞くが」
「…いや」
何をどこまで言っていいのか分からず、デデは口ごもった。言葉少ないデデの様子に、皇帝である青年は、気付かれないほど微かに口元を上げる。
「そう言えば、貴殿が言っていた魔女に逢った」
デデが勢いよく表を上げたのを、カイザックはにやりと笑んで見つめた。
「…あいつは、どうなった?」
「長年の宿敵の生死が気になるか?」
生死、と聞いたデデの顔色がサッと変わった。それを理解してか、皇帝が背後へ合図を送る。その動作で後ろに下がった側近を見留め、デデは奥歯を噛みしめた。
「…あいつの、生首でも見せるつもりかっ!」
絞り出した様なデデの声と、乗り出さんばかりの勢いに、皇帝の背後に控えていた一人が動く。それを片手で制し、皇帝は肘をついてデデを面白そうに見つめる。
「カイザック、自分より年上の人をからかうのは止めた方がいいよ」
呆れた様なその声音に、デデは大きな体を硬直させた。皇帝が面白そうに笑い、席を立つと、背後から現れたドレスを着た少女をエスコートのために、手を差し出した。
「からかった覚えはないぞ。族長が勝手に勘違いしただけだ」
少女が諦めたようにため息をついて、その手を取った。
皇帝の隣に座った、淡い青のドレスを着た少女の、瑠璃色の瞳がゆっくりと瞼を上げて、デデをまっすぐ見つめた。
「お久しぶり、デデ」
それが誰であるのか、理解するまでにデデは時間が必要だった。頭では分かっている。この声も、その瞳も。
「…魔女…?」
呆然と自分を見つめるデデに、レアは呆れた。
「ドレスを着ただけで、そんなに驚くの?」
「お前は着飾ると、別人なんだぞ?」
レアに続いて、自分の席に戻った皇帝が面白そうに笑った。
「喜んでいいのか、分からないなぁ」
少女の苦笑交じりの笑顔を、デデは穴が開くほど凝視した。自分達とも国境付近で小競り合いをしていたが、ロイヤとは、国の存亡をかけて死闘を繰り広げたはずだ。なのになぜ、これほど打ち解けているのだろうか。
しかも、いつもこちらが見ていて苦しくなるほど、軍服をきっちりと着込んでいたのに、今は白い肩を見せている。
「デデ、わたし、怒ってるんだからね!」
思い出したように目の前の少女が自分を睨んだ。その瞳に映る怒りに、デデはぎくりと身を強張らせる。
「貴方が散々、魔女魔女と布教してくれたお陰で、ロイヤの王都にまで魔女って噂が届いてるんだから」
「…」
何を言われるかと身構えていたデデは、全身から力が抜けるのを感じて、その場に巨体を沈ませた。
急に腹の辺りから笑いが起こる。デデが突然弾かれたように笑い出して、レアはポカンとその様子を見つめた。皇帝の前だと言う事も忘れて、自分の衝動のままに笑った。
こんな、おかしなことがあるだろうか。
「くくくっ…! いや、お前は魔女だ。魔女でなければ、なぜ、お前の隣にロイヤの皇帝がいる?」
「…それ、魔女は関係ないでしょ」
レアの呆れた様な返答に、デデは再び空気を震わせて笑った。
一通り満足するまで笑うと、デデはチラリと皇帝へ視線を向けた。
「魔女の術にかかりましたかな?」
デデの視線に、カイザックは面白そうに肩をすくめてみせた。
「貴殿の好きに忖度してもらって構わん」
「やはり、魔女に違いない」
力強く確信めいて言われ、レアは呆れたとでも言いたげに、ため息を漏らした。
「息子がお前に惚れていた。お前に勝ったら、嫁に迎えてやろうと思っていたのだがな」
「…何を勝手に」
上から下まで再度見てくるデデの視線に、レアは腰に手をやり、頬を膨らませた。
「わたしは戦利品じゃありません!」
「そう言う割に、オレに自分を差し出したじゃないか」
レアの怒りに、皇帝が茶々を入れる。言われるまで気付かなかったのか、レアはギョッと身を強張らせた。
「…それは、…まぁ、出せる物が自分の身一つしかなかったから…」
「お前らしいよ」
皇帝は笑うと、レアに食事を促した。
「敵対していたとは言っても、旧知の仲だろう。オレには言えなくても、お前になら言えると言う事もある。大体、オレは騎馬民族に明るくないしな」
そう言うと皇帝は席を立った。
「カイザックは食べないの?」
「話が終わったら声をかけてくれ。食事はそこからで良い」
皇帝が残り物を食べるのか?と内心、冷や汗をかいたデデだった。だが、当の皇帝本人に気にした様子はない。
「一応、護衛は置いておく。じゃぁ、後で」
皇帝の唇がレアの額に触れた。咄嗟に逃げ切れなかったレアが、真っ赤になっていく様を、デデはポカンと見つめていた。
「…なんと言うか…ずい分と親しげだな」
あまりの光景にデデは呆然と言った。未だに紅い顔で、レアは気を取り直すように小さく咳払いをした。
「ガデル族は騎馬民族でしょ。定住型の街を運営なんて困ってるかと思って」
「…当たり前だ」
皇帝とレアの関係も気になったが、ひとまず脇に置いておくしかなさそうな事を理解して、デデもまた咳払いをした。
「…街道の主旨も、オレ達部族がその人員なのも理解している。特に不満はないが、部族の中には初めての事に戸惑う者も多い」
「そりゃそうだよね」
定住なんてしたことがない、ましてや商いなど初めての彼らに、いきなり街を一つ管理させるなんて、大胆を通り越して、無謀に近い。
「デデが統括してるのは聞いてるよ。補佐はマルタなの? それともデバ?」
マルタはデデの妻で、デバは息子である。ガデル族は家族単位で物事を行うから、統括もデデ一家が担っているのだろうと、レアは当たりをつけていた。
「宿や飲食街は女向きの仕事だから、マルタに任せている。建設はデバに、警備はヒマタと兼任でデバに任せている」
「ヒマタに出てこられたら、酔って暴れてても酔いが醒めそう…」
熊かと思うような巨体の、デデの従兄弟ヒマタを思い出し、レアは苦笑した。
「それぞれに問題点もあるだろうから、彼らも呼んでもらえる?」
レアの提案に、デデも頷いた。
「ずいぶんと盛り上がってるようだな」
二刻ほど経って、視察を終わらせてしまっても声がかからないので、カイザックは先ほどの夕餉の場に戻る事にした。そこで目にしたのは、熊の様な大男が勢いよく酒を煽る一幕だった。
「あ、カイザック。今、呼ぼうと思ってたところだよ」
レアの手元に書記として置いて行ったハッカの報告書がある事に気付く。
「結構な量だな」
「彼らの生活に合わせて、改善できるところとか相談したの。これで可能かどうかは判断してね」
言って紙束をカイザックに差し出した。
「なんだ、食事してなかったのか?」
レアの前にある食事が全く減っていない事に気付き、カイザックはレアの隣に座るとブドウの粒をレアの口に突っ込んだ。
「白熱しちゃって」
もごもごと口を動かしながら、レアは答えた。そのやり取りをじっと見ていた一人の男が席を立つ。
「あんた、シィーとはどういう関係だ!?」
この質問に、カイザックは質問者へ初めて視線を向けた。
「あぁ、デデの長男でデバだよ。隣はデデの奥さんのマルタ。巨体は従兄弟のヒマタ」
「さっき言ってた、お前に好意を持ってる息子か」
デバの敵意の視線の意味に納得して、カイザックは頷いた。二人の関係がいかなるものなのか気になっていたデデも、人知れず息を飲む。
「わたし、カイザックの側室になったの」
さて、どうやってからかおうかなと考えていたカイザックの内心を理解して、レアは先に言った。先起こされた事よりも、レア自身がこの手の会話に自分から言及した事に、カイザックは驚いた。
「そ…側室?」
「えーっと、第二?第三夫人?かな?」
「なっ…」
デバの絶句後、彼の肩がブルブル震えているのをカイザックは見るともなしに見ていた。
「シィ! 俺の嫁になれ! そんな女ったらしの所に行く必要ない!」
「…女ったらしとは、初めて言われたな」
「まぁ、ガデル族は一人の妻を一生大事にするって定評がありますからねぇ」
デバの怒りの声に、カイザックは目を丸くし、レアは冷静に返した。
「俺はお前の事、一生―――」
「この人はわたしの半身なの」
デバの言葉を遮るように、レアの良く通る声が響いた。男女の事情に疎く、すぐに真っ赤になるレアの言葉に、カイザックも驚いたように視線を向けた。
「だから、わたしはロイヤに行くよ」
好きだとか愛しているだとか、そんな言葉よりも強い意志を持つそれに、デバはレアを見つめたまま脱力したように座り込んだ。
「そこは愛していると言って欲しいな」
「なっ!」
レアの腰を引き寄せて、カイザックは笑った。
「大好きでも良いぞ」
「わっ! そっ、そういうこと言ってからかうの、やめて」
指先まで真っ赤になっているその手に指を絡めて、カイザックは嬉しくてたまらないとでも言うように、指先に唇を寄せた。
「やっと抱き枕から、伴侶の自覚が出てくれて、嬉しいよ」
「仲が良い事は分かりましたから、早く食事を済ませて休んでください」
明日も早いんですから、とジルドに釘を刺されて、ようやくカイザックは自身の空腹に気付いた。
「ロイヤに着くまでに、あと何人がお前に求婚するかな」
「…デバは特殊ですよ。敵対している相手の将を、そんな簡単に好きになったりしませんよ」
「お前は分かっていないな」
失恋中のデバへ酒を渡すように指示をしながら、カイザックは言った。
「デデが、お前は魔女だと言っただろう」
『ロイヤへの道中に、レアがデデに怒る』と言うのが、一つの目的だったので、
ロイヤ編に入る前にショートショートを入れました。
前線の戦死者たちへの手向けもあったけど、暗くなるし、本編が絡みやすくなるので、落ち着いたら追加しようかなと。
文字数が、だいたいいつもの倍です。
上手く分けられなかったので、そのまま…。
さて、いよいよ、ロイヤ編。
アレもコレもと、まとまりのない話が頭で巡っているので、それを束ねるところから始めます。
この投稿が出るまでには、ロイヤ編、書き始めたいな。




