56.少年と王様。少女と少年の夢。
二度目の邂逅が果たされるとは思っていなかった。
漆黒の闇に緑の光沢の髪、黒かと見紛うほどに深い緑の瞳。
一度目よりもはっきりとその存在を認識できることに、カイザックは気付いた。一度目には気付かなかったが、深淵の様子も以前よりも鮮明に理解できる。
カイザックの内心を知っているのか、少年は小さな苦笑を漏らす。
「散々、説明不足だと言ってくれたようだな」
少年の姿に似つかわしくない、老齢な苦笑だった。
「あんたからは何も聞かされてないからな」
上の立場から物を言われることに慣れていないせいか、カイザックは微かな不快感を滲ませる。その言葉に、少年は微かに驚いたように目を見開き、そして、驚くほど幼い無邪気な笑みで笑う。少し、困ったような。
「何がおかしい。本当の事だろう」
「いや、あんたは正しいよ。ただ、今を生きているあんたに、ごちゃごちゃと説明して、今を生きにくくする必要はないと思っていた」
どこか諦めたような、それでいて喜んでいるような、―――そんな笑み。
「でも、忘れていた。あんたはオレに近い方だったな」
何かを懐かしむように少年は笑う。
「護るために、他の何をも引き換えに出来る。そんな奴に神の制約や分別など意味はない」
それは自分もまた、そうだと言っているのだ。護るために、節理すら歪めてしまえると。
「お前の矜持に反しないのであれば、持てる力を使えばいい。その罪を魂に抱く事にはなるが、そんなもの、あんたは少しも恐れはしないだろう?」
それは確信に満ちた言葉だった。
その笑みを、カイザックは知っていると思った。
どこでどのように知っているのか、それは分からない。なのに、ひどく懐かしく感じる。
「…まだ、思い出さなくていい」
思い出そうと意識を探るカイザックに、少年は言った。
「余計なことまで思い出して、あいつ等に見つかる必要はない」
「あいつ等?」
少年は一度口を開きかけ、閉じた。そして、僅かな時間逡巡し、カイザックをまっすぐに見つめた。
「お前達のように、魂の真価の上がった者を狙ってくる者がある。お守りは元来、その者達から、お前達を隠し守るためのものだ」
少年の逡巡の理由を理解して、カイザックはため息を吐いた。そんなスケールの話をされても、実感どころか現実味を感じないからだ。しかし、本当の話である事もまた知っている。
「今はそれで良いんだ。今を悩み苦しみ、幸せに生きてくれる事が、オレ達の願いだ」
願いと聞いて、カイザックは自分の内側のざわつくのを感じた。昔にも、同じ言葉を聞いたと思った。
「オレはあんたを知っているのか?」
口をついて出た問いの奇妙さに、カイザックは顔を歪めた。少年の目元だけが微かに緩む。
「千年の刻の中の何処かに」
瞼を上げると、少女が自分を覗き込んでいた。
「聖魔さまに逢ってたの?」
夜明け前のもっとも闇深い空が窓の外に見える。明かりもない部屋で、なぜそれがこうもはっきりと分かるのか、ぼんやりとした頭で考える。
レアが小さく笑った。
「カイザック、知ってた? 今の貴方の瞳は深い緑色をしてるんだよ」
「?」
「聖魔さまの影響が、今だけ、少し強いんだよ。…あぁ、戻ったよ」
いつもの綺麗な青、とレアの細い指先が目じりを優しく撫でる。重い身体が溶けるように、カイザックはゆっくりと息を吐き出した。
「…レアは、あいつを知っているのか?」
しばらく息の仕方も忘れていたかのような肺に、ぎこちない呼吸を繰り返しながら、カイザックはレアへ腕を伸ばした。
「聖魔さまのこと?」
その腕が頬に触れる。彼の内面の混乱を感じて、レアは小さく苦笑した。自分も幼い頃は、現実と夢との区別が出来ずに、良く混乱していた。
「神さまの半身で、聖魔さまって呼ばれてる事しか」
その手に抱かれ、送り出された輪廻の果てが、ここだという事ぐらいは分かっている。
「わたし達が思い出すこと、望んでないんだよ」
空一面に張った網の先、神さまへ手を伸ばすことも、彼らはあまり良しとは思っていない。今ここにある生を、存分に生きることを望んでいる。
「…旧知に認識されないって、辛くないのか?」
思い出さなくていいと言った少年の、瞳を思い出す。以前はすぐに忘れたのに、今ならその心の在り様すら分かるような気がするのだ。
「カイザックがそう思ったから、覚えていられるんだよ」
「…そんな曖昧なもので…」
レアの指がカイザックの前髪を撫でる。
「曖昧だからこそ、なのかも」
その想いだけで全てが成し遂げられてしまう。他人を幸せにすることも、恐ろしい狂気の事象も、その想いだけで、とても簡単に成ってしまう。
「矜持に反しなければ…」
「なぁに?」
カイザックの呟きにレアは首を傾けた。短い髪がその頬にかかる様を見つめ、カイザックは目を閉じる。
「いや、なんでもない」
微かに光を帯びる、白の空間に足を降ろす。
柔らかい光に包まれた部屋にあるのは、大きな寝台だけ。薄い天蓋に手をかけると、揺れるそれらが微かに光を纏う。
「眠っているのか?」
広い寝台の隅っこで眠る少女の頬に触れる。長いセピアの髪が指に絡み、少年はそれへ口付けた。
遠い過去を思い出し、小さく笑った。
「和也君に逢いに行ったの?」
寝台から声が上がった。少女の傍らに腰を下ろしていた少年は、たくさんのクッションに埋もれる少女を覗き込んで笑った。
「今は和也じゃない」
「そうだったね」
肯定して、少女はゆっくりと身を起こした。動く度に光が舞う様を、少年の目が追う。
「迎えに行く時まで、もう会わないって言ってたのに」
少女の笑い含みの声音に、少年は苦笑した。
「あいつが説明不足だって、怒ってるようだったから」
「現世を生きてる間は、必要ないのにね」
少女は少し困ったように笑い、そして少年の頬に触れた。
「嬉しそうだね」
彼にしては珍しく、外見の年相応の、喜びが滲むような笑みが浮かんでいた。
「そうだな。もしかしたら、オレはずっと逢いたかったのかもしれないな」
嬉しそうに笑んだ少年の笑みに釣られるように、少女もまた微笑む。
これまでの数えきれない出会いの中で、唯一、彼がもう一度逢おうと『約束』を交わした相手。いつ果たされるとも知れない、その曖昧な『約束』を、期待して待てるほど、自分達もまた幼くはいられなかった。
それでも、心のどこかで期待していたのかもしれない。
千年の刻も一瞬だったと、彼は少女の腕の中で呟いた。
この話が、今後どこまで『魔女と王様』にかかわってくるかは、全くの未定。
ごちゃごちゃするので、極力入れない予定ではあるけれど。




