31.自覚
ティンがヴァルハイト邸に着いた頃、ザッカ前線ではマリーノへ出発する計画の具体案が話し合われていた。
ロイヤ軍からは第一部隊のジルドを筆頭に十部隊までの将軍が十人。マリーノからは副官のセイルと傭兵代表のデッド、そして負傷者の状況を踏まえた進軍計画を立てなければならなかったために軍医のホルスが呼ばれていた。
「では、明日から午前に移動、午後は休息を繰り返して、七日の進軍とする。マリーノへ向かうのは第一から七まで。残りは速やかに王都へ帰国できるよう、道中の野営地点並びに中継年の調整を任務とする」
第三隊の一部は先に帰国する負傷者たちに付き合うため、二つに分かれる事になるが、バスはマリーノへ向かう側だった。
「本当はもう少し兵の数が少なくても良かったが、武力が背景にあった方が、話が早そうなんで連れて行くことにした」
弱小国相手に3万も軍はいらないのではないかと言う意見に、男は不敵な笑みを浮かべて、そう説明した。その、あまりの底知れぬ笑みに、問うた将軍も、武力を背景にされるマリーノ側も生唾を飲むことになった。
その後は、マリーノにおいての配陣と、物資の状況を確認し合い、大きな反論もないという事で小一時間ほどで話は着いてしまった。
「では、各自明日に用意せよ―――あぁ、デッド殿、ちょっと相談があるから残ってくれ」
解散の号令を出しながら、男はデッドを呼び止めた。
呼び止められる理由が分からないのか、デッドは副官セイルと顔を見合わせる。
「セイル殿にではなく?」
「あぁ、あんたにだ」
そう返されて、デッドは嫌そうな顔を隠そうともしない。露骨な嫌われように、いっそ清々しくて男は笑んだ。
「何の用です?」
殺気を隠そうともしない様子に、男は苦笑した。彼もまた、魔女を案じて苛立っているのだろう。普段なら一見して穏やかなのに、自分に対しては遠慮がない。
「あんた、オレに雇われてみないか?」
余計な事は言わず、直球を投げた。
「あんたは戦場で暴れるのも出来るが、護衛も得意だろう。マリーノでオレの護衛をやってほしい」
「…待て、自分が何を言っているか、分かっているのか?」
言い方は依頼だが、すでに決定事項のような口調である。デッドは頭を抱えて、男を制止した。
「問題ないだろう? それとも、ロイヤの皇帝を前にして、支払いが不安だとか言うのか?」
「そんな事は言わない」
さっきまで皇帝らしい威圧感を放っていた男と、今、目の前で無邪気に言ってくる男とのギャップに頭がついていかない。
「ただ、オレはまだマリーノの傭兵だ。今お前に雇われたら、裏切りだろう。オレの矜持としても、傭兵としても…」
「じゃぁ、マリーノとの契約はどこで切れる?」
「…」
こちらの言い分を聞く気はないのか、デッドの言葉を遮って、男は聞いてきた。聞き分けのない弟が、いつなら遊べるんだと言ってきているような錯覚に、デッドは頭を押えた。
「…マリーノで軍が解散されたら、そのタイミングだ。マリーノで言うなら、シィが王に短刀を返した時点だな」
それを聞いた男が、デッドの前でニヤリと笑んだ。
酷い悪戯を思いついたような、悪い顔をしている。その時点で、自分が雇われることは決定事項なのだと理解し、デッドは呆れた。
「オレは仕えたいと思った奴にしか雇われてやるつもりはない」
金銭の問題ではない。金をいくら提示されようが、自分が良しと思わなければ、働く気になどならない。傭兵はただの食べるための仕事であって、それならば人生を楽しめる選択をする。嫌いな人間の側に居ても、楽しくないから―――ただ、それだけだ。
その点、エバンスもレアも一緒にいて楽しいのだ。だから、三食食べられるだけの安い給料でも、ここにいる。
「いや、単発で良い」
遠回しの拒否に、男はしかし諦めなかった。諦めない、と言うよりも、自分の決定を覆す気が全くないのだ。
「おい、皇帝陛下さんよ…」
「魔女を縛るモノを、ぶち壊してみたくないか?」
呆れて口を開いたデッドの続く言葉を、男は低い声で遮った。驚いてその眼を見ると、碧眼の奥に何かが静かに燃えていた。
「…」
「オレが壊すより、誇り高いお前達に一手加わってもらった方が、相手のダメージは大きいだろう?」
ニヤリと笑う男を見つめ、その奥に燃える揺らめきを理解して、デッドもまた小さく笑った。
「良いだろう。話だけは聞いてやる」
男二人が薄気味悪く笑い合っている頃、レアはあるはずの物が見当たらず、困惑していた。
「おかしいなぁ…。ここに入れておいたのに」
軍服の胸ポケットに確かにしまっておいたはずの物がなくなっていた。落としやすい物だから、ボタンのついた方に入れておいたはずなのに。
そう思って、あちこちのポケットを探し回り、やっぱりない事を確認して、レアはため息をついた。そう言えば、二度ほど自分で上着を脱いでいない。その時に落としたのかもしれないと思って、―――レアはぎくりと強張った。
よくよく考えてみたら、この戦場に女は自分一人だ。世界は広いから、どこかに女性の軍人がいるだろうが、少なくともマリーノにもロイヤにも今はいない。
恐る恐る自らの身体を見下ろしてみる。身にまとっているのは、ここの主のシャツで、小柄なレアには短めのスカート丈。袖を何度も折り、広い襟元を無理矢理ピンで留めて、肩からずれないようにしている。
「…」
ここに来てようやく、レアは自分の身の在り方を振り返って、青ざめた。
戦地において淑女だなんだと気にしている余裕などなく、包帯が足りないと言って、自分のシャツすらビリビリと破いた事を思い出す。
まさか、ここに来て、こんなツケが来ようとは思ってもいなかった。
その上、今いない自分が洗濯物をするわけにもいかず、着替えは皆無。それで、王様の服を借りたのだが…。
(考えたら、このカッコって、寝着より恥ずかしいんじゃぁ…)
頭に血が上ってくる。
色々と思い出してみれば、淑女らしからぬ言動の数々。触れられた大きな手の熱まで思い出して、レアは慌てた。心臓がバクバクと早鐘を打つ音まで聞こえてくる。
(わ…わたしは捕虜だし! 身体も命も好きにしていいって、本気で覚悟してたし! だから…だから大丈夫っ。コレは恥ずかしくてドキドキしてるんじゃないの! 武者震いなんだから、武者震い!)
もはや自分でも、何に対して言い訳をしているのか分からない。
「そんな所で何やってるんだ、魔女」
「ひゃぁ!」
床に座り込んで身を丸めているレアは、その声に飛び上がった。レアの真っ赤な顔を見て、男は首を傾げる。
「あ、あの、シイリーズの…鳥笛がなくて…」
「あぁ、これか?」
言って、男が自らのポケットからそれを出して、示した。失くさなかった事に安堵もしつつ、なぜ彼が持っているのかという疑問を口にするべきかと、違う方向に思考を持っていこうと努めてみる。
「なんか知らんが、やっと自覚したみたいだな」
自分の腕を抱いて座り込んだまま動こうとしない魔女を見て、男は面白そうに言った。
極力自分の格好について、思考から遠ざけようとしていたレアは、男の言い様にギクリと身を強張らせ、真っ赤になりながら男を睨んだ。
「戦場なんだから、色々気にしてる場合じゃなかっただけですっ」
「それにしては、気付くの遅くないか?」
言い訳を口にする魔女の目は、羞恥心で潤んでさえいて、男はおかしくて笑った。大股で近づくと、小さな身体が飛び上がる。投げられたままの魔女の軍服の元在った場所へ笛をしまい、ソファに投げる。
ズボンも同じように投げようとしていると気付き、レアは慌ててそれを掴んだ。
「何してる?」
一瞬遅く、男と引っ張り合うような形になって、レアは頬を引きつらせた。
「…せめて、ズボンくらい履こうかと思って…」
「必要ない」
あっという間に力負けして、取り上げられ、簡単には取りに行けない場所に投げられる。
「自覚するまで待ってやったんだから」




