30.レアの理由(2)
初めて口にする言葉は重く、重みで呼吸が詰まった。
「師匠は左肩を射抜かれていました。潰されていたと言ってもいい。検死をしたドクターとお父様とお義兄様しか知らないし、わたしが知ってる事も知らない」
膝に置いた手に知らず力がこもる。
「本当は、師匠が死んでしまった時、わたしは軍から逃げる用意がありました。…でも、聞いちゃったんです」
それは本当に偶然で、下卑た笑いを纏いながら、レアの耳に入った。
無様に命乞いをしていたと、その顔を見たかったと笑う、―――婚約者の声。
「師匠が…本当に命乞いをしたのなら、わたしには分かるもの。師匠を、あんな風に言われたのが悔しくて、絶対に犯人を…証拠を見つけてやるって言っちゃった」
「言っちゃった?」
アッと声を上げて、魔女は自分の口を塞いだ。
明らかに口にするつもりはなかった事を、慌ててなかった事にしようとしている。上目使いに様子を見てくる瑠璃色の双眸を、男は睨み返した。ビクッと魔女は飛び跳ねて、慌てて目を逸らすが、もう逃げられなかった。
「…どういう事だ?」
低くうなられて、レアは初めて、この男を怖いと思った。
「だいたい、今、お前泣いてるだろう。分かるんだぞ、そういうの」
「!!」
今度こそ本当にレアは飛び上がった。
大慌てで自分の頬をこすり、目をこすってみるが、濡れてはいない。なぁんだ、大丈夫と思った瞬間、『糸を引かれる』懐かしい感覚に、驚いて振り返った。
振り返った先に、仁王立ちしている男の姿があって、レアは身を強張らせる。
「悲しかったら、ソコで泣かずに、体で泣けよ」
男は言った―――レアの内側で。
泣いているのは、闇の中の自分。幾重にも張り巡らされた光の糸の空を仰ぐ、神さまと自分の精神の世界。そこに自分ではない、他人がいる。
言われてみれば、サザリが死んでしまった時、悲しい夢を見た時、側に居たのは、この男だった。
状況をゆっくりと理解し始めたレアは、ブルブルと震え始めた。
同時に、頭に熱が上がって、全身真っ赤になるような感覚―――。
「だ…」
「だ?」
俯いて茹蛸になって肩を震わせる魔女を見下ろして、男は首を捻った。何をそんなに震えているのか理解に苦しむ。と、真っ赤な顔が勢いよく上がって、自分を見上げた。
「だめっっっ!」
叫んだかと思うと、両手で自分を視界から遮るように何度も振る。
「ダメ! ダメ、やめて。入って来ちゃダメ! 色んなの見えちゃうから、やめてぇ」
あまりの恥ずかしさに、レアは目を回した。
「そこに居ちゃ、ダメ! 恥ずかしいとかドキドキしてるとか、楽しいとか嬉しいとか、も…もう、全部筒抜けになっちゃうから、…覗かないでぇ…」
パニックを起こしたような魔女の言葉の意味が分からず、男は首を傾げた。
マリーノに行っているはずの魔女が、ここで騒いでいては隠している意味がなくなると、男はその両腕を掴んだ。びくんと強張り、気恥ずかしさで泣きそうな表が男を上目づかいに見上げる。
「何を騒いでるのか、分からんぞ。とにかく、落ち着け」
「だって、わたしの中に王様が仁王立ちしているんだもん。落ち着かないよ」
何を言っているんだと男は呆れたように魔女を引っ張り上げた。未だに顔の紅い魔女を覗き込む。
「で? 何を言っちゃったって?」
逃がすまいとするように腕を掴まれ、誤魔化しも許されないほど、まっすぐに見下ろされて、レアはなんとか自分を落ち着かせようと試みる―――のだが、自分に向けられる視線も腕の力も、物理的感覚を超えて、精神にまで届くので、いたたまれない。
「咄嗟に飛び出して、絶対、証拠を見つけるって言っちゃったの。そしたら…」
軽蔑と下卑た笑みを張り付けたまま、婚約者は言った。証拠を見つけ出せたら、議会で暗殺を証言して、罰を受けてやる。その代わり、17までに見つけ出せなかったら、奴隷扱いの嫁だと。
男の気配がみるみるどす黒いモノに変わるのを、レアはおろおろと見上げているしかなかった。
「っお前は、馬鹿かっ!」
まんまと(かどうかは分からないが)、相手の土俵に乗せられて、負け戦をしている。散々、ロイヤの進行を妨げてきた魔女とまで言われた者の、やる事じゃない。
「自分でも馬鹿な事してるって、分かってるよぉ」
半べそでもかいているのかと思いたくなるような、情けない声を上げる魔女を、男は見下ろした。
「ルイーグスが望んだのは、お前が軍から抜ける事だぞ。そんなに師匠が大切なら、どうしてその願いを無視するんだ」
至極もっともな意見に、レアはぐうの音も出なかった。
俯いて黙り込んでしまった魔女に、男のどこかが仕方がないのかと思う。親のように慕い、命の恩人も同然の、人とは違う自分を理解してくれた人の死を、土足で踏みにじられれば、冷静な判断も出来なくなる―――それが、この娘なのだ。
(本当は、こんな所にいるべきじゃないんだな)
王宮の奥深く、誰の手も届かない場所で、閉じ込めてやろうかと、そんな考えが浮かぶ。
何者も害することがないよう、悪いモノから遠ざけておきたい。そうすれば、もう泣かずにすむ―――そこまで考えて、男は小さく不敵に笑んだ。
男の笑みに気付いて、レアは表を上げる。
「閉じ込めても無駄だろうな」
「王様?」
レアの呼びかけに答える代わりに、男はその髪に触れた。軍人でなかったなら、腰まであったであろう明るい髪。肩口で切れて、痛々しくさえあった。
もしも、血生臭い世界を知らずに生きてきたのなら、どんな色のドレスを身にまとって、どんな風に笑う女性になったのだろう。もし、そんな道を辿っていたら、出会う場は前線ではなく、占拠したマリーノの王都だっただろう。
そんな事になれば、返り血を浴びた自分を前に、この少女は毅然と立っていただろうか。
(立ってた気もするし、…でも、怯えられたら、こたえるな)
クルクルと指で自分の髪を弄ぶ男の、穏やかな表に、レアはただただされるがままに立ち尽くしていた。その瞳が憂いを映しているようで、胸がドキリと鳴る。
強くて、怖くて、そして、悲しみを知っている人。
「…王様が泣いてたら、わたし、走って行くからね」
髪に触れていた手の甲に頬を寄せて、レアは小さな声で言った。
立っていられなくなったら、そっと側に行くよ。悲しくなったら背中越しに痛みを引き受けるよ。どうしようもなく怒っちゃった時は、その眼を塞いであげる。
眼前に広がる世界の広さに、一人立ち尽くす自分の背中に、誰かが触れた―――そんな感覚に触れて、男は少女へ視線を動かした。
瑠璃色の瞳が、少しだけ恥ずかしそうに細くなった。
「…お前に助けられてたんじゃぁ、ロイヤもおしまいだな」
言って、その頬を少し力を入れてつねってから、文句を言う暇も与えず、その身体をひょいっと拾い上げた。
「抱き枕でも抱いて、寝るか」
「誰が抱き枕ですか」
「熱があったから、ちょうどいい湯たんぽだったぞ」
レアに拒否する暇はなく、男は片手でさっさとランプを消して、レアを寝台につっこんだ。闇に慣れない夜目では何も見えず、慣れない空間にもたついている間に、後ろから羽交い絞めにされるようにして寝かされた。
「そうだ、魔女」
抜け出そうと無駄な抵抗をしているレアへ、男は眠たそうにその耳元で言う。
「お前と婚約者との例の賭け、全部オレに丸投げしろ。どうせ、その婚約は破棄なんだ。かまわないだろう?」
そう言えば、自分はこの男の側室になるんだったと、今更ながら思い出して、レアは急に色々と恥ずかしくなって強張った。
だが、眠気がピークなのか、男は大人しくなったレアの緊張には気付かない。
「お前がスカッとするかは別にして、オレがそいつで鬱憤晴らしてくれる」
最後に物騒な事を言い残して、男は寝息を立て始めた。




