100.武神か魔女か(1)
遠くで、爆発音がした。
最初に気付いたのは、レアとモモだった。周囲はまだ、中央で行われる大乱闘に声援を送っている。
「アルファ!」
中央の剣技に興奮気味の少年の腕を掴んで引っ張ろうとした。文句を言うアルファの言葉を、レアは聞いていられなかった。
肩に、強靭な腕が伸びて来る。
「そこまでだ!」
や太い声が、獣の咆哮のように轟いた。
歓声を送っていた屈強な兵士達の気を引くには、充分な音量だった。
「あぁ”!?」
中央で大剣を振り回していた師子王が、殺気立った視線を声の方へ投げつけ、そこで固まった。
「動けば、この小娘の首をへし折る」
「…」
息が止まるほど締め上げられて、さすがのレアも自分の首にかかった腕を何度も叩いた。うっ血で狭まる視界の中で、ティンとデッド、そして自分と交流を持った兵士達の顔が強い嫌悪と困惑を浮かべている。
「お前達! 何をしている! 手を離せ!」
自分の護衛の突然の豹変に、アルファが慌てた声を上げた。レアを掴む男の腕を離そうとしがみ付くが、彼の腕力ではびくともしなかった。
「皇子様、怪我するんで、どいていてください」
微かに侮蔑の混ざる声音で、男は笑うように言った。
(落ち着こう。これぐらいじゃ、死なない)
目を閉じた。自分の体の自由は効かないが、息が出来なくなるぐらいでは死なない。
(…神さま、力をお借りします)
そうして、その双眸をゆっくりと上げる。
「離しなさい」
ゾッとするほど冷たい声が響き渡った。
その声が一体どこから聞こえてくるのか、声の主を押えている男にも一瞬、分からなかった。
「腕を切り落とされなければ、分かりませんか?」
その声の主が腕の中の少女の物だと理解した男は、その瞬間、背筋が凍るのを理解した。瑠璃色の双眸が自分をじっと見上げていたのだ。
ドッと汗を流した男が、ゆっくりと腕を解いた。モモを拘束していた男がギョッとして諌めるような声を上げようとしたが、少女の一睨みで息を飲む。
「モモに手は出さない方が良いですよ」
その言葉に、モモも解放される。モモへ一瞬の目配せ後、少女は周囲を見渡した。見知った者もいれば、初めて見る者もいる中で、誰が敵で味方かは、返される視線ですぐに知れた。
「手は出さなくても大丈夫ですよ」
反撃しようとした者、打って出ようとした者、そのどちらもが身を強張らせた。
「ティン、デッド」
少女が二人の護衛の名を呼んだ。その瞬間、二人は風の様なスピードで駆けると、少女たちのいる上段観客席へ舞うように飛んできた。ティンが着地すると床が大きく振動する。
身構える兵へ、無造作な動きで自分の得物である身の丈もある大剣を放り投げる。デッドは構える相手に、「名剣ですから、雑に扱わないでくださいね」と恐ろしい程の笑顔を見せていた。
「さて、貴方達の雇い主に会わせていただきましょうか」
少女の双眸の奥で揺らめく色に、その場の誰もが息を飲んでいた。
一度目の爆発音は王宮の奥―――後宮から。
二度目の爆発は、王宮からほど近い屋敷から。
一度目の爆発音を耳にした時、ミヤとジルドはどちらともなくお互いの顔を見ていた。
「正確な情報だけを持ってこい!」
皇帝である青年は、慌てはじめる周囲に一括した。朝から感じていた嫌な空気がそのまま現実になった事に、多少の動揺はあるものの、皇帝の対応に不足はなかった。
二度目の爆発音が遠くから聞こえてくるか来ぬその時に、皇帝の執務室にもたらされたのは、皇帝が寵妃と憚らない少女の誘拐だった。
「各部隊に通達! 指令三、六、七の準備をしておけ」
皇帝が何かを言うよりも先に、ジルドが報告に来た軍人に指示を出した。
「第四警備隊を現地へ派遣。市民に被害が出ないよう細心の注意を払いつつ、犯人を一人でも捕えるように。他の市内に怪しい動きの者がいないか、警備を強化して」
ミヤが第二の爆発地点を知って、指示を出す。
「…」
緊急事態だというのに、カイザックは目を丸くした。
「なんだ? 先にシュミレーションでもしていたのか?」
そんな主へ、二人は顔を見合わせて、一人は苦笑し、一人は苦々しく息を吐いた。
「この世の中に、誰がこんなことを考えるんですか?」
「…分かった。では、反撃も考えてあると思っていいのか?」
自分はここでのんびりと座って報告を待っていれば良いのかと、カイザックは脱力したように椅子座りこんだ。
そんな主へ、ミヤは申し訳なさそうな顔をした。
「反撃は、陛下の良しなに、と」
一拍置いた主の顔を、ジルドは「一生忘れないだろう」、と思った。
美しい廊下を歩きながら、レアは周囲の様子を観察していた。
前を歩く男は小柄ではあるが、その雰囲気からモモと同じ隠密に通じる者なのだろう。動きに無駄はない。
レアの後ろを付いてくるのは、一人は先ほど自分を羽交い絞めにした男で、もう一人は同じ顔立ちをした武人風情な男だった。
(ユリミア人の顔はアレビアしか知らないけど、コレは関与確定かしらね…)
ティンやデッド、それに一見して戦闘要員とは見えないモモも、今は離されている。彼らを自分から離す事が得策かどうかも見極められないとは、読みが甘いと感じずにはいられない。
長い廊下の突き当たりの部屋に通された。
「ようこそ、いらっしゃいました。レア様」
部屋の奥に、更に奥へ続く扉のある、小さめの部屋の中央で、優雅に腰かけていたのは、中年の中肉中背の男だった。
一目見た瞬間に、レアにはそれが誰だか分かった。
「リギッド・スズリムガート」
自分の名を呼び捨てにされて、リギッドは頬を引きつらせた。ロイヤにおいて、大貴族であり有力者の当主と、皇帝の寵妃とは言え一介の側室では、立場として強いのはどちらなのかは、明確だった。
格下の、しかも後ろ盾の弱い異国の田舎娘など、簡単にひねり潰せるだけの力を持っている。
しかし、リギッドは一瞬のそれらの怒りも侮蔑も腹に落とし込んだ。相手は無知な田舎娘である。いちいち腹を立てていては、話が出来ないと考えた。
「貴女は、ご自分の立場を理解されていないのではありませんか?」
リギッドの言葉に合わせて、背後の男が武器を微かに鳴らした。しかし、そんなものには怯える様子も見せず、少女は微動だにする事もなく、リギッドを見据える。
その瞳が、微かに細くなった。
「貴方は、皇帝が言った言葉を聞いていなかったのですか?」
静かな、―――しかし、驚くほど良く通る美しい声が放たれる。その音が耳に届くと同時に、リギッドの額に汗が浮かんだ。
「彼は、わたしを何者だと皆に言いましたか?」
それはまるで引き絞り、自分を狙う矢の如く、リギッドの心臓に早鐘を打たせた。自分を見据える娘の目は、その年の娘のモノではなかった。
「貴方は、甥であるアルファから、何も聞かなかったのですか?」
彼女の問いかけは繰り返される。
「武神や魔女などと言う二つ名が、ただの田舎娘に付くと、本当にお思いで?」
瑠璃色の瞳の奥、青く揺らぐ炎に、リギッドは息を飲んだ。
皇帝がこの娘を何と言って皆に引き合わせたのか―――そんな事は、今やロイヤの人間ならば知らぬ者はいない。
だが、リギッドは身の内に確かに存在する恐怖を飲み下し、溢れる汗をも無視して、引きつった笑いを浮かべた。
「そんな虚勢など、これを見ても、まだ言えますかな?」
リギッドの合図で、更に奥の部屋のドアが開いた。
その光景に、レアは目を見開き、―――そして細めた。
「…シィ…」
高揚した顔面で荒い息を吐くルイスが、絞り出すように彼女を呼んだ。同じ症状らしいアレビアは声すら上げられない状況だった。
「貴女にも、ご用意していますよ」
そう言って、リギッドはテーブルの上に置かれたティーセットを指した。
「甥が貴女を気に入っていましてね。なぁに、気持ちが良くなる薬ですよ。貴女が飲んでくださるなら、彼女達には手を出しませんよ」
わずかながら余裕を取り戻したリギッドの笑みには、下卑たものが混ざる。
「…あぁ、…わたしに手は出さない方が良い、って言ったのにな」
祝100回~!!!
ここまで読んでくださっている貴方! 貴女!
ありがと~~~~!!!!!