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この空色バス、春先行き。【完結】  作者: 猪野いのり
第三章 最終便、発車します《3年生編》
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番外編その6 あなたと 〈篠田かなえ〉就任1年目

 男の人は怖い。

 どんなに優しい表情をしていたって、その仮面の下では何を考えているのかなんてわからない。


 その手は、さっきまで誰に触れてたの?

 その言葉は、あの人にも言っていたの?


 わからない。

 でもたったひとつ、わかることがある。

 男の人なんて──信ずるに値しない存在だ。



❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀


 番外編その6 あなたと

 〈篠田かなえ〉就任1年目


❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀



 野原先生:

「あっれー、篠田先生、全然飲んでないじゃないですかぁ」


 篠田 かなえ:

「……はい」


 寄りかかってきそうなほど近くなる英語教師に、私は眉間が寄らないように気をつけた。


 私、篠田かなえは、この春に青葉中学へと就任した。

 4月早々に開かれた、新任教員の歓迎会。

 青葉中学から数駅離れた大きな居酒屋で、それは行われた。

 大きな声で笑い真っ赤に酔っぱらう人たちが、まさか教員だと店員も思わないだろう。


 野原先生:

「カシスソーダとか、可愛いの飲んでるねー!」


 英語教師の野原《のはら》先生は、年齢も近い女性教師だ。

 だから私と仲良くしようと近づいてくれているのだろうけれど、今の私にとってはそれが負担だった。


 篠田 かなえ:

(教師陣とは、距離を置きたいのよね……)


 篠田 かなえ:

(とくに、英語教師なんて……)


 どうしてもあの顔がちらつく。

 野原先生に罪はないのだが、どうしても英語教師という括りが、私に嫌な記憶を呼び起こさせていた。


 二股をかけていた、前の職場の元彼。

 英語教師でスマートだった彼。

 私をフって、向こうと結婚した。

 どちらも同じ職場の教師。最悪だった。


 篠田 かなえ:

(もう、関わりたくない)


 他の教師とは、距離を空けさせてもらう。

 そういうスタンスで、私は新たな学校に就任した。


 ああ、早く歓迎会、終わらないかな。

 そう考えている私の邪魔をするかのように、また酒臭い教師が1人、近づいてきた。

 教頭の、眞鍋《まなべ》先生だ。


 眞鍋教頭先生:

「お、ここは華やかだね~」


 野原先生:

「あ、眞鍋先生! 真っ赤じゃないですかぁ」


 少し先輩の野原先生は慣れたもので、タコのように真っ赤な教頭先生を見て、明るく笑った。

 私はつい目をパチパチさせて、アルコールまわりすぎてないかしら、なんて体の心配をしてしまう。養護教諭の性だ。


 眞鍋教頭先生:

「やあやあ篠田先生、今年度から、よろしくお願いしますよぉ」


 間延びした教頭先生は、私のもうひとつのグラスにビールを注ぐ。

 形だけの1口を飲み、私も「よろしくお願いします」と頭を下げる。

 一通り当たり障りのない会話をして、赤ら顔の教頭先生は突然言った。


 眞鍋教頭先生:

「篠田先生は、いい人はいないの?」


 篠田 かなえ:

「!」


 嫌な質問だ。

 私はわざと微笑んで返した。


 篠田 かなえ:

「ええ、残念ながら」


 野原先生:

「え、意外! 篠田先生、美人なのにっ」


 野原先生もその話に食いついたので、まいってしまう。

 やだなぁ、この話題はあまりされたくない……。


 眞鍋教頭先生:

「なら、うちの若いもんはどうです? 結構いい年の男、うち多いよ!」


 眞鍋教頭先生:

「数学の犬井先生に、体育の坂本先生でしょ、あと理科の宮沢先生……はバツイチか」


 篠田 かなえ:

「は、はぁ……」


 そんなの、どうでもいいんだけれど。

 少し困っていたら、教頭先生の後ろにいた男性が振り返った。

 大きな背中越しに、お酒で赤くなった顔が見える。


 坂本 平八:

「ん、教頭、呼びました?」


 眞鍋教頭先生:

「あ、坂本先生! 呼んではないけどちょうどいい!」


 ガハハ、と教頭先生は笑いながら彼の腕を引っ張った。

 この人は、ええと……さっき言ってた、体育の坂本先生か。


 体格のいい彼は、いかにもスポーツ青年といった風貌だ。

 教頭先生の隣で、小さくできない体で申し訳ない、と言っていそうな表情で正座していた。


 眞鍋教頭先生:

「坂本先生、おすすめだよ! 真面目だし単純バカだし筋肉バカだし」


 坂本 平八:

「教頭、それほめてないですよ」


 坂本先生は、体に似つかわしくない情けない表情で嘆いた。

 少しだけ、私もそれにクスリと笑ってしまう。


 野原先生:

「えー、でも坂本先生に篠田先生はもったいないですよ! 美女と野獣です!」


 坂本 平八:

「野原先生まで、あんまりだ!」


 勝手に話題に出されたうえ、勝手に侮辱された坂本先生がちょっと気の毒。

 彼は、もしかしていじられ役なのかしら。


 篠田 かなえ:

「……あ、あの。気になさらないで下さいね」


 気にかけて、そう言ったのだけれど。


 坂本 平八:

「ははは、大丈夫です」


 坂本 平八:

「でも篠田先生は、ちょっと気にしてもいいですよ」


 篠田 かなえ:

「……え?」


 どういう意味かしら──と考える前に、坂本先生はそそくさとまた席を離れてしまった。

 そして、その手に持っていた飲み物グラスを見て目を丸める。

 お酒で真っ赤になっていたと思っていた坂本先生。

 でもその手にしていたのは、ソフトドリンクのウーロン茶だった。


 篠田 かなえ:

(そういえば、車で来てたんだわ)


 それなのに赤ら顔。

 酒の場の席に酔いやすいのかしら、と私は思った。



 ・   ・   ・



 坂本 平八:

「じつは、ほぼ一目惚れだったんだけど」


 隣で平八さんはそう言った。

 私はその言葉に小さく驚く。


 坂本 平八:

「かなちゃん、なかなか寄せつけてくれなかったから」


 篠田 かなえ:

「あの頃は、失礼しました」


 小さく笑うと、彼も笑った。


 坂本 平八:

「君が俺を意識してくれるよりもっと前から、俺は意識してたんだよ」


 そう言って彼は、テーブルの下、手を差し出してくれる。

 私も差し出した右手。

 それを握ってくれる彼の左手の薬指で、さっきはめたばかりの指輪が光った。


 横に並び、2人で前を見て座っている。

 その眼前には、円卓に並ぶ職場の人々や友人が、明るい笑顔を向けてくれていた。

 今日、この日を盛り上げてくれる式場の司会者が、マイクを通して来賓挨拶を進める。


 司会者:

「新郎側のご来賓を代表していただきまして、新郎のご勤務先、市立青葉中学校校長、眞鍋邦一(くにかず)様にお願いいたします」


 司会者:

「どうぞ、前にお進みくださいませ!」


 その言葉に従って、眞鍋校長先生が前に出る。

 お酒はまだ飲んでないはずだけれど、緊張であの日のように、タコみたいに真っ赤になっていた。

 今年度から校長となった彼は、まだ慣れない立場で頑張るように、祝辞を述べてくれる。

 その中で、あの日の私と彼のエピソードも……。


 眞鍋校長先生:

「あの時、かなえさんに坂本くんを推薦したのは私でありますゆえ、彼には大きな恩を売らせていただきました!」


 茶目っ気を入れた言葉に、会場からドッと小さな笑いが起きる。


 野原先生:

「きゃー、さすが校長先生!」


 犬井先生:

「どうして俺を推薦してくれなかったんですかー!」


 招待させていただいた、懐かしい青葉中学の先生たちが、はやすように声をあげる。

 ふふ、相変わらずこの中学の先生は、ノリがいい。

 私の新たな赴任先の中学の先生たちも、つられるように笑っていた。


 坂本 平八:

「眞鍋先生、もしかしてちょっと飲んだかな?」


 篠田 かなえ:

「かもしれないわね」


 くすくす笑って、私たちは顔を見合わせた。


 今日この日を、あなたと迎えられて本当によかった。

 男の人なんて信じられないと思っていた数年前が、嘘のよう。


 あなたとなら、心から信じて歩いてゆける。

 あなたとなら、どんな苦難だって乗り越えていける。


 歩きましょう。

 この先もずっと。


 だから。

 この手をずっと、離さないでね。




 ◇ 終わり ◇

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