2.夜は平穏に過ぎる
ばすん、と乾いた音を立てて枕がすぐ脇の壁へとぶつかった。その枕をすぐに拾ってルカはぶん投げる。
ジュードの顔面をめがけて。
しかしそれはあっさりと避けられた。そしてすぐに視界が真っ白に染まる。
「ーーぶっ!」
「はい、僕の勝ちー」
ずるり、とルカの視界を白く染めた枕が地面へと落ちる。意気揚々と枕を片手でぶんぶん振り回すジュードの姿に、彼はため息をついた。
さきほどの『夜這い騒動』がおさまってすぐに三人は枕投げを開始した。
三人。ーーすなわち、ルカ、ジュード、国王の三人である。
茶番のために用意していた演奏隊はすでに退出している。このような深夜に呼び出されるなんて彼らもとんだ災難だったことだろう。同じ雇われの身であるルカとしては同情を禁じ得ない。見張りの近衛兵たちは室内ではなく室外へとその仕事場を移して引き続き警護にあたってくれていた。
今夜、彼らがわざわざ室内で警備をしていたのには理由がある。あの捕獲されたメイドーーサリアを誘い出すためだ。
どうやら彼女は元々は第一王子派であった家柄の親類の娘らしい。らしいというのはルカはよく知らない話だからだ。それを知っていたジュードは表だっては敵対していない彼女が王宮に勤めることを許した。しかし気は抜かず様子を見張らせていたところ、彼女の目的が国王であることを見抜いたのだ。
しかし彼女は大胆な行動にはでなかった。慎重にただ機会をうかがう様子にこのままでは尻尾を出さないとにらんだジュードが、わざと今回隙を作ったのだ。
そしてルカは国王に万が一がないようにと派遣された身代わりである。
「まぁたぶん目的は夜這いだろうとは思っていたよ」
さすがに枕を投げ続けて少し疲れたのだろう。近くにある水差しからコップに水をそそぎながらジュードは言う。
「暗殺っぽかったらさすがにきみには頼まないよ。死なれたら困るしねぇ」
「本当かよ……」
座りついでに彼から水を渡される。それをありがたく受け取りながらも目が半眼になってしまうのはいたしかたのないことだろう。
「ま、まぁまぁ、我からも……、礼を言うよ」
その隣にそそそ、とヘリングは忍びよって笑いかけた。にへら、という気の抜けた笑顔にはつい許してしまう愛嬌がある。
(呪い、ねぇ……)
彼女の言葉を思い出す。はじめに聞いた時には驚いたものだ。もちろん、魔道具がある世界なのだから、呪いがあっても不思議ではない。ただこの世界の住人の言う呪いとやらは……、
「と、ところでっ、……ふたり、とも」
つっかえつっかえ、ヘリングは話した。その話し方。
(『吃音』、なんだよなぁ……)
吃音、別名、どもりとも呼ばれるものだ。前世の日本でもよくみられた、原因不明の言いよどみである。
治療法はない。しかし対症療法で症状を軽減させることはできる。
ヘリングは幼い頃から、この吃音症なのだ。
そしてそれを『呪い』と呼ばれていた。
(まぁ、確かに演説とかする王様に吃音があるのは困るかもしれないけど……)
それにしても随分な言い草である。
一時はこの『呪い』が移る、と言われて離宮に軟禁されていたらしい。
吃音は確かにうつった、という症例が存在する。しかしそれは吃音をからかうためにその話し方を真似した子どもにのみ起きた現象だ。つまり努めてその話し方を模倣するなどの馬鹿な真似をしなくてはうつることはありえない。
とどのつまり、この世界にもそのような『馬鹿な真似』をした人間がいたということだろう。
ヘリングのことを見る。彼はにこにこと楽しそうに言った。
「こ、今度の式典は……、来てくれるね?」
「ええ、もちろんでございます。陛下」
快く請け負ったのはジュードだ。彼はいつにない満面の笑みで応じる。
「僕もルカも、今から陛下の勇姿をそれはそれは楽しみにしているのですよ」
「そ、そうか、よかった」
ほっとヘリングは胸をなで下ろした。
「ふたりが居てくれるとあ、安心するんだ。こ、心なし、話しやすい気もする」
吃音はメンタル的な部分も多少は影響する。リラックスした状態だと軽減する者、緊張状態のほうが逆に症状が出にくい者など個人差は激しいが、ヘリングは前者のようだ。
「そう言っていただけて、このジュード、大変光栄にございます」
さきほどからヨイショが激しいが、ヘリングと一緒の時のジュードは常にこうだ。
一見白々しくもあるが、ジュードのヘリングのことを嫌っているということはおそらくない。彼なりの愛情表現なのか、それとも……、
(こいつ、もしかしたら子どもの面倒みるの下手なのかもな)
たんに甥っ子との距離感がうまく測れていないのかもしれない。
ちなみに式典、というのは年明けを祝う式典である。
そこでヘリングは前国王のつけていた宝冠をかぶり、演説をする予定なのだ。
その宝冠はこぶし大ほどの大きなダイアモンドのついたもので、それを昼間にルカは宝物殿で見せてもらっていた。
ふいにジュードは真剣な顔を作った。一体なにを言うつもりか、と思わず注視する。カリスマとでも言おうか、ちょっとした仕草で人の注目を集めるような花が彼にはあった。
「いやぁ、眼福だねぇ」
しかしその真剣な顔はすぐに崩れる。彼はだらしのない笑みを浮かべてのんびりとのたまった。
「この場に女子がひとりもいないという事実にさえ、目をつぶれば」
「なんにも見えてねぇだろ、それ」
ルカは呆れてその顔面に枕を投げつけた。




