第二十九話
「やけに静かになったな」
丘の頂上から敵が突撃をしてきた方を見ながらシュタイナ少佐は一人呟いた。敵は引き、既に砲撃も止んでいることも相まって戦場に似つかわしくない静謐さだ。戦場の凪。どんなに酸鼻極まる戦場でも潮が引くみたいに一切の戦闘音が止む時がある。だから、凪。
こういう時は大抵二つの場合が考えられる。一つは敵が後退した時。もう一つは攻撃の再興を準備を着々と進めている時。
シュタイナ少佐は経験則から後者である気がした。副官も同意見だった。先ほどまでともすれば狂気を感じるほどの突撃を敢行していた。諦めたとは思えない。そうなると次はどう攻撃してくるかだ。手痛い打撃を与えたとは思うが、兵力にはまだ余裕があるだろう。
先ほど自分達が後退してきた、敵が追撃してきた方角が東。友軍の砲撃は南からくるため北側には死角が生じる。敵も戦線の位置からそれは分かるだろう。となれば突撃は北から復行されるはずだ。また陽動や拘束を目的とした限定的な攻撃が東から行われるだろう。
残存三十九名中二十名を北側の警戒に配した。砲撃支援が難しいことから残りのファウストの八割、機関銃四丁中三丁を配し火力を増強した。
再び正面から攻撃を開始した。威勢が良く、驚いたことにかなり弾をばら撒いてくる。おそらく戦死した戦友から弾薬を回収してきたのだろう。
即座に応戦しながらシュタイナは直ちに砲撃支援を要請するよう無線手に怒鳴る。
すぐに砲弾が敵の頭上に降り始めた。砲火と銃火に晒されて敵の動きは鈍い。鈍いというより積極性を欠いているように見受けられる。射撃はするのだが前進しようという気迫、気概を感じられない。地形の援護を得て射撃を繰り返すだけだ。
少しして北側から激しい銃声が聞こえてきた。少佐の読み通り東に陽動を仕掛け、北から一挙に撃滅するつもりらしかった。相当な戦力、気迫に満ち勢い付いているということで少佐はさらに六名を北に回した。
北斜面の帝国兵は猛攻をかけていた。三丁の機関銃が弾幕を張る中を一切の躊躇無しに突撃する。一秒前に前を走る戦友が撃たれれば、その死体を乗り越え踏み越え前へと駆ける。銃弾と手榴弾の嵐を前にしても帝国兵は怯まない。
しかしながら、いかに帝国兵が敵撃滅の気合に満ち溢れていたとしても頂上に至るのは難しい。東側斜面ほどではないが北側の斜面もまた勾配は急だった。その斜面を飢餓で衰えた体に小銃を持って駆け上がるのだ。精神力だけで肉体面を補完、凌駕することはできない。斜面を登る帝国兵の動きは、少佐の部隊からすれば遅々としたものに見えた。
斜面には遮蔽物が無い。存在するのは僅かな隆起や窪みのみで帝国兵は十分な遮蔽を得られない。
帝国兵の一団がその窪みに三脚と、三脚の上に機関銃を設置、丘上へ銃撃を始めた。斜面を三脚と機関銃を持って登るという重労働を終えた後にも関わらず、まるで疲労なんて感じていないかのように射撃する。
丘上から、この機関銃による射撃は目立った。一地点から絶えず射撃しているからだ。
火力により制圧されるのを避けるために部隊の一人は迷うことなくファウストを撃った。狙いを違わず着弾すると機関銃を破壊し、三人の帝国兵の肉体を破壊した。
機関銃だけでなく、五人くらいが固まって臨時の火力支援班のようなものを編成していればそこへも躊躇わず射撃した。数で大きく劣っている以上、火力でも劣るわけにはいかない。火制され、頂上へ突入されたならば敗北は決定する。
狙撃手はいつものように指揮官や無線手などといった、高価値目標だなんて言っている場合ではなかった。夜の帳の中をがむしゃらに突撃してくる中からそれを判別するのは不可能だ。何より津波のごとく押し寄せる帝国兵を相手にしている以上、とにかく撃って数を減らさなければならない。
戦闘が長時間に及び、組織的な戦闘力を喪失し帝国兵は引いた。そして一時間強の時間を掛け部隊を再編した。人員を掌握し弾薬を再分配し場合によっては複数の部隊を統合する。
この間にシュタイナ少佐の部隊も弾薬の再分配を行った。部隊は弾薬に不安があった。元々が戦闘を想定した任務であったため、豊富な弾薬を持っていたものの、交戦に次ぐ交戦で大変な量を消費していた。全員が単発射撃を用いるに決めた。
狙撃手は弾薬のいくらかを機関銃手へ渡した。同じ七.九二×五二ミリ弾を使用するため共有可能なのだ。
帝国兵は三度目の突撃を発起した。前線指揮官ではない佐官クラスが突撃の先頭に立った。既に突撃の先頭に立てる前線指揮官が消耗していたからだ。
二度目と同様で東側斜面は拘束を目的とした助攻で、主攻は北側斜面だった。激しい銃撃の音が耐えることなく鳴り響く。
帝国兵は戦法を変えた。少数の部隊を重畳するように配して、絶えず新鋭な威力を発揮可能なように突撃した。これは再編前の突撃に於いて、大人数で一斉に前進したため戦術的に身動きができなくなってしまったことを反省したものだった。戦いに於いて数は重要な要素だが、無闇矢鱈に突っ込めば行動を阻害し、却って戦闘力を低下させてしまう。
帝国兵は戦友の死体、負傷者を踏み越えて前進した。もはや避けては進めない。
東の水平線が薄っすらと色を変えつつあった。天文(第一)薄明の訪れだ。航空基地では回収のための四基の複葉機と倍数の護衛の戦闘機が離陸を始めた。まだまだ暗いため探照灯で滑走路を照らしながらの離陸だった。
「こちら親鷲。迎えに来たぞ。あと十分だ。送れ」
この複葉機が戦場上空に到達したのは航海(第二)薄明、海面と空の見分けが付く明るさの時間帯だった。
「了解、回収場所に変更はない!かっとばしてくれ!送れ」
「こちら親鷲了解。交信終わり」
シュタイナ少佐以下はあと十分で合流地点まで行かねばならない。丘からみて北西だ。少佐は後衛十人を丘に残置し合流地点に急ぐ。後衛には残余のファウスト、手榴弾の全て、弾薬の過半を渡した。後退を覚られないため、露見したとしても追撃を発動させないため、強力な火力を発揮してもらう必要があるからだ。
都合良く帝国軍の攻撃の烈度が低下した。帝国軍は度重なる攻撃で甚大な損害を被り戦闘力を大きく減じさせていた。
先発組が丘を下っている間、後衛はありったけの火力を敵に叩き付けていた。特にファウストはもう使わないからと惜し気もなく射撃した。
少佐の部隊が後退していることに最初に気付いたのは北側の帝国兵だった。しかし即座の追撃を発動できない。これは痛打を浴びたこと、指揮官が極度に不足していたために素早い行動が不可能だったからだ。
部隊の二人が先行し、合流地点である侘しい道路に達した。そして照明弾を盛んに打ち上げた。ようやく曙光の差す時間帯。しかし森林内の道路は光が両側の木々に遮られていて暗い。そこで照明弾で無理矢理明るくしてしまおうという意図だった。また詳細な位置を示す役割も負っていた。
「今照明弾を打ち上げた。視認できるか?送れ」
「こちら親鷲、確認した。着陸態勢に入る。交信終わり」
複葉機は最後尾の機を除いて翼端のランプを点灯した。前の機に続いて着陸できるようにするためだ。複葉機は特殊作戦専用機の短距離離着陸性能の面目躍如とばかりに着陸した。パイロットもこのような任務に対応可能な技量抜群の者である。
シュタイナ少佐は指揮官の責務として最後尾にいた。帝国兵は統制のとれないまま追撃してきていた。二人三人の兵が固まって追撃してる様子からして、どうにも指揮官が払底したらしく、独断専行している様子だ。
複葉機の護衛に就いている戦闘機から無線が入った。信号弾を打ち上げてもらえれば爆撃で敵を足止め可能だという。実は部隊の危殆に瀕していると知って四機の戦闘機が爆弾を懸吊してきていた。
森林内にいる敵兵をパイロットは視認できないこと、明かりが不十分で急降下爆撃が不可能、つまり水平爆撃になるため正確に投下できるわけではない。しかし爆弾の威力はそれを補い得るだろう。
少佐の部隊は赤の信号弾を頭上に、緑の信号弾を敵の方に向けて打ち上げた。
爆撃で帝国兵は前進を止めた躊躇した。道では部隊の先頭が複葉機へ駆け乗っていた。
「乗れ乗れ!先頭の機からだ!急げよ!慌てるな!」
シュタイナ少佐の副官の大尉が監督していた。
複葉機は定数の十人が乗ったら部隊員がその旨直ちにパイロットに叫び、それを聞いたパイロットはエンジンを前回にして、ガタガタと荒い道を滑走して飛び立った。二機、三機と続き、シュタイナは最後の機に飛び乗った。
「乗ったぞ!飛べ!」
機が加速を始めた時、数人の帝国兵が追い付いてきて射撃を始めた。シュタイナは反撃したいのを我慢して扉を閉じたままにした。扉を開けると空気抵抗が増え離陸が遅くなるからだ。心中は穏やかではない。この複葉機は短距離離着陸性能を重視していること、そもそも人員の輸送が目的であって銃火に晒されることは想定外。要は一切の防弾装備が無い。
敵との距離は開いていて、また走ってきたために呼吸が激しくて落ち着いて狙えず、射撃しても弾丸は中々当たらない。
「ぐあっ!」
一人に胴体外板を貫いた弾丸が当たった。
さらに数発が命中する。幸い、人員及び複葉機の操縦系統に被害はでなかった。
シュタイナは相当に肝を冷やしたが、それでもなんとか機は浮き上がった。
最終的にシュタイナ少佐は橋を占領するという命令を達成することはできなかった。けれども、帝国軍は少佐の狙い通り橋には意識を向けなかった。
確かに少佐は命令を果たせなかったものの、指揮官の企図を達成することはできた。
同日午後、国防陸軍の先鋒が橋を渡った。




