最終話.ミカンの花を見上げた
ロッサマーレからシエナロッソに向かうとき、
ソワソワとした視線で、わたしとビットを見守ってくれていた船員のお姉様方。
帰りの船では、ハラハラとした視線になっていた。
――待たせすぎだ。
と、自分でも思う。
――どうせ、みんな聞いてるんでしょ?
と、苦笑いしながら、甲板の真ん中でビットを呼び止めた。
「……プレゼンのお返事だけど」
「う、うん……」
「ロッサマーレに帰ってから、お母様のミカン畑でさせてもらったのでもいい?」
「も、もちろんだよ! ……た、楽しみにしてる」
「ふふっ。……ビットの気持ちに沿えるものだといいんだけど」
「カーニャが真剣に検討してくれた結果なんだから、どんな答えでも僕には嬉しいよぉ~」
甲板のそこかしこから聞こえてくる、船員のお姉様方が漏らすため息。
ちゃんと返事するんだという安堵と、この航海の間には聞けないんだという――、
「……ガッカリさせちゃったかしら?」
「いいんじゃない?」
と、ビットが軽やかに笑った。
「ちゃんと期限を切って考えられるのは、カーニャの優れた商才の一部だと思うしねぇ~?」
「……あら? わたし、ビットにそんなところを見せたことあったかしら?」
「お母様の手で植えられたミカンの樹が寿命を迎える30年か40年。その間だけでもミカン畑を守りたいって言ってたよ」
「……そうね」
「ずっととか、永遠にとか、無責任なこと言わないのは、カーニャの美徳だよねぇ~~~。惚れ直しちゃうなぁ~」
歌うように言いながら、ビットは船室に帰って行き、お姉様方は仕事に戻られた。
とりあえずカーニャ号の船内は平静を取り戻し、いつものように航海を楽しもうとふり返ったとき、頭上から視線を感じた。
見上げると、船橋の手すりにアゴを乗せてうなだれるルチアさんの小麦色の可愛い顔があった。
「……お返事されるところは、見せてもらえないんですねぇ~」
「え、ええ……」
「……アウロラに、船長まで代わってもらったのになぁ~」
「な、なんか、ごめんなさいね」
「……ミカン畑について行ったらダメですよね?」
「それは遠慮してもらいたいわね」
「ですよねぇ~~~」
ルチアさんったら、恋バナ、好き過ぎでしょ?
いつも元気で逞しいルチア船長の意外な一面が見れて、クスリと笑ってしまった。
「ちゃんと報告しますから」
「ほんとですか!?」
「ええ。ルチアさんたちには、お世話になりっ放しですから。ちゃんと報告させてもらいます」
それで機嫌を直してくれたのか、船橋から駆け降りてきたルチアさんと堅い握手を交わした。
「約束ですからね!?」
「ええ。契約成立ですわね」
「はい!」
考えてみれば、一国の皇太子の恋愛沙汰だ。
お相手は異国の女総督。
ビットの軽薄な振る舞いのおかげで意識せずにこられたけど、
女子のハートをくすぐる、一大ラブロマンスではないか。
船員のお姉様方から次々に約束の握手を求められ、結果報告会の開催を決められてしまった。
なんだか、外堀を埋められてる気もするけど、みんながわたしたちの幸せを祈ってくれているのは、
シンプルに嬉しかった。
Ψ
――そんなことが出来るの?
と思ったけど、ルチアさんたちの逸る気持ちが風に乗ったように、
帆船カーニャ号は、予定より1日早くロッサマーレに帰港した。
わたしの心の準備も、1日前倒しになってしまった訳だけど、
――こういうときは、考えすぎたらダメ。
と、すぐにビットをミカン畑に誘った。
どの樹も葉っぱがツヤツヤ。手入れが行き届いている。
つぼみはどれもパンパンに膨らんでいて、いまにも弾けて花開きそう。
ミカンの樹を一本一本、愛でるようにしながらミカン畑を登って、
お母様手植えのミカンの樹の隣にあるベンチに、ビットと並んで腰をおろした。
ロッサマーレの港からメインストリート、市街地、ミカン畑まで一望できる。
ちいさな街だけど、みなが賑やかに働いている姿が見えた。
「……ビット」
「うん」
「お返事をさせていただきます」
わたしもビットも、きっとミカンの実くらいに顔を赤くしている。
いちばん最初にビットから「結婚しよう」って言われたのは、いつのことだっただろう?
何回も言われ過ぎて、まったく記憶にない。
わたしの〈ファーストプロポーズ〉だったというのに、まったくひどい話だ。
だけど、そんなビットのことが大好きだ。
「ビット」
「なに?」
「結婚しよう」
「……え?」
「わたしと結婚しよう」
「……はい、喜んで」
どうしても言えないなら、言ってもらえばいいのだ。
ふんっ。
と、わたしは大きく息を吐いた。
「ははっ……。カーニャ、またなにかすごい〈工夫〉をしたね?」
「あら? わたし、なにかしました?」
「ふふっ。嬉しいよ……」
「それは、わたしもよ」
どうしてわたしの口が「はい、喜んで」のひと言を発してくれないのか、謎は解けない。
だけど、わたしの謎を解くために、わたしが人生を浪費するのは馬鹿馬鹿しい。
どうしても解きたくなったときには、ビットとふたりで解けばいいのだ。
ざまあみろ、わたし。
「あっ!!」
と、ビットがわたしの膝越しに身を乗り出して、お母様のミカンの樹をのぞき込んだ。
「……な、なに?」
「これ……、今年最初のミカンの花じゃないかな?」
「ほんとだ……」
ちいさくて白いミカンの花が、一輪だけ咲いていた。
「きっと、カーニャのお母様が喜んでくれてるんだよ!?」
「……ビット?」
「なに?」
「なんでも話せることは大切だけど、言葉にしない方が、こう……、胸に迫ることもあるのよ?」
「ほんとだね。……むずかしいなぁ~」
わたしの膝の上に覆いかぶさるような姿勢のビット。
この距離が、もう気恥ずかしくはなかった。
そのまま、わたしに顔を向けたビットと見つめ合い、
わたしたちは言葉を交わすことなく、2度目のキスをした。
それから勢いよく立ちあがったビットは、港の方に向ってまっすぐに立った。
「僕とカーニャ――――ァ!!」
「ちょ……、ビット?」
わたしが止めるのも間に合わず、
「結婚しまぁ――――――っす!!」
ぁす、ぁす、ぁす――……
と、街中に木霊するビットの声。
ピタッと、街の喧騒が止まった。
次の瞬間、街中の人たちが通りに出て来て、フライパンを鳴らしたり、木箱を叩いたり、
ミカン畑のわたしたちを見上げて、祝福の音をかき鳴らしてくれた。
港に係留している帆船のなかでも、船員さんたちが飛び上がって手を打ってくれている。
――大げさね……。
と、苦笑いしながら、
大きく手を振って応えるビットの横に並んで、わたしも手を振った。
――もう、結婚式はいらないんじゃないかしら?
と、そういう訳にもいかないのだけど、
お母様のミカン畑の真ん中で、街中のみんなからお祝いされたこの景色を、わたしは一生忘れないだろう。
ついにわたしは、恋に奥手から一歩踏み出すことができて、
一歩踏み出したところは、最高の〈ハッピーエンド〉だったのだ――。
Ψ
もちろん、わたしの根拠のない予感はあたらず、
わたしの転生人生は終わらなかった。
「絶妙にカロリーナ様らしいお返事でしたわね」
と、先に報告したリアは微笑んでくれた。
これからリアは、ラピスラズリの安定供給を交渉してもらうため、王国東方に向けて旅立つ。
場合によっては、アルアミル王国まで足を伸ばしてもらう必要があるかもしれない。
きっと近々、またふたりで、
――ボロ儲けじゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!
と、ささやかな雄叫びを上げることができるだろう。
船員のお姉様方への結果報告会は、かつてキャンプファイアーを楽しんだ広場で、夜明けまでつづいた。
何故かルチアさんが大泣きで、すこし困った。
アマリアはさっそく、わたしが結婚式で身につけるアクセサリー製作を始めるのだと、はりきってくれている。
お父様には、ビットとの結婚の意志をつたえる書簡を送り、すぐにお父様は王都政界への働きかけを開始してくださった。
ラヴェンナーノ帝国との接近を嫌うゾンダーガウ公爵から、また横やりが入るかもしれない。
けれど、どんな〈工夫〉をしても乗り越えよう。
ビットは帝都の皇帝陛下に会い、わたしとの結婚に許可をいただくため、一度、ロッサマーレを離れる。
もう何回目か数えるのをやめたキスを交わし、次は結婚式での再会を約束した。
ビットがシエナロッソに帰って行くカーニャ号を、満開に咲いたミカン畑のなかから手を振って見送る。
水平線にカーニャ号の姿が消え、
わたしは、ミカンの花を一輪一輪眺めながら、ミカン畑を降りていく。
あの日、この斜面を駆け降りたときから、わたしとビットの〈おはなし〉は始まっていた。
きっと、まだまだ続くわたしたちの〈おはなし〉も、軽やかで笑顔に満ちているに違いない――。
帆船がならぶ港まで歩き、山一面に咲き誇るミカンの花を見上げ、微笑んだ。
― 完 ―
本作の更新は以上になります。
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