3.意志
心臓を狙った。その筈だった。しかしその切っ先を止めたのは、修一の左腕に巻かれた端末の画面だった。
「……気付いてたの?」
必殺のつもりで打ち込んだ一撃。
「……まあ、ね。信じたくは、なかったけどさ」
正直、端末で防げたのはほぼ偶然だった。それでも何とか反応ができたのは、事前に倫子から話を聞いていたからだ。サキは権瑞に操られている可能性がある、と。
「そんなのって……先生ならすぐ分かるんじゃないんですか?」
「調べてみたけど、特に異常はなかったわ。でも、可能性が無い訳じゃない。――例えば、何かを切っ掛けに発動するとか、権瑞の好きなタイミングで、とかね。だから決して、油断しちゃダメよ」
正直、話半分で聞いていた。だが心のどこかに残っていた疑心が、自分を救ったのだろう。
「――そう。あの人が、ね」
まぁ、別に構わない。サキは一旦変身を解除して、距離をとる。
「どうしたんだよ! まさか本当に――権瑞に何かされたっていうのか」
考えられるとしたら、あの襲撃の夜。
「違う」
強い否定に、修一は口をつぐむ。
「別に操られてなんかない。――全て、自分の意志。私の意志でやってる事」
サキが端末を外して床に落とすのを、修一は唖然として見ていた。
「私は、あなたを殺す。……私が、生きる為に」
……何を言っているのか、分からない。
しかし、悪い予感は当たってしまったようだ。エレベータの箱が天井に当たった時の大音響でも、誰も集まって来なかった理由。もしかしたら、外には聞こえていなかったのではないか。つまり――このビルの中に入った時点で、既に結界の中に入っていたのではないか、という事だ。
だからあの二人は、このビルに自分達を誘い込んだ。そう言う事なのだろう。そして――。
「……最初から、分かってたのか」
「そうよ。このビル自体が罠だって事は承知で、あなたを連れてきた。もう分かっていると思うけど、既にここは結界の中。端末を使おうとしても、無駄よ」
修一は動かそうとしていた左腕を止める。
そりゃそうか。アップデートしたといっても、サキからその情報が流れているとしたら、既に対策されていても不思議ではない。
サキの足元に転がる端末を見る。本来外せないものが、外れた。いや、外した。という事は……本気だ。本気なのだ。背中を冷たい汗が伝う。
「――それで?」
この会話に、意味があるのか分からない。それでも、戦わずに済むのであれば、そうしたい。その一心で、言葉を繋いだ。
「俺の、心臓を食べるって? そんな事をしたら、権瑞が怒るんじゃないか?」
「大丈夫。私は、権瑞にあなたの心臓を届けるだけ。……それが、条件だから」
「条件って――何の?」
「私を、生かし続ける事」
生かし――続ける?
「前に言ったと思う。私には、寿命があるって。……その寿命は、もうすぐ尽きる。持っても、今月まで」
「……何だって?」
確か寿命は約100年って……。100年目が今年いや、今月という事か。しかし確か――。
「確か……改めて、生み出されるって。だったら――」
サキは被りを振る。
「確かに、肉体は生まれ変わる。記憶も引き継がれる。けどそれは、あの人に必要な部分だけ。……それは、私じゃない。今の、この私じゃない!」
その言葉の迫力に圧倒され、修一は何も言えなかった。
「私はこのまま、生きたい。生き続けたい。権瑞なら、それを可能にしてくれる」
あの時。自然公園での戦いの時。
権瑞はサキの心臓を掴み、握り潰した。霧散をはじめるサキの肉体。このまま、死ぬことを覚悟した。――が。
サキは目を開けた。
「……生きてる?」
「目覚めたかね」
その声に反射的に立ち上がり、身構えた。が、胸に走る激痛にたまらず膝を付く。
「無理しない方がいい。動けるという事は成功したようだが、まだ馴染んでいないからな」
「っ、何を言って――」
権瑞がサキの胸を指す。つられるように手を胸に当ててみた――が、何も手に触れなかった。慌ててそこを覗き込む。視界に入ったのは、脈打つ心臓。さすがのサキも青ざめた。
「心配要らんよ。適合したのだから、傷口はじきに塞がるだろう」
「……私に、何をしたの」
「別に。殺して、生き返らせただけだ」
あまりに簡単に言ってのける権瑞の態度に、本当に大したことをされていないのだ、と思ってしまいそうになる。
「ああ、感謝は不要だぞ。単に実験が成功しただけの話だからな」
「――誰が!」
吐き出すようなサキの言葉に、権瑞は口の端を歪める。
「私は、お前の心臓を潰した。その後、新しい心臓を埋め込んだんだ。良かったな。これで、目途が付いたぞ」
「……目途?」
「ああ」
権瑞はステッキの先を向けて、続けた。「お前を人形でなく、本物のビーストにできる、という目途がな」
「……今、何て――?」
思わず、口から漏れた言葉。すがっていた。権瑞の言葉を『希望』として捉えてしまっていた。
「乗るかね? 私に」
得たりとばかりに権瑞は笑った。
「その為の条件っていうのが――」
「あなたの心臓を、権瑞に捧げること」
サキは冷静な口調に戻り、続ける。「権瑞は、その時の記憶を私から消した。残していたら、あの人に読まれてしまうから。――けど、この場所に来て、思い出した。私が本当に望んでいた事を」
修一は首を横に振る。
「先生に、頼めばいいじゃないか! 記憶の一部を引き継げるなら、全部だってできるんじゃないのか? そうするように頼もう。俺からも――」
「無駄よ」
途中で遮られ、修一は口を閉じざるを得ない。
「あの人が、そんな事許すはずが無い。絶対に」
「どうしてさ。頼んでみなけりゃ……」
「そうしたとして、あの人に何の得がある? あの人は、自分の利益に適う事しかしない。これまでも、これからも、ね。――だから私は、こうするしかない」
サキの体が発光し、腕から変身が始まる。
「……安心して。あなたも私と同じように、生き返る事ができる。権瑞は約束してくれた。それであなたも、完全なビーストになれる。私と同じに。そうなればもう、色々と悩む事もしなくて済む」
そして――白銀の野獣が、立っていた。
修一は、拳銃をサキに――野獣に向けて構えた。
「……おかしいよ。どう考えても、君は騙されてる。そんな都合の良い話しが、ある訳無い」
「かも、しれない」
あっさりそう言ったサキの言葉に、修一は思わず銃口を下げる。
「でも――私はもう、それにすがるしかない」
サキが、野獣が咆哮を上げる。
――来る!
思った瞬間、修一は横からの衝撃に弾き飛ばされ、壁に叩きつけられていた。意識が飛びかけ、銃から手を放しそうになる。それでも床に倒れ込もうとする自分の頭上から迫る黒い影に何とか意識をつなぎ止め、床を転がる。自分が 倒れていたであろう場所に叩きつけられる、野獣の腕。建物が揺れ、埃が舞い上がる。
埃の奥へ向けて数回引き金を引く。当たる事は最初から期待していないが、少しでも時間が稼げれば儲けものだ。ここは場所が悪い。狭すぎて、どこに居ても相手の攻撃が届いてしまう。外に出るとして、選択肢は2択。さっき覗き込んでいたエレベータか、入ってきた窓。向かうべきは――こっちだ!
修一が走ったのは、窓側。より近くのエレベータとは逆方向。開け放していた窓から飛び出し、向かいのビルの屋上に着地する。賭けに勝った、と安心する間もなく、今迄居たビルの壁が大音響と共に崩れると、そこから飛び出した黒い影が、構造物を押し潰しながら屋上に降り立った。
「逃げても無駄よ」
サキの声が、言う。「あなたを殺すまで、この結界は消えない。ビーストのルールに則ってね」
野獣の胸や腕に数回のスパークが走るが、気に留める様子も無い。
「……そんなもの、持ってたのね。まぁ、意味は無いけど」
空になった弾倉を捨て、予備と交換する。
「変身、しないの? もう気付いてるでしょう、この結界に入った時点でいつでも変身できるって」
変身――変身、か。
そうするという事は完全に敵対の意志を示す、という事だ。銃まで撃っておいて何を、という感じではあるが、元からこの拳銃でサキを倒せる等思っていない。だが変身は違う。それは、ビーストを殺せる力だ。届きさえすれば――だが。