2.遺憾
サキが屋上に降り立った時、既に男の姿は消えていた。
『どうなったの? 報告を!』
「逃げられた。二人目も、一人目と同じ能力を持っている」
そう。結界を展開しようとした瞬間、男の姿が何もない空間に吸い込まれるように消えたのだ。相手が居なければ、結界は展開できない。
「――どうなったんだよ?」
元居たビルに戻ると同時に、修一が訊ねる。
「敵は二人居た、ということ」
「マジかよ……よく気付いたな」
「最初に襲ってきた奴がどうやって私達の位置を把握しているのか、気になってた。声は小さな穴でも開けておけばこちらに届くけど、位置を覗ける位の穴があれば、直ぐに気付く筈」
「……そんな穴、無かったよな」
サキは頷く。
「要は協力者が外から覗いていて、私達の位置をあいつに伝えていたという事。単純な話」
修一はサキが指した向かいのビルを見るが、当然そこには誰も居ない。
「相手を見たけど、こちらの男と瓜二つだった。……もしかしたら兄弟、のようなものなのかもしれない」
……ビーストにも兄弟という感覚があるのか。
「二人目も結界の中に逃げられた。けど――」
「一人目の攻め手は封じた、という事だよな」
事実、サキが飛び出していってからは一度も攻撃されていない。
「問題は、この後」
『……そうね。奴ら、合流したみたいよ。どうやら、結界は共通みたいね』
パソコンで確認しているのだろう倫子が言う。
「じゃあ――」
「黙って」
サキが指を口に当て、口を開こうとした修一を止める。次いで耳を指す。静かにして耳をすませ、ということか。
と、修一の耳にも、どこからか話し声が聞こえてきた。いや、これは話し声というより、罵りあいだ。
「何やってんだよぅ、アル! 話がちげぇじゃんか!」
「うるせぇ、エル! 元はといえばお前がモタモタしてるのが悪いんじゃねぇか! あんな見え見えの誘いにハマりやがって!」
「ア、アルが言ったんじゃねぇかよぅ。あいつらが背中合わせになってるからチャンスだってよぅ」
「うるせぇ、エル! おめぇがさっさとやってりゃあ、こんな事にはならなかったんだ。――いや、そうだ。グダグダしてる場合じゃねぇ! こんな事になっちっまって、どうするかを考えなきゃあ」
「ア、アル、アル!」
「何だよ、エル! 黙ってろ、今どうするか考え――」
「そこ、そこ、そこぉ!」
エルの指す方向を見たアルは目を見張った。空間に徐々に浮き出してくる扉の形。――ヤバい。結界が浸食され始めている!
「……エル」
「何だい、アル」
「――逃げるぞ!」
『……やっぱりね。奴ら、逃げ始めたわ。北西方向』
「了解した」
サキは作りかけた扉がかき消されるのを確認して、修一に向けて顎をしゃくる。「追うわよ」
二人は同時に窓に向かって駆け出した。
「屋上から屋根伝いに行く」
「了解!」
返答しながら修一は、全く驚きもしない自分に呆れていた。
……染まっちまったなぁ、俺。
屋根伝いに追うのは、他人に見られない為という事もあるのだろう。ジャンプとワイヤーを駆使しながら、倫子が端末に送信してくる位置情報を頼りに追跡を続ける。
「――だけど、どこまで追えばいいんだよ!」
「結界の広さにも、限度がある筈」
『あたしの方で、何となくだけど範囲の予測は出来てるわ。人間達にも協力めいれ……要請してる。包囲して、追い詰めるわよ!』
要は根競べ、という事か。
それにしても、現実世界でここまでビーストの能力を発揮する機会があるとは思わなかった。ビルからビルへと飛び回る二人の姿は、さながらアメコミのスーパーヒーローが如くである。
「――いつまで、逃げんだよ! アル!」
結界の中に敵は入ってこられない。だが、移動しながらでは外を確認する事もできない。従って、見えない敵に怯えながら出鱈目な方向に逃げ続ける、という事になる。正直これは、キツい。
アルは一度立ち止まり、隙間を開いて外を確認する。相手もビーストだ。近くに居れば気配で分かる筈――。
「……あそこ!」
眼に飛び込んで来たのは、一直線にこちらに向かってくるサキと修一の姿だった。慌てて隙間を閉じる。
「どうだったよぅ? アル」
頭を抱えてしゃがみ込んでしまったアルに、エルが訊ねる。
「……分かるだろうよ、エル」
「え? 分かんねぇよぅ、アル」
その言葉に、アルが指した所をエルは見た。空間に徐々に浮き出してくる扉の形。
二人は慌てて駆け出す。
「どうなってんだよ! アル!」
「俺が知るかよ! エル!」
そう言いつつも、想像は付く。奴等には元締め的な存在が居た筈。そいつが何らかの方法でナビしているとしたら――。
「……厳しい、な」
「あ? 何だって? アル」
アルは足を止めて、周囲を見回した。そこまで考えて移動していた訳ではなかったが、おそらく現在地は繁華街のほぼ中心。様々な店の入ったビルが立ち並ぶ、人の往来が最も多い地点だ。
「……悪いな、エル」
「あ? 何だって?」
「後は頼んだ」
言った瞬間、エルの足元に隙間が開いた。
「ア、アルぅっ!」
驚愕の表情を浮かべたまま、エルが結界の外へと落ちていく。
「そこなら、うまくすりゃ生き残れるさ。――じゃあな」
アルはそう言って手を振り、隙間を閉じた。
「ぐへっ!」
尾てい骨をしたたかに打ち、エルは思わず声を上げた。周囲を見ると、ビルとビルの隙間のような場所。屋上に立っていた筈なのに……アルの奴、違う場所に落としやがったな。
とにかく、逃げないと! 隙間を開いて――。
「……何処に行こうって?」
声が聞こえた瞬間、脱兎の如くその場から逃げ出した。
くそっ、くそっ!
掌に残る違和感。一瞬だったが、分かった。隙間ができなかった事が。
アルの野郎、許さねぇ。何としても戻って、そして――。
バッ、と青白い稲光が目の前をよぎった気がした。次の瞬間、全身に衝撃が走った。
――当たった!
修一は想定外の出来事に仰天していた。村田から預かった電磁拳銃。撃つ練習などしていなかったが、まさか一発で命中するとは。
「命中じゃねぇ!」
エルは痺れる体を何とか起こす。弾は背中に当たったようだ。が、衝撃は一瞬だけ。体が動くならまだ何とかなる! 脚に力を込めて、地面を蹴る。周囲に何度かスパークが舞うが、当たらなければどうということはネェっ! ビルの隙間から外に――。
「逃がさない」
出た、と思ったその時、横から飛んできた何かにエルは吹き飛ばされた。一瞬、意識が飛びかける。ぐらぐらと動く視界を何とか戻すと、目の前にはサキが立っていた。
「――一人目、確保」
サキは端末に手をやる。
「……馬鹿がぁ」
エルの口が大きく歪んだ。「ここに来れた時点で、タッチダウンだってんだよ!」
次いで、叫んだ。
「誰かぁっ! 助けてくれぇっ! 殺されるうっ!」
ビルの谷間に反響するような大音響。
「っ、コイツ何を――」
さっさと結界を、と思った次の瞬間、サキはハッとする。周囲に群がる人影。向けられるスマホのカメラ。……それが狙いだったのか。
『……まずいわね』
倫子はモニターを睨みつけながら眉間の皺を深くする。『人がどんどん集まってきてる。無理もないか。制服姿の女子高生がオッサンとケンカしてるなんて、格好のネタだもんね』
――それだけではない。
「そこまでだ、ネェちゃん」
ポン、と肩を叩かれて振り向くと、そこにはスーツ姿の村田が立っていた。周囲に何台かのバンが止まり、男たちが野次馬の整理を始めている。
「流石に、ここまで人が多いとごまかしきれねぇ。ここは、俺達に任せてくれよ、な?」
支援要請を出した事が、裏目に出てしまった。これでは、監視を連れてきてしまったようなものだ。
ようやく合流した修一は人の多さに目を丸くし、慌てて銃を隠す。
『――仕方ないわね。ここは修一君に任せて、サキはもう一人を追って』
倫子の言葉に、サキは唇を噛む。ポケットから時計バンドのようなものを取り出すと、エルの腕に巻きつけた。
「これで、あなたはビーストの力を使えない」
「知ってるぜぇ。あんたらが付けてるそれと、同じようなモンなんだろぉ?」
へっ、とエルはサキの端末を指してせせら笑う。
「あと、お願い」
サキは修一とのすれ違いざまにそう言うと、ビルの間に消えていった。
「よぉーし、引っ立てぃ!」
芝居がかった村田の声に二人の男が左右からエルの腕を掴むと、ぐっと引き上げる。抵抗するか、と一瞬緊張したが、エルは不敵な笑みを浮かべて修一を睨みつけつつも、抵抗なく男たちに連れられてバンに入っていった。
「……どうなるんです、あれ」
「そりゃぁお前、起訴して裁判って訳にもいかんわな。だから――」
「……だから?」
「色々、協力してもらう事になる。俺たちが、ビーストを理解する為にな。おっと、具体的な内容は訊くなよ。なに、ちょっと手足をふんじばって、解剖とかしてみる位だからな」
「……ウソですよね?」
「ウソに決まってんだろ。俺たちゃ清く正しく美しい――って、これ前に言ったな。まぁ、解剖は冗談だが協力はしてもらう。生きたビーストってのは貴重なんだ」
修一が無言でいると、
「言い方はアレかもだが、実際そうなんだぜ? ビーストって死ぬと、煙みたいに消えちまうじゃねぇか。分かっている事なんか、殆ど無いんだ。どういう理屈で生きているのか、人間に擬態できるのか。調べたいって輩はゴマンといるのさ」
――そうだ。自分も一つ間違えば、調べられる側の立場になっていたかもしれない。いや、倫子の庇護がなければいつそうなってもおかしくないのだ。そう考えると、多少の同情を禁じ得ない。
と、端末から電子音が鳴った。
「もしもし?」
『――ダメ。見失った。お荷物切り離して、身軽になったって感じね。急に動きが良くなって、振り切られたわ』
倫子の声にため息が重なる。『とりあえず、サキと合流して』
「了解」
通信は切れた。
「何だ、今日はあがりか? まぁ俺らもそろそろ引き上げるけどな」
気が付くとあれほどいた人垣もほぼ無くなり、街は平静を取り戻していた。
「じゃあ、また夜に店でな」
村田はそう言って手を上げると、エルを収容したバンに乗り去っていった。
それを見送り、サキはどこに――と思ったその時、再び端末が鳴った。通信ではない。メールだ。
◇ ◇ ◇
サキはエルと最初に遭遇したビルの部屋の中にいた。
エレベータは壊れたままで、部屋の中は戦いの後が生々しく残っている。
「……ここに居たのか」
開いたままの窓から修一が入ってきた。いささか非常識な入室方法だが、この場合は仕方あるまい。
「どうしたんだよ? わざわざメールで場所を連絡してくるなんて」
「片割れを追いかけていたら、奴はここに戻ってきたの」
サキは口を開く。「だけどここで、気配を絶たれてしまった。けど、ブラフかもしれないから、念の為」
修一の体に緊張が走る。
「――大丈夫。もう完全に見失ってしまったから」
ガクッと力が抜ける。いい事なのか、悪い事なのか。……まぁ、良くはないだろうが。
修一は改めて部屋の中を見回し、ため息をつく。
「……コレ、このままでいいのかなぁ? 店長に、後始末頼むのかい?」
「ここは、このままでいいと思う。人目につくわけじゃないし」
まぁ、それは確かだろう。最初にサキが言ったように、元々ここは廃ビルのようだ。
修一は歪んでしまったエレベータの扉の隙間から、中を覗き込んでみる。中は暗く、土なのかカビなのか、何とも言えない無機質な臭いがしてくる。
箱が破壊された時などは相当な音がした筈だが、特に人が集まってくるような事も無かった。そう、まるで不自然な位――。
「なあ、ちょっと思ったんだけど――」
振り返った修一が見たのは、右腕を振り上げて無表情にこちらに飛び掛かってくるサキの姿だった。




