夢のあとさき 3
少女の願いを聞いて、三人は顔を見合わせた。
「お願い、あのランウェイを歩きたいの!」
切なる願いは、少女の真剣な目に涙が浮かんでいることでもわかる。だが、それをにわかに叶えられる手立ては見当たらなかった。
少女の名前は、日高 蘭と言った。モデルを目指して上京し、雑誌モデルなどをしながら、数々のオーディションを受けてファッションショーへの出演を夢見ていたという。そして、オーディションを突破し、今日のイベントのショーに出演できることになった。ところが、夢の舞台を前に、彼女は命を落としてしまった。
「日高さんは、私の歌の時に出演する予定だったわよね」
セレナが言う。
現在、英知と凪はセレナの楽屋にいた。蘭の話を聞くためには、人に邪魔されない場所が必要だった。もともと英知はセレナに楽屋に招待されていたし、セレナは英知の力のことを知っているから、セレナに頼んで場所を貸してもらったのだ。
セレナも一緒に話を聞いているが、彼女は感受性が強いため、英知はあまり労力を費やさずにセレナに感覚を分けられた。凪は英知の感覚とシンクロできるので、感覚を分けることなく蘭の声を聞ける。
「私、今日のショーを一つの目標にしてたの。だから、田舎の両親や友達や、お世話になっている事務所の人たちを招待したの。私が、ちゃんと頑張ってるって、見てもらいたいのよ」
蘭が言うには、今日のイベントは、ファッションショーとしての規模は大きくはないが、コレクションと銘打つ人気のショーに出演しているようなモデルも過去に出演したイベントで、それらのショーへの出演の足がかりとなる登竜門のような位置づけらしいのだ。
「これが最期でも、みんなに私の晴れ舞台を見て欲しい。それが、応援してくれた人たちへの恩返しだと思うから」
父の反対を押し切って上京してしまった自分を、いつも優しく支えてくれた母。あんなに怒っていたのに、私が載った雑誌を父が切り抜いて取っておいてくれていると、こっそり教えてくれた。
夢に挑戦するか迷っていた時に背中を押してくれた友達。今でも彼女たちと電話やメールでやり取りをすると、私を勇気づけてくれる。彼女たちが雑誌の私を真似して服を買ったと言ってくれるのが励みになる。
進路希望調査の時に進学先を書かずに「モデル」と書いたのに、怒らずに「頑張れよ」と言ってくれた恩師。卒業した今でも私を気に掛けてくれている。
いつも私を全面的にバックアップして応援してくれる事務所の人たち。オーディションに落ちても、いつも励ましてくれた。雑誌の仕事もたくさん取って来てくれた。場数を踏んで、多くの先輩モデルと一緒に仕事をすることは勉強になるからと。
蘭の願いは切実だ。それだけに、英知は考え込む。う~ん、と唸りながら頭を抱える。
「日高さんは、みんなに見てもらいたいんだよね」
ただ憧れのランウェイを歩きたいだけなら、蘭は霊の状態なのだから、自由に歩けばいい話だ。本番前の今でも、本番中でも、好きな時に歩けばいい。だが、蘭の願いは、それでは叶えられない。
人前で歩けば、中には蘭の姿が見える人もいるかもしれないが、彼女が望む人に彼女の姿が見えるかは疑問だった。
英知の『感覚』を分けるとしても、見ず知らずの蘭の知り合い全員を判別して触るのは難しい。かといって、会場全体に蘭の姿を見せるには、英知の『感覚』をみんなに分けなければならない。
「姫音祭の時みたいに、声を媒体にすることはできない?」
凪がおずおずと提案した。それが英知に負担が掛かるとわかっているから、推奨はできないが、一つの可能性として示してみる。
「そうか…」
その提案に、英知は凪をじっと見つめたまま、何かひらめいたように目を見開く。
凪の通う高校の合唱祭である姫音祭では、英知は合唱部のために、凪の声を媒体に、亡くなった愛音の声をみんなへ届けた。あの方法なら、一度に大勢の人に『感覚』を分けられる。ただし、あの時と条件が違うのは、声でなく姿が見えなければならないということだ。
「それなら…」
再び英知は考え込む。
声を媒体にして、姿が見えるように『感覚』を分けることは、可能かもしれない。あの時は声が聞こえるように『感覚』を分けたが、それを姿が見えるように特化すればいい。多少力は多く必要になるが、できないことはないだろう。
「できるかもしれない、けど…」
問題は、あの時とは規模が違うこと。そして、その媒体となる声は…。英知はちらりと視線を上げた。セレナと目が合う。
「私にできることがあるなら、何でもするわ」
英知の意図を読んだように、セレナが申し出た。
「蘭さんの気持ち、わかるもの。私も、ずっと歌手になりたくて、ステージで歌う姿を、大切な人に見て欲しいと思っていたから」
今日のステージを、両親が見に来てくれることになっている。でも、本当は、もう一人、来て欲しかった人がいた。もう会えない、大好きな人。ずっと私を応援してくれていた。最期に、私が歌手になるのを楽しみにしていると言ってくれた、姉。
「蘭さんがウォーキングするのは、私が歌ってる時だし、協力できると思うわ」
ゲストとして登場するセレナの生歌に合わせてランウェイを歩くという大役を、蘭は勝ち取った。セレナと蘭は何度かリハーサルを行っており、面識もある。蘭が頑張っているのを知っているだけに、そして自分と重なる部分があるため、セレナは蘭の願いを叶えてあげたいと思った。
「もしかしたら、セレナちゃんには少し負担を掛けちゃうかもしれないけど、お願いできるかな」
凪のように、もともと霊感を持っていれば、英知の『感覚』の媒体になることに、さほど苦はない。だが、セレナは霊感を持ってはいない。セレナが媒体になることは、彼女の身体に負担を掛けることになるかもしれない。
「英知くんの頼みなら、何でも聞くわよ。役に立ちたいもの」
セレナの身体に掛かる負担の危険性を説明した英知に、胸を張ってセレナは請け合う。
「ありがとう」
セレナの絶対的な信頼を得ている英知を、凪はちらりと見やる。さっき、英知とセレナの繋がりが見えずに戸惑っていた凪に、セレナがこっそり耳打ちしてくれた。「姉の事件の時にお世話になったの」と。
ナイチンゲールの歌姫、水戸セレナの姉が、彼女がデビューする直前に殺されたことは、一部で報道されていた。“悲劇の歌姫”と煽る記事も出ていた。けれど、そんな中、毅然と「姉のためにも、私は歌います」と宣言した新人歌手を、世間は好意的に受け入れた。
セレナの姉の事件は、英知が凪に「会いたい」と電話をしてきた時期と同じだ。この人はまた、無茶をしてまで人を救ったのだろうか、と英知の横顔を見つめる。
「桜沢さん」
セレナと蘭と段取りの打ち合わせに入ろうとする英知の服の袖を凪は引っ張った。何?と英知が振り向く。
「大丈夫なの?」
「大丈夫、できると思うよ」
英知は凪を安心させるように笑顔を見せた。
「そうじゃなくて、桜沢さんの身体を心配してるの。提案しといて何だけど、姫音祭の時だって結構しんどかったんでしょ。それより大変になるのよね」
姫音祭の時、英知はその疲労を長距離走で例えた。あの時はハーフマラソンよりも長い30km。人数だけで考えれば、その二倍はいるので、単純計算でも60km。すでにフルマラソンより長い。そして、声を媒体としながらも、分ける『感覚』は蘭の姿を見ることだ。とすると、より労力を要するだろう。それを二倍程度と仮定すれば、120km。24時間でも走り切れるか怪しい距離だ。
「ありがとう、佐原さん」
心配顔の凪に、英知は手を伸ばす。髪に触れ、頭を撫でる。柔らかな笑顔でそんな風にされて、凪は思わず赤面する。