ナイチンゲールの葬送 2
井上に連れて行かれた喫茶店で、英知はざっと事件のあらましを説明された。井上は、英知の前に一枚の写真を出す。
「……騙された」
その写真を手に取り、英知は呟く。
「ん?」
「この子、どう見ても十代じゃないですか。井上さんの恋人だというなら、犯罪です」
「ああ、それは被害者の妹」
被害者はこっち、と井上はもう一枚の写真を差し出す。
「…やっぱり、騙された。この人が井上さんの恋人なら、井上さんが騙くらかしたとしか思えません」
写真の中の女性は、二十代前半だろうか。清楚とか清純とかいう言葉が似合いそうな、優しそうな女性だった。こういう女性が殺人事件の被害者になるなんて、何だかやるせなくなる。
「失礼な」
言いながら、井上の顔は笑っていた。それで、英知は自分が騙されたことを確信した。
「と、まあ、確かに、ごめん騙したんだけど」
じろりと英知は井上を睨むが、井上は気にしない。
「被害者とは、面識はない。ごめん、ああ言えば、協力してくれると思って」
「卑怯です」
英知の非難に、井上は「ごめん」と謝るが、悪びれた風はない。
「でも、もう君は降りることはできないよ。捜査上の秘密を知ってしまったからね」
まるで、そのことに自分は関与していないかのように井上は言う。捜査上の秘密を漏らしたのは井上自身で、それが表に出れば罰せられるのは井上のほうだった。
「…姑息というか、えげつないというか…」
呆れたように英知は呟いた。
「君の協力が必要なんだよ」
「……わかりました。今回だけですよ」
念を押して英知は渋々頷いた。大人げなくテーブルの下で小さくガッツポーズをする井上に、英知は静かに告げる。
「でも、これだけは約束してください」
それは、英知にとって、協力するにあたり絶対に守ってもらわねばならない事項だった。
「俺の力のことは、絶対に口外しないでください」
「ああ、約束するよ」
霊感の強い人間というのは、英知以外にも存在する。凪だって、井上だって、霊の姿を感じることができるという意味では、英知と同様に霊感が強いと言われるだろう。
だが、英知が特異なのは、その感覚をほぼ自在に操ることができ、時には他人に分け与えられることだ。井上は、英知が『感覚』を人に分けられることを知らないが、こういうオカルト的な印象を持たれる能力は、隠したほうが得策だと英知は学んでいた。
事件の概要はこうだ。マンションの一室で女性の死体が発見された。第一発見者は女性の妹。女性の死因は睡眠薬の過剰摂取によるものと思われた。室内に荒らされた形跡はなく、着衣に乱れもなかった。
「状況から、まずは自殺だと考えられたんだ」
女性には、自殺する理由として妥当な出来事があった。数日前に、彼女は堕胎していた。望んでのことではなく、体調不良か事故によるものらしかった。
「自殺なら、俺の出る幕じゃありませんね」
井上に現場である女性の部屋に引っ張って行かれながら、英知は熱のない声で言う。
「どうして?」
自殺者は霊にならない決まりでもあるのだろうかと井上は首を傾げる。
「理由はどうあれ、自殺は、自ら『死』を選んでいる。少なくとも、死ぬことに対する覚悟があったはずです」
表情を変えずに英知は答える。
「自ら望んで死んだ人間の声まで、俺が聴く義理はありません」
英知の言葉は辛辣だ。井上は思わず英知の顔を観察したが、その表情は読めない。
ただの、人の好い霊感少年だと思っていた。けれど、違うのかもしれない。この青年は、優しげな顔や雰囲気とは裏腹に、もっと、深い何かを抱えているのかもしれない。
「…いや、でも、まあ、自殺と考えるには、不自然な点も多くて」
気を取り直したように井上は説明を再開した。
「まず第一に、子どもの父親が誰なのか、わからないんだ」
妹や親しい人間に尋ねたが、誰一人として、女性の恋人について知らないと答えた。彼女が妊娠していたことも、妹ですら知らなかった。それどころか、自分が父親だと誰も名乗り出ない。
エレベーターが到着を告げるチャイムを鳴らし、井上は英知を促して降りた。廊下を少し歩いて、立入禁止となっている部屋を開ける。無論、事件とは無関係の英知が入ることは本来許されていないが、井上はそれを律儀に守る気はないようだった。
ドアを開けた井上に背中を押されて、英知は部屋に入る。女性の一人暮らしといった風の小奇麗な落ち着いた部屋だった。
「女性の名前は水戸 小夜子。24歳。職業は看護師」
靴を脱いで部屋に上がりながら井上が説明した。英知も井上に促されて部屋に上がる。
井上は英知を小夜子が死んでいた部屋へと案内した。といっても、1Kの小さな部屋なのだが。そこには、刑事ドラマで見るようにロープでかたどった人型が横たわっていた。
「第二の疑問点は、睡眠薬を飲んで死んだはずなのに、睡眠薬がこの部屋のどこからも見つかっていないこと」
ドラマなどでは、テーブルか床の上に睡眠薬の瓶が転がり、残りの睡眠薬が散らばっているはずだ。傍らには、水が入ったコップもあるはずだ。ところが、この部屋には、どこにもそれが存在しない。
「コップもないなんて、不自然なんだよ」
呟いて、井上は部屋を見回す。
「致死量の睡眠薬を飲んで、自分でコップや薬を片づけるなんてできないはずだ」
それならば、考えられるのは、誰かが片づけた、という可能性だ。誰が? 何のために? 犯人が、犯行を隠すために──とは考えられないだろうか。
「それから、疑問がもう一つ」
これは、捜査会議では気にも留められなかったけど、と前置きして井上は戸棚の引き出しを指差した。
「部屋は荒らされていないのに、ここだけ触られた形跡がある」
井上が引き出しを開けると、文房具や写真のファイルが雑然と入れられていた。
「他の引き出しは綺麗に片付いてるのに、ここだけこんなに乱雑なのは不自然なんだよ」
「……何かを、ここから持ち出した、ということですか」
「鋭いね」
引き出しの内側に直線的な傷が残っている。そこに箱か何かが置いてあって、誰かがそれを持ち出したのではないか。その空いてしまった場所をごまかすために、引き出しの中身を広げた。その乱雑な様子が違和感を生むのではないか、というのが井上の主張だ。
誰が、何のために、何を、持ち出したのか? その人物が小夜子を殺したとは考えられないか。
「だから俺は、自殺じゃないと考えている」
井上は英知を振り返った。
「どうかな、小夜子さんの姿は、見えないかな?」
英知は辺りを見回して、しばらく様子を伺っていたが、やがて静かに首を左右に振った。
やはり、ここにはいないのか。井上にも、この部屋からは誰の気配も感じられなかった。
捜査に協力を求める井上に、英知は自分だって『見える』のだから、自分で見ればいいではないかと言った。だが、井上には、捜査の間中、小夜子の姿は、一度も見えなかった。もともと井上は、それほど霊感が強いわけでもない。何かの拍子に偶然見える程度だ。だから英知に協力を迫ったのだ。
英知ならば、小夜子を見つけ出し、事件について聞き出せるだろうと。




