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S.O.S!  作者: 如月 望深
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ナイチンゲールの葬送 1

 部活へ行こうと廊下を歩いていると、英語教師の広瀬に声を掛けられた。

「佐原さん、英知くんと付き合ってるんだって?」

「…先生までっ! 違います! ていうか、今頃訊きますか、それ?」

 英知と凪の噂は、凪が否定したこともあり、めぐり巡って教師の広瀬に届いた頃には、もうすでに生徒の間では下火になっていた。

「あら、違うの?」

 凪の否定に、広瀬は残念そうな顔をした。

「生徒の噂なんて真に受けないでください」

「佐原さんは、英知くんじゃ不満? 優しくて、すごくいい子よ」

 どうやら広瀬は英知と親しいらしい。テニス部のコーチに来た英知が広瀬と話しているのを何度か見かけたこともある。

「…前にね、救ってもらったことがあるの。ほら、英知くんが補講中に来た時」

 そういえば、補講授業中の広瀬を英知が訪ねて来たことがあった。

「あの時、佐原さんにも助けてもらったね」

「え?」

「佐原さんの言葉が、私の背中を押してくれたの」

『先生、さっきから時間気にして時計チラチラ見てる。行けば? 補講は明日も出来るんだし』

 ふふ、と大人の笑顔を見せて、「だから私、二人はお似合いだと思うのよ」と広瀬は言う。

 ……あの人が、優しいなんてこと……本当に、無駄に優しいことなんて、嫌というほどわかっていますとも、ええ。と、声にせず凪は答える。

「でも、私のことを何とも思っていない人と噂になったって、嬉しくありません」

「それって、英知くんの気持ちが伴うなら、嬉しいってこと?」

「ちがっ! そんなんじゃ…」

「英知くんのこと、好きなのね」

 大人の女性特有の、何でもお見通しというような微笑の広瀬に、凪は口を開閉する。

「……なんで、そうなるんですか?」

 やっとのことでそれだけを口にしたが、広瀬はそれには答えず、仕事が残っているから、と職員室へ向かってしまった。


 ───好き? …あの人を?


 部活へ行くと、すでに英知が来ていた。風邪はもういいのだろうか。遠目で観察してみるが、元気そうだ。女子高生たちに囲まれて談笑していた英知が、ふと凪に視線を留めた。微笑した英知から露骨に目を逸らし、凪は更衣室へ歩いて行く。

「…佐原さん!」

 みんなの輪を抜けて英知が追いかけて来た。さっきの広瀬との会話を思い出して赤面してしまいそうなので、聞こえないふりをする。

「待って、佐原さん」

 英知の手が凪の手首を掴む。

「この間のお礼を言いたくて。ありがとう」

 そろりと振り向いて英知の顔を見上げる。

「来てくれて、嬉しかった。佐原さんに、来て欲しいって思ってたから」

 ~~~なんってことをっ、なんって顔して言うのかしら、この人っ!

 一気に顔が熱くなるのがわかる。きっと耳まで真っ赤だ。それなのに、英知はニコニコと微笑んで、凪の手首を持ったままだ。

「……私、着替えて来るから」

 赤い顔を見られないようにうつむいて、やっとのことで小さく言う。あ、ごめん、と英知は手を離す。英知に背を向けて歩き出そうとすると、背中に声がぶつかった。

「…佐原さん、開兄かいにい、何か言ってた?」

 足を停めて、凪は振り返らずに問い返す。

「何かって?」

「───直緒のこと」

 開智は大学に戻る前、英知に言い残していったのだ。「彼女には、直緒ちゃんのこと、きちんと話しておいたほうがいいぞ」と。「彼女が、お前の力のことを知ってて付き合ってくれているなら、なおさら」

 英知の口から、初めてその名前を聞いて、凪の心臓はドキリと激しく鼓動して、その影響なのか、キリキリとひねり上げられたように痛みを伴う。

 凪は黙って首を左右に振った。

「…そう」

 それならいい、とでも言うように、英知はその場を離れようとした。思わず凪は振り向いて、英知を捕まえた。

「そんな中途半端なこと言われたら、気になるじゃない!」

 直緒って、誰? 口にできない疑問を喉の奥に飲み込んで、英知を見上げる。凪が飲みこんだ言葉がわかったのか、英知はわずかに微笑んだ。

「直緒は、中学の時の彼女。中三の夏に、──亡くなった」

 そこにあるのは、いつもの飄々とした英知の笑顔ではなかった。どこか、何かが欠けた、哀しい微笑み。……まるで、泣いているみたいに見えた。



 大学を出たところで、スーツ姿の男に行く手を阻まれた。知らないふりをして右に一歩踏み出すと、相手も同じ方向へ一歩動く。左に一歩。同様に相手も右に一歩。まるで気の合わない道の譲り合いみたいだ。

「……何の用ですか、井上さん」

 仕方なく、英知は相手の顔を見上げた。

「あからさまに迷惑そうな顔をするな」

 愛想笑いで注意をされるという奇妙な体験をした英知は、訝しむような目で井上を眺める。

「それで、ご用件は?」

 スーツの男と大学前で話をしているだけでも不自然なのに、その男の職業が刑事とわかれば、周りは英知に不審な目を向けるだろう。

「君の力を貸りたいんだ」

「お断りします」

 井上の隙をついてその横を通り抜ける英知を、井上は追いかける。

「待ってくれ、君の力があれば…」

「この間、偶然手柄が取れたからって、そう何度も続きませんよ」

 先日、井上刑事が犯人を逮捕できたのは、犯人を知る被害者本人が証拠を見つけたからだ。井上に犯人逮捕のチャンスが巡ってきたのは、たまたま井上がその場に居合わせたからに過ぎない。

「第一、俺の言葉は証言にならない。証拠能力はないでしょう」

 英知の言葉は、誰の目にも明らかに、根拠となりえるものではない。聞こえないものを警察は証言として取り上げることはなく、見えないものを証拠とはしない。

 世間が、自分の目に見えないものや自分の耳に聞こえないものに対して、いかに無理解であるかを英知は知っていた。

「それに、非科学的なものに頼らず事件を解決するのが、警察の仕事でしょう」

 だからこそ、警察は科学的な根拠を求める。「超能力刑事」というような役割は、マンガやドラマの世界の出来事でしかない。

「陰ながら、健闘を祈っていますよ」

 心のこもらない応援の言葉を口にして、英知は井上に背を向ける。

「……恋人なんだ!」

 思わず足を停めた英知に、井上は続ける。

「殺されたのは、俺の恋人なんだ。どうしても、犯人を逮捕したいんだよ」

 英知は振り向いて、井上の顔を見た。口を一文字に引いた井上が、懇願するように英知を見つめていた。

2010年初稿、2019年改稿。

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