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S.O.S!  作者: 如月 望深
33/75

孤独のランナー 3

 ピッ、という鋭い笛の音と同時に、数人の選手が地を蹴る。勢いよく飛び出した体は空を切り、一秒でも、一瞬でも早く前に進もうと足を運ぶ。

 手前の砂場では走り幅跳びの選手たちが練習をしていた。トラックの内側にあるフィールドでは、走り高跳びの練習が行われているようだ。グランド奥のトラックにはハードルが置かれていて、選手たちがテンポよく飛び越えている。

 さすが、陸上の強豪校と言われるだけのことはある。多くの選手が所属する陸上部では、どの選手も真剣に部活動に取り組んでいた。

「あの~、すみません」

 陸上部が練習するグランドの端で練習を見守っていたマネージャーの一人は、グランドを囲むフェンスの向こうから声を掛けられて振り向いた。

岡崎おかざき 陸斗りくとくんて、どの子?」

「あ…ええと、あそこ、走ってる人です」

 大学生らしき若い男に陸上部長距離のエースを尋ねられて、不審に思いながらマネージャーは答えた。駅伝部を持つ大学の関係者だろうか。それにしては、若いし、そもそもだとしたら彼を知らないのは変だ。

 マネージャーが指差したほうへ視線を向け、男は後ろに立つ女子高生に声を掛けた。

「彼だって」

「ふうん」

 興味なさそうに陸斗へ視線を向けた女子高生の肩を、男はポンと叩く。

「じゃあ、よろしく頼むよ」

「は?」

 マネージャー以上に不審な表情で女子高生は男を見上げた。

「…まさか、あんた……最初からそのつもりで、私を連れて来たわけ?」

 怒りに震え、目の前の男を今にも殴りそうに拳を握る女子高生に向かって、男はにっこりと、見とれてしまう女子もいそうな、邪気のない笑顔を見せた。


 陸斗は、休憩を与えられると、グランドを囲むフェンスに寄りかかり、はあ~っ、と盛大にため息をついた。スポーツドリンクを飲み、タオルで汗をふき、陸上部の仲間たちの練習風景をぼんやりと眺めていた。

 ここのところ、調子が上がってないな。顧問やコーチに言われた言葉を反芻して、もう一度ため息をつく。それは自覚していることだった。どうかしたのか?と周りに訊かれても、「何でもない」と答えている。だが、その理由に、思い当たることがないわけでもない。とはいえ、それを人に話す気もなかった。

 …そんなのは、ただの甘えだ。

 と、陸斗は思う。陸上とは、特に一人で走る長距離の種目は、自分との闘いだ。他人が理由であってはならないはずだ。

「……えーと、岡崎 陸斗くん?」

 不意に名前を呼ばれて、陸斗はハッと我に返り、声のしたほうに首を巡らせた。グランドのフェンス越しに自分を見ている人物に、陸斗は向き直った。

 見覚えのない、女子高生だった。制服も、自分の学校とは違う。この制服は、確か名門女子高と言われている姫乃木女子大付属のものだ。

「…そうだけど…」

 美人に話しかけられて悪い気はしなかったが、見知らぬ相手に陸斗は首を傾げた。

「伝言、預かって来たから、伝えるね」

「え?」

 唐突な話に陸斗は戸惑う。

「“今度の地区大会、頑張って。記録を塗り替えられるのは、岡崎くんだけだと思うから。”って」

 陸斗の戸惑いを無視して女子高生は続ける。

「じゃあ、ちゃんと伝えたわよ」

 踵を返して女子高生はさっさと歩き出してしまった。

「えっ、ちょっと待って!」

 慌てて呼び止めると、女子高生は陸斗を振り返った。

「あんな身の入らない練習じゃ、記録どころか、優勝もできないかもしれないわよ」

 自覚しているだけに、痛いところをつかれて陸斗は黙ってしまった。

「ちゃんと、頑張ってよね」

 とだけ言って、女子高生は再び歩き出した。

 暫く彼女の後姿を呆然と見送っていた陸斗は、再びフェンスに背を預けて下を向いてしまったため、グランドを離れた彼女が、若い男と一緒に帰って行くのを見てはいなかった。



「あ~も~、人生最大級に恥ずかしかった!」

「大役ご苦労さま、佐原さん」

 盛大に恥ずかしがる凪の肩に英知は手を置いた。

「自分で引き受けておいて、何で私に押し付けるわけ?」

 英知の手を払いのけて、凪はうらみがましい目で英知を睨みつけた。「あれじゃあ、まるで私が岡崎くんのファンで、激励しに行ったみたいじゃない!」と凪の怒りは収まらない。

「だって、男の俺に言われるよりも、女の子に“頑張って”って言われるほうが、嬉しいでしょ」

 英知の言い分は、あながち的外れではないとは思う。だが、凪が悔しいのは、英知が最初から自分に伝言させるつもりだったのに、それに気付かずにホイホイついて来てしまったことだ。

 祐基から陸斗への伝言を頼まれた英知は、「一緒に陸上の練習を見に行かない?」と凪を誘った。その理由は、一人で知らない学校に行くのは心細いから、というものだった。どう考えても図太い神経の持ち主である英知のその言葉をまるきり信じたわけではなかったが、凪は英知に頼られて断れなかったのだ。

 ~~~っあんな、犬っコロみたいな顔して頼まれたら、断れないじゃないのよ!と凪は自分を正当化してみるが、どんな顔をされたところで、英知に頼まれたら嫌と言えない気がして、それが無性に悔しかった。

「佐原さん」

 凪を宥めるような優しい声が降って来る。

「駅前のフルーツパーラーのパフェご馳走するから、機嫌直して」

「……特選フルーツパフェ、頼んでもいい?」

 女子高生にはちょっと手の出ない値段の高級パフェの名前を出すと、英知は苦笑しながらも頷いた。

 約束通り、特選フルーツパフェを食べながら、凪は聞きそびれていたことを英知に問い質した。

「そういえば、あの日、何で屋上にいたの?」

 雄太が退院した日、英知は用事があると言ってみんなと別れたのだ。その様子がいつもと違って見えて、不安に駆られた凪は英知の後を追ったのだった。一度出たはずの病院に英知が戻って行ったのが、凪には不安で仕方がなかった。この人はまた、誰にも言えない痛みを抱えたまま、一人で耐えているんじゃないだろうかと思った。

 捜し当てた屋上で、またしても英知は頼まれごとをされていたのだが、それが理由で英知が屋上にいたとは思えなかった。

「……うん、なんとなく……───天気が良かったから」

 英知の答えは凪にとって、到底納得のいくものではなかった。

「そういえば、佐原さんは、何で俺を捜してたの? 何か用事だった?」

 だが、逆に英知から質問を投げられて、凪は言葉に詰まってしまった。

 まさか、病院にいる間、英知の様子が不安定に見えて、心配して捜したなんて、言えるはずもない。

「……それは、その……、えっと…病院なんて、場所が場所だし、なんか、きっとまた何かに巻き込まれてるんじゃないかと、思って……」

 凪の答えは、明らかに苦し紛れだ。だが、英知はそれに気付いた様子は見せず、にこりと微笑んだ。

「ありがとう、佐原さん」

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