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S.O.S!  作者: 如月 望深
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明日への伝言 3

 常盤大学一年生の久保くぼ 優人ゆうとは、大学の講義室に入り、後ろから二番目の列に席を取った。教養の授業は人数が多いため、一番後ろよりはこの席のほうが目立たないので教授に指名されにくいからだ。

 授業前でざわつく教室には、次々と学生たちがやってくる。優人の周りにもパラパラと学生たちが席に着いていた。

 カタンと背後で音がして、誰かが優人の後ろに座った。

「ねえ」と肩をつつかれて、優人は振り返った。

「先週のノート、見せてもらってもいい?」

 茶色い髪の目鼻立ちの整った見知らぬ男だった。

 教養の授業はサボる学生も多く、さまざまな学部の学生が受けているから知らない学生がいても不思議ではなかった。実際、一緒に授業を受けている学生の大半は知らない人たちだ。

「ああ、いいけど…」

 優人はファイルから先週の授業の分のルーズリーフを外してその学生に渡してやった。

「ありがと。この講義が終わるまでには返すよ」

 後ろの学生はルーズリーフを受け取って微笑んだ。授業中に写すつもりなのだろう。優人は頷いて前を向いた。

 やがて、教授がやってきて教室は静かになり、講義が始まった。


 退屈な講義が終わりに差しかかり、教授がまとめに入ったのを、優人は眠気をこらえて聞いていた。

 またしても肩をつつかれて、後ろから小さく声を掛けられた。

「これ、ありがとう。助かった」

 振り向くと、後ろに座った学生が貸していたルーズリーフを返した。

「ああ、どういたしまして」

 ルーズリーフを受け取り、小声で答えて優人は再び前を向いた。ルーズリーフをファイルに戻そうとして、ふと、優人はそこに小さく折り畳んだ紙がクリップで留められているのに気がついた。

 クリップを外して紙を開くと、『お礼』と書かれている。さらに紙を広げると、四行ほど文字が書いてある。

『おじいさんの部屋の 押し入れ下の段の右 すのこの下』

 三行目まで読んだところでチャイムが鳴り、教授が講義の終了を告げた。

 その下に、さらに一行メモは続いている。

『家族みんなで探してね』

 意味不明の言葉に、

「おい、これ何…?」

 と、優人は振り向いて後ろの席に言いかけた。ところが、そこには誰もいない。教室を見渡し、出入り口を見るが、そこには講義を終えた学生たちがたくさん集まっていて、その中から特に面識があったわけでもない学生を見つけるのは不可能に思えた。

 優人は諦めて再び机に向かい、もう一度メモに目を落とした。どういう意図があってこんなものを渡されたのだろう。何かのいたずらだろうか。それにしては、意味がなさすぎるし、意味深すぎる。

 このメモの通りにしたからといって誰かが楽しめるわけでもない。第一、祖父と一緒に住んでいる学生が何割いるのだろう。多くは地元を離れて一人暮らしだ。それに、祖父の部屋に押し入れがあって、そのうえ、うちのじいちゃんのように押し入れにすのこを敷いている祖父がどのくらいいるのだろうか。

 そう考えると、適当にいたずらというよりは、ピンポイントで自分に渡したのだろう。しかも、お礼として渡されたのだから、悪意があるものではないのかもしれない。


「おい、お前、何だあの中途半端な伝え方は?」

 常盤大のキャンパスを足早に歩く英知を追って正治は不満そうに言った。

「あれが精一杯だよ。あれ以上は不自然だ」

 あれも十分不自然だったけど、と英知は呟く。

 正治は英知が孫の優人に十分な説明をしないでメモだけ渡したのが不服らしい。だが、見ず知らずの人に話しかけて手紙のありかを教えるということ自体が不自然なのだ。

 英知は、正治の息子夫婦よりは年の近い孫に話しかけたほうが自然だと考え、正治の孫の優人に伝えることにした。好都合なことに、優人は英知の大学からそう遠くない常盤大学の学生だった。常盤大は英知も知らない場所ではない。

 だが、面識のない人に「君のおじいさんの手紙がここにあるから」と場所を説明しても、不審がられるだけだ。あのやり方だって十分不審極まりないが、気にかけて探してくれれば儲けものだ。

 英知は、優人があのメモを訝しがってその場所を探してくれることに賭けることにした。



 大智が校舎を出て部室へ向かっていると、違う高校の制服を着た女子生徒が向こうから歩いて来た。その制服と顔に見覚えがあった。

「凪ちゃん」

 名を呼ぶと、彼女は立ち止まって「こんにちは」と挨拶した。

「どうしたの、こんなとこで?」

「練習試合の打ち合わせに来てたの」

 部長の千早がテストの成績のことで教師に呼び出されてしまったため、代わりに副部長の凪が常盤高の女子テニス部に打ち合わせに来たのだ。

 練習試合は前から決まっていたことなので、今日の打ち合わせは簡単な確認事項だけですぐに終わり、もう帰るところだった。

「大智くんは、これから部活?」

「うん、そう。バスケ部」

「へえ、テニスじゃないんだ」

「なんで兄弟だと同じ競技やらないといけないわけ?」

「それもそうね。兄弟で同じ競技だと、どうしても周りに比べられるしね」

 凪は深い意味があって言ったのではないだろうが、大智は痛いところをつかれた。

「凪ちゃんは鋭いね」

 大智は苦笑した。え?と見上げる凪に自嘲気味に言う。

「実は俺も、小さい頃はテニスやってたんだよ。でも、どうしても兄貴には敵わなくて。嫌になってやめた」

 中学に入る時、周りは当然のように大智に英知と同じテニス部への入部を勧めたが、比べられるのが嫌で、大智はバスケ部を選んだ。バスケなら、体育館部活だからグランド脇にあるテニスコートから遠く、似た競技でもないので比べられることもない。

「そうなんだ…」

 大智にとって、英知はコンプレックスのもとだった。ボーッとしているようで勉強もでき、スポーツもできる兄と、周りは自然と比較した。あの弟かと見られるのが嫌で仕方なかった。

 面倒見のいい兄が自分にかまう度、疎ましく思っていた。優しいのにつかみどころがない兄が、ずっと苦手だった。自分とは違う世界の人なのだと時々思わされる。

 近くにいるのに遠い人のような錯覚に陥る。

「…兄貴ってさ、普段はどんな感じ?」

「え?」

 凪が思わず眉根を寄せると、大智は笑った。

「ああ、ごめん、変だよね、弟の俺がこんなこと訊くの。でも、他の人から見たらどうなのかなって」

「…まあ、千早が言ってた通りじゃない? 優しくて、話しやすくて、友達も多いみたいだし、女子高生からは人気よ?」

 そこで一呼吸おいて凪は逡巡する。弟の大智に言うべきだろうか。ちらりと大智を見上げると、続きを待つように大智が凪を見ていた。

「……でも、時々心配になる。この人、無理してるんじゃないのかなって」

 一瞬、大智の脳裏に兄の笑顔が映し出される。何でも余裕でこなしているように見える兄。だけど…。

「凪ちゃんは…」

 そこまで言いかけて、大智は凪が前をじっと見つめていることに気付いた。その視線を追っていくと、見慣れた姿が見える。

「…英兄えいにい

 英知が向こうから歩いてきた。二人の前で立ち止まる。

「どうしたの、佐原さん、こんなとこで?」

 ここの高校に通う大智がいることは当たり前なので、英知は凪に尋ねた。凪は練習試合の打ち合わせに来ていたのだと答えた。

「大智と佐原さんて、知り合いだったの?」

「あ、この前、友達経由で…」

「英兄こそ、こんなとこで何してんだよ?」

 英知と凪の会話に大智が疑問を差し入れた。

「ああ、ちょっと、人に頼まれてね」

 その笑顔は、それ以上の追究を許さない。こんな時、兄は遠い存在なのだと感じる。兄弟なのに、英知は自分との間にはっきりと一線を引いている。

「…俺、部活始まるから」

 じゃあ、と大智は二人の側を離れた。「部活、頑張って」と二人の声が掛かり、大智はそれに軽く手を上げて応え、部室へ向かった。

「…頼まれた、って、また何か変な頼まれごとされてるわけ?」

 大智の背中が見えなくなってから、凪は英知にため息とともに問う。

「まあ、ちょっとね。言いそびれた言葉を伝えて欲しいって、じーさんに頼まれて。でも、俺のやり方じゃ不安だからって、ちゃんと伝わったかどうか自分で確かめに行ってるよ」

「人に頼んでおいて、ずいぶん図々しいじーさんね」

 凪の言葉に英知は笑う。

「そうだね。だけど、それくらい強い想いだったんじゃないかな」

 その笑顔に曇りがないようで、凪は少し安心した。

「佐原さん、今から学校に戻る?」

 訊かれて頷くと、「じゃあ、一緒に行こう。俺も顔出すから」と英知は歩き出した。その後について凪も門へ向かう。

「近道しよう」

 そう言うと英知は校舎と校舎の間の狭い道へ入っていく。何の迷いもなく歩を進める英知は、まるでこの大学の造りを熟知しているかのようだ。

「ねえ、なんか妙に詳しくない?」

 英知の後をついていくと、確かに近道というとおりにすぐに門に着いた。しかも凪の学校に戻るのに都合のいい場所へ出る。

「中学までは俺もここに通ってたから」

 それで学内に詳しいわけだと凪は納得した。そういえば、前にこの辺りは庭みたいなものだと言っていたのも、ここに通っていたからなのだろう。

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