“名刀・桃乃介”
「えっ! 急にどした? 」
ナルセは裏返った声を出しつつ引き攣った表情を浮かべた。 その微妙な変化は、恐怖とか怒りからくるものではなさそうだ。 きっと俺の『突発性イキり症候群』の発作に驚いているのだろう。
これまた大層ドン引きのご様子で、純度100%の憐れんだ目を向けてくる。
正直、穴がなくても掘削して潜り込みたいほど恥ずかしくなってきた。 しかしここで引いたら負けだ。 そういう勝負になってくる。
【ちょっとでも触れたら殺ばすぞ。 闘ってやるから下降りろ】
あちゃあ……年上相手にイキリ倒してしまった。
猛烈な顔面の火照りと、脇の下から大量の発汗を確認。
水嶋とちょっとイレギュラーなやり取りをした後だったから、神経が過敏になっていたに違いない。
実際問題、俺の方が強いのは明らかだし、何もお手本のようにイキらなくても、穏やかに阻止する方法はいくらでもあった。
『余裕のない男はモテない』
昔、紫苑さんが語っていた言葉が心の傷口から滲み出てくるような感覚に襲われている。
しかし男に二言はない。 敵意剥き出しの言葉を放ち、刃まで振り上げた。 たとえ寸止めでもその行為は既に相手の心へ突き刺さっている。 ここで剣を収め、『今のはナシで』なんて道理は男の世界で通用しない。 このままゴリ押しで乗り切るしか……
「私のために争うのはやめてぇーっ!!」
ヒステリックな絶叫が沈黙を切り裂いた。
ナルセの肩がビクリと跳ねる。
「えっ? 何? なんなんだおい」
しめた! ユリエルがお得意の展開に持ち込んできた。ここで壊れてくれたのは僥倖だ。ナルセも状況が飲み込めずに困惑しているぞ。
精一杯の声を振り絞った天使は照れくさそうに前髪を撫でつけて、頬を紅く染めている。 この小芝居にいっちょ噛みすれば、あるいは……
「邪魔してごめん。 こんな機会、二度とないと思って……やだ思ってたより恥ずかしい。 こういうのなんて言うんだっけ。 共感性羞恥? 違うか。 あ、どうぞ続けてください」
場の注目がユリエルに集まっている間、俺はすかさず桃乃介を鞘に収める。 そしてゆっくりと拍手をしながら『ヒュ〜ゥ!』と、軽快な口笛をひと吹き。 ナルセは頭上に巨大なクエスチョンマークをそそり立てている。 よし、ユリエルの芝居掛かった絶叫がナルセの頭を一時的に上書きしてくれた。 行ける、なんとか事なきを得られそうだ!
「さすがユリエル、驚いたよ。 新進気鋭の個性派女優が降臨したのかと……」
「……お膳立てしてくれてありがとう。 慶ちゃんのセリフも……まるで主人公みたいだったよ」
俺が水嶋の眼前に掌を掲げると、彼女はそこに勢いよくハイタッチを決める。
パチンッ、と乾いた音が響いた。
劇団ケータ&ユリエルの初公演を目の当たりにしたナルセはキョトンとしていたが、紫苑さんが半笑いで接近してくる。
「……お前らなんでそんなに仕上がってるんだよ」
ここはあえて聞こえないフリ。俺は水嶋と見つめ合い、世界で一番柔らかい微笑みを交わす。
「姉さん、噂と全然違うじゃん!感情のない殺戮マシーンじゃないんすかコイツ? なんかめっちゃエンジョイしてるっぽいんだけど」
「殺戮マシーン……? 誰がそんな事言ってるんですか? 訴えたら勝てるやつですよそれ」
せっかくスルーが決まっていたのに、不覚にもナルセに切り返してしまった。 まさか自分が周囲から猟奇的大量殺人犯みたいな認識をされているとは夢にも思ってもいなかったからだ。 そんな噂を吹聴してるやつは一体誰なのだろう? そいつよりも先に親の顔が見てみたい。 親族もれなくゴミ野郎だと思う。
「つーか、ユーリちゃんって初出勤の新人嬢でしょ? なんでケイタとそんなに仲良いの?」
ナルセが水嶋に迫る。 アイスホッケーの『球』……というのだろうか? 今川焼きのような形の黒い塊を片手で遊ばせていた。
「新人嬢って言い回し、良いな」
紫苑さんがぽつりと呟く。
初対面でユーリちゃんだのケイタだの本当に馴れ馴れしい奴だ、いけ好かない事この上ない。 本当にあのまま頚動脈を掻っ捌いてお眠りいただいた方が良かったのかもしれないなぁ。 ……まぁ慌てる事はないか、搔っ捌こうと思えば秒で搔っ捌けるんだ。 問題はここから。
「……あっ。 ユリエルあっち見て! 酔っ払いが軽トラックひっくり返してる! ほらあそこ! 」
「うぇっ!? どこどこ? どういうイベントなのそれ!」
ひとまず、水嶋の注意を逸らせる。
「ユリエルってなんだ?」
紫苑さんがそう言って、目の前に立ち塞がる。 威圧してくるような鋭い眼光だ。
「あれ、知らないんですか? “大天使ユウリエル”。 この世界に舞い降りた天使の名ですよ」
「……お前ら寝る前になんかキメたろ?」
きっと、慶太目が泳いでるな、と思われているだろう。 そろそろ流石に殴られそうだ。水嶋は少しだけ高度を落として、軽トラをひっくり返した酔っ払いを探している。 この平和な日本でそんなバカなことをする奴がいるはずもないのに。
「あの……紫苑さん、もしかして俺たちがあそこにいるのわかってたんですか?」
「偶然だにょ」
噛んだ。 この人、絶対に何かを知っている。 しかし今日の紫苑さんからはそんな空気を感じなかった……少しいつもと違うとは感じたが、ふわっとした事しか言わなかった気がする。
「何か知ってるんですか? 」
「おととい、私がワザワザゆうりちゃんに事前説明までしてあげたのになぁ。 慶太はずっと頑なに、『入れ替わり』と『幽体離脱』を関連付けなかったよね。 ゆうりちゃんと一緒に居られて浮かれちゃってたのかな? 実際さ、入れ替わったのってどう考えてもお前のせいだろ? この魂ガバガバマンが」
「た、魂ガバマン? ちょ、ちょっと待って。 ちょっと待ってください」
なんの話っすかぁ? とナルセが興味を示したが、紫苑さんが「こっちの話だよ」と一蹴すると、ふぅん、とつまらなそうに鼻から息を抜いた。 この男、紫苑さんには割と服従しているらしい。
「実は……水嶋はこの世界を信じられないみたいで、夢だと思ってるんです。 紫苑さん明晰夢って見たことあります? 」
「序盤で夢と勘違いするのは “あるある” だけど、昨日ちゃんと説明したんだろ? 新人の嬢にこの世界は危ないんだから」
「新人の嬢って言い方やめてもらえます? ……まぁ……なんと言うかですね。 その……」
「ま、まさかお前……ゆうりちゃんが明晰夢と勘違いしてるのを良いことに、あんな上空で……? ひぃぃ、引くわぁ」
「いやそうじゃなく……あ! あぁーっ! あんの野郎ぉ! 」
いつの間にかナルセが水嶋の方へ降りている。 緊急事態だ、油断も隙もない。
「ユーリちゃん俺さ、大学でアイスホッケーやってるんだ。 ホッケー見たことある? 迫力あってすごい面白いよ。 スケートはやったことあるでしょ? もしよかったらガッツリ教えてあげるから。 つーか、今度試合見にきてよ」
ナルセが何か手渡そうとしているのが見えた。 あーあー……水嶋も躊躇なく受け取るなよぉ……! 知らないおじさんにでっかい飴玉で釣られるタイプか、あいつ。
「あ、ちなみに “ナルセ ジロウ” って本名だから。 成田の成に瀬戸際の瀬。 慈朗は、慈しむに朗らかの方ね。 検索かければSNS出てくるからさぁ、フォローして?」
嘘だろこいつ。
「何をしれっとナンパしてんだオラ。 なーにが『慈しむに朗らかの方ね』ニコッ、だよ! もう年上とか関係ないぞ、他所の領域で好き放題しやがって!」
「ギャーギャーうるせぇな……クソ陰キャが無理すんなよ。 病気なのか? すっこんでろ」
「陰キャだ? ロリコンよりはマシだよ。 ファーストインプレッションから水嶋に攻め込めるって事はあんたゴリゴリのロリコンだろ? ロリコンという病なんだろ? この恥知らず! 本当にどいつもこいつもロリコンでさぁ、嫌になるんだよ! もうウンザリだ!」
「おいロリコン責めはキツイだろ慶太、何本ブーメラン投げるつもりだ? 帰ってきたブーメランをブーメランで相殺しようってか」
「紫苑さんちょっと黙っててもらえます? それから水嶋さーん!? 今ナルセさんに何を渡された? ほら、早く出しなさいっ! 」
素直に差し出された右手を掴んでモノを確認する。名刺サイズの紙切れに、メッセージアプリのIDらしき文字列が記されてあった。
「知らないおじさんから簡単に物を貰っちゃだめ! わかった!? 」
紙切れをくしゃくしゃに握り潰して、放り投げるために振り被る。
短い風切り音と共に、ナルセの武器が喉元に迫っていた。
「ちょっとでも投げたら殺ばすぞ。 闘ってやるから下降りろ」
迫真の表情で俺を睨みつけている。
「それ俺の恥ずかしいやつな! 勝手にパロディすんな!」
丸めた紙切れを全力で投げつけてやった。
「慶ちゃんずいぶん取り乱しておるね」
「あぁ、乱れてるよ! めちゃくちゃだよもう! 紫苑さんが変なの連れてくるからさぁ! 」
「うんうん、わかる。 それはそうと……ねぇこれを見て」
水嶋の掌に茶色くて平たい謎の物体が乗っている。 ほんのり水気があってしっとりしている。 なんだ? 流石の俺も理解が追いつかない。
「……え? なに、これ」
「うん、さつま揚げ。 さっきね、強くイメージしてたら薩摩揚げを生成できた」
「……ほんっと自由だなぁお前はよぉ! さっきからやけに大人しいと思ったんだよ……まさか薩摩揚げを強くイメージしてるとはな! なぁこの状況でさつま揚げ生成して誰が幸せになるんだよ? あ!? 」
「…………なのに……!」
「あぁ? なんて? 声がちっちゃくて聞きとれないよ」
「自信作なのに! って言ったの!」
「究極のさつま揚げを目指す会じゃないんだよ!」
自由すぎる馬鹿どもをまともに相手してしまった。 乱れた呼吸を整えていると、いきなりナルセに肩を組まれた。 幽体を強引に反転させられて、女性二人に背を向ける形になり、耳元に顔を寄せてくる。
「は、離せよ!」
「なぁケイタ、お前さっき上から降りてきたじゃん? もしかしてもうパコったんか? 手ぇ早すぎだろお前よぉ!」
とても楽しそうに、訳の分からない事を喋りながら脇腹を突いてくる。
「パ……パコ? ってなに? 上で話してただけなんだけど……」
「とぼけんなよ、ユーリちゃんとヤッてたんだろ? 祥雲寺で何人喰った? お前くらい有名なら相当モテんだろ、顔もそんなに悪かねーしな。 オフパコもしてんのか?」
「は? 」
「おい、ジロー。 慶太に余計な入れ知恵するなよ?」
「なーに言ってんすか! してないっすよ! ちょっと相談してただけ」
紫苑さんに声を掛けられたナルセは慌てて振り返ると、身の潔白を表現するように両手を広げた。
「あ……! お前まさか、シオン姉さんに手ぇだしてねーだろうな? 俺の最終目標はあの人を抱く事なんだから邪魔すんなよ」
「手なんて出したら関節決められるだけですよ。それにあの人、頭の良い人が好きって言ってたから……目標達成はちょっと厳しいんじゃないですかね?」
「どういう意味だクソガキこの野郎」
「ほら、意味がわからないんでしょう? そういうところですよ」
「後でぜってぇ殺すわお前マジで」
「アハッ。 本気で俺を殺せると思ってるんです? マジっすか? うん、だからそういう所なんですよ」
「おいお前ら! 仲良くしろよなぁ」
紫苑さんがあきれた様子で言うと、ナルセはチッ、と舌打ちをして遠くに視線を飛ばした。 舌戦は俺の完封勝ちだな、と悦に浸っていたら、突然右フックが飛んできた。
「痛っ。 ……こいつノールックで……? 紫苑さん! こいつノールックでノーモーションの右フックかましてきましたよ! これは殺していいやつですよね? 」
紫苑さんはじっと街を見下ろしていた。 俺の言葉は耳に入っていないというか、多分無視しているのだろう。 騒がしさに気付いたのか、水嶋が再び俺たちのいる高度までふわふわと昇ってくる。
「なぁジロー。 あそこの……臙脂色の屋根の古いアパートあるだろ、見える? 」
紫苑さんはそのアパートにレムが入っていくのを見たらしく『ちゃちゃっと片付けてきてくれ』とナルセに指示を出した。
「完全体っすか?」
「いや、まだ生えきってなかった。 一人で平気でしょ? 私ちょっとこの子達と話したいんだ」
「……うん、まぁ、いいっすけど。 終わったらボブさんのとこ行きましょうね。 団地でしたっけ? ボブさんにも会っときたいんすよ俺」
ナルセは指示されたアパートの方角へ、空中を滑るように走り出した。 途中でくるりと反転してバック走を始めると、棒状の武器で俺を指し、舌を出しながら反対の手で中指を立てた。
「今日もボブ行かせたんですか? 」
「あー。 うん、ベタ付きじゃないけどね。 周辺に振った」
「どうしてあんな奴連れてきたんです?」
「んー……? いい刺激になると思って?」
「というかあいつ、一人で大丈夫なんですか」
「仕事は割とできる方だから平気」
「へぇ……後で格の違いを見せつけてやろうと思ってるんですけど」
「それは勝手だけど、暇じゃないんだから幽遊はダメだよ。 祥雲寺からここまでの間に、もう2匹も捌いてるんだから。 今日の出方は異常だよなぁ、確変だよ確変」
着物の袖から巾着袋を取り出して、ブラブラと揺する。 中には2匹分の『黒』が入っているのだろう。 コッコッ、と木製の素材がぶつかり合うような軽い音がした。
「ゆーゆーってなぁに?」
水嶋が俺の首元に腕を回し、背後から抱きついてくる。 幽遊は、幽体同士で行うスパーリングのようなものだ。 幽体操作訓練の一つで、部隊長以上の指導の下でしか許されていない。 つまり、基本的には禁止されている。
幽体同士の戦いで優劣をつけても意味がないし、歯止めが効かなくなってしまう事が多々あるからだそうだ。 要するに、レムではなく他の幽体を捩じ伏せるのが目的になってしまう奴が出てくる。
実際にはそんな決まりを守っているのは一部で、戦闘狂のボブやベテラン勢を筆頭に、隠れて真剣の幽遊をやっていたりする。
「幽遊って言うのは、幽体同士で戦うことだよゆうりちゃん。 こんな風に」
「むぎっ! アイタタタタタ! 何するの! いひゃい!」
「痛いだろぉ。 こんなに痛いのに起きないねぇ。 夢ならとっくに醒める激痛だろぉ?」
和服の美女が寝間着の美少女のほっぺを抓る。 すぐに止めようと思ったけど、身体が動かなかった。 ここまでの自分に感じていた後ろめたさと、紫苑さんの行動の意図が、行動選択の天秤をピタリと静止させていた。
「むぐ。 本当は気付いてたんだろぉ? ゆうりひゃん。 夢にしては様子がおかしいなぁって。 入れ替わりをすんなり受け入れられる子がひゃあ、この世界は受け入れられないって……どうしてかな? 」
戦いが始まった。 互いに涙目になりながら、両手で頬をつねり合っている。
これは流石に止めないと、美味しくないのに2人のほっぺたが落ちてしまう。
「紫苑さん、もうやめてください。 水嶋ごめん。 大丈夫か」
2人を引き離す。 水嶋の頬が真っ赤に染まっていたので、優しく両手で挟み込んであげた。 そうすれば彼女の頬の熱が俺の手に移って、痛みが和らぐのではないかと謎の発想をしたのだけど、その頬はさらに熱を帯びていった。 全く効果がないと気付いたので、慌てて手を離す。
「あ……なんかごめん」
「う、ううん、平気……」
紫苑さんが小さく咳払いをする。
「ま、こんな事しなくてもわかる事なんだけどね。 起きたら答え合わせすれば良いだけだしさ。 そういえば、しらすちゃんに会ったんだろ?」
そう、答え合わせをすれば良いだけ。
起きてから、この世界で起きた事を話すだけでいい。 それだけで証明ができる。
「……昨日シラスに会いましたよ。 ボブの部隊と合流して大型を殺りました。 水嶋も含めて、みんなで」
「ん、大型? やっぱあそこエグいの出たんだ? 」
幽体離脱からすぐ水嶋に会ったこと、一体目を〆たタイミングでシラスと合流したこと。 それから警戒区域の団地に向かい、ボブ達と合流して大型を仕留めたこと。
俺がすべてを話し終えると、紫苑さんは口をへの字に歪ませて腕を組んだ。
「ふぅん、なるほどねぇ。 そんで、普通に身体へ帰ったと」
「まぁ、そうですね……」
左手に軽い負荷が加わる。
水嶋の綺麗な指が、俺の袖をつまんでいた。
「ふーん……あ、そうそうしらすちゃんは昨日ね、『慶太が女を連れてくるかも』って話をしたら目の色変えてさ。 絶対会いたい!って……仕事ほっぽらかして飛んで行っちゃったんだよ。 会えて良かったね」
「……え? どういう事ですか? 」
「しらすちゃんは私と同じくらい、お前を心配してるって事だろ」
全く意味がわからない。 どうして俺が心配されているのだろう? むしろ俺は、シラスの弱さの方を心配しているくらいだ。
「しらすちゃんと仲良くなれた? ゆうりちゃん」
水嶋が答えなかったので、俺が代わりに『そりゃもう、10年来の親友のノリでしたよ』と返した。
目の前の美女はミルクティみたいな色のショートヘアーを風に靡かせながら、鋭い視線を横にスライドさせる。
「ゆうりちゃん、朝起きたら【白洲檸檬】で検索かけるといいよ。 彼女、その名前で色々やってるから。 きっとリアルでも仲良しになれると思う」
くっ、と袖に力が加わった。
「……意味わかんない」
「意味はわかるでしょ。 若者らしく、SNSで繋がって会いに行けばいいじゃない。 3人でお茶でもしようよ」
水嶋はここで、手に持っていたさつま揚げを紫苑さんに投げつけた。 かなりの豪速球だったが、瞬時に箸を生成してキャッチすると、「かつお節と生姜醤油かな……」と呟きながら、さつま揚げを着物の袖の中に放り込んだ。
「シュールなボディランゲージだなおい」
「ねぇ、ゆうりちゃんて慶太の両親の名前知ってる?」
「……なんで。 パパは慶介でしょ。 昨日聞いたもん。 ママは……知らないけど」
「桃乃だよ、相原桃乃。 名前に負けず本当に可愛らしい人だったなぁ。 ほんとアイドルみたいだった。 慶介さんとは駆け落ちして結婚したんだよ? 凄いよねー、今どき。 でもあれだね、ゆうりちゃんって全然慶太の事知らないでしょ? 」
「……知ってるもん」
「まぁ、お姉さんがゆうりちゃんの知らない事も色々教えてあげるから、明日起きたら答え合わせしてね。 でも大丈夫? 明晰夢だって自己暗示かけてるみたいだけど……結構派手にやっちゃったんじゃない? ここまで思い返してみてどう? 恥ずかしい事やっちゃってない?」
ヤバイ、怒涛の追い込みが始まった。
これは水嶋を相手取っているようでいて、俺への攻撃としても機能している。
水嶋は口を半開きにして戦慄いていたけど、遂には真っ赤な顔を両手で覆い隠してしまった。
「慶太の事だから、明日会っても知らぬ存ぜぬで通すかもね。 でもゆうりちゃんは性格的に気になっちゃうよね〜……しらすちゃんに接触したり、私の家を訪ねたり……答え合わせの選択肢がいっぱいあるしね〜……」
「もっ、もうわかったようるさいなぁ! 一体なんなの……この世界って……」
「この世界はね、魂の救済場だよ」
「ちょっと慶ちゃんカウンセラー呼んできてぇ! この錯乱痴女どうにかしてよぉ! 」
「魂の救済場……? すみません紫苑さん、詳しくお願いしていいですか」
「誰かぁー! 誰か来てぇー! 誰でもいいから私の味方来てぇー!」
後ろを向いて叫び終えると、俺をチラ見してくる。
そして照れ臭そうに姿勢を正し、なぜかぎこちなく敬礼のポーズを取った彼女は、そのままゆっくりと下降して俺の視界からフェードアウトした。
「どこ行くんだよ! 」
「よ、夜風を浴びてきますであります!」
「浴びに行くまでもなく吹きさらしだろ!」
水嶋が背を向けて、逃げるように飛ぶ。
「おぶっ!」
追おうとした背中を和傘で突かれた。
「私が行くから、慶太はジローを待っててあげて。 パジャマ姿のロリっ子と鬼ごっこして性的興奮を高めてくる」
「……本当に変態ロリコンばっかりだな」
「うむ、怪傑ドロリと呼びたまえ」
意味のわからない台詞を残して発進した。
紫苑さんが横を通り過ぎていく風圧で前髪が跳ねる。 追われる事に気付いた水嶋はスピードを上げたみたいだった。 滑空しながら幹線道路に掛かる歩道橋をくぐり、紫苑さんがその後に続く。
圧倒的強者でドSの鬼が、強気なロリっ子を追い詰めるだけの鬼ごっこ。
「あれ? 2人はどうした? 」
振り返ると、不敵な笑みを浮かべたナルセが、採れたてほやほやであろう『黒』を見せつけながら立っていた。
「俺、仕事クッソ速ぇべ? つーかケイタぁ、今戻ってくるときにもう一匹いたわ。 コンクリ打ちっ放しの豪邸に入ってった。 ヤベーなマジで今日の祥雲寺エリア荒れまくりじゃね? ガチ過ぎるっしょ」
「そのレム、どっちが先に〆れるか勝負します?」
「いやいや、結構ヤバみ強めの個体っぽかった。 お前がいくら強くても2人じゃ無理ゲー。 羽根とかハンパなくムキムキだったし。 ボブさん並みの最強クラス呼んで来なきゃ手ぇ出せないレベルだわ」




