最も高尚な“ズリネタ”の作り方
「浅野くん、どうして相原くんと代わったの!? あんなにやりたがってたのに! 」
あのあと、ヨクバリー軍は最後の抵抗でジューシージャーを追い詰めた。
しかし、ブルーの超能力によってパワーアップしたヒーロー達の手で蹂躙され、葬り去られた。 それぞれの必殺技にバタバタと倒れていくヨクバリー軍の中で唯一、水嶋だけがイエローのビタミンブラスターを2発まで耐える奮闘を見せたが、最後は誰よりも派手にひっくり返って引き摺られながら退場していった。
「どうしてって……俺より、相原くんの熱意の方が強かったんだ」
「なんじゃそら」
浅野くんは僅かに口を歪ませて、おでこの生え際を中指で掻いた。
「……彼に代わってくれって土下座されたんだよ」
「ど、土下座!? 」
あいつどんだけやりたかったんだよ、普通に頼み込めば浅野くんも考えてくれただろ。
結果的に俺の土下座が浅野くんの中で一気に安いものになってしまったのでは。 一生のお願いか命乞いに使おうと思っていた土下座をこんなところで消費されるとはな。
「水嶋さんが出る流れにならなかったら、慶太くんも大人しく引き下がっただろうけどね……」
「どういうこと? 」
「普段は絶対にこんなワガママ言わないって。 今日だけは特別だから、頼むってさ。 綺麗な土下座だった」
綺麗な土下座は置いといて、今日が特別だという感覚は理解できる。
あいつは最初から入れ替わりを、俺の肉体を操る事を全力で楽しむスタンスで臨んでいるのだ。
「土下座なんてされなくても、あの真剣な目を見たら譲らざるを得ないよ。 すごいね慶太くんは。 水嶋さんに本気で、真っ直ぐだ。 俺も勇気を貰ったよ」
あいつのどこから湧いていた勇気を拝借したのかわからないが、良い刺激になったのなら結果オーライだろう。
「そっか。 でもあいつは自分が楽しむためならなりふり構わないだけだぞ、騙されるな浅野くん」
「君たちって本当に付き合っていないの? 」
「まさか。 プライベートで遊ぶのすら今日が初めてだよ」
「……相原くんの気持ちに、ちゃんと向き合ってあげてる? 」
浅野くんが大きな勘違いをしているのは大前提だけど、適切な返しも、気の利いた冗談も、全く思い浮かばなかった。
「あぁ、ごめん。 別に偉そうな事を言うつもりはないんだ。 変な言い方になってしまったね」
ふと考えてみる。
もしも同じ状況で、入れ替わっていなかったらどうだろう? 浅野くんがエキストラを請け負い、そこに水嶋が人質として出演することになったら。 ……もしかしたら俺も、代わってほしいと思うかもしれない。
「俺、慶太くんと仲良くなれたかな? ……実はずっと話がしてみたいと思ってたんだよ」
「……あんなクソ野郎と? 」
「ははは。 うん、普段は近寄りがたい雰囲気出してるけど……水嶋さんがいつもあんなに楽しそうにしているから、本当は面白い人なんだろうなって。 思った通りだった」
「いや、今の相原くんは一種のトランス状態だからね。 次に会うときは枯れ果てていると思った方がいい」
「そうなんだ? ……どうして慶太くんはその……トランス状態に? 」
「一生に一度あるかないかのファンタジーに直面してるから」
自分からぽっと出た言葉がやけにしっくりきた。
「あ! 相原くん帰ってきたね。 水嶋さん、俺が話したことは内緒にしておいてね」
もう少し話していたい気持ちがあったけど、例のコスチュームに着替えた水嶋とリュックサックに手をかけた樫本がほぼ全力疾走くらいの勢いで走ってくる。
「慶太くん、おつかれ」
「浅野くん本当にありがとう! この恩はいずれ必ず! それから、これが戦利品」
水嶋が戦利品の『食事券』を顔の横でひらひらさせると、樫本が両手を合わせてそれを拝む。 浅野くんは聖人のような微笑みを浮かべて拍手した。
「ほんじゃあみなさん、この食事券で何を食べるか話し合おうじゃないかぁ! ……あ、ヒーローショーの動画もバッチリ収めておりますので! 今日は話のネタが尽きませんなぁ」
ウキウキの樫本に続いて、水嶋が再び口を開く。
「どうする? もうショッピングモールの方に行って時間潰す? オイラたくさん食べちゃったから、もう少し胃袋を空かせたいなぁ」
これには楽屋でお菓子をどか食いしていた俺も同意見だった。 しかし、あれだけの波乱を起こしておいて涼しい顔で帰ってきた水嶋には驚きである。
「というか相原くん、あれだけアドリブかまして怒られなかったの? 」
「え? スタッフ3人くらいにどえらく怒られたよ」
「当たり前みたいに言うなよ。 メンタル何で出来てんだ? 超合金か? 」
「でもほら。 ジューシージャーたちとヨクバリーのおっさんは、ウケたからオッケー! みたいな感じだったから」
「本当かよ。 リーダーの方のオレンジはキレてただろ」
「いや、面白かったって。 義務でやってるヒーローなんて見てる方も楽しくないって気付いたらしいよ。 これからはもっと自由な発想で表現していくって」
「う、嘘つけっ! アイツにそんな真っ当な志が芽生えるはずないだろ! おっさんの方の……パパイヤオレンジは!? 」
「あぁ、池添さん? 名刺もらったよ。 無個性の雑魚に1人だけ突飛なキャラクターを与えるのは面白い発想かもしれないって。 良かったら暇な時バイトに来なってさ」
「……一体なんなんだよ。 凪町コスモパークはお前に追い風を吹かす装置でも導入してんのか」
既にスキップに近い軽やかさで歩き出している樫本を追いかけるべく、俺たちも歩き出した。
「まぁここで聞くより、メシの時に話そうか。 その辺の事は」
「あと実はね、人質争奪戦で揉み合いになった時、害虫達の誰かの膝が思いっきりキンタマ……タマキン? に入ってさ。 いやぁ、噂には聞いてたけど凄いね。 一言でいえば絶望だね、あれは」
「耳に伊予柑でも詰まってんのか? 後にしろって」
歩きながら水嶋が、「もしかしたら金玉がものすごい奥の方に潜ってしまったかもしれない」と本気で申し訳なさそうに話すので「気にすんな、そのうち帰ってくる」と漢気のある返事で安心させてやった。
「ちょっと待ってくれないか! 」
浅野くんが今日一番と思われる声量で俺たちを引き留めた。 後ろを振り返ると、合流した地点からほとんど動いていない。 樫本もそれに気付いて立ち止まっている。
「あ……あのさ、食事の方に気が行ってるところ悪いんだけど……もし、まだ時間があるなら……」
浅野くんが横を向いて指を差す。 その先にあったのは観覧車だった。
「最後に、あれに乗らないか」
そのセリフと共に、示し合わせたように観覧車がライトアップされた。 驚いた表情の水嶋が隣で「魔法だ」と小さくつぶやくと、暖色系の光は観覧車の内側から外側にぶわっと広がり、地上に花火が咲いたみたいだった。
「うん、まだ列もそんなに長くないし……折角だし乗って行こうか。 樫本! 観覧車乗ろうって! 」
水嶋に声を掛けられた樫本が走ってくる。
「なんだぁー! 観覧車? 今は肉の事しか考えてないぞぉ」
「かっ! 樫本さん! 俺と一緒に乗ってくれないか」
やるじゃん浅野くぅーん!
俺と水嶋は思わず顔を見合わせた。
「ひぇっ!? え、うぇ ……? あ、あの。 い……いいけど」
樫本は頬を真っ赤に染めて頷くと、そのまま足元から視線を動かせなくなったようだった。 水嶋はニヤニヤしながら樫本の背中をポンっ、と叩く。
こうして俺たちは、凪町コスモパークの締めくくりに観覧車に乗ることになった。
四人で列の後ろに付けてからも二人の緊張感がこっちまで伝わってくる。 水嶋もソワソワしていて、俺まで落ち着かない気持ちにさせられた。 彼女は二人がゴンドラに乗り込んでいく背中にビシッ、と敬礼を決め、ニヤリと笑った。
「今日は乗るつもりなかったんだけどなぁ。 避けてたんだけど……」
水嶋はゴンドラに乗り込むなりそう言って座る。 おもむろに靴を脱いで、対面で胡座をかいた。
何を思ったか、脱いだ靴をひょいと手に取り、そのまま鼻先に持っていって匂いを嗅ぎだす。
「うぉい! 慣れた動作で嗅ぐなバカ! お前のも嗅ぐぞ!? ……か、嗅ぐぞ!? 」
灯台下暗しというのか、この身体は意識を割くポイントが多すぎて、靴は完全にノーマークだった。 嗅いでみたい。
「うん。 嗅いでみて」
「あれ? いいの? 」
「本気で嗅ぐ気になられたら嗅がれるし……どうせなら見てるところで嗅がれた方が。 うん、嗅いでるところ見せて」
「もしかして稀代の変態かお前。 ……なんかそう言われると嗅ぎたい欲が一気に削がれるのは人間の性かな」
「個人的な性質でしょ」
水嶋は窓の外へ顔を向けたまま答えると、鼻をぴくぴく動かして指の腹でさすった。
「相原くんって……嗅覚が私よりもいい気がする」
「……あぁ、五感は全部鋭い自信ある。 意識してなかったけど……というか、俺が特に意識しなかったって事は、水嶋もそんなに変わらないと思うけど。 あ、でも目は俺より少し悪いな」
「私は自分が匂いフェチだと初めて知ったよ」
「ふぅん。 俺もちょっとその気はあるけど……これ観覧車でする話か? 」
「観覧車でする話って何が正解なの? 」
一瞬の思考遊泳で、面白い答えを見つけてしまった。 昨夜の記憶がすれ違う人の残り香のように鼻先を掠めてくる。 俺は正面の水嶋と同じく、窓の枠に肘をかけて外の風景に顔を向けた。
「そりゃあ……観覧車の中といったら “世界平和について討論” だろ? 」
水嶋の身体がピクリと震え、俺の言葉に過剰反応したのが見なくてもわかった。
「……この話って、前にもしたっけ……? 」
「ん? さぁ……どうだったかな」
観覧車に生身で乗るのは何年振りだろう。 多分、まだアキが生まれてないくらい昔の事のような気がする。 乗ったことがある、という事実しか思い出せなかった。 どこで誰と乗ったとか、どんな風景が見えたかとか、そういったディティールは記憶の奥の方に引きこもってしまって出てこない。 記憶の扉をノックをしようにも、どの扉をノックすればいいのかわからないのだ。
「相原くんはさぁ、遊園地と水族館、デートに選ぶならどっちにする? 」
考えたこともない選択肢だった。
少し悩んでもわからなかったので、『デート』というものをイメージしてみた。
想像の中の水嶋はワンピースを着ている。 服も肌も全てが白くて眩しくて、太陽の下では目眩がしてしまいそうだった。
「水族館かなぁ。 落ち着きそうだし、うん。 まったりできそう」
「落ち着いてまったりしたいなら、梅雨のお寺とかいいんじゃない? 相原くんは雨が好きなんでしょう? あじさいも咲いててさ」
水嶋の言葉が火種になり、俺の内側でイメージが爆発的に拡がった。 水嶋が淡い色の浴衣を着て、満開のアジサイの前で赤い和傘を差している。
「あぁ、鎌倉な! お寺っていいなぁ! ……うん、うん……すごく似合う」
「似合うって誰に? 」
墓穴を掘った。 やり返されたような気がしたので舌打ちして視線をそらす。
ゴンドラは3時の位置に差し掛かり、窓の外には小さく海が見えた。
「あ! 水嶋、海! 」
「え、本当だ! そうか、見えるよねこの位置なら」
二人で窓にへばりついて、しばらく無言で海を眺めた。 夕陽が溶け込んで、炎みたいにゆらゆら煌めく海は、簡単に言葉を失わせるくらいの力がある。
「ねぇ、慶ちゃん、見て」
「ん? 」
一つ先のゴンドラには樫本と浅野くんが乗っている。 浅野くんが海の方を指差して何やら一生懸命話している様子で、もしかしたら東京湾の雑学について熱弁しているのかもしれない。 樫本の方は普段の姿からは想像できないほど、たどたどしく受け答えしているように見えた。
「樫本さん、僕はあの海の向こうに……離ればなれになった妹がいるんだ」
「なんだよ急に」
「アテレコだよ。 相原くんはサエちゃんの役やって」
「全力でいくわ」
樫本の口が動くのを待つ。
「……まぁ! 浅野くんには妹さんがいたのね。 房総半島あたりかしら? 」
「……そうだよ。 一緒に暮らしていた頃はまだこのくらいの……豆粒くらいの大きさでね」
「あら! そんなに小さかったの? おやゆび姫の血かしら」
「妹には家具の隙間に落ちたBB弾を何度も拾ってもらった。 思い出らしい思い出はそれだけさ」
「ちょっと、タイムタイム。 お前そういうのどこで鍛えてんだ? コツ教えてくれよ」
「あの身振りは手振りはなんの話してるんだろうね。 浅野くんの事だから海の雑学でも披露してるのかな? 」
俺が思っていた見立てと全く同じなのが可笑しかった。 水嶋は座席に膝を立てて、一つ先のゴンドラを凝視している。
「きっとさぁ、浅野くんは観覧車がてっぺんに着いたら告白をするんだよ。 サエちゃんもなんとなーくその雰囲気を感じ取っていて、お互いに心の準備をしてるんじゃないかなぁ」
「うんうん、なんとなくわかる。 あれだよな、朝目が覚めて、ぼーっとしながら布団の中から時計を見て『よし、50分になったら布団から出るぞ! 』 っていう、あの心意気だよな」
「自分の中でリミットを設けないと踏み出せない時ってあるよね。 それでも私は、そのままだらっと踏み出せなかったりするけど」
「うんうん、やっぱ55分にしようってなることあるもんな」
「きっと浅野くんは告白に成功して……ほっぺを真っ赤にしたサエちゃんの照れた笑顔とか、夕陽に照らされた観覧車とか、二人きりの空気感を胸に刻み込んで……」
水嶋は柔らかい笑みを浮かべて言葉を切ると、すっと立ち上がった。
俺に対して『少しずれて』というジェスチャーを送り、隣に腰を下ろす。
「今宵のズリネタにするんだろうなぁ……」
「やめろバカ」
それから俺たちが一つ前のゴンドラを覗くことはなかった。
あのビルは何階建てだとか、家の方角はどっちだとか、アームストロング砲ならどこまでが射程だとか、そんなくだらない話に終始した。
あっという間に一周したゴンドラから飛び降りると、先に着いていた浅野くんが今日一番の笑顔で迎えてくれる。
水嶋と「ありがとう、おめでとう」 を交わすと腕を広げ、二人は抱き合った。
そのあと俺の方にも駆け寄ってきて、「ありがとう水嶋さん! 」と握手を求めてきたので、強く握り返して祝福してあげた。
俺の隣にふらふらと近付いてきて「すんごい緊張したぁ」と呟いた樫本が、なんだかいつもより可愛く見えた。
こうして浅野くんは二年越しに、中学卒業時のリベンジを果たすのだった。




