“中の人達”の人間模様を、子供達はまだ知らない。
「じゃあ、私は席をキープしとくよ! 相原はどうする? 」
「僕も行くよ」
水嶋に元気がない。 浅野くんから強引に役を奪うわけにはいかないという自制心が働いている証拠なので、いい傾向だ。 浅野くんに対する俺のイメージを悪くしないように気を遣ってくれているのなら、それはそれでありがたいし、あの怪物も人の心を持っていたのだと安心できる。
「頑張れよな、優羽凛」
「……頑張るのは浅野くんだよ。 すぐ終わるから大人しく待ってろよな」
「ちなみにヒーローの中の人は大抵ヘビースモーカーのおっさんで、本番前は焼酎をラッパ飲みしてるらしいぞ」
「楽しみにしとくよ」
案内された「楽屋」は、簡易的なものだった。 屋根だけのテントで、三方向に目隠しのメッシュが垂れている。 前方はステージの裏に繋がっていて、そこから左右どちらの舞台袖にも上がれるようになっていた。
楽屋内には中央に長テーブルと、それを囲むようにパイプ椅子が配置されていて、テーブルの上には飲み物やお菓子が山のように並んでいる。
「水嶋さん。 ここにある差し入れのお菓子、好きなだけ食べていいですよ」
「ええ!? いいんですか!? 」
「どうぞどうぞ。 どうせ食べきれないですし。 あ、じゃあ水嶋さんを攫う人を呼んできますので、のんびりしててください」
「攫う人って、もしかしてヨクバリーですか? 」
「あはは。 そうです、ヨクバリーの中の人です」
吉住さんはにっこり笑って楽屋から出て行った。 のんびりしている場合じゃないので、机に並んだお菓子を物色。 舌慣らしに、一番端に置いてあった伊予柑のパウンドケーキを頬張る。
ペットボトルの伊予柑ジュースを飲みながら、ポーチとポケットに小さめのお菓子を隙間なく詰め込む作業に没頭した。
夢のような時間を過ごしていると、外から賑やかな声が近付いてきたので、作業を中断してパイプ椅子に腰掛ける。
入り口から現れたのはレモン・イエローとスカイ・ブルーだ。 二人とも衣装は着ているけど、被り物を腕に抱えている。
俺に気付いたイエローが、「お疲れ様です」と声を掛けてきたので、立ち上がって同じ言葉を返した。
「あれ、スタッフさん……じゃないですよね」
スカイブルーが話しかけてくる。 イエローはお菓子を手にとってパイプ椅子に腰を下ろした。
「はい、えっと、スタッフの方に頼まれて人質の役を……」
「えぇ!? 本当に現地でサクラ仕込むんだ! すごい! 」
ブルーが手を差し出してくる。
「すみません、うまくできるかわからないですけど……」
「全然大丈夫ですよ! むしろ引き受けてくれてありがとうございます。 最初の頃は客席からランダムに選んでたんですけどね、子供ってほら、信じられない動きしたりするじゃない。 この前もあんまり暴れるからって害虫役さんが5秒くらいヘッドロックしたらしくて、鬼クレームもらっちゃって」
陽気に喋ってるけど間違いなく運営側に非があるだろ。 それにしてもよく喋るブルーになったもんだ。 引っ込み思案でお荷物扱いされてたあのブルーが、曇り空を吹き飛ばすチートを持っただけでここまでつけあがるなんて……メンバーは思ってもいなかっただろうな。 イエローも白い目で見てるわ。
「初期のね、田舎のイベントでこじんまりやってる時は良かったんですよ。 正直俺は、そんなところカットしちゃえばいいと思ってるんだけどね。 『人質になりたい子いますかー? 』とか『お母さん、お子さん攫っていいですか? 』みたいなノリがすごくウケてたのが忘れられないんですよ、上の人が」
「いきなり喋り過ぎだよブルー。 構えちゃってるじゃん」
イエローに咎められ、ブルーは大げさに肩をすくめておどけた顔をした。
「イエロー役の内藤恭介です。 よろしくね」
「あ、人質役の水嶋優羽凛です。 よろしくおねがいします」
「ゆうりちゃんって言うんだ! あ、俺はブルー役の飯島涼です」
当たり前の事だけど、俺が水嶋優羽凛じゃなかったらここまで話しかけられてないだろうなぁ。 自分の敵が日常のあらゆる場所に存在していると思うと、少し胸が騒がしくなった。
「うぃーす」
入り口から低い声を唸らせて、大男が入ってきた。 ヨクバリーだっ! デカイっ! 190センチくらいあるんじゃないだろうか? まさによくばりボディ。
足、腰、胸にごつい装備が施されている。 結構お金がかかってそうだし、素晴らしいヴィジュアルだ。
顔は被り物をする筈だけど、そのままでも充分子供を泣かせられそうなくらいに厳つい。
「おぉ、水嶋ちゃんだね? 突然お願いしてすみませんね! 今日はよろしく! 」
「はいっ! お手柔らかにお願いしますっ! 」
ヨクバリーは顎を上げて、ガハハ、と豪快に笑った。
「いやぁ、可愛いなぁ!もう攫いたくなっちゃうな! 」
「セクハラですよそれ」とイエローが横槍を入れる。 俺自身も冗談に聞こえないからやめた方がいいと思った。
「そうか! 今の世の中はセクハラに煩いからなぁ! 」
ちょっと前の世の中で軽いセクハラに手を染めていた口ぶりである。
「うん、顔は覚えた! 出来るだけ前の方に居てくれるかな? 丁重に攫わせて頂くからね! 」
ヨクバリーは後ろからスタッフに呼ばれてすぐに去っていった。 楽屋と言っても、出演者がずっと詰めているような場所ではないらしい。 それにしても、怪人の名にふさわしい、嵐のような男だった。
すると突然外から、おぉ、と短い歓声が上がった。 覗いてみると、テントの外に三人の害虫と吉住さんがいる。 一人が仰向けに横たわって、ひっくり返った昆虫みたいに手足をワサワサと動かしていた。
「うまいうまい! もう一回行くよ、右フック、左フック、前蹴りで吹っ飛ぶ! 」
浅野くんがやられる練習をしている。 特撮や戦隊モノ好きを自称するだけあって、素人にしては上出来なボコされ方に見えた。 他の害虫達や吉住さんも拍手するほど感心していて、害虫浅野は恐縮するように頭を下げている。
なかなかやるじゃん、とは思ったけど大して興味はないので、チョコクリームの入ったプチ大福を黙々と食べ続けた。
本来の目的だったヨクバリーとの顔合わせも終わったので特に居残る理由はなかったけど、どうせなら二人のオレンジとピーチピンクの中の人も見ておきたい。 そんな思いから、何食わぬ顔で居座ることにした。
そこからはイエローとブルーが話しかけてくれるお陰で退屈はしなかった。 俺は『おとなしいけどちょっと間抜けで食いしん坊なぶりっこ美少女』を演じ、女の扱いに長けた二人のヒーローはまんまとその術中にハマってテンションを上げていく。
実は男である私に手のひらで遊ばれている事も知らず、鼻の下を伸ばす間抜けなヒーロー達。 やれやれ、私レベルの美少女にしてみれば男なんてチョロいもんだなぁ。
「おつかれーっす」
ブルーのトークに愛想笑いをしていると、オレンジ、ピンク、オレンジの順で入ってきた。 これは最高の展開だ、挨拶して顔を拝んだらすぐに退散しよう。
まずは、パパイヤオレンジ。 ごく普通のおっさんだった。 ヘビースモーカーと言われても驚きはしないが、本番前に焼酎をラッパ飲みするような男には見えない。 真面目で頭の良さそうなおっさんだ。 彼は俺に気付くと「あ、水嶋ちゃんだね? よろしくね」と声をかけてきた。
続いて、ピーチピンク。
20代後半くらいの女性で、お世辞にも容姿に恵まれているとは言えない。 よくテレビに出ている女芸人に似ているけど、名前は思い出せなかった。 チラシで見ていた予備知識で小太りなのは知っていたけど、その顔面も実にコミカルで、軟球くらいなら軽く口に入りそうだ。
かなりふてぶてしい態度で「あら可愛い、代わりにピーチピンクやらん? 」と言ってきた。 俺は思わず手頃な軟球がないか探してしまった。
最後はいよかんオレンジ。 リーダーを担当するだけあって、若くスマートで左右非対称の髪型もおしゃれな感じだ。 もっとも、これをおしゃれだと感じるのは俺の壊滅的なセンスのせいかもしれない。 彼は誰と目を合わせる事なく、端っこに座ってスマホをいじり始めた。
「でも、あれですね。 リーダーの色が被っているっていうのも面白いし、私がもし子持ちのお父さんで、このチラシを渡されたら、ちょっと見に行ってみようか、ってなると思います」
ブルーが「ゆうりちゃんは、お父さんにはなれないよ」と笑う。
隣に座ったピンクが「企画会議が深夜の居酒屋だったんよ」と答えてくれた。
「社長がお笑い好きやけん、こんなんなってしまったんやね。 でも、ウケる時は結構ウケるんよ」
ピンクは顔にまったく似合わない声色と可愛らしい方言だ。 誰かが吹き替えをしているのでは、と周囲を見回したが、どうやら地声のようだ。 それにしても、「社長」という存在がいることに驚いた。 どのような組織が請け負うのか、ジューシージャーの謎は多い。
「アンタ、何しよん? さっきからスマホをばっか見よって」
ピンクがリーダーのオレンジの元へ歩いていく。 オレンジはスマホを構えたままピンク色の軟球ホルダーを睨みつけた。
「うーわぁ、ゲームやっとるわこの人」
ピンクがみんなに向かって呆れた顔を見せると、その場にいるほぼ全員が目を伏せた。
パパイヤの方のオレンジ(普通のおっさん)だけが、伊予柑ジュースを手に取ってごくりと飲んでいる。
「あんた東京に、ゲームしに出てきたと? 」
リーダーのオレンジは舌打ちをして、スマホを見つめたままコップにミネラルウォーターを注ぐ。 どうやら穏やかじゃない雰囲気になってきた。
「自分、SNSにパチスロの画像ばっかり載せるアカウント作っとるじゃろぉ? 見てしまったんよ」
「人のスマホ勝手に見んなよ」
「ほんでな、なぁみんな、聞いてやぁ。 こいつパチスロの画像本垢に大量誤爆しよってな、それ自分で気付いてないんよ。 ほんならな、地元の友達から『早く帰ってこい』とか『農家継げ』の大合唱されてん! 笑ってしまうよなぁ! 」
笑っているのはピンクだけだ。 他の人は無反応で、素知らぬ顔をして話を続けたり、テーブルのお菓子をつまんだりしている。
「うっせぇな……黙ってろよクソブスが」
オレンジの放った言葉に場の空気が凍りついた。
ピンクは目を見開いてオレンジを睨みつける。
「ブッ……そのブスに一生支えてくれって頭下げたのはどこの誰ね!? 忘れたとは言わせんよ! 」
「ピンク! 本番前だ」
「でも、パパイヤさん……ウチ……」
「気持ちはよくわかる。 でもな、チームで動いてる以上は私情を挟んじゃいけない場面もある。 ショーが終わって、コスチュームを脱いでからにしろ」
チラシの隊員紹介にも『腰痛持ちだが、メンバーの精神的支柱となる存在』と書かれていたパパイヤおじさんが、ピンクを制する。 さっきまで和やかな空気が嘘のように淀んでしまった。
「だから恋愛は御法度にすれば良かったんだよ」
隣のブルーがぽつりとつぶやく。
「紅一点がドブスだから問題ないってベロベロに酔って爆笑してたの自分やんな!? なぁ、ブルー! 」
ピンクはブルーの肩を強く小突くと、パイプ椅子に勢いよく腰掛けて、頭を抱えてしまった。
俺は一番美味しかったパウンドケーキを両手に持ち、ハムスターのように頬に貯め込んでこの人間ドラマをじっくり眺めていた。
「ごめんね、ゆうりちゃん……もう客席の方に戻った方が……」
イエローが耳打ちしてくる。
「いや、もう少しだけ」
「は? 」
「このくだりだけ最後まで」
イエローが不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。
「俺だって……俺だって好きでやってる訳じゃねぇよ! 何がジューシージャーだ! 何がいよかんオレンジだ! 」
「落ち着けオレンジ。 ピンクの挑発に乗るな」
パパイヤおじさん、お前もオレンジだろと思ったが、オレンジは「パパイヤさん……すみません」 と冷静さを取り戻した。 パパイヤさんだけ色ではなく果物名で呼ぶ事で差別化を図っている。 一人だけ苗字で呼ばれてるような感じだろうか?
「俺は……役者になりたくて東京に出てきたんだ……。 こんなもん、オーディションに受かったらすぐに辞めてやる! 大体、なんでメンバーで俺しかバク転が出来ないんだ。 練習しろよ! バク転ができるだけでリーダー押し付けられた俺の気持ちにもなれよ! 」
「ウチだって……頑張っとるんよ 」
「いまだに側転すら出来ねぇブタは黙ってろ! ……他の奴に言ってるんだよ! ……なぁ、初期から全く成長しねぇイエローさんよ? テメェ、なんとか言ってみろよ! 」
「……仕方ないだろオレンジ。 俺はヒーローっぽいあのシャキシャキした動きすら下手だし、ちっとも上手くならない。 正直、上手くなろうという気持ちもない。 お前と違って役者の才能は少しあるけど、シャキシャキした動きの才能がないんだよ」
「バカにしてんのかテメェ! 」
「……落ち着けオレンジ、俺から謝る。 すまない、俺が腰さえやられてなければ……」
「……チッ、パパイヤさんは悪くないっすよ……くそっ! 」
オレンジはそう吐き捨てて、持っていた空のペットボトルを地面に叩きつけた。 一度バウンドし、楽屋の入り口の方へ飛んでいく。
すると、入り口から姿を現した害虫の一人がドンピシャのタイミングでキャッチした。 そのまま楽屋内に侵入してきて、ゆっくりと机にそれを立てると、ひとりひとり出演者の前に行ってお辞儀を始めた。
「あぁ、欠員埋めてくれる人かな……よろしくね」
誰からともなく声が上がるが、何も知らない浅野くんはマスクをしたまま俺の隣に座った。
「浅野くん……もしかして、緊張してる? 」
俺が小さな声で問いかけると、小刻みに何度も頷いた。
「まぁ、リラックスだよ。 いつも通りに」
浅野くんの肩を叩いて、交代だと言わんばかりにそそくさと楽屋を離脱した。
少し歩いたところで、『パァン』と手を叩く音と、「さぁ、切り替えて。 今日も子供達を楽しませよう! 」というパパイヤさんの大きな声が聞こえた。




