切迫の少女
森を必死に駆けていく少女が一人。汗をかき、息を切らして一心不乱。金色の髪を後ろで結んでおり、動くたびにユラユラ揺れる。所謂ポニーテールである。
「はあっ……はあっ!!」
背後から聞こえてくる声と足音。振り返り、姿が見えないのを確認して安堵する。それでも身の毛は弥立つ。痛む足を押しながら、何も聞こえなくなるまで駆けていく。暗い森を抜けた先には、賑やかな街が広がっていた。
「人に紛れれば……助かるかも」
少女の青い瞳は、僅かな希望に潤んでいた。
※ ※ ※
「う~」
「何魘されてるの! 朝だよ、ほら!」
「うごっ」
ベッドから転がり落とされるハル。寝惚け眼で相手を見る。仁王立ちになっている母親が見下ろしているのを確認すると、半ば諦め気味に立ち上がった。
「さっさと出なさいよ。昨日の彼女が来ているよ」
「昨日の? ……はあ!?」
「一丁前に夜遊びの挙げ句、可愛い彼女に送ってもらってぇ。あんたも隅に置けないねえ」
「母さんが思っているような関係じゃないから。話を聞いてあげていただけだ」
「そうなの? あんたがそう思ってるだけじゃない? こんな早くに迎えに来るってことは、脈ありじゃないの?」
「違うぞ! それは彼女に迷惑だぞ」
「はいはい。よーく分かりました。さあさあ、いつまでも待たせちゃ悪いよ」
急かされる形で玄関に向かうハル。扉を開けて来客を確認する。そこにいた人物は正しくルキだった。
「おはよう」
「昨日は送ってくれて助かった。夜の森なんかシャレにならないからな」
「キミのご希望を叶えただけよ。ワタシの方こそ助かったわ。なんだか心がスッキリしたわよ」
「そりゃあよかった。で、今日は何の用だ?」
「用がなければ来ては駄目なのかしら」
両手を後ろに回してオドオド。オッドアイを潤ませながらキョロキョロ。明らかに様子がおかしかった。
「駄目じゃないけどよ。まあ、俺も暇してるしな。支度するから待っててくれ」
「分かったわ」
玄関を閉めて支度するハル。そんなハルを待っているルキの心臓は高鳴っていた。
(昨日はどうかしていたわ! ワタシとしたことが、あんなに抱き付いて泣いた挙げ句、柄にもなく甘えたり)
(大体ハルがいけないんだわ! あ、あんなに優しく耳を傾けてくれて……そうよ! ハルのせいよ!)
「お待たせだ」
「ふえっ!?」
支度して出てきたハルにビックリして飛び上がる。必死に冷静を装うが、すればする程、耳が赤くなっていくのだった。
※ ※ ※
「はあはあはあ……はあ。ここまで来れば」
少女の目線は大分低い。見上げれば誰もが高く大きく、誰もが怪しく見えてしまう。街に来れば安心と思ったのも束の間、その心は不安に満ちていく。
「畜生!」
人のいない裏道に入っていく。表通り程ではないが人はいる。店のゴミ箱や煙草の吸い殻があり、普段の様子を想像出来る。
「どうしたんだい? 迷子かな?」
「ひっ!?」
全ての人が怪しく見える。声を掛けられただけで足は震え、声を出せなくなってしまう。側にあったゴミ箱を強引に転がして逃げる。腕を必死に振って足を動かす。
「うっ……くぅ!!」
足下の段差に気付かず転んでしまい、穿いていたスカートは汚れ、膝は擦りむけ血を流す。恐怖と傷みで胸が張り裂けそうになり、止めどなく涙が流れていく。
※ ※ ※
「アロポリアにもあるんだな」
「当然よ」
二人が立ち止まっていたのは、アロポリアの時計屋であった。外からでも分かる豊富さである。少し考えて入っていくと、沢山ある中から一ヶ所を見ている。
「懐中時計よね。懐中時計が欲しいのかしら」
「ああ。腕時計は着けたり外したり面倒だから、持ち運べる時計を探してたんだ。しっかしまあ、結構なお値段で。俺の予算じゃ届きませんだ」
「買ってあげようか」
「それは駄目だ。昨日の服だけで充分過ぎる。これ以上の差し伸べは遠慮する」
「欲しいんでしょう? 昨日のお礼も兼ねるわよ」
「礼をされることをした覚えはないぞ?」
「ワタシには有るの。さぁ、好きなのを選んで」
「す、すまん! また借りが出来るな」
「貸し借りなんて無効だわ。ワタシとキミの間には」
「なんだか急に優しくないか?」
「そんなことないわよ!? もともとだわ」
直感で選んだ懐中時計を買い外に出る。全体は黒く輝きながら、蓋の赤い模様がアクセントになっている。無意味に蓋を開閉して遊ぶハル。手に馴染むフィット感が気に入ったようだ。
「ありがとうな。本当に」
「喜んでくれて何よりだわ」
「なあ、あれだけの額をポンッと出せる辺り、余程のバイトをしてると見てるんだがどうだ?」
「あら? とっくに気付いていると思っていたのだけれど」
「?」
「一年間、どうやってワタシは生きてきたと思って? 右も左も分からない十六の小娘が」
「変なことじゃないよな」
「こっちからお断りだわ。白状するとあそこだわ」
ルキが指差す建物には覚えがあった。それもその筈、その建物は、リルリッドの家があるビルだったのだから。
「どういうこった?」
「行く当てもなく歩いているところを見つかって。事情を聞いた上で置いてくれたの。その時にお礼として渡されていたのよ。昨日のように手伝ったお礼にね。リーさんの寂しがり屋を強めたのはワタシかもしれないわ。だから残念、バイトじゃないわよ」
「よく残せたな」
「使う目的がなかったもの。自然と貯まっていくわね」
「全額を札で払っていたけど」
「この国に硬貨は無いの。お札だけよ」
「それなら会計の時に、もたつかなくて済むな」
それからカフェに入った二人は、コーヒーを飲みながら時間を過ごす。他のお客の声に耳を傾け情報を得る。ラジオから流れる音楽が店内に華を添えていた。
「なんだかリラックスしちゃうな」
「そういうところだ。立ち上がるのが億劫になる前に出ようかしら。さっきから聞こえてくる話も気になるし」
「何か聞こえたか?」
「リラックスし過ぎ。『金髪の少女が必死に走っている』、『声を掛ければ怯えて逃げる』、『怪しげな連中が彷徨いている』って聞こえてきたの」
「物騒なこった」
「迷子なら助けないと。アロポリアを一人でなんて危ないわ。背丈はこの位らしいから、ラル君と同じ歳頃だわね」
「親は何をしているんだ? 子供から目を離したら駄目だぞ。直ぐにどっか行っちゃうからよ」
「付き合ってくれないかしら、ハル」
「勿論だ。早く安心させないとな!」
二人はカフェを出ると、裏道を捜し始めた。