短き邂逅
ようやく出てきましたね。イラストの子が。
旧市街。改築される前から帝都として存在するその場所には『迷宮都市』とは異なる不名誉な呼び名がある。
「――『荒くれ者の街』とはよく言ったもんだなぁ。目付きの悪い奴等がうようよいやがるぜ」
ここに足を踏み入れてからすでに二回も絡まれた。そのどちらもくだらない理由で金か武器を置いていけと要求するものだったので、タクトは『緋星王剣』の爆炎で脅してやったのだが。
それにしても新市街とは大違いだ、とタクトは思う。
道は荒れ果てており、清掃も行き届いていないのか所々から腐臭を漂わせていた。そして稀に血の臭いを感じさせる。恐らくこの辺りでは犯罪が当たり前に起こっているのだろう。それも重犯罪が。
少しでも帝都の情報を集めようと足を踏み入れた場所だが、流石にここへ来るのは早計だったかもしれない。しかしこういう“闇”がある場所にこそ、タクトの望む情報が手に入るに違いないのだ。
「汚れ仕事、裏の仕事っていうのは大抵ここにいるような奴等にさせるものだしな」
ギールが仕事を引き受けた場所もこの辺りだと言う。
そのいかにもそれらしい雰囲気にタクトはうんざりした。
国が外見ばかり良くしようとして、汚いものを内側に押し込めた結果だ。明るい光を求めて、暗い闇を無かった事にしようとしている無責任さがこの場所を作り出している。
タクトは思った。アストラルとはこの辺りが違うのだ、と。
タクトが生まれ育ったあの国は良くも悪くも正直だ。才能がある者には賞賛を称え、無能な者には侮蔑を向ける。だがそれ故に清も濁も併せ持った裏表の無い国が形作られていた。
ソレに比べてこの国はどうだろうか? 体裁を保つ為に外部に新市街を作り、自分達の本性を隠して成り立っている。そうして生じた歪みが旧市街をより劣悪な環境にしたのだ。
(――気持ち悪い)
タクトがこの国に抱いた感想はその一言に尽きる。
この国はまるで仮面を着けているようだ。実際、仮面を着けているのだろう。そうして“本性”がばれないように罅割れた仮面を修復するのが『竜の爪』というわけだ。
勿論、この考えは一側面だけを見た感想に過ぎない。タクトはまだこの国に来てから一月も経っていないのだ。もしかしたらこの考えは間違っているのかもしれない。
「……あれ?」
タクトはふと違和感を感じて俯いていた顔を上げた。
人の気配が消えた。さっきまで殺気に塗れていた人間達の姿が何処にも見えない。
「これは……」
タクトは知っている。いや、体験した事がある。この現象は学園に通っていた頃にも一度見た。
――『結界』。
この固有魔法は以前学園の中で襲ってきた覆面野郎とは規模も質も格が違う。これは大規模な人間に認知されないようにする為の人払いの多重積層結界だ。
恐らくこの旧市街の人間はこの辺りを認識していない。だから誰もこの場所に入ってこれないのだ。
では何故タクトはその結界の中に足を踏み入れているのか。答えは己の右腕にある。
「――『白の本』が俺の周りの魔法を無力化したのか」
いつの間にか思考の海に沈んでいた間に、タクトの感情が強まっていたのだろう。それが原因で認識できない筈の『入口』を認識し、その道を通ってこの結界内に入ってしまったのだ。
一体誰がこんな強力な結界を張ったのか分からないが、その目的は理解できる。ここには人に見られては困るものがあるのだ。もしかしたらタクトの望む答えかもしれない。
タクトは臆することなく先へと進んだ。
人の視線も感じず、何も耳に入ってこない静寂の空間。この場所はとても居心地がいい。できるならこの場所にずっと住みたいくらいだ。
なんとなく、タクトは結界を張った人間を褒めたくなった。たとえその相手が“敵”だったとしても、この静寂の場を作った事だけは評価してやってもいい。
「――誰?」
「!?」
ふいに投げ掛けられた質問。タクトは思い切り後ろを振り返った。
「女……の子?」
声の主はタクトとそんなに歳が離れていないであろう少女だった。橙色という独特な髪をしたその少女は白いワンピースを着ていて、とてもこの旧市街の人間とは思えない。少女は幼馴染みにそっくりな蒼い目でタクトをじっと見つめていた。
どうしてこんな場所に? 一体この女は何者なのか? タクトの頭の中で様々な思考が過ぎる。しかし相手から敵意を向けられていないのは分かっていたので、とりあえず自己紹介だけは済ませておこうと思った。
「俺の名前はタクト。ただの冒険者だ。気が付いたらここにいて、今は絶賛迷子中だ」
「迷子……なんですか?」
「ああ。それで、アンタは誰なんだ?」
「わ、私はアリスです。アリス・フランジュ」
アリスは慌てた様子でぺこりと頭を下げた。その様子はとても犯罪に蔓延した旧市街の人間とは思えない。やはり新市街の人間なのだろう。
「アンタみたいな普通の人がどうしてこんな場所にいるんだ? ここは危ない。早く家に帰った方が身の為だぞ」
「あ、はい。この先に家があるので……えっと迷子、なんですよね? 良かったら出口までご案内しますけど」
『出口』というのはこの結界の事なのか、それとも旧市街そのものの事を言っているのか。どちらにせよタクトはここから出て行くつもりは毛頭無い。それよりもタクトは驚きを隠す事の方が重要だった。
(この先に……家があるのか?)
何故このような場所に? そもそもこの場に展開している超強力な結界をこの目の前の少女が作っているというのか?
タクトの疑問は尽きない。
もし結界を作っているのがこのアリスという少女だったとして。何故彼女はタクトがここに居る事を警戒していないのか。それが分からない。
普通、人払いの結界を張っているのだからその結界の中に他者が存在している事実を簡単に受け入れる事はできないだろう。なのにこの少女は親切にも出口まで案内すると言う。
ただ一つ理解できたのは、彼女には一切の敵意を持っていないということだ。その瞳には諦念が混じっている。まるで「ここで殺されたとしても仕方が無い」と納得しているような、絶望にも似た感情が彼女の瞳に現れていた。
――気に入らない。
その目が気に入らない。
彼女がどんな不遇な生活を送っているのか全く知らないが、全てを諦めきったようなその目がタクトを苛立たせる。
まるで、自分を見ているようだったから。
「いや、来た道を戻れば良いだけだろ? 一人で行ける」
だから、タクトは少女から逃げるように立ち去ってしまった。
あのままじっとしていたら、彼女に何を言っていたか分からなかったから。
しかしタクトは感じていた。近いうちに、またアリスと再会するであろう事を。
**************
アリスはその背中が見えなくなるまで、立ち去っていく少年をじっと見つめていた。
(あの人……どうしてあんなに悲しそうにしていたんだろう)
アリスは最初、己の結界に侵入して来た人物を警戒して様子を見に来た。しかし、不思議と少年の姿を見た瞬間にアリスは確信した。――この人なら大丈夫だと。
この都市では見かけない顔だったというのも理由の一つだが、彼は自分と同じ空気を纏っていた。
相手に疎まれ、憎まれ、蔑まれ、誰にも助けを得られず孤独に育った者にしか現れない虚無の空気。その空気を纏っている彼ならば、自分を理解してくれる。そう心から思えたのだ。
きっと結界の中に入れたのも、彼と自分が共鳴しやすい人種だったからだろう。そう思うと敵意ではなく親しみの方が湧き上がってくる。
だからこそアリスは少年を心配した。きっと本人は気付いていないだろう、悲しみの顔を。
「それにしても、あの人の右腕に付いてた紋章ってもしかして……『白紙の願望』? いや、まさかね」
あの古代魔導書は確か竜王戦争時に消滅した筈だ。この世に存在しているわけが無い。だからこそアリスは己の命を賭してこの場に留まっているのだ。
――たとえ、国中から“魔女”として忌み嫌われたとしても。




